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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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「司牧的配慮」の話

 
世の中には様々なルールが設けられています。
それは私たち人間が社会生活を送るなかで
誰かが嫌な思いをしたり被害を被ったりするのを防いだり
社会全体が健全な状態を保つため
私たち人間が、先人たちによる経験則と倫理観に従って定めたものです。
罰則の有無にかかわらず
私たちは “ 可能な限り ” これを遵守して、社会の一員としての役割を果たすわけですね。

大なり小なり
「ルール」というのは、どんな団体や共同体にも設けられていると思います。
そしてキリスト教会にも
各教派において、ルールが定められています。
そのルールは、絶対的に厳格に守られるべきものもあれば
いわゆるガイドライン的に「こうすることが望ましい」みたいな感じで定められているものもあります。
私たちキリスト教信者は
それぞれの教派の定めるルールに従って、正しいとされる信仰生活、円滑な共同体の存続と運営に携わっているわけですが・・・

時として
そのルールが現実的な問題解決の障害となり得ることも無いわけではありません。
たとえばその昔
キリスト教信者は、神社や仏閣へ参拝することもよろしくないとされていたとか。
或いは昨今ですと
いわゆるLGBTに関する問題や胎児の中絶といった問題
カトリックで申しますと、夫婦の離婚の問題などもあるかもしれません。

・・・敢えて「恥ずかしながら」という枕詞は使いませんが
かく言う私もバツイチであります。
昔であれば
私のような者は、離婚した時点で教会に立ち入ることも制限されたかもしれません。

しかしながら
現代のキリスト教会各教派は
それぞれの教派の考え方と現実的な問題を照らし合わせたうえで、以前よりも柔軟な姿勢を採っているようです。
私がカトリック信者なのでカトリックを例に挙げますと
現在のローマ教皇であるフランシスコは、特にこうした様々な現代社会の問題に対して柔軟な姿勢をとっているようです。

こうした今日のキリスト教会の姿勢を思うとき
私は、カトリック教会で言われる「司牧的配慮」という言葉を思い起こします。
私自身、この「司牧的配慮」という表現の意味をしっかりと理解できているか分かりません(もしも間違っていたらご指摘ください)が
私の理解としては
「本来は教会の定められたルールに従うべきだが、状況に応じて、様々な事情を鑑みて司祭の判断によってこのルールから外れることを “ 容赦 ” する」
といった解釈であります。

大切なことは
「私たちの指導者である牧師職・司祭職にある方からの了解と容赦を得る」
ということです。
牧師職や司祭職にある方に信頼をもって事前に事情を伝えて(相談して)
その是非・可否を仰ぐということでしょうか。

この「司牧的配慮」という言葉を教えてくれたのは
畏友(或いは悪友)である、長崎南山・中高等学校校長である西経一神父様です。

「司牧的配慮ってのはな
何でもアリってわけじゃないんだ。
そこに『愛』と『思いやり』があるかどうかだ。
司祭職による、愛と労りと思いやりの配慮によって
現実的な問題を解決できるかどうかにかかっているんだ」

・・・私は個人的に
今日のキリスト教会において私たちの大きな救いとなり得るのが、この「司牧的配慮」なのではないかと思っていたりします。
そしてこの「司牧的配慮」もまた
ある面において、キリスト教の本質を表しているのではないかと思っております。

「だから司牧的配慮を判断する司祭職には、信者に対して本当に大きな責任があるんだ。
時として、その人の人生さえも左右することがあるということを肝に銘じなければならんのだ」

でも、以前西神父様
私にはこうも仰いました。

「オマエみたいな罪深い男には司牧的配慮なんて無いと思え。
オマエは死ぬまで、その罪の償いを続ける義務がある。
ゴメンで済むなら警察は要らん!」

・・・だそうですわ(笑汗)







# by dscorp-japan | 2022-02-11 16:32 | 思うに・・・ | Comments(4)

マルチノ 大橋嘉男神父様の訃報とご報告

 
過日 1月28日
神言会司祭 マルチノ 大橋嘉男神父様が帰天されました。

尚 通夜並びに葬儀ミサ・告別式は
神言会会員のみの参列により下記の通り滞りなく執り行われました。
特に現在、その感染が危惧されておりますオミクロン株の感染予防のため
このたびのご葬儀日程等のお知らせは控えさせていただきました。
感染予防のための措置を何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。


   通夜・・・・・・・・・・1月30日(日)午後6時より
   葬儀ミサ・告別式・・・・1月31日(月)午前11時より
   式場・・・・・・・・・・カトリック南山教会


大橋神父様は、その生涯をキリスト教教育に捧げられました。

聖ルドヴィコ神学院院長
長崎南山中・高等学校校長
聖アーノルド小神学院院長
南山短期大学学長
瀬戸・聖霊中・高等学校校長

数えきれないほどの多くの方々が
大橋神父様のご指導によって、神様の愛を学ばれたことと存じます。
どうぞ皆様
マルチノ 大橋嘉男神父様の魂の安息をお祈りください。




マルチノ 大橋嘉男神父様の訃報とご報告_a0153243_14350748.jpg

# by dscorp-japan | 2022-01-31 14:47 | キリスト教 | Comments(0)

お葬式は必要か否か

 
・・・葬儀屋さんというお仕事に携わりながら
私はもうずっと何年もの間、考え続けてきたと思います。

「はたして本当にお葬式は必要なのか」

そのひとつのきっかけはやはり
2010年に刊行された、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』という名著(迷著?)なのかもしれません。
葬儀屋さんにとっては、そこそこ衝撃的なタイトル(汗)
おそらく全国の葬儀屋さんが
この本に反論する材料をかき集めては、同業者同士で意見し合ったのではないかと思います。
かくいう私も葬儀屋さんの端くれとして
お葬式がいかに大切なものか(≒必要であるか)を、経験則を踏まえて弁証すべく考察してきたつもりです。
そしてそのたびに
少なくとも “ 私自身の価値観のなかでは ” 必要であるという結論に至ったものです。

・・・そうなんです。
この結論はあくまでも「私個人の価値観に照らし合わせた結論」なのです。

当たり前のことですが
世の中には様々な価値観を持った方がいらっしゃいます。
ある人にとっては「当たり前」「常識」と認識されることが
別の人にとっては違っていたりすることもあります。
価値観の多様性
つまり(ここでこの単語を使用するのが正しいかどうか分かりませんが)
『ダイバーシティ』ということでしょうか。

であるなら
「お葬式」という一般的な概念に対する価値観も、人によって大きく異なるということもいえるはずです。
「お葬式は必要だ」という価値観もあれば
「お葬式なんて要らない」という価値観もあるのだと。

もちろん、双方の価値観からくる結論は
やはりそれなりの情報を汲み取ったうえで出されるべきものだと思います。
昨今の世間の潮流に流されて
深く考察することなく「必要だ」「要らない」と結論を出すのは違うかなと。
特にお葬式は「人間の死」に関わることですから
慎重に考えるべき問題であることは間違いないと思っております。

            ♢

ご批判を承知の上で、敢えて申します。
日々、お葬式のお手伝いをさせていただくなかで
(あれ?このご遺族はあまりお葬式に前向きじゃないのかな)とか
(なんだかちょっとヤル気みたいなものが感じられないなぁ)とか
感じてしまうことって、正直あるんです。
或いは私の洞察力が足りないのかもしれません。
でも
一応、約30年に亘ってお葬式に携わってきた人間として
その経験則から感じる、偽らざる印象ではあるんです。

決して、故人様に対する想いが希薄だというわけじゃないと思うんです。
(ごく稀にそういったケースも無きにしも非ずですが)
想いは深くあるけれど
一方でお葬式のことは「死者を弔うためのプロセス」とだけ捉えているような感覚。
そういう価値観でお葬式を捉えているニュアンスが感じられることが、しばしばあったりするんです。

こういったお客様に対して
以前の私なら
(どうして大切なご家族のお葬式をそんな感じで済ませるんだ?)
と、内心で批判してきたと思います。
でも数年前から
(あぁ、このご遺族の価値観はそういうものなのだな)
と認めるというか、受け入れるようになったんですね。
これもひとつの
『ダイバーシティ&インクルージョン』ということなのでしょうか・・・

            ♢

私は
それぞれの人のお葬式に対する価値観って、宗教に対するそれと似通っているんじゃないかと思うようになってきました。
必要な人にとっては「絶対に欠かせないもの」
そうでない人にとっては「なぜそれが必要なのか分からない」
宗教もそうじゃないでしょうか。
それぞれの宗教が提示する「神」が本当に存在するかという議論もありますが
神が居ようと居まいと「自分には一切の宗教など不要だ」という方が、間違いなくいらっしゃいます(私の周りにもいます)。
元よりお葬式には
宗教的概念とリンクする部分が多少なりともあると思います。
「弔う」という行為の背景には
死生観や魂の捉え方、死後の世界といった考え方があるはずです。
私たちはそれぞれの価値観に照らし合わせて
それぞれの考える死生観に合致した宗教を選んだり(或いは拒否したり)しているのではないかと思うんです。
そして、お葬式のことも。


誰も、軽々に判断しているわけではなくて
それぞれが生きてきた過程において形成された経験則や価値観に照らし合わせたうえで判断されているのだと。
だとするなら
お葬式についても、私たち葬儀屋さんはお客様の様々な価値観を汲み取ったうえで
「何ができるのか」「何をすべきか(或いは何をしないべきか)」を考えていくことが必要なんじゃないかと。



・・・年明けから忙しく走り回るなか
ぐるぐると頭の中で考えていたことを書いてみました。
あ!
私の価値観に照らし合わせると
今でも「お葬式は必要だし大切なもの」であることに変わりはございませんデス。





# by dscorp-japan | 2022-01-19 22:28 | 葬儀 | Comments(4)

2022年 謹賀新年

 
皆様
2022年、明けましておめでとうございます♪


2022年 謹賀新年_a0153243_16560420.jpg

旧年中にお世話になった方々
特に各キリスト教会の牧師先生や伝道師の皆様、神父様や助祭様、修道会の皆様
各共同体の信徒の皆様には、大変にお世話になりました。
それぞれの教会・共同体として掲げる伝道・宣教において
私どものお手伝いさせていただくお葬式が、その小さな一助となれば幸甚です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。



今から約二年前より続く
全世界を覆いつくした新型コロナウィルス問題は、今なお継続しております。
私ども葬祭業者もまたこの問題に取り組みつつ
コロナ禍によってもたらされた、お葬式における様々な問題に取り組んできております。
その取り組みのなかで
私たちも営利企業であるという側面から、コロナ禍による経営の圧迫は避けられませんでしたし、今も続いております。

しかし
いちばんの被害を被ったのは他でもない、大切な方を亡くされたご遺族やご親族の皆様でありました。
それぞれのご遺族様の理想とする弔いの形が許されず
大切な方を送るときでさえ妥協を強いられてしまったことは、葬儀屋さんとして本当に心苦しく思っております。

大切な方を送るお手伝いをするという葬儀屋さんとして
このコロナ禍におけるより良い方策を模索しつつ、今後も謙虚に取り組んでいく所存でございます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


有限会社 ディーズ
代表取締役 岡田 守生






# by dscorp-japan | 2022-01-01 00:00 | Comments(4)

メリークリスマス

 
皆様
救い主イエス・キリストのご降誕、おめでとうございます♪


ド不良信者の私でも
極力、イースター(復活祭)とクリスマスくらいは教会に出向いてミサに与るのですが
今年の私、お葬式の担当が重なりましてクタクタになり
(悪いが神様、許してちょ)とばかりにミサ、サボりました (^^ゞ

昨日(24日)、カトリック布池教会のミサは
第一回目が16:00~
第二回目が20:00~(司教の司式によるミサ)
第三回目が22:00~
となっていたのですが
私はその布池教会で、第一回目の二時間前に出棺(つまり13:00~14:00)という時間のお葬式を担当しておりまして
出棺後も猛ダッシュで撤収作業に追われて
正直、身体が持ちませんでした・・・

そして今日はもう、午前中は爆睡。
昼前にベッドから抜け出して
ずっと出来ていなかった自宅の掃除をして
今は洗濯機を回しながらこの記事を書いている次第でございます。

こんなとき、自分に対して
(オレ、クリスマスミサに出なくてもしょっちゅうミサに与ってるじゃん)
という屁理屈を持ち出すわけですが (^^ゞ
でもやっぱり、ホントは教会行った方が良いんだろうなとも思うんですけどね~


・・・あぁ
でもまだ身体の疲れが抜けないや。

皆様の上に
幼子イエスの慈しみと恵みが豊かに注がれますように。
そして
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。






# by dscorp-japan | 2021-12-25 14:28 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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