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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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イースター

 
 “ 主のご復活、おめでとうございます ”

・・・祝いの言葉を口にしたり書いたりすることさえ
何となく気が咎めてしまう今年のイースターではあります。


前回、妙に落ち込んだ文章を書いておきながら
あとから読み返してみると、何ともまぁ稚拙で思慮の足りない文章なんだろうと恥じ入っております。
彼の地で起こっていることに、私なりに心を痛めていることは嘘ではありませんが
そのくせ毎日普通に腹は減るし、睡眠もそれなりにとれております。
職場でのとりとめのない与太話や
テレビから流れるバラエティ番組に声を上げて笑ってもいるのです。

・・・今日も私は
「いつもと変わらぬ日常」を過ごせてしまっているのであります。

私にとって今年の四旬節(受難節・大斎節)は
例年以上に “ 心ここに在らず ” な期間でありました。
そこに、彼の地で起きていることが影響していることは確かなのですが
一方で「彼の地での出来事のせいで」という、都合のいい言い訳の根拠にもなっていたような気もしております。
そんないい加減な気持ちのまま、今日を迎えてしまいました。
所詮、私なんてこの程度の人間なのであります・・・

            ♢

でも今
今日この日を区切りとして、私はもう一度、主のご受難とご復活に思いを馳せたいと思っております。
本来なら四旬節中に黙想すべきことではありますが
遅まきながら私は私なりのやり方で、キリスト教信仰の核心である救い主イエス・キリストのご受難とご復活を思い起こしたいと考えております。
それがあってこそ
私の拙い祈りにも、ひと欠片ほどの意義はあるはずだと信じたいので。


ですからすべてのキリスト教を信じる皆様
あらためて
“ 主のご復活、おめでとうございます ”

罪の贖い主であるイエスが
私たちの思いと行いによる罪をお赦し下さいますように。
今、世界中で様々な事由で苦しんでいらっしゃるすべての方々が
一日も早く、その現状から解放されますように。




# by dscorp-japan | 2022-04-17 00:22 | キリスト教 | Comments(4)

あの日以降

 
あの日以降、ヘヴィメタルやハードロックをあまり聴かなくなった。
というか、歌詞の入った音楽全般を聴かなくなった。歌詞が、耳にうるさく感じるようになった。曲のなかで歌われる言葉が、今の現実とリンクしていない気がするようになってしまった。自宅にあるオーディオセットの電源を入れる頻度が、格段に減った。たまに電源を入れたときも、インスト曲しか聴かなくなった。プログレ系の、長尺インスト曲ばかり選ぶようになった。それはきっと、自分なりの現実逃避の手段なのだろうと思う。そしてしばらく音楽を流して、もう要らないと電源を落とすようになった。独り暮らしの部屋の、沈黙をより求めるようになった。

あの日以降、ハッピーエンドじゃない映画が観なくなった。
元より僕はハッピーエンドじゃない映画が好きだった。観終わった後、どんよりと考えさせられるような映画を好んで観てきた。ところがあの日以降、それまで好きだったジャンルの映画を観ようという気になれなくなった。自宅のハードディスクに録画してある映画はその類の映画ばかりなのに、それを再生して観ようという気になれなくなった。

あの日以降、このブログに向き合うことがさらに難しくなった。
言葉を語ること自体は嫌いじゃないが、生来の怠け体質を言い訳に、これまでも適当にあしらってきたことは否定できない。でもあの日以降、いったい自分はここで何を語ればいいのかが全く分からなくなった。実のところ、あの日以降何度もブログ記事更新の画面を開いてはきた。でも、キーボードに置いた指が動かないのだった。一言二言打っては消し、諦めてノートパソコンをパタンと閉じるだけだった。

あの日以降、僕は毎日ロザリオを唱えている。
嘘偽りなく言うのなら、あの日が来る前から毎日ロザリオは唱えている。たったの一連だけだけれど。そして必ずロザリオの後にファティマの祈りを付け加えてきた。自分や自分の会社が関わった葬儀の、故人の魂の安息を願うのが、葬儀屋としての自分の役割だと考えて続けてきた。もちろん自分や自分の会社の為に祈るという意味もあるけれど、僕の唱えるロザリオの、主たる意味と意義は死者の為の祈りだった。
でもあの日以降、その祈りの意味は変わった。
特に大天使聖ミカエルの祈りが、自分のなかで大きな意味を持つようになった。あの日以前もこの祈りはロザリオに付け加えてはいたが、ほとんど無意識に口先だけで唱えるだけだった。祈りの意味は理解しているつもりだが、実感が伴わなかった。具体的な「悪魔」と呼ばれる存在(或いは概念)が実存するのかの議論は別として、少なくとも今世界で起こっている出来事の背後に、何かしらの良からぬ意思や思念が渦巻いていることは否定できないと思った。人間の利己主義や集団心理が悪魔を生み出すのか、それとも本当に絶対的な悪としての悪魔が跋扈しているのか。
あの日以降、大天使聖ミカエルが一日も早く、この現状を生み出した当事者たちを正しい方向に導いてくれるよう祈るようになった。僕なりに、結構真剣に。


そして今、僕はつくづく思い知らされている。
ヘヴィメタルやハードロックや歌ものの音楽を楽しめたのも、ハッピーエンドじゃない映画を好んで観られたのも、サボりつつもこのブログで能天気な記事を書けていたことも、すべては「平和」があってこそのことなのだ。





# by dscorp-japan | 2022-04-08 13:04 | Comments(2)

彼の方

 
その昔
イエス(イイスス)という方が磔刑に処せられて、三日後に復活されて天に上がられた後
弟子たちは師の教えを世に広めるべく、世界中に散らばったそうです。
そのなかでも
東方に宣教に向かった弟子たちの教えが綿々と受け継がれたものが正教会であると認識しております。

・・・そして
彼の方の統治する国にも正教会があります。
彼の方個人の信仰について私は深く存じ上げませんが
少なくとも彼の方のお母様は、熱心なロシア正教の信者であったと認識しております。
私は西方教会の一教派であるローマ・カトリックの信者です。
しかしその源流を辿れば
彼の方の国の宗教も私の信じる宗教も、同じ救い主イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)を信仰の対象としているものと認識しております。

何年か前、私はある映像を見つけました。
その映像を見たとき
私は彼の方のとった、ほんの小さな行いに大いに心を動かされました。
彼の方は本当に
誰に見せるでもなく、その思いをひっそりと行為に示されたものと見て取りました。






以前にこの映像を見たとき、私は思いました。
(あぁ、この人は原爆の映像の向こう側に
多くの罪もない人々が一瞬で命を落としたことを、ちゃんと見て取ったんだな)
と。
(この人なりの、命の尊厳を尊重する良心と倫理観があるのだな)
そして
(多くの尊い命が奪われた映像が流れた瞬間に拍手した西の大国の大統領たちの、その品性を嫌悪したのだ)
と。


・・・そして今日。

彼の方は
あのときの行為とは真逆の行いを進めています。
私は大いに戸惑っております。
あのときの彼の方の思いは一体何だったのだろうと。
一体、彼の方はどうしてしまったのだろうと。
そして同時に
彼の方の方針に心底から腹が立っています。
彼の方は、分厚い壁に守られた頑丈な建物から指示を出しているだけかもしれませんが
やっていることは
老若男女ひとりひとりの胸に、彼の方が自身の手でナイフを振り下ろしていることと変わらないのです。
何とおぞましい行為なのでしょうか。
そしてさらに今、彼の方は
あのときに嫌悪したはずのきのこ雲を、再度作り出すかもしれないというのです。


映像で見られた
彼の方の切った十字は、正教会のそれです。
おそらく間違いなく
イイスス・ハリストスへの祈りだったはずです。
であるなら
どうかイイスス・ハリストスが、一刻も早く彼の方の行為を止めさせてくださることを祈るばかりです。
過ちに気付かせ
その過ちを、過ちだと認識する良心に問いかけ
過ちを是正する勇気を与えてくださることを。


彼の方と私の、信じる神様が同じであることを切に願って。






# by dscorp-japan | 2022-03-08 20:43 | 思うに・・・ | Comments(3)

『 Pipes Of Peace 』 ポール・マッカートニー

 
この曲は
第一次世界大戦時の、イギリス・ドイツ間のクリスマス休暇を題材に扱った曲とされております。
しかし私はこの曲を
あらゆる戦争に対する普遍的な反戦歌であると思っております。

青臭い理想主義者と非難されようと構わない。
今こそ、この曲の訴える言葉の一つ一つに耳を傾けたいと思います。










# by dscorp-japan | 2022-02-24 23:45 | 音楽 | Comments(4)

「2」の話

 
※この記事は
 2022年2月22日の22時22分に予約投稿させていただいております ♪


皆さんはどの数字が好きでしょうか。

私は「2」と「4」が好きであります ♪
何故かと問われると、答えに窮するところもあるのですが・・・
「2」についてであれば
いくつか理由らしきものが考えられます。

まず、単純に「2」という数字の造形的なシェイプが素敵だと思ってます。
幼少の頃
順番に数字を書く練習のとき「2」だけは結構丁寧に書いてましたね~

それと私『サンダーバード2号』が好きだったんです。
(つい先日『サンダーバード55』という映画が上映されていたようですね)
私たち世代の多くが、サンダーバードの特に「2号」に憧れたもんです。
・・・多分私
サンダーバード2号のプラモデル、最低でも5回は同じプラモデルを作ったと思います。

それともうひとつ
「二番目」という立ち位置が好きでした。
ガッチャマンでいえば「コンドルのジョー」ですし
ゴレンジャーでいえば「アオレンジャー」。
熱血漢の「1番」じゃなくて、クールな「2番」がカッコいいと思ってました(笑)


・・・ところが実際の私はというと
キャラ的にも立ち位置的にも「3」なんですよね~
「2」ほどカッコよくない(←あくまで個人的な見解デス)少々丸っこいシェイプの「3」。

小学校のとき
私はたいてい、クラスで「3番」でした。
背の順に整列すると、後ろから「3番目」。
お勉強の順位も何となく「3番目」。
どういうわけか
昔も今も、私には「3」が付きまとってたりする気がするんです。
だから
「3」という数字は決して好きじゃないんだけれど
何となくシンパシーみたいなものを感じてたりして・・・


・・・或いは私
決して「2」になれない、いっつも「3」だから余計に「2」に憧れるんでしょうかね~(笑)








# by dscorp-japan | 2022-02-22 22:22 | 思うに・・・ | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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