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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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起業20周年を迎えて

 
今から20年前の2003年5月
大した展望も(勝算も)ないまま、私は起業に踏み切りました。
起業する約半年前
当時在籍していた老舗葬儀社で、私は会社の経営方針に疑問を抱いて退職を決意しました。
しかしその時点では、その先の身の振り方など何の考えもありませんでした。
身の程知らずにも(まぁ何とかなるでしょ)という甘い考えで、半ば勢いで退職願を出したことを覚えています。
退職した後、しばらくは貯金を食いつぶしながら遊び惚けていました。
とは言っても有意義な遊び方を知らない私でしたから
目的もないまま(まだローンの残っていた)BMW320i(E46)でドライブしたり、パチンコやパチスロで散財したりしてました。
在職中は(一応管理職でしたので)結構多忙でしたから、仲のいい友人たちともなかなか会えずにいたので、疎遠だった友人たちと会ってはグダグダと会社の愚痴などを吐き出したりしてました。
すると
会う友人が皆、口をそろえて言ったんですね。

「だったらお前が思う通りの葬儀屋を作れよ」

(こいつら何を無責任なこと言ってるんだ)と思ったものです。
経営のことなんて全く分からないし、そもそも「起業」という選択肢が私の頭には全くありませんでした。
そんななか
(このブログでも散々登場していた)長年の畏友(当時は名古屋南山中高等学校の副校長だった)西 経一神父様が、真剣に私を諭したんです。

「心の耳を澄ませろ。
お前がやりたいことじゃなく、お前がやるべきだと思うことは何だ。
何故、お前みたいな端くれ者が10年もの間葬儀屋として働いてきたんだ」

「実は天職というのはな、自分で見つけるものじゃないんだ。
自分が置かれた場所で、与えられるものなんだ。
俺をみてみろ。
俺は神父になりたかったのであって、学校の教員になりたかったわけじゃない。
でも今俺は、与えられた場所で働かせてもらってる。
カトリック司祭であり教員でもある俺は、今の仕事を天職だと思っている」

そしてその後も西神父様は
躊躇する私の背中を押し続け、様々な場面でアドバイスをくれました。
西神父様と共通の友人であるH氏からも様々な支援をいただきました。
私より一足先に葬儀社を退職して独立した
『株式会社ティア』の冨安徳久社長からも後方支援をいただきました。
小・中・高校とずっと同じだった幼馴染のW氏が公認会計士だったことも私にとってはラッキーでした(彼は今も弊社の役員です)。

周りの人たちからは「絶対いける」「大丈夫」と励まされはしましたが
当の私は全然自信がなくて、常に会社がつぶれた後のことばかり考えていたものです。

            ♢

・・・あれから20年が経ちました。
弊社は細々とながらもまだ続いています。
どうして続けられているのか、今も分かりません。
たいした努力もしていないし、今だって経営のことなんて分かっちゃいません。
ただただ、求められたことにお応えすることしか実践していません。
会社の今後の展望にしても、大した考えも持ち合わせておりません。
(こんなんで良いのか?)と自問し続けてきた20年です。

そんな私が今、何をすべきなんだろう。
知恵のない頭で考えるに
やはり「感謝すること」しか思いつきません。
支援してくださったすべての方々に
応援してくださったすべての方々に
私はただただ「感謝」の思いを忘れないこと。
そしてその思いは
与えられた場所で、与えられたお仕事に真摯に取り組むしか無いのだと。









# by dscorp-japan | 2023-05-01 00:15 | 思うに・・・ | Comments(4)

若い世代なのに

 
イースター(復活祭)の前あたりから
本業のお葬式が忙しく、ほぼ休みが無い状態で今日に至ります(汗)
そんななか
つい先日に私が担当させていただいたお客様の話を。

お亡くなりになられたのはフィリピン国籍の、まだお若い女性でした。
ご主人は日本人で、お二人の間にはお嬢様がおひとりいらっしゃいました。
ご主人はノンクリスチャンですが
故人である奥様とお嬢様はカトリック信者さんということで、生前に通っていたカトリック教会でお葬式を挙げられることになりました。

最初の打ち合わせ段階でのお話から
故人様もお嬢様も、かなり熱心なカトリック信者さんだと分かりました。
特にお嬢様(おそらくまだ20歳くらい)が、今どきの若い方には珍しいくらいに熱心な信仰心をお持ちの方だとお見受けしました。
そのお嬢様はあまり日本語が得意ではなかったようなのですが
言葉の端々に「sinner(=罪人)」という単語が入っていたんです。
お母様の「生前の罪」のことを気にしていらっしゃったんですね。

「今、ママのsoulはどこにいますか?」
「もちろん天国に旅立ちますよ」
「すぐに天国に行けますか?本当はすぐじゃないでしょ」

・・・お嬢様は煉獄のことを仰っていたんです。

煉獄の存在を認めるか否かについては
同じキリスト教内でも教派によって大きく異なります。
何となれば、今日のカトリック教会においても
煉獄について語られることは以前より少なくなったような気がいたします。
ただ私個人としては
煉獄の存在とその存在意義を尊重している立場ですので、そのお嬢様の考えに興味を持ったんですね。

「ならばもしかして『ファティマの祈り』をご存じですか」
「日本語は分からない。でも英語なら知ってる」

・・・今どきの若い信者さんでファティマの祈りを知っているとは(驚)

「ママはconfessionしてない。だからすぐ天国いかない」

・・・悪行三昧・ド不良カトリックの私
久々に身の引き締まる言葉を、まだ若いお嬢さんに突き付けられてしまいました・・・

「オーケー。じゃ、お母様の為にたくさんお祈りしてあげてください」
「日本語じゃなくても大丈夫?」
「もちろん!」

            ♢

・・・お葬式当日の朝、私が式場である教会の聖堂に入ると
そのお嬢様はお母様のお柩の横に跪き、首を垂れて手を合わせていらっしゃいました。
ステンドグラスの光に包まれたその後ろ姿は、とても美しいと思いました。
そして
煉獄の存在を信じる私でも、このお母様の魂はきっとすぐに天国に迎え入れられたに違いないと思わされたのでした。






# by dscorp-japan | 2023-04-21 00:35 | キリスト教 | Comments(2)

復活徹夜祭

 
皆様
主のご復活(イースター)おめでとうございます ♪

ナザレのイエスが
真の「キリスト」であり「救い主」となったと信じるすべての方々に、心よりお祝い申し上げます。

復活徹夜祭_a0153243_21322974.jpg
さっきのミサ中、復活のロウソクからいただいた火です
(しかし老いた手だなぁ)


一般的にカトリック信者というのは
復活祭を迎えるまでの期間(四旬節。プロテスタントでは受難節といいます)
その生活全般と信仰生活において「準備」をすることとされています。
まぁ私なんぞは何の準備もしないわけなんですけど(-_-;)

それでも
今年の復活徹夜祭では、こんな私でも心を動かされるものがありました。
今日現在、コロナ禍の終焉が叫ばれたわけではありませんが
今年は三年ぶりに、聖歌が高らかに歌われたのでした。
コロナ以前は(聖歌なんて面倒くせぇ)などと思ったりもしたものですが
こうして久しぶりに聖堂内いっぱいに歓喜の歌が響くと、やっぱり良いもんだなぁと思ったりしたわけです。


・・・と同時に、やはり私は
今も彼の国で侵攻の恐怖に震えている方々に思いを馳せずにはいられません。
銃弾の音に怯えながら迎える復活祭って・・・
侵攻する側もされる側も
どうか今一度「私たちは皆、神の子である」という視点に立ち返って
イエス・キリストの死と復活に思いを寄せていただければと切に思う次第です。


「世の罪を取り除く神の子羊、平和を私たちに」







# by dscorp-japan | 2023-04-08 22:10 | キリスト教 | Comments(4)

『大斎』とか『小斎』とか


救い主イエス・キリストを信じる方
キリスト教会にかかわりのある方ならご周知のとおり
今年は、今度の日曜日(4月9日)がイースター(復活祭)であります。
これを迎えるまでの一週間を、それぞれ
・『受難週』(プロテスタント)
・『聖週』(聖公会)
・『聖週間』(カトリック)
と呼称します。

私は(一応)カトリック信者ですから、カトリックの立場で申しますと
昨日が『聖木曜日』
今日が『聖金曜日』
そして明日が『復活徹夜祭』という暦となります。
この三日間を『過越の聖なる三日間』と称し
カトリック信者たちは特別な思いを持って、この期間を過ごします。

そして今日『聖金曜日』
カトリック教会は私たちに『大斎』『小斎』の実践を勧めます(もちろん強制ではありません)。
現代のカトリック教会においては
「断食」というよりも「節食」という意味合いかと思います。
「食事に限らず、生活全般において節制を心がけましょう」と。

・・・では私、毎年これを守っているかというと・・・
全然守れてないですし(今年こそは実践しよう)などという意思さえも希薄であります。
ひどい年など
気付いたらもうその日を過ぎていた(汗)なんてこともありました。

・・・でもね~
どういうわけか今年は思い出しちゃったんですよね~
(たまには自分の悪行三昧の生活を振り返って、少しは犠牲を払え)と。
そこで私
今現在のところ絶食中なのであります。
(たまにしかやらねぇんだから、やるときくらい徹底してみろや!)

・・・しかしながら、ですよ。
私、先ほど自宅へ帰る途中で、しっかりコンビニに寄って弁当とか買ってるわけですよ。
確信犯的に(日付変わった瞬間に食ってやる!)ための準備ですよ。
さらにもっと身勝手な解釈で
(いやいや、昔は日没で日付が変わったんだから、夜になったら食えばいい)
などという邪な考えもあったりするわけです。

・・・こんなクソ人間の節食に一体何の意味があるんだ・・・?

            ♢

自問自答しつつ
しかも「こんな節食に意味など無い」という理屈に甘えて、今もまさに買ってきた弁当に手を伸ばそうとさえしているわけですが(情けなッ)

一方で思うのです。
期間限定の犠牲には救いがある。
“ ゴール ” が設定されているわけですからラクなんですよね。
(あとこれだけ耐えればオッケー)
そう考えてしまう、私の弱さなのでしょうけれど・・・

たとえば今現在
重篤な病と闘っていらっしゃる方々がいます。
先の見えない痛みや苦しみに耐えながら過ごしていらっしゃるのでしょう。
たとえば今現在
他国の侵攻によって、人間らしい衣食住のすべてが奪われている方々がいらっしゃいます。
いつ終わるとも知れない恐怖に怯えながら時が過ぎるのを待っていらっしゃることでしょう。

ゴールの無い苦しみや痛みに耐え続けることの絶望感は、私などには知り得ないことなのであります・・・

            ♢

じゃ
こんなクソ人間の私に何ができるだろう。
そう考えたときに導き出される答えって
やっぱり「祈ること」しか思い浮かばないんですよね。

とはいえね
「キリストの受難を黙想する」なぁんていっても
間違いなく私、すぐに(腹減ったわぁ~)などという思いが湧き上がってくるに違いないのです。
一旦そうなったら、絶対もう集中できないに決まってるんです。
だったら
今この瞬間、世界中で苦しんでいる方々のことを思い起こして
その方々の為にだったら、も少しだけ真剣に向き合えるんじゃないかと。



・・・でもね
こうやって、まとまりのない文章を書いてる時点で
結局私は今現在も「腹減った」に支配されているだけなんだと思います。
エラそうに祈りがどうとか書いてますけど
これだってただの屁理屈のような気がしてます。
今こうしてブログ記事を書いている行為でさえ、空腹を紛らわせるための手段でしかないのだと思います。


・・・だァって腹減ったんだもん。


(以上、ダメ人間のたわ言でした)






# by dscorp-japan | 2023-04-07 22:30 | キリスト教 | Comments(2)

ご遺体用お布団の話

 
葬祭関係者ならどなたでもご存じ『遺体用布団』。

どのタイミングでどのように使用するかと申しますと・・・
たとえば病院や各施設等でお亡くなりになられた方を葬儀屋さんがお迎えに伺った際
私どもは(ほぼ)必ず寝台車に備え付けのストレッチャーで、ご遺体の安置されている場所まで向かいます。
そしてご遺体は、それまで安置されていたベッドなどからストレッチャーへ移されるわけですが、その際、直接ストレッチャーへお乗せするわけではないんですね。
まず一般的に
ストレッチャーには、移送先でご遺体を手吊りで移動する際のため、あらかじめ布製の担架を敷きます。
そしてその担架の上にご遺体用のお布団が敷かれるんですね。
そうすることで
移送先のご遺体を安置する場所には、このお布団ごとお寝かせするわけです。

ご遺体を横たわらせて差し上げる敷布団と枕、そして掛布団。
もちろん中綿が入っていますが
皆様が普段使用されているお布団と比べると、かなり薄めのものではあります。
ただこれには理由がありまして
このご遺体用布団はそのまま、故人様をご納棺する際にもお布団ごとお棺にお納めしますので、最終的には火葬の際、お布団も燃やされることになります。
もしも過度に分厚い中綿の入った布団を使用しますと
火葬の際に様々な不都合があるからなんです。

現在のご遺体用布団は結構よく考えられた作りなんです。
一般的にご遺体用布団の敷布団は、大体標準サイズのお棺の内寸に合わせて作られていますので、その幅は狭い(約55センチ)のですが
その外側に、中綿の入っていないシーツのような布が付いているものがあります。
これがあることで
たとえばご自宅のお布団の上に安置する際、ご遺体用布団の敷布団の横幅を広げるような形であつらえられたシーツで、用意しておいたお布団をくるむことが出来ます。
つまり
ご自宅でご用意いただいた敷布団にシーツを掛けなくとも、お布団全体が白い布で覆われるかたちにできるわけです。
さらにはこの、ご遺体用敷布団にしつらえられたシーツのような布
ご遺体を移動する際には、ご遺体全体を包むような構造にもなっているんです。
故人様を移動する際
たとえ一時的にでも、屋外に連れ出すことになる場合が少なくありません。
ご自宅の前に停めた寝台車からお部屋へ移す際
仮に強い風が吹いていたりしますと、掛布団が風で飛ばされてしまうかもしれません。
そこまでいかなくとも
ご移動の際、掛布団がめくれてご遺体が晒されるかもしれません。
これを防ぐことが出来るわけなんです。

そしてまた現在では
ご遺体用敷布団の端には布製の把手が付いているものが多いです。
これによって
特に納棺の際などには、敷布団の把手を持ってお棺にお納めできるわけです。

・・・かように、なかなかよく出来ているものなんです。

            ♢

で、このご遺体用布団。
ほぼ必ず、すべてのご遺体に使用するものなわけなんですが・・・

私どもが故人様をお迎えに伺う病院によっては
『ご遺体用布団は差し替え』というシステムを取っているところがあるんです。
どういうことかと申しますと
葬儀屋さんが故人様をお迎えに伺ったとき、すでにご遺体はご遺体用布団に安置されている病院があるんです。
つまり私どもが持参するご遺体用布団は使用しない、と。
すでに用意されて使用されたご遺体用布団の代わりに、お迎えに伺った葬儀屋さんの持参したお布団を病院に差し上げることで『ご遺体用布団差し替え』というかたちになるわけです。
これによって
(表現が正しいか分かりませんが)病院側も葬儀屋さん側も “ 損得なし ” となるわけなんですね・・・


さて。
ここでちょっとした、葬儀屋さんとしての愚痴を(笑汗)

・・・『布団差し替えシステム』の病院が用意するご遺体用布団
ウチが用意する布団より良かったことが無い!

枕は申し訳程度の小さなものだったり
ご遺体をくるむシーツの付いてないものだったり
掛布団とは名ばかりの、中綿の入っていないものだったり
今じゃほぼ常識の、敷布団に把手も付いてないものだったり。

そりゃね、同じ一組のご遺体用布団ではあるけれど
なァんか損した気分になる。

・・・こんなの自慢にもなりませんけれど
ウチが用意するご遺体用布団、結構(というか、かなり)ランクの高いものを使用しているんです。
先にご説明した付加機能は全部網羅してますし
枕だって、頭が動かないように、窪みの付いた大きめのものが付いています。
当然、その仕入れ単価は高くなりますけれど
ご遺体をお寝かせするお布団ですもの、そこはケチってはいけないでしょう、と。
手前味噌ですけれど
もし私が亡くなったとき、私はウチの布団で安置されたいって思いますもの。

というか、一方のホンネも明かしますと
ちゃんとしたご遺体用布団の方が、私どものその後のお仕事もスムーズに進めることが出来たりするんです。
どこへお連れするにしてもそれ相応の対応が出来るし
何より使いやすいです。
使っていて安心できるんです・・・

            ♢

お葬式の単価が下がっている昨今ですが
一方で葬祭備品や消耗品の仕入れ単価は年々上がってます。
会社としては仕入れ原価の削減みたいな取り組みも必要なのでしょうが
ご遺体用布団だけは絶対、ランクは落としたくない。



・・・てか、布団差し替えシステムの病院
ウチの布団見てどう思うんだろ。
(良い布団が来た!ラッキー)とか思うのかなぁ・・・






# by dscorp-japan | 2023-03-23 19:52 | 葬儀 | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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