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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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『チェリーブラッサム』 松田聖子

 
「アイドル歌手の曲を取り上げるたァ、さてはエイプリル・フールってヤツかァ?」

・・・あぁ~なるほど。
今日はそういう日でもありましたねェ(笑)


只今名古屋地方、桜満開中でございますッ ♪
・・・私も歳をとったのでしょうか(汗)
ここ数年、咲き誇る桜の木の下に立つと(あぁ今年も桜の花が見られたなァ)と考えるようになりました。
やはり日本人なんでしょう。
気持ちがほっこりしますよね・・・

「で、この歌かいな?」

・・・桜の花を歌った曲は数多ございますが
実は私のなかじゃこの曲だったりするんですよネ・・・(笑)

『チェリーブラッサム』 松田聖子_a0153243_1392865.jpg


この少し霞んだジャケット写真って、春霞をイメージしたんでしょうかね・・・?

1981年にリリース。
作詞:三浦徳子さん
作曲:財津和夫さん
編曲:大村雅朗さん


この曲が発表されたとき、いろんな意味でちょっと面喰らいました。

なァんか曲のヤマがあるような無いような?
これってサビの繰り返し?
そのくせ、そこそこ歪んだギターがパワーコード刻んでるし?
・・・っていうかこの曲
テンポ早くしたらパンクじゃねェの・・・?
なァんて考えてたことを覚えています。

・・・つまり私、この曲に食い付いたってことなんでしょう(笑)

まァでも実際
この曲に関して言えば、私は特にアレンジのセンスが素晴らしいと思っております。
イントロ部分のストリングスと重ねたギターとか
そこにほんの少しの間だけ重ねて聴こえるピアノとか
聴いているこちらの気分を盛り上げる感じが良いなァと思いますよね~
・・・恐るべし、大村雅朗さん(R.I.P)



・・・正直
どうしてこの曲のタイトルが『チェリーブラッサム』なのか、イマイチよく分かりません(汗)
新しい門出の歌だろうってことは分かるんですけれど。
「桜」なんて単語はまったく出てこないのに。

・・・なのに何故でしょう
いつのまにか、私のなかの “ 桜ソング ” になってしまいました。
いわゆる刷り込み(インプリンティング)というヤツでしょうか・・・???


一応、ウチの近所の桜並木の写真を。
今朝は雨模様だったのですが、雨のあがった午後に撮りましたよと。
『チェリーブラッサム』 松田聖子_a0153243_1662034.jpg

# by dscorp-japan | 2013-04-01 00:00 | 音楽 | Comments(6)

今日はイースター(復活祭)

 
皆様
主のご復活、おめでとうございます m(_ _)m



キリスト教は「復活の宗教」といわれます。
私たちの罪の贖いとして受難を受けて死に葬られたイエス様が
十字架上での死によって、「死」に打ち勝ったことを信じるのがキリスト教だからです。
主イエス・キリストは私たち人類すべてを愛するが故に
私たちの罪の贖いとして、その身を、命を差し出されました。
キリスト教が「愛の宗教」とも呼ばれる所以です。

 あなたがたに新しい掟を与える。
 互いに愛し合いなさい。
 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
   (ヨハネによる福音書 / 13章 34節)



端的に申しますなら
キリスト教の唯一の掟がこれです。


さて。
主の御降誕(クリスマス)のときもそうでしたが
この日を迎え祝うにあたって私はやはり、今なお大変な生活を余儀なくされていらっしゃる被災地の皆様のことを思います。
思いはするけれど、何も出来ません。
いや、何もしていません。

本当に恥じ入るばかりです。

何もしない自分を恥じつつも
せめて、被災者の皆様が希望を失わずに生活出来ますようにと祈るばかりです。

今日この日を迎えるにあたって
被災者の皆様のうえに神様の慈しみが豊かに注がれますように。
# by dscorp-japan | 2013-03-31 00:10 | キリスト教 | Comments(12)

映画 『パッション』

 
・・・聖金曜日を迎えるにあたって・・・ m(_ _)m


この映画に対する賛否があることは重々承知の上で、敢えて再び取り上げさせていただきます。

映画 『パッション』_a0153243_04740100.jpg



2004年公開。
メル・ギブソン監督作品。

ご存知の方も多いかと思いますが
『パッション(Passion)』とはつまり『(イエス・キリストの)受難』という意味です。


・・・突然ですが
ここで、2004年より日本のカトリック教会で唱えられている使徒信条をご紹介させていただきます。

『 天地の創造主、全能の父である神を信じます。
  父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
  主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け
  十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し
  天に昇って全能の父である神の右の座に着き、生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
  聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
  アーメン』


この祈りの
“ ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ ”
・・・簡単に言えば、本作はこの祈りの部分を映像化したものである、ということです。


すでに本作をご覧になった方も少なくないと思います。
延々と映し出されるイエスに対する拷問のシーンは、さながらスプラッター映画のそれです。
血しぶきが飛ぶどころか
イエスの身体に食い込む拷問器具は、その肉片をもはぎ取ります。
観ていて(痛い)というよりも、思わず目を背けたくなるほどの凄惨さです。
そして、この拷問シーンが本作に対する賛否の議論を呼んだとも言われています・・・

本作の脚本が、福者アンナ・カタリナ・エンメリックの著作『 キリストのご受難を幻に見て 』が参考にされているとか
本作の試写をご覧になった前々教皇ヨハネ・パウロ二世は「It is as it was(全て真実)」と仰ったとか
当時様々な情報が飛び交ったのも、それだけ本作の拷問シーンが “ リアル過ぎた ” からでしょう・・・


個人的には
概ね、本作での描写を肯定的に受け取っております。
“ 肯定的 ” とはつまり
「イエス様のご受難とは、これほどの痛みと苦しみを伴ったものであったのだろう」という解釈において、です。

兵たちの鞭打ちによる痛みのひとつひとつが
イエスに浴びせられる罵詈雑言の一言一言が
救い主の顔に吐きかけられる唾の一滴こそが、私たちの罪の重さです。

目を背けたくなるほどの凄惨な描写こそが、私たちの罪の重さを物語っているのだ、と。
私たちの犯す計り知れない罪を積算した結果が、あの凄惨さに結びつくのだ、と。
そして
私たちのすべての罪を、あの凄惨極まりない受難と死を以て、イエス様は贖って下さったのだ、と・・・


少なくとも私にとっては
本作は、イエス様のご受難とご復活を黙想するに十二分な教材となり得ます。
逆説的に申しますならば
私の罪とは、それほどまでに重いものだという自覚があるからに他ならないからなのであります。



今日は聖金曜日。
現在の教会典礼と照らし合わせるなら
まさに今日このとき(現在3月29日深夜)、本作で描かれることが起こっていることになります。

今日
教会は大斎・小斎を呼びかけます。
それは単なる断食や節食ではなく
それを通して「イエス様のご受難を思い起こすこと」が大切なのでしょう。


・・・と言いつつ・・・
私、一昨年のこの日にはこんな記事を書いてました・・・(大恥)
# by dscorp-japan | 2013-03-29 02:07 | 映画・テレビ | Comments(7)

今日は聖木曜日です

 
全世界のカトリック教会は
今日の夕刻より「聖なる三日間」に入ります。
イエス・キリストの受難と死~ご復活を記念する、カトリック教会典礼の頂点とも呼べる大切な三日間です。


今日の午前中
各教区で司教様の司式によって『聖香油ミサ』が行われ、夕刻から『主の晩餐の夕べのミサ』が行われました。

聖香油ミサに関する詳細は
私の畏友:みのるん神父様が丁寧に説明されていらっしゃいます。
また種の晩餐の夕べのミサについては
聖パウロ女子修道会HPにある説明が分かりやすいかと思います。
以前、私もちょっとだけここでご紹介させていただきました m(_ _)m → 過去記事


難しく考えることはないと思っています。
私たちがこの聖なる三日間を過ごすにあたって
私たちの救い主であるイエス・キリストが、私たちの罪の贖いとして「受難~死~復活」という神のご計画を実現されたことを思い起こすべき期間であるということかと思います。

いつの日か私たちがこの世における人生を終えるとき
その魂は「私たちの罪の贖いとしてイエス様が十字架に架けられた」ことによって、天の国に受け入れられることとなったのです。

「イエス様が天国の門を開けてくださった」
もっといえば
「イエス様が天国へ入るための門そのものをつくってくださった」
ということかと。


イエス様の十字架上での死が無ければ、キリスト教という宗教自体が成立し得ない。
キリスト教葬儀における救いと慰めもまた、成立しない。

そういう意味において
私のようなキリスト教専門の葬儀屋さんにとってもまた、この上なく大切な典礼を迎えるのでもあります・・・
# by dscorp-japan | 2013-03-28 23:30 | キリスト教 | Comments(0)

受難週(聖週間)のお葬式

 
キリスト教専門葬儀屋さんにとって
この一週間、特に今日(水曜日)以降週末までの四日間は泣かされ時であります(汗)

・・・どういうことかと申しますと・・・


(今年の場合)
3月24日(日曜日)からの一週間を受難週(プロテスタント)或いは聖週間(カトリック)といいます。

この時期
世界中のキリスト教徒は、イエス・キリストの受難と死、そしてご復活に至るまでの出来事を思い起こします。
そして今度の日曜日(今年は3月31日)
私たちのすべての「罪」と「死」に打ち勝った救い主イエス・キリストを祝うイースター(ご復活祭)を迎えます。

以前にもここで申しました通り
イースター(ご復活祭)とは、キリスト教におけるすべての典礼暦のなかで最も重要な日であります。
それは
「イエス・キリストの受難~死~復活」にこそ、キリスト教の本質があるからに他なりません。
イースター(ご復活祭)を迎えるにあたり
この一週間をキリスト教会は静かに過ごし、主イエス・キリストのご復活を待ち望むのであります。


私がカトリックですのでカトリック教会を例に挙げますと・・・
特に明日の木曜日から土曜日までの三日間を 『 過越の聖なる三日間 』 と呼び、特別な典礼が行われます。

・・・そしてこの三日間
(特にカトリック教会の場合)葬儀を執り行うのが非常に難しい時期となるのであります・・・

教会は聖週間の典礼に入るため
教会の聖堂で葬儀を行うことが難しくなります。
葬儀を司る司祭(神父様)もまた、聖週間の典礼と復活祭の準備に追われることとなるのです。


・・・というわけで
この時期、キリスト教専門葬儀屋さんは苦慮するわけなんですね・・・(汗)

・・・昨晩遅く
あるカトリック信徒の方よりご葬儀依頼をいただきました。
ご依頼いただいたご遺族様も教会の典礼を熟知されていらっしゃって
「聖週間ですけれど、お葬式は大丈夫でしょうか・・・」
とお気になさっておられました。
所属教会の神父様と協議のうえ、何とか今日のお通夜~明日の葬儀ミサという日程で執り行うこととなりました・・・


クリスマス前もそうなのですが・・・
この時期、私たちは本気で祈ります。

“ どうかこの時期、どなたもお亡くなりになられませんように!”
# by dscorp-japan | 2013-03-27 20:50 | 葬儀 | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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