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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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久々の葬儀勉強会

 
・・・毎日もちろん暑いのですが
今日はまた、ひときわ猛暑というか激暑というか酷暑というか・・・💦

今日は久しぶりに
以前からご依頼をいただいていた教会にお邪魔しまして、キリスト教葬儀につきましての勉強会ということでお話をさせていただいてまいりました。

久々の葬儀勉強会_a0153243_22324654.jpg

朝から茹だるような暑さの中
主日のミサ後にお残りいただき、お時間を頂戴した次第です。
本当は一刻も早くお帰りになってお休みになられたかったことと思います。
お時間をいただきました信徒の皆様には、心より御礼申し上げます。

            ♢

さて。
信徒の皆様の関心はと申しますと
やはり “ もしも ” のときの為の準備と心構えということかと思います。
「準備と心構え」にはもちろん、葬儀にかかる費用も。
各葬儀社様それぞれの価格設定がありますように、弊社には弊社の方針に沿った価格設定がございまして
そのあたりにつきましても、可能な限り簡潔にご説明させていただきました。

・・・そしてそれとは別に。
最近の私が特にお話させていただきたいと思っておりますのが
「クリスチャンとしての終活」についてであります。
『終活』にはもちろん、社会生活における様々な準備があります。
いわゆる「断捨離」ですとか「資産の整理と管理」もそうですね。
ただそれらとは別に
キリスト教を信じる私たちが人生の終焉を迎えるにあたって
「自身のお葬式をどうしたいのか」という意思を固めて、これをご家族などに伝えておくことが非常に大切なのだと思っているんですね。

端的に申しますなら
「自分のお葬式はキリスト教でやって欲しい」
「最期は自分の所属する教会にお世話になりたい」
という、クリスチャンにとっては半ば当たり前のことを、あらためてしっかりとご家族に意思表示しておきましょうね、ということです。

皆様の中にもいらっしゃると思います。
「家族のなかで自分だけがクリスチャンである」
「私たち夫婦はクリスチャンだが、子どもたちはそうではない」
そのようなご家族をお持ちの場合
クリスチャンとしては「当たり前」「当然」だと考えられることが、クリスチャンでないご家族には認識してもらえていないということがあるんですね。
クリスチャンでない方のなかには
「教会って結婚式はやるけど、お葬式ってやらないんじゃないの?」
と認識されていらっしゃることさえあるんです。
極端なケースで申しますと
クリスチャンなのに仏式葬儀で行われてしまう、なんてことも実際にあるんです。
・・・このようなケース
その選択をされたご家族が悪い、ということでは決してないんです。
ちゃんとご自身の意志をご家族に伝えていなかったことが問題だということです・・・

            ♢

ところで。
ご自分のお葬式に対する希望や要望って、様々あると思います。
・・・私は
お葬式に対する希望や要望には、ポジティブなものとそうでないものとがあると思っています。
たとえば
「私のお葬式はお花でいっぱいにして欲しい」
「私の大好きな音楽を流してほしい」
こういったご希望はポジティブなもの。
もちろんこのような希望は是非、ご家族などに伝えておいていただければと思います。
対して「そうでないもの」というのは
「オレの葬式は段ボールにでも詰めて燃やしてくれればいい」
「花なんかチューリップ一輪で結構」
などといったもの。
でもこれって実のところ
「自分の葬式のことで家族に負担をかけたくない」といった心遣いや思いやりから来るものだったりすると思うんです。
ところが実際にこのような要望を聞かされていたご家族にしてみますと
(そうはいっても、さすがにそんなわけにもいかないでしょ)
と、かえって困惑されることにもなりかねないと思うんですよね・・・

ご家族に出来るだけ負担をかけたくないという意思を伝えたいという方に
私は、こんな伝え方をご提案をさせていただいております。

「葬式は好きにしてくれて構わない。
葬儀社選びも費用も、お前たちの判断に任せる。
決して無理する必要はない。お前たちの今後の生活を第一に考えればいい。
私の希望はただひとつ。
どうか私の葬式はキリスト教でやって欲しい。
もしもの時はすぐに私の通っていた教会に連絡してほしい。
私の最期は、通い慣れた教会にお世話になりたい。
それだけ叶えてくれれば私は十分だ」

この基本方針に
あらためてご自身のポジティブな要望を加えてみてはいかがでしょうか、ということなんですね・・・

            ♢

・・・といったことをお話させていただいた次第です。

しかし今日はホントに暑かったなぁ~
会場となった教会の聖堂は充分空調が効いていましたが
それでもお話をさせていただいているうちに、汗がしたたり落ちてきて止まりませんでした。


というわけで
皆様、暑中お見舞い申し上げます。
コロナ対策も気にかけなければならないご時世ではありますが
どうか熱中症対策にも、細心の注意を払っていただければと思います。





# by dscorp-japan | 2022-07-31 23:38 | 葬儀 | Comments(4)

宗教とお金について思うこと

 
今、巷でいわれている「宗教」の話に関連して
あくまでも私見ですが、私の考える宗教とお金について申し上げます。


宗教を信仰する人間が、その宗教の神様に何かをお願いするため(或いは悪い物事を遠ざける為)に自分の財産(金銭・土地・建物など)を寄付するという構図について、基本的に私はそれは間違っていると思っております。
私は「その人の所有する財産を、その人が信仰する宗教に献上することで、その宗教が『神』と据える存在がその願いを叶えてくれる」という構図自体、おかしいと思う人間です。
どんな宗教であれ、その宗教が本物なら、そこで崇められる『神』は決して信者の財産を要求などしないと考えるからです。
本物の『神』なら、その神が私たちに要求することはただ一つ。
「私を信じなさい」ということだけなのだと。

            ♢

とある本に書いてあったエピソードです。
(思い出す限りで書きますので、詳細が違うかもしれません)
欧州のどこかの国(忘れました)に、あるホームレスの男がいました。
その男は職も持たず、街ゆく人々の施しで暮らしていました。
ただその男は、毎日必ず教会に足を運ぶのが日課でした。
教会に入って何をするわけでもなく
ただひととき、教会内の席に座って時間を過ごしていたのだそうです。
あるときその男は病にかかり、入院することになりました。
身寄りのないホームレスの彼を見舞う人は誰も居なかったのですが
ある日、彼の病室にある男がやってきたそうです。
ホームレスの男は、知らない男の来訪を怪訝な思いで迎えました。
すると、突然の来訪者は彼にこう言ったそうです。
「毎日欠かさず会いに来てくれていたね。だから今日は私が君に会いにきたよ」

            ♢

 この話をすると、こんな反論が返ってくるでしょう。
「じゃお前は、お前の信じる宗教団体にお前の財産を寄付などしていないというのか」
・・・いえ。
僅かながら(恥ずかしながらホントに僅か)ではありますが、献金しております。
但し私は、自分の願いを叶えてもらうために献金しているのではありません。
私の信じる宗教(カトリック教会)の宗教者(神父様)たちの生活費の足しとして
私の信じる宗教の典礼(ミサ)を挙げてもらうための必要経費として
その典礼を行う宗教施設(教会)の維持費として
誰に強制されるわけでもなく、自分の意志で
その額も誰に決められたのでもなく、自分の収入と照らし合わせて決めた額を
定期的(そのスパンも自分で適当に決めて)に収めております。
ようするに
私の信じる宗教が、末永く続いていて欲しいと思うからです。
繰り返しますが
私は、私の信じる宗教(カトリック教会)或いはそこに所属する宗教者(神父様)から献金を要求されたことは、ただの一度もありません。
なんなら私が20代の頃
私の所属する教会の、当時の主任司祭からこう言われたくらいです。
「岡田君。君は一切献金とかしなくていいから、教会の為に働いてね」
と。
・・・そう仰ったのは
前カトリック名古屋教区長のアウグスティノ・野村純一司教様です。

            ♢

『浄財』とか『賽銭』というのがあります。
よくお寺の本堂入り口などにある賽銭箱。
これもあくまで私見ですが
私はあれって、お釈迦様との “ 電話代 ” だと解釈してるんです。
お釈迦様に語りかける(≒お願い事を伝える)ための通信費。
街中にある公衆電話でいうところの「10円」です。

そもそもお賽銭って
お願いことを叶えてもらう為のものではなくて、お願い事をした結果の「祈願成就」の御礼として差し出すものだというのが本来の意味だと思うんです。

            ♢

もちろん私も、自分の信じる『神』にお願い事はします。
それもしょっちゅう。
ところが私の信じる『神』は、私の願いをあまり叶えてくれません(笑)
でも、叶えてくれないからといって、私は私の信じる『神』を疑ってはいません。
私の信じる『神』は、とりあえず私のお願いを聴いてはくれていると思っておりますが、それを叶えてくれるかどうかは『神』次第なのだと思っているからです。
願いが叶わないたび、私は思いますよ。
(クソ!まァた叶えてくれねぇでやんの!)
(なァんでオレの願いはきいてくれねぇんだ!)
空を仰いでは、散々文句をたれまくります(笑)
でもそのあとには毎回、こう考えます。
(どうやらオレの願いは “ あの方 ” の考えにはそぐわないんだろうな)
と。
で、渋々ながら諦めます。
これの繰り返しです。

では何故、願いを叶えてくれない『神』を信じるのか。
・・・これ、矛盾するようなことを申しますが
私は、簡単に何でも願いを叶えてくれる『神』なんて嘘っぽいと思うんです。
そんな『神』がいるのだとしたら
この不完全で不条理な今の世の中が放置されている現実を、どう説明すればいいのでしょう。

「だったら『神』など居ないってことじゃないか」
・・・そうなんです。
どんな願いも叶えてくれるという『神』を信じるくらいなら
私は「神など居ない!」という無神論者の方がよっぽどまともだと思っております。


・・・思いつくままに私見をグダグダ書き連ねましたが
私が申し上げたいことはこういうことです。

「本物の『神』は金銭など要求しねぇぜ」
「金銭で願いが叶う宗教なんて、少なくとも俺は信じねぇ」
ってことです。







# by dscorp-japan | 2022-07-12 22:48 | 宗教 | Comments(4)

「死に様」について考えさせられた

 
すでに皆様もご存じの通り
過日(6月27日)、歌手の葛城ユキさんがお亡くなりになりました。
私もニュースで知ったわけですが
葛城さんの最期を迎えるときの立ち振る舞いというか、その行いには大いに感銘を受けました。


ニュースによると
どうやら葛城さんは、死の直前にお世話になった方々へお礼のお電話を入れられ
お亡くなりになられる当日(!)に、ご療養されていたご自宅から救急車を手配されて
その日の午後に静かに旅立たれた、ということです。

・・・なんと見事な身の処し方でしょう。
周りの方々への気遣いをされながら感謝を忘れず
ご自分の最期を迎える際でさえ、出来るだけ周りに迷惑をかけないようにされた。
自らの死期を悟り、わざわざ御礼の電話を入れられ
(これは一部のニュースでも推測されていましたが)
ご自宅であるマンションでお亡くなりになった場合、近隣の方々へ迷惑をかけられないだろうという思いから、お亡くなりになられる直前になって救急車を手配されたのではないか、と。
・・・私には到底、真似のできないことだと思います。

大いに感銘を受けつつ
一方で私は、自身の最期を迎える際にどのような身の処し方をとるべきかについて、大いに考えさせられたものでした。

人生の最期を迎える時くらい、目一杯我がままを言っても良いんじゃないか。
それは、死を待つ者の有する権利であると言っても良いんじゃないか。

もちろん私は
死を迎えるまでの葛城さんの言動すべてを存じ上げるわけではありません。
しかし、ニュースで報道されるエピソードを見る限り
葛城さんは死の直前(或いは死の瞬間)まで、ご自分のことよりも周りの方々への配慮を優先されたのだとお見受けします。

            ♢

葬儀屋さんという生業に携わるなかで
おそらくは他の方々よりは早いうちから自分の死に様について考えてきた立場にあると思います。
そしてその思いは、年を追うごとに強くなってきております。
元より心臓にちょっとした問題を抱える私の場合
いつ何が起きてもおかしくない、という思いは常にあるのです。
(その割には相変わらず自堕落な生活を送っているわけですが)
ましてや私の場合、独り身なわけですから
何かあったときには、少なからず周りの方々に迷惑をかけることは間違いないのです。

でもやはり私も
かけなくて済む迷惑はかけたくない。
最低限の迷惑で済ませたい。

葬儀屋さんとして
「できれば公正証書遺言を残しておきましょう」
「エンディングノートは書いておきましょう」
などと口にはしておりますが
何かもっと本質的なところで自分の死に様について考えなくてはと、葛城さんの訃報を受けてあらためて思いを巡らせているところです・・・


最後に
葛城ユキさんの曲の中で、私がいちばん好きな曲を。
この曲はボニー・タイラーさんの『Sitting on the Edge of the Ocean』をカバーされたものです。
(ボニー・タイラーさんはマイク・オールドフィールドの曲も歌ってます)




ボニー・タイラーさんに一歩も引けを取らない
いや、ボニーさん以上にソウルフルな歌いっぷりだと思います。

葛城ユキさんの魂の安息を
心よりお祈り申し上げます。








# by dscorp-japan | 2022-07-03 14:01 | 思うに・・・ | Comments(4)

お葬式における『信教の自由』

 
先日、私がお手伝いさせていただいたお葬式は
ご本人(故人様)のご子息である、喪主様のご家族のみがカトリック信者で、その他のご親族は全員宗教が異なるというお客様でした。
何とか無事にお葬式を終えた翌日
喪主様からわざわざご丁寧にお礼のお電話をいただいたのですが・・・

「父(故人様)はカトリック信者ではありませんが
父本人が『俺が死んだらカトリック教会でお葬式をして欲しい』と申しておりまして
晩年は何度か教会にも足を運んでいたんです。
正直なところ、身内からの批判が無かったわけではないのですが
何より父のたっての希望だからということで、今回押し切るような形で執り行った次第なんです。
そんな父の意向を汲み取って下さった教会と神父様には感謝しかありません。
父の火葬の間、今回の選択を批判していた親族たちからも
口々に『良いお葬式だった』と言ってくれて、ほっとしております」

・・・こういうお話って
“ キリスト教葬儀あるある ” だったりするんですよね。
「ご本人(故人様)のみがクリスチャンで、ご家族は違う」
とか、逆に
「ご家族は全員クリスチャンだが、ご本人だけが違う」
とか。

大切な方のお葬式ですから
当然、ご家族皆様それぞれに想いがあるのが当然です。
「(ご家族)ご自身の信じる宗教葬で送ってあげたい」
「家としての宗教で送ってあげるべきである」
そういった想いは総じて、ご家族それぞれがご本人の為と考えてのことなのでありましょう。


・・・しかし
では、ご本人(故人様)の想いは・・・?

            ♢

以前にもここで触れたことがあったかもしれませんが・・・

私の父方は代々カトリック信徒の家系(それも結構厳格な)でして、故に私もまた生まれてすぐに洗礼を授けられました(=幼児洗礼)。
私のような “ ド不良信者 ” がのさばっている理由は、そういうことです(笑)
ですから当然、父方の家族は全員洗礼を受けています。

今より10年近く前、私の父方のいちばん末っ子の叔父が亡くなりました。
その叔父は、父の兄弟姉妹のなかで最も自由な考え方の人間でして
父方の親族の中で、私はいちばん大好きな人でした。
父方の祖父母や親族は「カトリック信者、かくあるべし」といった考え方が強く、よく祖父母や叔母たちから私の素行を注意されたものです(笑汗)
しかしそんなとき
その叔父が傍にいるときは「気にするな」「聞き流せ」と慰めてくれた人でした。
その叔父の訃報を聞き、もちろん私も葬儀に参列したのですが
・・・叔父の葬儀は仏式でした。
(おや?)と私も思ったのですが
通夜後の会食の席で、叔父の伴侶が耳打ちするように話してくれたんです。

「守生さんだけにお話しします。
仏式葬儀は〇〇(=叔父)の、生前からの要望だったんです」

叔父の妻である叔母によると
叔父は、一般に認識されるカトリックより “ 岡田家のカトリック ” が大嫌いだったのだそうです。

私はもう、その一言で理解できました。
なるほど叔父らしいや、と思いました。
そして叔父の変わらぬ姿勢に、笑みさえこぼれたのでした。

通夜後の会食中
父の妹である叔母たちは、これみよがしに叔父の伴侶を非難していましたが
嫁という立場である叔父の奥さんは、ただ俯いて聞き流していました・・・

・・・身内の恥を晒すようなお話で恐縮なのですが
私は、その叔父のお葬式は決して間違っていなかったと思うし
むしろ叔父自身の意向だったのなら、そうすることが正解だったのだと確信しております。
おそらく叔父の奥さんは
夫である叔父の意向を汲み取るにあたって、相当の覚悟が要ったのだと思います。
それでも、叔父の奥さんは叔父の意向を叶えたのでした。
間違いなく、叔父は喜んで旅立ったのだと信じております・・・

            ♢

すでにここで何度か申しておりますが
お葬式における『信教の自由』について考えるとき、私はいつもマザー・テレサのことを思い起こします。

本来的に
カトリック信者には「信徒使徒職」という側面があります。
一般の信者でさえ「キリストの福音を延べ伝えるべし」という役割を担っているわけですから
マザー・テレサのようにカトリックのシスターとしての誓願を立てられた方なら、一般信者以上に努めてカトリックを宣教すべし、と考えられるのですが・・・
しかしマザーは
お葬式において、ご本人それぞれの信じる宗教を優先されたわけです。
私はそこに、マザー・テレサの懐の深さを感じずにはいられません。
マザーの真意が何であるのかは存じ上げませんが
私が思うに
「そうすることがご本人にとってのいちばんの慰めになる。そしてそれを神様は必ず受け止めて下さる」
ということなのではないかと、勝手に解釈しております。

そうなんです。
「死を待つ人々」の、死に対する恐怖や不安を取り除くことこそが
ご本人にとってのいちばんの慰めである、ということなのではないかと。


「人間、誰でもいつかは死ぬ」
その真理は誰にも逆らうことができません。
死に対する恐れや不安が無い方など、いらっしゃらないはずです。
私などは常々エラそうに
「死ぬことは全然怖くない」と軽々しく口にしたりするんですが(恥)
死に至る「プロセス」に対する恐れや不安は、大いに(というかムチャクチャ)あるんです。
その恐れや不安をほんの少しでも和らげてくれるのが宗教だとするなら
私は、ご本人それぞれが頼りたいと考える宗教観(≒死生観)を尊重してあげたいと考える立場であります、ということです。







# by dscorp-japan | 2022-06-07 16:22 | 宗教 | Comments(2)

アラン・ホワイトさん 急逝

 
・・・昨日、スマートフォンのニュース記事で知った
大好きな俳優さんの逝去に思わず声を上げたという話をしたばかりなのに
つい先ほど、またニュース記事に声を上げてしまいました・・・
「つい先ほど」と申しましても
日付は昨晩遅くのことですから、私は一日に二度もショッキングなニュースを知らされてしまったということになります。
記事の情報が本当なら
レイ・リオッタさんと同日にお亡くなりになられたということになります。

・・・今夜あたりは早めに床に就こうと思っていたのですが
(実のところ、私が彼の訃報を知ったのはベッドの中でした)
記事を見て、ショックで目が冴えてしまいました・・・
そして
大好きなアラン・ホワイトさんの為に(というのもおこがましいのですが)
ベッドから這い出してPCを開いた次第であります。

・・・今年、イエスとしてのツアーも発表されていて
もちろんアラン氏も参加されるはずだったのが、直前になって不参加、みたいな発表があったことは知っていたんですが
まさかお亡くなりになるほどのことだったとは・・・




アラン・ホワイト氏といえば
言わずもがな、私の大好きなプログレ・バンド『イエス』のドラマーであります。
イエス結成時からアルバム『危機』まではビル・ブルーフォード氏がドラムを叩いていましたが、その後ビル氏が『キング・クリムゾン』に移ったため
その後任として加入してきたのがアラン氏であります。
それまでのビル氏による、ジャズテイストを醸すドラミングに対して
アラン氏のドラムは、よりロック・テイストの強いドラミングだったため、古くからのイエスファンからは賛否があったようです。
たしかに私も、特に初期から中期のイエスの曲調により合ったドラミングはビル氏のそれだとは思っているんです。
でも
特にトレヴァー・ラビンの(というか、プロデューサーであるトレヴァー・ホーンの)カラーが強まったアルバム『90125』から『トーク』までの曲調には、ビル氏のドラミングは少々弱かったはずでして、アラン氏のドラミングがあってこその『ロンリー・ハート』の大ヒットでもあったのかと。
(そもそもビル氏だったら「こんな曲のドラム叩きたくない!」って言ってると思う)
よくこの時代のイエスを
“ トレヴァー・ラビン・イエス ” とか “ 90125イエス ” などと言いまして、やはり古くからのイエスファンは敬遠されがちだったりします。
でも私は
ビル氏時代のイエスも、アラン氏加入後のイエスも、トレヴァー・ラビンがイニシアチブを取った時代のイエスも、全部好きなんです ♪

何なら
トレヴァー加入以前の、たとえば『サウンド・チェイサー』なんか聴いても
アラン氏だからこそのスリリングな曲調の名曲もあったりするんですよ。

プログレ好き以外の方は結構知らなかったりするんですけど
アランさんって、あのジョン・レノンの名作アルバム『イマジン』でドラム叩いていた方ですからね!

そしてもうひとつ。
これは ” プログレあるある ” なんですが
プログレ畑のミュージシャンって、皆さん結構ワガママでして(笑)
ひとつのバンドに居続けるというのが出来ない方が多かったりするんです。
『イエス』なんてのはその最たるバンドのひとつでして
加入したと思ったらすぐに脱退して
抜けたなぁと思ったらしれっと再加入したり、その後また脱退したり
・・・もう、ムチャクチャなんですよね。
でもアランさんは違う。
1972年にイエス加入後、お亡くなりになる瞬間までずっとイエスのメンバーであり続けられました。
きっちり50年間、イエスの正式メンバーでいらっしゃったのでした。

そんなアランさんですが
イエス在籍時、一枚だけソロ・アルバムを発表しています。
当然、私はそのCDも持ってます!
アラン・ホワイトさん 急逝_a0153243_01051724.jpg

『Ramshackled』(1976年発表)


・・・およそイエスサウンドとはかけ離れた曲調のアルバムですが
私は結構今でも聴いてるんです。
そして私
このアルバムの最後に収められた曲が大好きなんです。
ですから私はここで
アランさん自身による、この哀愁漂う素敵な曲を
アランさんへの手向けの曲としてご紹介したいと思います。




・・・大好きなアラン・ホワイトさん。
天国に行ったら、ジョン・レノンと再会出来ますね。
クリス・スクワイアとも会ったら
ワガママなジョン・アンダーソンの愚痴でも言い合うのかな(笑)


・・・あぁ~ショックだなぁ・・・
今夜、なかなか寝つけそうにないや。






# by dscorp-japan | 2022-05-28 01:22 | 音楽 | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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