D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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ダイナマイト・キッドさんが・・・

 
→ ニュース記事はコチラ


・・・私の、個人的なプロレスのアイドルだったんです。
初代タイガーマスクとの数々の試合が有名でしたが
とにかく全盛期のキッドさんの、身体のキレといったら!

彼の放つ
目にもとまらぬ速さのブレーンバスター
身体を密着させて受け身を取らせないツームストン・パイルドライバー
そして何より
リング上での、彼の一挙手一投足のキレ!
・・・そうなんですよ
とにかくキレッキレのレスラーだったんです。
“ カミソリ・ファイター ” という異名は、まさに言い得て妙なり。

今更「興業」としてのプロレスに対して、どうのこうの言うつもりはありません。
ただ、これはよく言われることですが
キッドがいたからこそ、タイガーマスク(初代:佐山聡氏)の存在が活きたに違いないのです。
タイガーマスクの “ 空中殺法 ” は
他ならぬキッドがその技を受けることで、より華麗に映えたのであります。
対戦相手の技を、より美しく見せる為の受け身。
間違いなく
誰よりもタイガーマスクご自身が、そのことをよく分かっていらっしゃったはずなのです。

晩年の彼は、ステロイドの過剰摂取などの影響で車椅子生活を余儀なくされていらっしゃいましたが
それもすべては「見せるプロレス」の為の行為だったのでしょう。
彼の死因は明らかになっていないようですが
彼は「プロレスの為に生き、プロレスの為に死んだ」とさえ思えるのです。

・・・あぁ
キッドへの思いが強すぎて、文章が支離滅裂です・・・


還暦を迎えられた、まさにその日に天国へ旅立たれたダイナマイト・キッドさん。
本当にありがとうございます。
そしてどうか神様
Mr.Thomas BIllington a.k.a “ The Dynamite Kid ” に
永遠の安息を与えてくださいますように。

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RIP(1958年12月5日~2018年12月5日)






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# by dscorp-japan | 2018-12-05 22:23 | 格闘技 | Comments(2)

お葬式の原風景

 
12月ですね。
教会の暦は『アドベント(待降節・降臨節・待誕節)』に入りました・・・

            ♢

・・・さて。
先ほどテレビのニュースで
女優・赤木春恵さんの通夜の模様が取り上げられていました。
( ネットニュースはコチラ

(私は初老のオッサンですのでこういう言い方になりますが)
「昔は」芸能人などの有名人のお葬式って
「何百名もの参列者が一斉に参列して焼香をする」という風景が当たり前でした。
報道関係者による
(やはり著名な)参列者から、故人を偲ぶコメントをインタビューするというのもまた、お葬式報道のデフォルトだったように思います。
それが昨今では
著名人たちのお葬式の多くが「葬儀は近親者で済ませて、後日お別れ会を」という形式を選択されるようになりました。
お葬式のかたちが変わってきたということなのでしょう。

今回の赤木春恵さんのお通夜の模様は
以前、私たちがよく目にしたお通夜の風景そのものでした。
様々な花で彩られた祭壇の中心には、戒名の記された位牌が置かれ
経机(司式する住職が読経する為の机)の向こうには柩が安置された
私などからすると「これぞ仏式葬儀」というものでした。
参列された何名かの著名人たちが赤木さんの柩を覗きこみ
「フェイス・トゥ・フェイス」でお別れをされていらっしゃる場面もありました。

・・・今のお葬式の潮流がダメだというつもりは一切ございません。
お別れのかたちはそれぞれであって良いし
特にそれが、生前のご本人のご意向であったのなら遵守されて然るべきかと思います。
ただそれでも、今回の赤木さんのお通夜の風景をみて
私は、お葬式の原風景を見たような気がいたしました。
ご本人の亡き骸が納められた柩を前に
故人の死を悼み、偲び、祈る。
(お葬式って、こうだよなぁ)と、しみじみと思ったのでした。

参列者の皆さんの、故人を想ってのコメントひとつひとつが
私には、赤木さんやそのご遺族への、この上ない慰めと感謝の言葉と感じました。
もちろん “ 今風の ” 近親者のみで葬儀を済ませるやり方であっても
故人との交わりのあった方々の想いに変わりなないでしょう。
でも、赤木さんのお通夜を見ていて
コメントを求められた参列者の皆さんの言葉は「赤木さんの柩を前にしたお通夜だからこそ」「赤木さんのそばに駆けつけたからこそ」その想いが一層リアルな言葉となったような気がするのです。

「死んでしまったら、その肉体は魂の抜け殻でしかない」

それはそうかもしれません。
でも、亡くなられた人と関わりのあった人たちにとって
死者の亡き骸は、単なる「抜け殻」ではないのではないでしょうか。
柩のなかに眠るその面影を見て
人は自然に感謝の言葉を口にし、自然に涙が流れるものなのではないでしょうか。
それは理屈などではなく
人の「想い」そのものなのではないでしょうか。

・・・私の勝手な思い入れでしかないのかもしれませんが
きっと赤木さんは、このお通夜を心から喜んでいらっしゃるような気がするのです・・・






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# by dscorp-japan | 2018-12-04 00:24 | 葬儀 | Comments(2)

『 No-One But You(Only the Good Die Young) 』 Queen

 
私はまだ観に行けていないのですが
巷では映画『 ボヘミアン・ラプソディ 』が好評なようですね~
アットタイムでクイーンを知らない世代の方々も
本作を観て、ロックバンド『クイーン』と、その音楽に興味を持たれる方が増えているようです。
そしてもちろん
バンドのフロントマンであるフレディ・マーキュリーに対しても。

クイーン世代の私としては嬉しい限りであります ♪


さて、今日はフレディの27回目の命日です。
これまでにもフレディの命日には
彼の遺した音楽を紹介する記事を書かせていただいてまいりました。
( → 過去記事
私が最も敬愛して止まないアーティストは、マイク・オールドフィールドなのですが
クイーンもまた、小学校高学年以降ずっと聴き続けてきた、大好きなバンドです。
私がいわゆる「プログレッシヴ・ロック」というジャンルを好きになった
きっかけのひとつでもあるバンドなのではないかと思います。
新しいアルバムがリリースされるたび
発売日を待ちかねては、当時行きつけだったレコード屋さんに自転車を走らせたものです。


ということで今年のフレディの命日は
フレディが亡くなった後、ギタリストのブライアン・メイがフレディの為に作った曲を紹介します。

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本作が収録されたアルバム『 Queen Rocks 』(1997年発表)




・・・思い入れがあるからなのかもしれませんが
個人的には、ロック・バラードの “ 超 ” 名曲だと思っております。
ブライアンのピアノとギター
ロジャー・テイラーのドラム
ジョン・ディーコンのベース
・・・そして
ブライアンとロジャーによる扇情的なヴォーカル!
シンプルな曲調で
美しいメロディラインで
曲が進むにしたがって盛り上がる構成。
ロック・バラードのお手本のような曲だと思いますよ私は。

ブライアンのヴォーカルは特別に上手いというわけではないと思います。
どちらかというとコーラス向きの声質なんですが
彼の人柄というか、優しい雰囲気がこの曲にとてもマッチしています。
そしてロジャーのヴォーカル。
往年のクイーンファンはご存知のことですが
実はロジャー、フレディに負けず劣らずの音域を歌いこなせる、素晴らしいヴォーカリストでもあります。
クイーンの初期のアルバムで聴ける超高音域のスクリーム(叫び声)は、彼によるもの。
彼ら二人の一声一声から
今は亡きフレディを偲ぶ思いが伝わってくるようで、聴いているこちらも心が閉めつけられるのであります・・・






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# by dscorp-japan | 2018-11-24 00:00 | 音楽 | Comments(2)

トレンド

 
お葬式に「トレンド」という単語が相応しいのかどうか分かりませんが・・・


日々、お葬式に携わっている立場から申しますと
お葬式にもトレンド(≒傾向)というのがあって、やはり以前以上に「家族葬」をはじめとしたお葬式の小規模化という流れが加速傾向にあるようです。
今や「家族葬」は「小規模なお葬式全般」を指すものとなってきております。
私どもがお葬式の打ち合わせに入ると
ご依頼者からまず最初にお話しいただくのが「ウチは家族葬でお願いします」という一言だったりします。
「亡くなった本人が高齢で、参列者も少ないから」
「お葬式に過度な費用をかけたくないから」
つまり
「超高齢化社会」と「お葬式に対する価値観の変化」がその要因となっているのでしょう。

「参列者が少ないから、こじんまりとしたお葬式で」という案件が増えることは
私自身、会社を立ち上げた当初から想定していたことでありました。
しかし
よもやここまでお葬式に対する価値観が変わるとは、正直思っていませんでした。
表題にある単語を用いるなら
私は「トレンドを見誤った」ということになるのでしょうね (^^ゞ

私が古い人間だからなのでしょうか。
それとも私が殊更に、お葬式に強いこだわりを持っているからなのでしょうか。
いずれにせよ
お葬式はこれからも更に、簡略化の傾向を辿っていくのかもしれません。

2010年に発刊された
島田裕巳氏による『葬式は、いらない』(幻冬舎新書)について
多くの葬祭関係者は「NO!」と声をあげました。
私自身も、あの本に書かれていることには否定的です。
しかし、ネットの書評やレビューを見る限り
概ね「是」という評価をもって受け入れられているようです。
・・・つまり
葬儀屋さんと顧客との意識に大きな解離があるということなのかもしれません・・・


それでも、敢えて私は申し上げます。
お葬式の「小規模化」は致し方ありません。
でも
殊更にお葬式を「簡略化」するのは違うと思うのです。
もちろん、人それぞれ価値観は異なります。
実際に簡略化したお葬式を経験したうえで
尚「お葬式は簡略化すればよし」と思われるのなら、それはそれでいい。
でも、やったことのないお葬式に対して
「今はみんなそうしているから」という考えだけで「トレンド」に乗ってしまうことに、私は異を唱えたいと思うところなのです。

ご本人が亡くなられてからお葬式を終えるまで
平均的には3~5日間の時間がかかるでしょう。
この限られた短い時間
可能な限り、亡くなられた方の為に時間と、肉体的・精神的労力を割くことになります。
「この限られた時間をどのように過ごすのか」
つまり
「亡くなってしまった大切な存在と、限られた時間のなかでどのように向き合うのか」
それこそがお葬式の本質なのだと思うのです。

たとえ大切な人を亡くしても
ご本人の遺体から離れれば、頭と意識は他事に向いたりします。
お葬式を簡略化すれば、家族それぞれの「自由な」時間が増えます。
でも
大切な人の存在を強く意識させてくれる遺体は、程なく荼毘に伏されるのです。
私たちは大切な存在だった「遺体」を前にすることで
その人と向き合い、寄り添うことができるのです。
お葬式とは、そういう特別な時間だと思うのです。
たとえば一般的な仏式葬儀で申しますなら
・亡くなられた直後に挙げられる「枕経」に立ち会う
・湯灌に立ち会い、本人の旅立ちの準備をする
・納棺に立ち会い、自らの手で棺に納める
・通夜の際、故人と関わりのあった方々に感謝の言葉を伝える
・葬儀の際、柩の中に眠る故人と最後のお別れをする
これらのプロセスひとつひとつが
故人と向き合うための数少ない機会なのです。

合理主義的に解釈すれば
それらは「無くてもいいプロセス」ということにはなるでしょう。
でも、私は
そこに必ず意味はあると申し上げたいのです。
過分な費用をかける必要はありません。
ただ
あなたの人生のほんの数日間を、亡くなられた方と向き合うために割いてさしあげてもいいのではないでしょうかと思うのです。




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# by dscorp-japan | 2018-11-17 17:48 | 葬儀 | Comments(2)

今年も『死者の月』

 
大騒ぎしたハロウィンが終わったと思ったら
「次はクリスマスじゃ!」とばかりに、街は一斉にクリスマスモード・・・
まぁそれはそれで良いんですけどね~

でも、キリスト教葬儀屋さんとしては
やはり『死者の日』『死者の月』を忘れちゃいかんのであります。

( → 過去記事

過日、11月4日の日曜日
多くの教会では、これまでに亡くなられた方々を思い起こし
それらの方々の魂の安息を願って「昇天者記念礼拝」や「合同追悼ミサ」が行われたはずです。

「はず」と申しましたのは
私はその日お葬式の担当があったので、そちらに専念していたわけです。
それでもその日、葬儀式場となった教会でも
午前中の主日のミサは「合同追悼ミサ」として挙げられ、午後にはスペイン語圏(ペルーやボリビアなど)の信徒の皆様による、やはり「合同追悼ミサ」が行われておりました。

「死者の日」や「死者の月」って
キリスト教の各教派を超えて、もはや文化として根付いているものなんですね。
その起源がなんであれ、今では
「今はこの世を去ったそれぞれの大切な人を思い起こし、それらの方々の魂の安息を祈るとき」
として、その「きっかけ」を私たちに示してくれているものと解釈しています。

だから
その大切な人がクリスチャンか否かなんて関係ないんですよ。

私の場合ですと
父方の爺ちゃんや婆ちゃん、叔父さんや伯母さん(この人はシスター)
母方の爺ちゃんや婆ちゃん
そして9月に亡くなった伯父ちゃん。
母方は全員曹洞宗の人間ですが、そんなの関係ないのであります。
皆さん全員、私が幼少の頃にとても可愛がってくれた人たちです。
普段の生活では忘れかけている(或いは完全に忘れ去ってしまっている)人たちのことを
この時期くらいは思い起こして
(ゴメンね、ずっと忘れてて)と、普段の薄情さを詫びつつ祈ればいいのだと。

・・・どうでしょう。
ハロウィンやクリスマスも良いけど
多忙な毎日の、ほんの少しだけ時間を割いて
天国にいる大切な人たちのことを思い出してみてはいかがでしょうか。






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# by dscorp-japan | 2018-11-07 18:29 | 葬儀 | Comments(2)

映画 『 教誨師 』

 
以前から是非観たいと思っていた映画。
私は滅多に映画館へは行かないのですが
この映画だけはどうしても劇場で観たかったのです。

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→ 映画の公式HPはコチラ


皆様もご存じの通り
今年の二月に急逝された、大杉漣さんの主演作です。
きっと映画やドラマファンの方なら誰もが大好きだったはずの俳優さん。
もちろん私も大好きな俳優さん。
大杉さんの急逝の一報を知ったとき、本当に愕然としたものです・・・

私が本作を「是非劇場で観よう」と思った理由はふたつあります。
ひとつはもちろん
大杉さんご自身がエグゼクティブ・プロデューサーとして本作の制作に携わられたからということ。
「ちゃんと映画館でお金を払って観よう!」
と思ったからです。
そしてもうひとつは「教誨師」をテーマに扱った映画だからということ。
私がお世話になっている宗教者のなかに
実際に教誨師としての役目を担っていらっしゃる方がいるんです。
牧師先生におひとり。
神父様におひとり。
教誨師をされていらっしゃる方にはさまざまな守秘義務があるようです。
よって、実際の死刑囚とのやり取りに関する詳細は教えてもらえないのですが
それでも、こんなことは仰るんです。

「司祭職として、これほどやりがいのある仕事も無いと思う」
「彼らから学ぶことは山ほどある」


本作で大杉さん演じられる教誨師は、プロテスタントの牧師・佐伯という役です。
佐伯は、六名の死刑囚との接見を通して
自らの牧師としての使命と向き合いながらも苦悩します。
一緒に賛美歌を歌ってみたり
聖書を勧めてみたり
救い主イエスの愛について教え諭してみたり
しかしながら、なかなか死刑囚たちの心に佐伯の思いは届きません。
死刑囚たちと向き合うなかで
佐伯は、彼自身の苦い過去とも向き合うことになります。
(このあたりは私の大好きな映画『エクソシスト』にも通じるところがあります)
そんななか
クリスマスを迎える年末になって、自分の担当する死刑囚のひとりに執行命令が下ります・・・


映画の殆どが
接見室での、佐伯と死刑囚とのやりとりです。
とても静かな映画で
殆どSE(音響効果やBGM)は使われておりません。
しかしそれがかえって緊張感を醸しだしていて
死刑囚たちそれぞれの思いというか、感情がひしひしと伝わってきます。
それぞれの、自ら犯した罪との向き合い方。
罪を犯した、その理由というか思考、人間性。
そして
刑の執行を待つ身としての、彼らの内にある思い。

もちろん私は死刑囚と接見したことなどありませんが
映画を観ながら(もしも自分だったら・・・)と、何度か自問しました。
しかしおそらく最終的には
彼らの立場になってみなければ、彼らの思いなど分かるはずもないのだろうなと思うのでした。

映画の終盤近くでの接見室でのやりとりで
牧師である佐伯が言った言葉はとても印象的でした。

「神の救いとか、もうこの際どうでもいい。
ただ私は、最後まで君のそばにいるよ」
(言葉遣いは違っているかもしれませんが)

あの言葉こそ
死刑囚にとって最も救いとなる言葉だったのではないか、と・・・


個人的には
死刑囚のひとりを演じられた玉置怜央さんという俳優さんが素晴らしかった!
心の底から、本当に(上手い!)と唸らされました。

            ♢

・・・もちろん本作は
娯楽として気軽に楽しめる映画ではありません。
終始、眉間に皺をよせながら鑑賞することになるかもしれません。
でも
私はそれでも観て良かったと、心の底から思います。

多分、DVDが発売されたら買うと思います。
何度も、とまでは申しませんが、間違いなく再鑑賞します。

最後に。
あらためて、大杉漣さんという偉大な俳優さんのご冥福をお祈り申し上げます。
最後の最後にこんな映画を遺された大杉漣さん。
それは単なる偶然だったのかもしれないけれど
もしかすると本作こそが大杉さんの魂の救済になったのかもしれない、などとも思ってしまうのであります・・・





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# by dscorp-japan | 2018-10-23 01:45 | 映画・テレビ | Comments(4)

フェイツ・ウォーニングとラッシュ

 
私たちの世代が子どもの頃は誰だって
好きになった音楽といえば、アニメや特撮の主題歌だったり、歌謡曲(今で言うJ-POPですか?)だったりしたわけですよ。
そこからそれぞれの音楽の嗜好が分かれていって
好きな音楽のジャンルが出来ていく感じなわけです。

私の場合
最初は『マイティジャックの歌』と『タイガーマスク』のエンディングに流れた『みなし子のバラード』でした。
小学生になって、映画『エクソシスト』の音楽に衝撃を受けて
思春期の頃は、もちろん歌謡曲やニューミュージックも聴きまくりつつ
何となく「プログレッシヴロック」というジャンルに目がいくようになって
一方でハードロックも好きになって・・・という感じでした。

そして今はというと
もう新しい音楽(BABYMETAL以外)にはなかなかついていけないお年頃ですので
もっぱら昔のアルバムを聴いてばかりいる次第です。

「プログレ好き」
「ハードロック好き」
「ヘヴィメタル好き」
そんな私にとって
『Fates Warning』と『Rush』というふたつのバンドは、私の好みを凝縮したようなものでした。
彼らの音楽がいわゆる「プログレッシヴ・ヘヴィメタル」という
プログレでありつつ、ハードロック&ヘヴィメタルでもあるというジャンルだったわけですから。
子どもたちの嗜好でたとえるなら
「カレーライスとハンバーグが一緒になった」という、この上ないステキなご馳走なわけです(笑)

因みにこの二つのバンド
「プログレッシヴ・ヘヴィメタルの始祖」として認識されているバンドです。
そして双方ともにその歴史は長く
フェイツ・ウォーニングがデビューして約25年
ラッシュに至っては、デビューしてから約40年以上!

そんな私の大好きなバンドの曲のなかからご紹介です。

『 The Light And Shade Of Things 』フェイツ・ウォーニング

相変わらずの暗さ(笑汗)
しかしフェイツ好きは、この暗さがたまらなく良いんです♪


『Test for Echo』ラッシュ

バンドのドラマー:ニール・パート先生によるドラミング映像です。


このふたつのバンド双方に共通点があって
どちらもドラマーの技術がとんでもなく高いということ!
フェイツのボビー・ジャーゾンベクも
ラッシュのニール・パート先生も
とにかくドラミングの技術が素晴らしいのです。
だから複雑なリズムでもまったく安心して聴けるわけですね。


・・・BABYMETALのYUIMETALちゃんが脱退しちゃった・・・(T_T)






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# by dscorp-japan | 2018-10-21 23:11 | 音楽 | Comments(6)

伯父のお葬式

 
またまた久々の記事更新で恐縮です m(_ _)m


先日の記事で書きました「結構へヴィな時間」というのが・・・
私事で恐縮ですが、先日私の母方の伯父が急逝しましてね。
すでに年齢は87歳だったのですが、普通に生活していたんです。
それが突然救急搬送されまして
搬送の翌々日には亡くなったということがあったんです。

搬送された病院ではすでに手の施しようがないという診断で
結局、強い鎮痛剤を投与して “ そのとき ” を待つという状態だったわけです。

となると伯父の家族としては
“ そのあと ” つまり「お葬式」のことを考えざるを得ない状況となり
不肖、葬儀屋さんである私が
アドバイザー的に駆り出されたわけです。

母方の家族は代々、曹洞宗の家系です。
したがって伯父もまた曹洞宗でありまして
母方の実家には菩提寺もあります。
故に仏教葬儀となります。
ウチの会社でもごく稀に仏教葬儀をお受けすることはあるのですが
伯父の家族(従姉妹たち)の意向で、いわゆる葬儀会館でのお葬式をすることとなりました。
したがって、弊社と業務提携している『葬儀会館ティア』に依頼することにしたわけです。

実はティアさんの社長である冨安社長は
私が以前在籍していた葬儀社時代の先輩です。
ティアさんには
冨安社長以外にも、何名かの先輩や仲間たちが在籍していらっしゃるんです。
そんなわけで
私としても、何かとお願いしやすいというわけなのです (^^ゞ


伯父が亡くなってから
私は基本的にあまり余分な口出しをしないように気をつけながら、後方からティアの係員さんの説明を聞くかたちで同行しておりました。
伯父のお葬式は、完全な家族葬(身内以外は一切招かない)だったので
私も、ティアさんには過分な気遣いをさせてしまわないように静かにしていたんですが・・・

・・・なァんか
昔の仲間たちが一人また一人と、弔問に来られるわけですよ。
伯父なんですから、そんな気遣いは無用なのに。
とはいえ
あちらから来て下されば、こちらとしてもお世話になっている御礼も言いやすかったわけで有難かったのですが。

いろいろと便宜をはかっていただいた御礼を申し上げて
ひとしきり伯父の話をした後はというと
どうしても同窓会的な話題にもなってしまうわけです (^^ゞ

「○○さんは元気?」
「△△さんは今何をしてるの?」
そんな、昔の仲間たちの近況の情報交換をしたあとは
今日の葬祭業界のお話にも及びます。

・・・思いのほかお話に花が咲いちゃったわけですが ^^;
昔の仲間たちが元気でいること、それぞれがそれぞれの場所で精進していることに
私は大いに勇気づけられたものでした。


そんなこんなで
おかげ様を持ちまして、伯父のお葬式は無事に終わりました。
伯父の家族たちもたいそう感謝しておりました。

今回の伯父の葬儀に際しては
いろいろと便宜をはかって下さったO専務やI課長をはじめ
『ティア御器所』のスタッフの皆様に、心から御礼申し上げます。








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# by dscorp-japan | 2018-10-13 22:51 | 葬儀 | Comments(4)

逃げない心

 
また記事更新をサボってました・・・
ただ、ここ二週間は
結構へヴィな時間を過ごしておりましたので(勝手に)「致し方なし」ということで
ご容赦いただければ、と m(_ _)m

            ♢

さて。
今日は本当に久しぶりに、のんびり過ごさせていただいております。
そんななか
朝のテレビ番組『ワイドナショー』のなかで、コメンテーターのモーリー・ロバートソンさんが仰っていたコメントが(なるほど)と思ったので取り上げます。

おそらく皆様すでにご存じの
とある芸能人さんの、飲酒運転による交通事故から芸能界引退に至った、あの件を取り上げていた際のコメントで仰っていたことです。

(事故を起こした瞬間、加害者がそのまま逃げてしまったことに関して)
「日頃から小さなリスクにちゃんと向き合っておくという
ある種の『基礎体力』を作っておく」

・・・おそらくこれ
誰にも当てはまることなのではないかと思うんですよ・・・

誰だって
(やっちまった!)(ヤバいどうしよう!)
と思うようなことをやってしまったこと、一度や二度ならずともあると思います。
やらかしてしまったことを激しく悔いつつ
叶うものなら、無かったことにならないものかと天を仰ぐようなこと。
でもそんな都合のいい奇跡など起こるはずもなく
最終的には、失態を自ら解決させる(或いは収束させる)しかないわけです。

問題はこの、解決(或いは収束)の「手段」なわけです。
何とかして、うやむやのうちに済ませてしまうのか。
それとも、起こしてしまった問題に真正面から向き合って対峙するか。
この選択もまた、当事者である自分に課せられるわけですが・・・
こうしたことに対して、暗にモーリーさんは
「(逃げずに)向き合って対処するという経験を積み重ねておくことで
不慮の事態が起こった際の『精神的な体力』が培われる」
と仰っているわけです。

・・・なるほど、ですよね。
もちろんそれを実践することって
すごくイヤだし逃げたいし、勇気のいることだと思います。
でも、モーリーさんの仰る通り
普段の小さなトラブルや失態から逃げずに、真正面から(とまではいかなくとも)向き合って対峙するという経験値が重要になるというのは、全く以てその通りだなぁと思うわけです。

            ♢

これは比較するにはあまりにも小さな話かもしれませんが・・・

以前在籍していた葬儀社で、いわゆる中間管理職に就いていたとき
私は部下から “ 爆弾処理班 ” などと呼ばれておりました ^^;
要は「クレーム処理係」という意味です。

管理職に登用されて間もなく
こんな事案が立て続けに起こったんですね。
(そんな葬儀屋さんもどうかと思うんですが)
もちろん第一段階では、直接関わった担当者が対処するわけですが
それで解決しない場合は当然、上司である私が出向くことになるわけです。
・・・イヤでしたよね~
自分の失態でもないのに
部下のやらかしてしまったことに頭を下げるのって、やっぱキツいですよ。
逃げたくて仕方なかったけれど、逃げようがない。

でも今となっては
あのときの経験がものすごく貴重なものだったと実感できるんです。
「逃げない」「うやむやにしない」「放置しない」という
「心の基礎体力」を鍛えてもらえたように思うんです。
この経験値が培われることで
「逃げずに」「迅速に」「誠意を持って」対処することがいかに大切かを学ばせていただいたと思っております。
そしてその経験は
いまこうして小さな葬儀屋さんを営む責任者として、仄かな心の支えにもなっているのではないかと。


・・・なァんてエラそうなことを申しておりますが
私だって、いつ交通事故を起こしてしまう加害者になるやもしれません。
そのとき私ははたして
ちゃんと「逃げずに」「誠意を持って」対処できるのか。
もちろん私にはまったく自信がありません。

でも最終的に
たとえ適切な対処は出来なくとも、逃げさえしなければ最悪の事態だけは免れることができるのではないかと。
せめて「逃げない心」だけは忘れないようにしたいものだと思う次第です。







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# by dscorp-japan | 2018-09-30 14:34 | 思うに・・・ | Comments(6)

神と私「一対一」

 
キリスト教徒の方ならご存知の事と思います。

→ ニュース記事
『 性的虐待対応で法王窮地=大司教が辞任要求、権力闘争か-バチカン 』

まず、聖職者たちによる性的虐待については
当然のことながら、とことん糾弾されるべきことです。
「言い訳無用」「弁解の余地なし」であります。
聖職者がなんぼのもんだろうと、ダメなものはダメ!

ではその次の段階として
教皇庁(ヴァチカン)が長年にわたってこれを隠蔽してきたことについて。
これも当然、糾弾されて然るべきことです。
カトリック教会という「組織を守るため」という大義名分によって
「ああそうなの。
カトリック教会では悪いことをしても、隠し通せればオッケーなのね。
あんたたちの信じる神様は、そう教えてるのね」
と受け取られても文句は言えないでしょう。


私はひとりのカトリック信者ですが
こと「ヴァチカン」という、世界中のカトリック教会を束ねる組織については
(どうせ今でも、いろいろやらかしてたり隠してたりするんでしょ)
と、懐疑的な思いで受け取っている部分があります。
現代社会における、最も巨大な「伏魔殿」じゃないかとさえ思っています。

「そんな怪しい宗教を、オマエは何故信仰するんだ」
・・・そう思われても致し方ないと思います。

ただ
私はその問いに、こう答えます。
「私が信じているのは、ヴァチカンという組織ではない。
救い主イエス・キリストという方だから」
と。

            ♢

私の基本的な考え方として
「神様(つまり父と子と聖霊)と私とは
このうえなくパーソナルな関係性であるべし」
というのがあります。
神様と私は
最終的には、誰の介入もない「一対一」の関係にあるのだと。

もちろん、私の信仰の手助けとなる「聖書」も大切。
さまざまな知見を教えて下さる聖職者の皆さんも大切。
共同体としての「教会」も大切。
祈りの手段としての「ミサ典礼」も大切。
でも、それらすべての助けを受けながら
最終的に私は「私一人で神様と対話する」関係性でありたい。

今の「組織」としてのカトリック教会の有様がどうであろうと
その組織に所属する多くの聖職者の方々がどうあろうと
「そこ」を見て神への信仰を疑うべきではないのだと。
神は間違いなく、その向こう側にいらっしゃるのだと。

            ♢

・・・これはあくまでも個人的な推測なんですが
きっとパパ様(フランシスコ教皇)は、今の「組織」としてのヴァチカンのなかで
様々な手枷足枷でがんじがらめになっていらっしゃるのではないでしょうか。
彼の信仰に基づいた理想を
具現化したくても出来ないというジレンマが、垣間見えるような気がします。

『週刊プレイボーイ』で
モーリー・ロバートソンさんがこんなコラム記事を上梓しています。

            ↓

文中にある
「フランシスコ法王が背負っている"何か"に目を向けず」
という表現が、ヴァチカンという「組織」を暗喩していることは多分間違いないでしょう。
もしかするとパパ様は「ヴァチカンのトップ」という
この上なく大きな、そして重い「十字架」を担ったということなのかもしれません。






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# by dscorp-japan | 2018-09-12 18:16 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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