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逃げない心

 
また記事更新をサボってました・・・
ただ、ここ二週間は
結構へヴィな時間を過ごしておりましたので(勝手に)「致し方なし」ということで
ご容赦いただければ、と m(_ _)m

            ♢

さて。
今日は本当に久しぶりに、のんびり過ごさせていただいております。
そんななか
朝のテレビ番組『ワイドナショー』のなかで、コメンテーターのモーリー・ロバートソンさんが仰っていたコメントが(なるほど)と思ったので取り上げます。

おそらく皆様すでにご存じの
とある芸能人さんの、飲酒運転による交通事故から芸能界引退に至った、あの件を取り上げていた際のコメントで仰っていたことです。

(事故を起こした瞬間、加害者がそのまま逃げてしまったことに関して)
「日頃から小さなリスクにちゃんと向き合っておくという
ある種の『基礎体力』を作っておく」

・・・おそらくこれ
誰にも当てはまることなのではないかと思うんですよ・・・

誰だって
(やっちまった!)(ヤバいどうしよう!)
と思うようなことをやってしまったこと、一度や二度ならずともあると思います。
やらかしてしまったことを激しく悔いつつ
叶うものなら、無かったことにならないものかと天を仰ぐようなこと。
でもそんな都合のいい奇跡など起こるはずもなく
最終的には、失態を自ら解決させる(或いは収束させる)しかないわけです。

問題はこの、解決(或いは収束)の「手段」なわけです。
何とかして、うやむやのうちに済ませてしまうのか。
それとも、起こしてしまった問題に真正面から向き合って対峙するか。
この選択もまた、当事者である自分に課せられるわけですが・・・
こうしたことに対して、暗にモーリーさんは
「(逃げずに)向き合って対処するという経験を積み重ねておくことで
不慮の事態が起こった際の『精神的な体力』が培われる」
と仰っているわけです。

・・・なるほど、ですよね。
もちろんそれを実践することって
すごくイヤだし逃げたいし、勇気のいることだと思います。
でも、モーリーさんの仰る通り
普段の小さなトラブルや失態から逃げずに、真正面から(とまではいかなくとも)向き合って対峙するという経験値が重要になるというのは、全く以てその通りだなぁと思うわけです。

            ♢

これは比較するにはあまりにも小さな話かもしれませんが・・・

以前在籍していた葬儀社で、いわゆる中間管理職に就いていたとき
私は部下から “ 爆弾処理班 ” などと呼ばれておりました ^^;
要は「クレーム処理係」という意味です。

管理職に登用されて間もなく
こんな事案が立て続けに起こったんですね。
(そんな葬儀屋さんもどうかと思うんですが)
もちろん第一段階では、直接関わった担当者が対処するわけですが
それで解決しない場合は当然、上司である私が出向くことになるわけです。
・・・イヤでしたよね~
自分の失態でもないのに
部下のやらかしてしまったことに頭を下げるのって、やっぱキツいですよ。
逃げたくて仕方なかったけれど、逃げようがない。

でも今となっては
あのときの経験がものすごく貴重なものだったと実感できるんです。
「逃げない」「うやむやにしない」「放置しない」という
「心の基礎体力」を鍛えてもらえたように思うんです。
この経験値が培われることで
「逃げずに」「迅速に」「誠意を持って」対処することがいかに大切かを学ばせていただいたと思っております。
そしてその経験は
いまこうして小さな葬儀屋さんを営む責任者として、仄かな心の支えにもなっているのではないかと。


・・・なァんてエラそうなことを申しておりますが
私だって、いつ交通事故を起こしてしまう加害者になるやもしれません。
そのとき私ははたして
ちゃんと「逃げずに」「誠意を持って」対処できるのか。
もちろん私にはまったく自信がありません。

でも最終的に
たとえ適切な対処は出来なくとも、逃げさえしなければ最悪の事態だけは免れることができるのではないかと。
せめて「逃げない心」だけは忘れないようにしたいものだと思う次第です。







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by dscorp-japan | 2018-09-30 14:34 | 思うに・・・ | Comments(6)

神と私「一対一」

 
キリスト教徒の方ならご存知の事と思います。

→ ニュース記事
『 性的虐待対応で法王窮地=大司教が辞任要求、権力闘争か-バチカン 』

まず、聖職者たちによる性的虐待については
当然のことながら、とことん糾弾されるべきことです。
「言い訳無用」「弁解の余地なし」であります。
聖職者がなんぼのもんだろうと、ダメなものはダメ!

ではその次の段階として
教皇庁(ヴァチカン)が長年にわたってこれを隠蔽してきたことについて。
これも当然、糾弾されて然るべきことです。
カトリック教会という「組織を守るため」という大義名分によって
「ああそうなの。
カトリック教会では悪いことをしても、隠し通せればオッケーなのね。
あんたたちの信じる神様は、そう教えてるのね」
と受け取られても文句は言えないでしょう。


私はひとりのカトリック信者ですが
こと「ヴァチカン」という、世界中のカトリック教会を束ねる組織については
(どうせ今でも、いろいろやらかしてたり隠してたりするんでしょ)
と、懐疑的な思いで受け取っている部分があります。
現代社会における、最も巨大な「伏魔殿」じゃないかとさえ思っています。

「そんな怪しい宗教を、オマエは何故信仰するんだ」
・・・そう思われても致し方ないと思います。

ただ
私はその問いに、こう答えます。
「私が信じているのは、ヴァチカンという組織ではない。
救い主イエス・キリストという方だから」
と。

            ♢

私の基本的な考え方として
「神様(つまり父と子と聖霊)と私とは
このうえなくパーソナルな関係性であるべし」
というのがあります。
神様と私は
最終的には、誰の介入もない「一対一」の関係にあるのだと。

もちろん、私の信仰の手助けとなる「聖書」も大切。
さまざまな知見を教えて下さる聖職者の皆さんも大切。
共同体としての「教会」も大切。
祈りの手段としての「ミサ典礼」も大切。
でも、それらすべての助けを受けながら
最終的に私は「私一人で神様と対話する」関係性でありたい。

今の「組織」としてのカトリック教会の有様がどうであろうと
その組織に所属する多くの聖職者の方々がどうあろうと
「そこ」を見て神への信仰を疑うべきではないのだと。
神は間違いなく、その向こう側にいらっしゃるのだと。

            ♢

・・・これはあくまでも個人的な推測なんですが
きっとパパ様(フランシスコ教皇)は、今の「組織」としてのヴァチカンのなかで
様々な手枷足枷でがんじがらめになっていらっしゃるのではないでしょうか。
彼の信仰に基づいた理想を
具現化したくても出来ないというジレンマが、垣間見えるような気がします。

『週刊プレイボーイ』で
モーリー・ロバートソンさんがこんなコラム記事を上梓しています。

            ↓

文中にある
「フランシスコ法王が背負っている"何か"に目を向けず」
という表現が、ヴァチカンという「組織」を暗喩していることは多分間違いないでしょう。
もしかするとパパ様は「ヴァチカンのトップ」という
この上なく大きな、そして重い「十字架」を担ったということなのかもしれません。






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by dscorp-japan | 2018-09-12 18:16 | キリスト教 | Comments(4)

自然・2

 
ここ名古屋地方も相当の暴風に襲われ
(これはちっぽけなことですが)
ウチの事務所のほんの一部が強風で飛ばされたという、台風21号。

特に甚大な被害があったという関西地方のことを思い遣っていた矢先
今度は北海道で大きな地震が。

これは個人的なことですが
私の弟家族が札幌市に住んでおりまして
そして私の父親は旭川市に居を構えております。
たまたまなのですが
あの地震のあった瞬間(6日午前3時過ぎ)私は仕事の関係で起きておりまして
自宅PCで作業していたところ、地震の一報をネットで知ったのでした。
とりあえず弟の携帯メールへ安否確認を入れたところ
瞬時に返信があって「大丈夫」とのことで一安心したのですが
午前4時頃、弟からこんどは電話が入りました。

「すごい揺れだったぞ。
あの地震があって、俺は急いで職場に来たんだけどさ」
弟は調剤薬局で働く薬剤師でして
停電すると影響がある精密機械が心配だったからとのことでした。

「アニキ(私)の方は大丈夫なの?」
いやいや
そっちで起きた地震だし、さすがにこっちまでは影響ないよと答えたのですが
どうやら私の弟
あまりの激しい揺れに、全国レベルで影響があったのではと心配したようです。
ともあれ
即座に職場に行けたわけですので、大事には至らなかったようです。

一方の父親ですが
あの地震からちょうど丸1日経過した現在、まだ連絡はついておりません。
元より、あまり電話に出ない人間ですし
ま、あの父親のことですから
電話などほったらかして、仕事のことで頭がいっぱいなのでしょう。
(齢83になりますが、とある社会福祉法人の理事長職に就いております)
日が明けたら、再度連絡を入れてみようと思っております。
でもこういう時くらい電話に出ろよとも思うんですけどネ・・・


・・・しかしどうしちゃったんでしょうね、地球・・・


とはいえ
四の五の言っても仕方ありません
被災された方々には心よりお見舞い申し上げますとともに
1日も早く、これまでの生活に戻ることができるよう祈るばかりです。
そして
今回の北海道での地震のため
他の被災地の皆様のことが忘れられがちにならないよう
私たちひとりひとりが意識しなければならないのではと思う次第です。


※ 9月7日追記
安否のはっきりしなかった父親には
今日ようやく連絡がつき無事が確認できました。




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by dscorp-japan | 2018-09-07 03:40 | あったこと | Comments(4)

自然

 
9月4日午後3時現在
ここ名古屋エリアにも台風の猛威が襲ってきております。
あくまでも個人的な体感ですが
ちょっと今回の台風は尋常ではないレベルの暴風雨と感じます。

これは「幸運にも」と申し上げて良いでしょう
今現在、ウチの会社にお葬式のご依頼は入ってきておりません。
しかしおそらく
今日、お葬式を執り行われてる方もいらっしゃると思います。
大切な方のお葬式を、このような日に執り行われた方々には
お悔やみを申し上げますとともに、心よりお見舞い申し上げます。

私は葬儀屋さんですから
このような自然の猛威に晒されるたび、この瞬間にお葬式を執り行われていらっしゃった方々のことを思います。

阪神淡路大震災のときも
東日本大震災のときも
熊本地震のときも
先日の西日本豪雨のときも
あの瞬間、日本のどこかで大切な方を送る為のお葬式をされていた方が。間違いなくいらっしゃったはずです。
大きな悲しみのなか
予期せぬ自然災害に見舞われ、お葬式どころではなかったのだろうと。
そしてまた
そのお葬式をお手伝いされていた葬儀屋さんたちのご苦労。
本来なら自分自身を守ることに専心したいところを
葬儀屋さんとしてのお仕事を全うしようと、心と身体を割いてお客様に寄り添っていらっしゃる方々が、間違いなくいらっしゃることでしょう。
どうか過度なご無理などなされませぬようにと祈るばかりです。


誰もがご存じのことですが
どれだけ文明が発達しようと
どれだけ経済的に豊かになろうと
自然の猛威の前で、人は「等しく」無力なのだと痛感させられます。
億万長者さんも
社会的地位にある人も
自然の前では等しく無力なのだと。

私たち人間は
自然の前では、どこまでも謙虚でなければならないということ。
それはこれまでも
そしてこれからも決して忘れてはいけないこと。


どうか皆様、ご無事でありますように。











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by dscorp-japan | 2018-09-04 15:29 | あったこと | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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