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映画 『 アマロ神父の罪 』

 
少し前、とある神父様からお借りしていたDVDなのですが
今日の夕刻にお返しすべきタイミングがきましたので、急いで鑑賞した次第。

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2002年公開・メキシコ映画


寡聞にして
私は本作のことを全く存じ上げませんでした。
(この類の映画は大好物のはずなのに!)


物語のあらすじはというと・・・

ヨハネ・パウロ二世時代のメキシコが舞台。
とある町の教会に
アマロという、若くてハンサムなカトリック司祭が赴任してきます。
そこには主任司祭であるベニト神父がいて、司教からも寵愛されているという、前途有望なアマロ神父を歓迎します。
しかし長年その教会にいるベニト神父は
地元の麻薬組織の長と繋がりがあって、町の料理屋の女将と男女の関係を続けていたりします。
一方、同じ教区内のナタリオ神父は
農園で働く住民たちと衣食を共にしていますが、この集落がゲリラ組織であるとの疑いがあり、ナタリオ神父はゲリラ組織の支援者ではないかと司教からも目を付けられています。
そんな環境に身を置いたアマロ神父は
とあるきっかけから、料理屋女将の娘・アメリアと男女の関係に陥ります。
清廉潔白なイメージだったはずのアマロ神父は
アメリアとの逢瀬の為に、巧みな嘘をつくようになります。
そしてある日
アメリアが妊娠したことを知ったアマロ神父は・・・


・・・あまり上手にあらすじが書けなくてすみません <(_ _)>

            ♢

本作を観てまず思い出したのは
同じくカトリック教会の暗部を描いたような作品『 バチカンの嵐 』でした。

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1982年公開。残念ながらDVDは未発売の模様 (-_-;)


どちらの映画も
司祭職にありながら罪に手を染め、しかしその罪はローマ・カトリック教会という「組織」に隠蔽されてしまうという図式が描かれた映画という感じ。


本作で描かれる「アマロ神父の罪」について考えるとき
彼の犯してしまった「罪」には二種類のそれがあったのではないかと思います。
ひとつが
司祭職でありながら、若くて美しいアメリアと一時的な恋に落ちてしまった罪。
もうひとつが
その罪を、アマロ神父の利己的な判断で処理してしまおうとした罪、です。
これを言い換えると
ひとつ目の罪は「聖職者としての罪」であり
ふたつ目の罪は「人間としての罪」ということになるでしょうか。

仮にこの考え方に沿って考えたとき
私は「聖職者としての罪」なら、全然赦せちゃうわけです。
個人的には、まったく「お咎めなし」であります。
でも、ふたつめの罪は少々いただけません。
自身の立場を守ることばかりを考えるが故に
相手を深く傷つけてしまうような仕打ちをしてしまうのですから。
(本作においてその罪は、さらに大きな悲劇を生んでしまうのです)


そして
本作ではもうひとつ、さらに大きな罪が描かれます。
それは
アマロ神父の犯してしまった「ふたつの罪」を隠匿した、カトリック教会という「組織」による罪。


・・・私はいつも思うのです。
聖職者たちの犯してしまった罪と
その罪を隠匿する、教会という「組織」の罪。
どちらが、より信仰の躓きになるだろうかと。


少なくとも私は、後者の方にガッカリさせられます。





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by dscorp-japan | 2018-07-27 03:47 | 映画・テレビ | Comments(6)

お仕事のデキる人間

 
どんな仕事においてもそうだと思っているのですが
私たち人間が携わるお仕事において最も大切なものって「コミュニケーション能力」なのだと考えております。

文章でのコミュニケーション
電話でのコミュニケーション
直接会った際のコミュニケーション

上に挙げたいずれの場合においても
「どれだけ正確な情報を相手に伝えられるか」
そこに携わる当事者として
「どれだけの『思い』を伝えられるか」
そしてその結果として
「どれだけの『信頼』を得ることが出来るか」
これこそが
あらゆるお仕事において私たちが最も求められている能力なのだと、私は確信しております。


「コミュニケーション能力など必要としない仕事もある」

・・・そうなのかもしれません。
しかし、仮にそのお仕事がその通りならば
そのお仕事は遠くない将来、人間の手を離れていく可能性があるということですよね。
いわゆる『A.I(Artificial Intelligence)』なるものに、そのお仕事は一任されてしまうかもしれないということです。

だからつまり
そのお仕事がコミュニケーション能力を必要としないものなのだとしたら、もしかするといつの日か、そのお仕事はあなたの手から離れてしまうかもしれないということです。


・・・でも多分
そんなお仕事ってそんなにないはずだと、私なんかは思っちゃいます。

お仕事の実務は人工知能サンが行うような業種だとしても
それを依頼する側にも、サービスを提供する側にも、最終的には双方に「人間」がいるはずですよね。
そこに何らの人間の意思も介在しないなんてこと、私には想像出来かねるんですけどネ。
仮にそんな世界になっちゃったら
「社会」という概念が大きく変わってしまうってことですよね。
「人間社会」から「A.I 社会」に、ですか?

・・・そんな社会、ワシゃイヤだ。


となると、です。
どんなお仕事であれ、そこに携わる人間に求められるものって、やっぱり「コミュニケーション能力」なのだと思うわけなんです。

少なくとも私の知る限りにおいて
この能力に長けた方って、まず間違いなくお仕事がデキる方です。
コミュニケーション能力に長けた方って
正確な情報を、相手に分かりやすく伝達することができますよね。
相手の立場に立って考えることができますよね。
その場の空気を読み取って、適切な対応ができますよね。

情報の、適切な伝達方法の選択。
言葉遣い。
会話の抑揚。
顔の表情や態度から醸し出す雰囲気。
そして特に日本人の場合「尊敬語・丁寧語・謙譲語」の使い方。

仕事がデキる人って
これらの使い方が絶妙だと思うわけです。
この能力に長けている方であれば
仮に仕事上のミスがあっても、おそらく相手はそれを強くは咎めないのではないでしょうか。
何故なら
そこにはすでに「信頼関係」が構築されているから。


・・・思うままにつらつら書いておりますが
私は、そういう人間になりたいなぁと思うわけなんです。






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by dscorp-japan | 2018-07-20 00:47 | 思うに・・・ | Comments(4)

今年も供給不足が・・・

 
今年もニュースが出てしまいました・・・


私、二年前にもこんな記事を書いております。



・・・先日ご依頼をいただいたご葬儀の際
御遺体保全のためのドライアイスを手配しようと取引業者さんのところへ出向いたら
『本日、ドライアイスは完売いたしました』の看板が (><)
手配したのが夜だったこともあるのでしょうが・・・

正直、焦りましたよ。
最終的には様々なルートを辿って、何とか手配出来たわけなんですが・・・

ウチがお取引させていただいているドライアイスの業者さんは
私が以前在籍していた葬儀社時代から取引のあったところです。
少なくとも四半世紀以上にわたって
名古屋エリアの多くの葬儀屋さんが頼りにしてきた『老舗』といっていいでしょう。
昔だったら昼夜問わず、常に数百キロ単位でストックがあったんです。
それこそ工場が操業停止する年末年始だろうと、です。
それが『売り切れ』・・・

「何故?」とゴネても仕方ありません。
原料である二酸化炭素の供給が減ってきているというのですから。
ただそれにしても
大切な御遺体の保全措置としては、今なおドライアイスが最も有効な手段だと思うわけなんです。
これは、これまでの経験則として断言できると思います。

エンバーミングという手段もあるにはありますが
かなり高額な処理料がかかってしまうんです。
それこそ、ドライアイスとは費用の桁が変わってしまうくらいに。


とはいえ、背に腹は代えられないということで
ウチも二年前から、ドライアイスの代用品としての保冷剤を導入させていただいております。
それでももちろん、可能な限りドライアイスの使用を優先します。
大切な方の御遺体なのですから。






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by dscorp-japan | 2018-07-13 03:28 | 葬儀 | Comments(2)

葬儀屋さんが「当事者」になるとき

 
相変わらず、久々の投稿でございます m(_ _)m

まず
先日の豪雨により被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、かけがえのない命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに
大切な方を喪われた方々に、心よりお悔やみを申し上げます。

            ♢

さて。
西日本を中心に甚大な被害をもたらした豪雨のなか
相変わらず、私はお葬式の担当で現場に出ている次第であります。

そんななか
一昨日、以前私どもと一緒にお葬式のお仕事に携わっていた仲間のお母様がお亡くなりになり
担当の合間を縫って、昨晩のお通夜に参列してまいりました。

・・・葬儀屋さんといえども
大切な家族を喪った当事者ともなれば、ひとりの「遺族」であります。
当たり前のことなのですが、葬儀屋さんにだって家族はいるわけです。
その大切な家族を喪えば
お葬式をお手伝いする側から、葬儀屋さんからのお手伝いを受ける側に回るわけです。

・・・こういうとき
葬儀屋さんが「当事者」の立場にたつと、なかなか難しいものがあるんですね。
お葬式の何もかもを分かっているうえで
当事者である遺族として、お葬式を遂行していくわけです。
(自分はプロなんだから、ちゃんと滞りなく進めなくては)という
他の方々にはない、余計なプレッシャーみたいなものがのしかかってくるんですよね・・・

たとえば喪主としての挨拶。
あまりにもスラスラと淀みなく話せば “ 葬儀屋候 ” になってしまうし
かといって、たどたどしい雰囲気を演技するのもおかしいわけで・・・
そのサジ加減が分からなくなることがあったりするわけです。
・・・正直なところ、やりたくないというのが本音なのではないでしょうか。


昨日の通夜後
彼はとても良い挨拶の言葉を述べられました。
私たち参列者に対する謝意を述べられ
最愛のお母様の、人となりを分かりやすくご紹介いただき
お母様ご本人に対する感謝の気持ちが溢れるような、素敵な挨拶でした。

大変なご病気に立ち向かってこられたお母様のご冥福をお祈りしますとともに
S君のご家族皆様の上に、神様の慈しみと慰めが豊かに注がれますよう
心よりお祈り申し上げます。






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by dscorp-japan | 2018-07-09 21:10 | 葬儀 | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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