D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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カテゴリ:キリスト教( 212 )

今日は『聖ディスマス』の祝日

 
カトリック教会には
一年中毎日、聖人の誰かの祝日と定められています。
たとえば
私の洗礼名である『聖ペトロ』の祝日は6月29日です(聖パウロも同日)。


今日、3月25日は『聖ディスマス』の祝日です。

・・・聖ディスマス(デュスマス:Dysmas)。

ウチの会社名『ディーズ(D's)』の由来である聖人です。
たびたびですが
聖書の箇所を引用します。

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(ルカによる福音書 23章39~43節『新約聖書・新共同訳』より)


・・・この、自分のことを思い出して下さいと言ったのがディスマスです。
この名前は仮の名前であり、本名は分かっていないそうです。

私はキリスト教の葬儀屋さんとして
このディスマスの信仰に、私たちに死が訪れた際の救いと希望があるのではないかと信じているので、この聖人の名前を会社名にしたわけです。
(頭文字を社名にせよとアドバイスしてくれたのは、畏友:西経一神父様でした)


そんなわけで
今日3月25日は、ウチの会社にとって特別な意味を持つ日なのであります。

キリスト教葬儀屋さんとして
私たちがお手伝いさせていただくすべての死者のうえに、ディスマスの信仰の救いと希望がありますようにと祈る日、なのであります・・・







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by dscorp-japan | 2017-03-25 00:00 | キリスト教 | Comments(7)

恥知らずな信仰で良い

 
三たびの、映画『 沈黙 』に関する記事でございます m(_ _)m


前回の記事で
映画『 沈黙 』の重要な登場人物であるキチジローの信仰心について、私は “ 恥知らずな ” という表現をしました。
念のための補足ですが
具体的には、キチジローによる周りの人間への裏切り行為やキリスト教信仰を否定する行為(踏み絵を踏む・十字架に唾を吐く)と、その後に寄りすがるイエスによる救済 ≒ 告解 (赦しの秘跡))を求めるのを繰り返す様を “ 恥知らずな信仰心 ” と表現したわけです。
この世における人間社会の常識から考えたとき
キチジローが繰り返す「 裏切り ⇆ 回心」のループは、間違いなく恥知らずな行為のはずです。
或いは厳格なクリスチャンからみてもそうなのかもしれません。

そのような理解の上で
私は、キチジローの “ 恥知らずな ” 信仰こそが罪深い私たちにとっての「佳き模範」として捉えられていいのではないか、と申し上げたかったのです。

            ♢

すでに何度かここでも触れさせていただいております。
ウチの会社の名前は『 ディーズ(D's)』です。
この意味は
イエスが十字架に架けられたときの両脇に、同じように十字架に架けられた二人の罪人のうちのひとりから取っております。


十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(ルカによる福音書 23章39~43節『新約聖書・新共同訳』より)


ここに登場する、イエスに「わたしを思い出してください」と言った罪人を
多くのキリスト教会では「佳き罪人」或いは「右側の罪人」などと呼びます。
聖書自体には彼の名前がありません。
しかし外典を調べますと、そこには『Dysmas(デュスマス・ディスマス)』という名前(実際には俗称らしいのですが)が記されております。
彼の頭文字からとった『D's』とは
デュスマスの信仰心(Dysmas's Faith)こそが、罪人である私たちが死に葬られたときの救いとなるに違いないと考え、私たちの考える葬儀を執り行う会社の名前に相応しいと決めたのでした。

            ♢

たとえば私自身のことで申しますと
私は何回も、それこそ何百回も何千回も、同じ罪を犯し続けてきております。
それが罪であると知りつつ
確信犯的に犯し続けている罪もあります。
そしてそのたびに
しれッとしたツラをして告解部屋に向かいます( “恥知らず ” にも!)。
毎回のように同じ罪を告白します。
告解部屋のなかで罪の告白をしながら
(どうせオレ、またやるし)と思いながら、です。

「それじゃ意味が無いじゃないか」

そうかもしれません。
でも
それでも私は繰り返すんです。
「 罪を犯す ⇆ 赦しの秘跡 」の無限ループを。

罪を告白するとき
(どうせオレ、またやるし)とは思ってますけれど
それでも「ごめんなさい」の気持ちだけはあるんですよ。
つまり
(何度言われても直そうとしないガキみたいなオレだけど
だけど「悪い」とは思ってるんです。
だから赦して下さいな)
ということです。


・・・“ 恥知らずな ” キチジローと私、どこが違うのでしょう?

・・・いや
キチジローは最後までその “ 恥知らずな ” 信仰を貫きました。
私は、それを貫き通すことすら出来ないかもしれないのです・・・

            ♢

私見で申しますと
この世における人間の価値は、死ぬ瞬間にこそ決まるのだと思います。
逆に申しますなら
死ぬ瞬間まで、自分を正すチャンスがあるということです。

どれだけ罪を犯していても
それが何百回も何千回も繰り返されたものでも
それが確信犯的に重ねられた罪だったとしても
死ぬ直前に、心から「ごめんなさい」「私を憐れんで下さい」と神に依りすがることが出来れば、それで良いんじゃないかと。

それがデュスマスの信仰であり
キチジローの信仰なのではないかと考えるのです。





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by dscorp-japan | 2017-01-30 00:00 | キリスト教 | Comments(10)

『新成人を祝う新年の集い』

 
一昨日(土曜日)からの雪対策で
私はスタッドレスタイヤにチェーンを巻いて、万全の体制を整えていたのですが・・・

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真夜中に装着しておいたのだ


昨日(日曜日)の午後にはほぼ道路の凍結も溶けて
結果的にチェーンの威力を発揮する場面はありませんでした (^^ゞ
まァでも
使わずに済むのであれば、それに越したことは無いのであります。
お葬式のご依頼もありませんでしたし。

            ♢

さて。
昨日は午後二時からカトリック布池教会において
タイトルにある通り、司教ミサと新成人祝賀パーティーが行われたのでした。
もちろん、新成人を祝うことがメインなのですが
一方で、カトリック名古屋教区としての「新年会」みたいな側面もあったりします。
ですから布池教会に限らず
カトリック名古屋教区を構成する各小教区(それぞれの教会)の皆様もお集まりになって、親交を深める場でもある、ということです。

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祝いの日に相応しく、雪は止んでドピーカンに ♪


・・・晴れたとはいえ、これはあくまでも名古屋の話。
やはり岐阜県以北の各教会の皆様は、さすがにお越し下さるのは少々難しかったようです。
例年以上に参加者の人数は少なかったですね。

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松浦司教様司式のミサが行われ
その中で新成人の皆様の祝福式があり
ミサ後には聖堂地下にあるホールでパーティーでした。
パーティーでは
すでに恒例化しつつある(?)松浦司教様を含めたご兄弟のバンド『ビート・ルーズ(お分かりの通り『ビートルズ』をもじってます)による演奏 ♪
曲目ももちろんビートルズ。
(写真撮るの忘れました (^^ゞ)


・・・というわけで
公私ともに、昨日で “ おとそ気分 ” も終了です。
今日からまたお仕事に(それなりに)勤しむ所存でございます。

寒い日が続きます。
どうぞ皆様、お風邪など召されませぬようご自愛くださいませ m(_ _)m





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by dscorp-japan | 2017-01-16 00:00 | キリスト教 | Comments(2)

主の御降誕をお祝い申し上げます

 
さきほどのカトリック布池教会の様子です。

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参列者が聖堂内に入りきれず
寒いけれど、門は開放せざるを得ませんでした ^^;

・・・じつはこの写真のわずか数時間前
私は葬儀屋さんとして、ここでお葬式のお手伝いをさせていただいていたのでした (^^ゞ
・・・教会とは、そういう場所なのだということですね。

            ♢

ところで。
これは一般にはあまり知られていないことなのですが
多くのキリスト教徒は、いわゆるクリスマス・イヴの夕刻(日没後)には
「クリスマス、おめでとうございます」
と挨拶を交わしたりします。

(まだクリスマス・イヴでしょ?
イエス様の誕生日って12月25日のはずじゃなかった?)


・・・教会暦では、日没をもって日付が変わるんです。
日没から翌日の日没までが「一日」なんですね。
つまり
一般でいうところの12月24日は、その日の日没をもって「翌日」になるんですね。
だから12月24日の日没後は
教会暦で申しますとすでに12月25日、つまり「クリスマス」なのだということです。


・・・閑話休題。

この拙いブログをご拝読いただいている皆様の上に
幼子イエス様の恵みがありますように。

神様。
あなたに救いと慰めを求めるすべての方々の祈りに、どうか耳を傾けて下さい。
特に今日
救い主イエスの生誕を記念し賛美するこの日
世界中すべての人のうえに
あなたの特別な計らいによる、心と身体の平和をお与えください。

苦難や悲嘆のなかにある方々
病に侵され病気と闘っていらっしゃる方々
さらに闘病のなかにある大切な方を看病されていらっしゃる方々のうえに
慈しみと慰めが豊かに与えられますように。






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by dscorp-japan | 2016-12-25 00:00 | キリスト教 | Comments(4)

ロウソクの再利用

 
一般的に
プロテスタント諸教会では使用しませんが
日本聖公会やカトリック教会のお葬式の場合、ロウソクを使用します。
そしてそのロウソクですが
『復活のロウソク』や『ミサ祭壇用のロウソク』は教会が用意するのが一般的ですが
柩の周りに設置するロウソクなどは、葬儀屋さんが用意したりします。

ウチの場合ですと
日本聖公会やカトリック教会のお葬式の場合は、通夜に6本、葬儀に6本、あわせて合計12本のロウソクを用意します。
当然のことながら “ 使い回し ” みたいな真似はしませんので ^^;
使用済みのロウソクが余ってくるんですね。
たとえば
10件のカトリック葬儀があれば、120本ものロウソクが使用済みとなるわけです。

結構勿体ない・・・(><)


・・・では
その余ったロウソクはどうするのかと申しますと・・・

日頃からお世話になっている様々な教会に
使用済みのロウソクを回収していただいているんです。

・・・ミサなどで使用する祭壇用ロウソクを
使用済みロウソクの蝋を使って「作り直す」わけなんですね。
或いは
たとえば毎年訪れる『復活徹夜祭』では、参列者全員にロウソクが配られたりするのですが
そのためのロウソクの原料として再利用されるというわけです。


今週末から日曜にかけて、クリスマスです。
もしかすると
クリスマスの典礼で使用されるロウソクに、再利用のロウソクが使用されているかもしれませんよ、というお話でした・・・(^^ゞ






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by dscorp-japan | 2016-12-20 18:56 | キリスト教 | Comments(2)

『 いのフェス名古屋2016 』 終了~

 
名古屋初開催の『いのフェス2016名古屋』
無事に終了いたしました~ ♪

『魅力にかける街』第一位という称号をいただいた、ここ名古屋での開催(笑汗)
そりゃ~ウチのホームグラウンドですから出展したわけです。
正直なところ
本業のお葬式もご依頼いただいているなかでの出展でしたので、結構キツいものがあったのですが (^^ゞ
まァでも、何とか無事に参加することが出来た次第であります。

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ブースに鎮座するのはわが社の “ エース ” S君であります(笑)


「ん?彼がエース?」

・・・失礼な!
私がブースに腰掛けても、どなたからもお声がかからないのに
S君がブースに陣取った途端、こうなるんですから ♪

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お若い女性からの問いかけに鼻の下をのばすS君(笑)


写真でもお分かりの通り
キリスト教葬儀の模擬祭壇なんかも展示してみたわけです。
ごく簡単な飾り例ではありますけど
祭壇生花はいつも通りの “ ディーズ流 ”。

こんな感じでお客様のご来場をお迎えしていたわけですけど
今回もまた
「柩の中には入れないのかしら?」みたいなご要望が、存外に多かったデス ^^;


・・・皆さん、入りたいもんなんですか???
別にただの「箱」なんですけどね・・・ ^^;

まァそのあたりは今後の課題ということで、鋭意検討させていただきます m(_ _)m


いずれにせよ地元開催ということもあって
結構お顔見知りの方々からのご来場もあり、いろんな交流が出来ました ♪

・・・そうなんです。
きっかけは何であれ、交流が出来ることにこそ意味があるんです。
そりゃウチの場合
会社としての宣伝効果を目論んでいることは否定いたしません。
でもそれ以上に
教派の違いを乗り越えて、お互いがお互いを認め合ったうえで、フラットな感覚で交流することにこそ『いのフェス』の本質的な意義があると思うんですよね。

このようなきっかけを作って下さった
いのフェス実行委員会の皆様に、心から感謝申し上げます。
そして
この輪が少しずつでも広がっていくことを、心よりお祈りいたします m(_ _)m



ところで。
イベント終了後のお花は次のお葬式で「使い回すのか」ですって?

・・・失礼な!
イベント参加者の皆様に、お好きな花をお好きなだけお持ち帰り頂きましたよ~♪







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by dscorp-japan | 2016-11-06 00:00 | キリスト教 | Comments(4)

訃報

 
REQUIEM AETERNAM DONA EI,DOMINE

カトリック名古屋教区司祭、ヨハネ・ボスコ 由井滋神父様は
10月30日午前5時45分、肺炎で入院先の名古屋医療センターにおいて心不全のためご帰天されました。
(中略)
由井神父様は、その全生涯を弱い立場の方々のためにささげ尽くされました。
神様に召される直前まで、ご自分がかかわっていた方々のことを気遣っておられました。
享年74歳でした。
由井神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

 なお、通夜・葬儀は以下の通り執り行われます。
 また、ご香典、ご供花などは固くご辞退申し上げます。



   通 夜         10月31日(月)午後7時30分より
   葬儀ミサ・告別式    11月 1日(火)午前11時~午後1時
   式 場         カトリック布池教会 大聖堂
               名古屋市東区葵1-12-23

(以上、カトリック名古屋教区公式広報より抜粋)




まさに青天の霹靂、でした。
大変にショックを受けております。
未明の第一報からずっと、泣きそうなのを堪えるのが大変です。

もう30年以上のお付き合いですが
ただの一度だって、由井神父様が怒ったり顔をしかめたりするのを見たことがありません。
皆さんが「あの神父様は天使だ」と評されます。
まったくその通りだと思います。

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きょう、ひとりの偉大な天使が天国に帰られました。
心よりお願いいたします。
ヨハネ・ボスコ 由井 滋神父様のためにお祈りください。







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by dscorp-japan | 2016-10-30 14:28 | キリスト教 | Comments(10)

再度『いのりフェスティバル名古屋2016』の告知です

 
開催日まで、あと一週間となりました!
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 ※ 『いのりフェスティバル名古屋2016(以下:いのフェス名古屋)』
   に関する詳細情報は公式HPをご覧ください。


2011年より東京や大阪などで毎年開催されてきた『いのフェス』。
数年前より「是非名古屋での開催を」という声が上がっていたとお聞きします。
そしてこのたび、満を持して!
はじめて、ここ名古屋での開催の運びとなったということであります。
私どもも開催初年度より(ひっそりと)参加させていただいておりまして
今回は私どものホームグラウンドであるこの地での開催に際しまして
「名古屋での開催にウチが出展しないわけにはいかないでしょ!」
ということで、憚りながら(笑)出展させていただく運びとなりました。

当日は
弊社の提供するキリスト教葬儀の模擬祭壇(略式)の展示と
お葬式や終活に関する様々なご質問にお答えするブースを設けまして、皆様をお出迎えさせていただきます。
もちろん相談料は無料ですし
こちらからご相談者の個人情報などをお尋ねすることもございません。
お気軽にお声をかけていただければと存じます m(_ _)m


「キリスト教のイベントだからクリスチャンでなければ入場できない」
なんてことはもちろんございません!
そして
妙な宗教勧誘みたいなアホなこともありませんのでご安心を(そういうの、私自身が大ッキライですので)


行楽の時季ですから、皆様それぞれご予定がおありかとは存じます。
でももしお時間がよろしければ、是非足をお運びいただければと存じます。


   『いのりフェスティバル名古屋2016』

     開催日   2016年11月5日(土)午前11時~午後4時半
     場 所  『ウィンクあいち』10階・大会議室
           愛知県名古屋市中村区名駅4丁目4-38
     入場料   無 料

      ※ 駐車場は近隣のコインパーキングをご利用ください






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by dscorp-japan | 2016-10-29 00:00 | キリスト教 | Comments(3)

『隣人愛』

 
今更ながら『隣人愛』。

この言葉を額面通りに理解すると
「身近な人に対する愛情(とその行い)」といった意味かと思います。
「あなたの身近な人には優しく愛情を持って接しましょうね~」ということですね。

「ふむ、そりゃそうだ。
そうあるべきだし、そうありたいものだ」

・・・そう考えはしても
それで終わり、といえば終わり。

でも
その本質的な理解って、なかなか出来てなかったりします。
いや、もちろん私だってそんなもんですけどね・・・ (^^ゞ

            ♢

これは、とあるカトリック司祭のお話です。

その神父様は以前
名古屋の、とある地域のご老人たちを集めて聖書のお勉強会を開いていらっしゃいました。
これはその神父様の完全なプライベートな取り組みでありました。
参加者のご老人は年を追うごとに増え続け
最終的には50名を超えるほどのご老人が、その神父様のお話を聞くのを楽しみに集まっていらっしゃいました。
そしてそのご老人たちのなかには
貯蓄もなく収入もないことから、生活保護を受給しながら細々と暮らしていらっしゃる方もありました。
神父様はそれら生活保護受給者であるご老人たちに
ご自身のお金で安い食材を買い込んでは渡していらっしゃったんです。
何年もの間、ずっと。
私は、何度もその買い物に付き合ったことがありました。
時には私もカンパしようとしたのですが
彼は頑なにそれを拒否しました。

「これはオレの気持ちなんだ。
お前はお前の方法で考えろ」

ある日、その神父様が私に言いました。
「ご同業(つまり神父様)から
『そんな風に周りに施していても際限がないでしょう。
すべての人を助けることなんて出来やしないのに』って言われちゃったよ」

たしかに
ひとりの人間が他者に「奉仕する」「施す」ことには限界がありますよね。
同業者の神父様が仰ることも一理あります。

「でもな
オレはオレの目に触れる、オレの周りにいる人を助けるのみなんだ。
『際限がない』からといって諦めたら、誰も何もしないじゃないか。
それが『隣人愛』ってもんだろ」

そのときはじめて
私は『隣人愛』という言葉の本質を、少しだけ理解できたような気がしたのでした。
それまでの私は
「自分の周りの人には優しく愛情を持て」などと言われても
(じゃ~自分の周りの人以外の人はどうなんだ?不公平じゃねェか)
などと考えたものです。

・・・でも、そうじゃないんですね。
私たちひとりひとりが
私たちの周りにいる人たちに対してだけでもいいから
困っている人に、私たちそれぞれのやり方で手を差しのべればいいんですよね。
そしてその輪が広がることで
最終的に「誰もが助け合い、助けられる」世界が生まれるということなんですね。

1人の人間に出来ることの限界を考える必要などない。
私たち皆が、1人の人間として出来ることをすればいい。

            ♢

何故このようなお話をするかと申しますと
昨日私がお手伝いさせていただいたご葬儀で、ご遺族代表の方によるご会葬御礼のお話がこれに似たお話だったのでした。

その故人様は児童養護施設『麦の穂学園』の会長・横川満雄様でした。
横川様は若かりし頃、カトリック司祭になる希望をお持ちだったとのことです。
しかしながら健康上の理由でそれが叶わず
ならばということで、行き届いた環境にない子どもたちの支援に乗り出されたということです。

ご挨拶されたのは
満雄様のご長男であり『麦の穂学園』の園長でいらっしゃる横川 聖様でした。

「父が常に大切にしていたことは『隣人愛』でありました」

親に見捨てられたお子さんや
親との関係が芳しくない環境にあるお子さんはたくさんいます。
そのすべてのお子さんを助けることが出来れば良いのですが
児童養護施設とは申しましても、その支援に限界はあります。
すべての子どもたちが充分な支援を受けることが難しい状況もあるでしょう。

支援を受けられる子と、そうでない子。
そこに不公平は生まれる。
では、支援を諦めるのか。

・・・そうじゃないんですね。

横川満雄先生は
ご自分の出来る限りのことを、ただ精一杯なさったのです。
それがご自分の役割だと、固く信じて邁進なさってこられたのです。
『隣人愛』の輪が広がることに希望を持って
その(敢えて申しますが)小さな担い手のひとりとして
目の前にいる子どもたちひとりひとりに手を差しのべ続けられたのです・・・


横川満雄先生のお柩には
小さな園児たちがクレヨンで書いた、拙い、しかしとても尊いお手紙が入れられました。

それはまぎれもなく
「お父さん」「おじいちゃん」へのお手紙だったのでした。






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by dscorp-japan | 2016-10-26 00:00 | キリスト教 | Comments(8)

マザー・テレサ 列聖式

 
曲がりなりにもカトリック信者である私です。
このニュースを取り上げないわけにはいかないでしょう。

( → ニュース記事


列聖式の模様がこちらです(かなり長いです)




・・・マザー・テレサについて
今さらのように私ごときがご説明する必要などないでしょう。

ただ、敢えてひとつだけ申しますなら
マザー・テレサの大きな活動のひとつが、私たち葬儀屋さんのお仕事に大いに関連するものであったということです。
マザー・テレサは『死を待つ人々の家』において
入所者それぞれの信じる宗教を尋ねたうえで、その入所者が亡くなられた際は本人の信仰する宗教の典礼に則った葬儀で弔ったということです。
殊更にカトリック教会の「神」を押し付けることなく
あくまでも入所者個々人の信仰を尊重し、葬儀においてもその信仰を反映させるという方針であったということです。

・・・私は、ひとりの葬儀屋さんとして
マザー・テレサのこの行いに大きな意味と深い意義を感じております。
私はマザー・テレサの、この行いのなかに
「死者を弔う」という行為の本質があるのだと、強く確信しているものであります。


もしかするとマザー・テレサご本人は
今回の列聖について、それほど大きな感慨は抱いていらっしゃらないのかもしれません(ノーベル平和賞受賞の際と同じように)。
しかし一方で今回の列聖は
いま世界中で生かされている私たちひとりひとりにとっての、ひとつの指針として示されているような気がいたします。


聖マザー・テレサの
他者をいたわる心、慈しむ心が世界中の人々の胸に深く沁みわたりますように。








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by dscorp-japan | 2016-09-05 00:00 | キリスト教 | Comments(6)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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