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カテゴリ:葬儀( 665 )

子どもは授かりもの

 
お葬式に「慣れる」という言葉は適切でないかもしれませんが・・・

様々なお葬式をお手伝いさせていただいてきたなかで
何度経験しても、決して「慣れない」お葬式というのがあります。
私の場合それは、若い方のお葬式であります。
もちろん、人の命がその長さによって区別されるものではありません。
それでも
長きに亘ってその人生を過ごされた方のお葬式と、前途ある若い方のお葬式とでは
やはりどうしても、私どもの気持ちの持っていき方も変わるというものです。


先日もまた
まだ成人式も迎えていらっしゃらない方のお葬式がありました。
ある重篤な病によって、その人生の大半を闘病生活に費やされたお嬢様のお葬式でした。
お葬式の打ち合わせの時点から
私自身、何ともやり切れない思いに駆られたものでした。
もちろんご依頼をいただいたわけですから、精一杯お手伝いするのですが
内心では(オレみたいな人間にこの方のお葬式を担当する資格があるのか)という、半ば自責の念のような思いがよぎるのであります。

そのお葬式では
亡くなられたお嬢様のお母様がご遺族の代表(=喪主)となられました。
ご依頼をいただいてからお葬式まで
終始、気丈にふるまっていらっしゃいました。

そして葬儀礼拝(その方はプロテスタント教会でお葬式をされました)の最後
参列された皆様へのご挨拶の言葉に、私は大いに心を打たれたのでした。

「(前略)
神様
私に〇〇(お嬢様のお名前)を授けて下さり、有難うございます。
〇〇が生まれてきてくれて、私はとっても幸せでした。
今日、あなたの元へ〇〇をお返しいたします。
神様、どうか〇〇のことをよろしくお願いいたします」


「子どもは授かりもの」とよく言います。
では、授けてくれたのは誰なのかと。
このお母様は
我が子を「神様から授かったもの」と捉え
そしてその魂が召されたことを以て
「(お嬢様の魂を)神様にお返しします」と宣言されたのです。
お嬢様を心から愛していらっしゃったからこその
お嬢様への無償の愛と、神様への深い信頼が込められた言葉だったのだと思います。

人の命とはそういうものなのだと
あらためて勉強させていただいたお葬式でありました。





by dscorp-japan | 2019-06-09 19:28 | 葬儀 | Comments(1)

感謝

 
かつてない大型連休を迎え
新しい元号となりました。

・・・そんななか、弊社もまた5月1日を以て17期目に入りました。
2003年の5月
半ば成り行きのように会社を設立したのが昨日のことのようです。
(半年持つかな)
(3年続けば御の字だろ)
(いざとなったら、また何か考えるさ)

まったく不安が無かったと言ったら嘘になります。
ナケナシの貯金をはたいて、借金もして
大した勝算も無いままにはじめた会社でしたが
お世話になった皆様のお蔭をもちまして、今日を迎えることができました。
ただただ「感謝」の一言に尽きます。

「人間の死にたかる、あくどい商売」
私自身、この業界に足を踏み入れる前は
葬儀屋さんに対してそんなイメージを持っておりました。
しかし日々、お葬式の現場に携わるなかで
「誰かがその役割を担うべき仕事」「必要とされる役割」
との認識を強めていきました。
一方で「人間の死」について日々考えるようになり
「死」というものを、この上なく尊いものとして捉えるようになりました。

葬儀屋さんをさせていただくなかで
多くのお世話になった恩人や友人の死を目の当たりにし
そのご葬儀のお手伝いをさせていただきました。
いっぱい、泣きました。
私なりにたくさん、お祈りもしました。
そうした経験を通して、本当に多くのことを学ばせていただいたと思います。
まだまだ葬儀屋さんとしては勉強不足でありますが
少なくとも人間として、大切な人を亡くした方の思いに寄り添う気持ちは深まったのではないかと思っております。

かく申します私も、今年で55歳です。
この先、あとどれくらいこのお仕事に携われるのか分かりません。
もしかすると明日
私自身が会社にお世話にならないとも限りません。

「目の前で横たわる故人様は、明日の自分である」

その思いだけは忘れず
これからも微力ながら、お葬式のお手伝いをさせていただく所存であります。






by dscorp-japan | 2019-05-04 17:02 | 葬儀 | Comments(4)

和を以て・・・

 
すでにご周知の通り
来月の5月1日からの元号が発表されました。
おそらくは日本中の多くのブロガーの皆様が、この新しい元号について語られるのでしょうね・・・

昭和生まれの私は、やっぱり『昭和』という元号が今なお親しみ深く
30余年も続いた『平成』に対しては、実はそれほど思い入れが無いのであります。
そして今回発表された『令和』についてですが
今現在の心境で申しますと、『平成』よりも好き、かもしれません。
多分、ですけど『和』の一文字が好きなのかもしれません。
『平成』は、読みとしても「へいせい」はともすると「へーせー」ともなりまして
やや締まりがない印象を感じてしまうんです。
対する『令和』の読みは「れいわ」。
日常では「れーわ」となるかもしれませんが
最後の「わ」で締まる感じがして、私としては好ましく思います。

『平成』にも『令和』にも
“ 平和 ” を連想させる一文字が入っておりますが
私は「平」よりも「和」という文字に、より強い平和への思いが込められるような気がします。

そんなことを考えつつ
ウチのようなちっぽけな会社でも、只今元号が変わることへの準備をしております。
PC内にある元号表記のある書式などに一通り目を通して
来月1日からの変更に対応すべく、ちまちまと作業をしている最中であります。

一方で
今日も、葬儀屋さんとしての日常が続いております。
お通夜の現場に出向いているスタッフもいれば
つい先ほどご依頼のあったお葬式の打ち合わせに出向いたスタッフもおります。
元号が変わっても
葬儀屋さんのやるべきことに変わりはないということであります。


・・・でも、やっぱり思いますよね。
新しい元号が
私たち皆の生活を、良き方向へ導いてくれればと。
そして私たち自身
この新しい元号に、慶びと誇りを持って生活していければと。


新しい元号に抱いた、私の印象は
「和を以て尊しとなす」です。
出自は違えど
やっぱり「和」ですよ。





by dscorp-japan | 2019-04-01 16:18 | 葬儀 | Comments(4)

これもまたグリーフワーク

 
もう半ば確信犯的にブログをサボっております。
言い訳はいたしません。
ただただサボっているだけなのであります m(_ _)m


さて。
只今、春のお彼岸であります。
私はカトリック信者ですが
ここでも再三申し上げておりますように『お彼岸』と『お墓参り』は、とても大切なことだと考えております。
お彼岸も、お盆も
今はこの世を去った私たちの大切な人のことを思い返すための “ きっかけ ” として、大きな意味があると思っているからです。
仏教だろうとキリスト教だろうと
「思い出す」「思い返す」ことこそが重要なのだと考えるわけです。

            ♢

かく申します私も
昨秋に母方の伯父を亡くしまして、ただいま伯父の納骨手続きを進めているところであります。
伯父には三人の娘(つまり私の従姉妹)がいるのですが
・・・まぁこういうときって、私が葬儀屋さんであるということもあって
いろいろとお手伝いしてるわけであります。
とはいえ
納骨にあたって必要な手続きは従姉妹たちが進めていて
納骨先である、カトリック南山教会の納骨堂とのやり取りを私が受け持っている感じです。

・・・私は
納骨に至るまでのひとつひとつのプロセスを、自分たちでやることもまた
「弔い」「葬り」の大切な要素だと思うんです。
亡くなった大切な人のために時間を割き、実際に動く過程の中で
私たちはあらためて、心の中で亡くなった方と対話するのだと思うわけなんですね。
つまり
これもまたグリーフワークの一環である、と。


私が幼少の頃
亡くなった伯父は、会うたびにお小遣いとして100円をくれました。
(その100円は毎回母に預けたのですが、全部使われちゃいましたけど)
その100円は小さなものかもしれないけど
私にとっては、忘れてはならない「御恩」なのであります。
仏教徒として、今は浄土へと旅立った伯父に
これは恩返しにもなりませんが、私として出来ることをしてあげたいという思いで動いている現在であります。







by dscorp-japan | 2019-03-21 16:47 | 葬儀 | Comments(4)

訃報

 
本日 1月14日午前
カトリック名古屋教区司祭:アントニオ 谷上 勝神父様が帰天されました。
通夜ならびに葬儀ミサ・告別式は下記の通り執り行われます。



       通夜・・・・・・・・・1月16日 午後7時~
       葬儀ミサ・告別式・・・1月17日 正午~午後2時
       葬儀式場・・・・・・・カトリック布池教会 大聖堂
                  (名古屋市東区葵1-12-23)

       ※ 香典・供花・供物等は固くご辞退申し上げます
         教会には駐車場がわずかしかありません
         ご参列は公共交通機関にてお越しください

谷上神父様の葬儀に関するお問い合わせは
カトリック名古屋教区・本部事務局(052-935-2223)までお問い合わせください


どうぞ皆様
アントニオ 谷上神父様の為にお祈りください。






by dscorp-japan | 2019-01-14 22:07 | 葬儀 | Comments(0)

それも神様がされたこと

 
昨年12月の中旬以降
ほぼお休みが取れない状態でございます。
私個人としましても
昨年のクリスマス明けから今日に至るまで、大晦日も元日もお仕事です。
お休み、一日たりとも取れておりません・・・^^;


「大晦日や元日ってお葬式があるの?」

もちろんそれぞれの地方にもよりますが
少なくとも大晦日のお葬式は、普通にありますよね。
さすがに元日のお葬式は(一般的に)無いのですが、元日のお通夜はあるんです。

お盆だろうとお正月だろうと
復活祭だろうとクリスマスだろうと
人は亡くなるものなのであります。

お亡くなりになられたタイミングで
ご遺族の皆様と私たちは、臨機応変にお葬式の日程を決める他ないのであります。


・・・これは年末年始の “ お葬式あるある ” なのですが
大切な方を亡くされたご遺族の皆様は、この時期にお葬式をせざるを得ないことに恐縮されるんです。

「こんな時期のお葬式でご迷惑をおかけしてしまって・・・」

私たち葬儀屋さんはいいんです。
年末年始のお葬式となると
ご親戚の方々や関わりのあった方々に対する訃報連絡に躊躇されるんですね・・・

そのお気持ち、本当によく分かります。
私がご遺族様の立場でも、やはり同じように恐縮すると思います。
でも
それでも敢えて申しますならば
「恐縮する必要はないのだ」ということです。

私たちの一生の長さを決めるのが神様であるなら
その人の魂を天国に引き上げられる時を決めるのが神様であるのなら
私たちはその「時」が訪れたことを、神様の意思として受け止める他ないのであります。

誰のせいでもないのです。
神様がなさったことなのですから。

私たちは、いついかなる時に大切な方が召されたとしても
それが神様の御意志なのだということを、ただ謙虚に受け止めて
その時に私たちが出来る限りのことを粛々と進めるのみなのであります。


・・・ただ
それでも敢えて一つだけ言わせて下さい。

「休み、くれ」





by dscorp-japan | 2019-01-07 17:00 | 葬儀 | Comments(4)

お葬式の原風景

 
12月ですね。
教会の暦は『アドベント(待降節・降臨節・待誕節)』に入りました・・・

            ♢

・・・さて。
先ほどテレビのニュースで
女優・赤木春恵さんの通夜の模様が取り上げられていました。
( ネットニュースはコチラ

(私は初老のオッサンですのでこういう言い方になりますが)
「昔は」芸能人などの有名人のお葬式って
「何百名もの参列者が一斉に参列して焼香をする」という風景が当たり前でした。
報道関係者による
(やはり著名な)参列者から、故人を偲ぶコメントをインタビューするというのもまた、お葬式報道のデフォルトだったように思います。
それが昨今では
著名人たちのお葬式の多くが「葬儀は近親者で済ませて、後日お別れ会を」という形式を選択されるようになりました。
お葬式のかたちが変わってきたということなのでしょう。

今回の赤木春恵さんのお通夜の模様は
以前、私たちがよく目にしたお通夜の風景そのものでした。
様々な花で彩られた祭壇の中心には、戒名の記された位牌が置かれ
経机(司式する住職が読経する為の机)の向こうには柩が安置された
私などからすると「これぞ仏式葬儀」というものでした。
参列された何名かの著名人たちが赤木さんの柩を覗きこみ
「フェイス・トゥ・フェイス」でお別れをされていらっしゃる場面もありました。

・・・今のお葬式の潮流がダメだというつもりは一切ございません。
お別れのかたちはそれぞれであって良いし
特にそれが、生前のご本人のご意向であったのなら遵守されて然るべきかと思います。
ただそれでも、今回の赤木さんのお通夜の風景をみて
私は、お葬式の原風景を見たような気がいたしました。
ご本人の亡き骸が納められた柩を前に
故人の死を悼み、偲び、祈る。
(お葬式って、こうだよなぁ)と、しみじみと思ったのでした。

参列者の皆さんの、故人を想ってのコメントひとつひとつが
私には、赤木さんやそのご遺族への、この上ない慰めと感謝の言葉と感じました。
もちろん “ 今風の ” 近親者のみで葬儀を済ませるやり方であっても
故人との交わりのあった方々の想いに変わりなないでしょう。
でも、赤木さんのお通夜を見ていて
コメントを求められた参列者の皆さんの言葉は「赤木さんの柩を前にしたお通夜だからこそ」「赤木さんのそばに駆けつけたからこそ」その想いが一層リアルな言葉となったような気がするのです。

「死んでしまったら、その肉体は魂の抜け殻でしかない」

それはそうかもしれません。
でも、亡くなられた人と関わりのあった人たちにとって
死者の亡き骸は、単なる「抜け殻」ではないのではないでしょうか。
柩のなかに眠るその面影を見て
人は自然に感謝の言葉を口にし、自然に涙が流れるものなのではないでしょうか。
それは理屈などではなく
人の「想い」そのものなのではないでしょうか。

・・・私の勝手な思い入れでしかないのかもしれませんが
きっと赤木さんは、このお通夜を心から喜んでいらっしゃるような気がするのです・・・






by dscorp-japan | 2018-12-04 00:24 | 葬儀 | Comments(2)

トレンド

 
お葬式に「トレンド」という単語が相応しいのかどうか分かりませんが・・・


日々、お葬式に携わっている立場から申しますと
お葬式にもトレンド(≒傾向)というのがあって、やはり以前以上に「家族葬」をはじめとしたお葬式の小規模化という流れが加速傾向にあるようです。
今や「家族葬」は「小規模なお葬式全般」を指すものとなってきております。
私どもがお葬式の打ち合わせに入ると
ご依頼者からまず最初にお話しいただくのが「ウチは家族葬でお願いします」という一言だったりします。
「亡くなった本人が高齢で、参列者も少ないから」
「お葬式に過度な費用をかけたくないから」
つまり
「超高齢化社会」と「お葬式に対する価値観の変化」がその要因となっているのでしょう。

「参列者が少ないから、こじんまりとしたお葬式で」という案件が増えることは
私自身、会社を立ち上げた当初から想定していたことでありました。
しかし
よもやここまでお葬式に対する価値観が変わるとは、正直思っていませんでした。
表題にある単語を用いるなら
私は「トレンドを見誤った」ということになるのでしょうね (^^ゞ

私が古い人間だからなのでしょうか。
それとも私が殊更に、お葬式に強いこだわりを持っているからなのでしょうか。
いずれにせよ
お葬式はこれからも更に、簡略化の傾向を辿っていくのかもしれません。

2010年に発刊された
島田裕巳氏による『葬式は、いらない』(幻冬舎新書)について
多くの葬祭関係者は「NO!」と声をあげました。
私自身も、あの本に書かれていることには否定的です。
しかし、ネットの書評やレビューを見る限り
概ね「是」という評価をもって受け入れられているようです。
・・・つまり
葬儀屋さんと顧客との意識に大きな解離があるということなのかもしれません・・・


それでも、敢えて私は申し上げます。
お葬式の「小規模化」は致し方ありません。
でも
殊更にお葬式を「簡略化」するのは違うと思うのです。
もちろん、人それぞれ価値観は異なります。
実際に簡略化したお葬式を経験したうえで
尚「お葬式は簡略化すればよし」と思われるのなら、それはそれでいい。
でも、やったことのないお葬式に対して
「今はみんなそうしているから」という考えだけで「トレンド」に乗ってしまうことに、私は異を唱えたいと思うところなのです。

ご本人が亡くなられてからお葬式を終えるまで
平均的には3~5日間の時間がかかるでしょう。
この限られた短い時間
可能な限り、亡くなられた方の為に時間と、肉体的・精神的労力を割くことになります。
「この限られた時間をどのように過ごすのか」
つまり
「亡くなってしまった大切な存在と、限られた時間のなかでどのように向き合うのか」
それこそがお葬式の本質なのだと思うのです。

たとえ大切な人を亡くしても
ご本人の遺体から離れれば、頭と意識は他事に向いたりします。
お葬式を簡略化すれば、家族それぞれの「自由な」時間が増えます。
でも
大切な人の存在を強く意識させてくれる遺体は、程なく荼毘に伏されるのです。
私たちは大切な存在だった「遺体」を前にすることで
その人と向き合い、寄り添うことができるのです。
お葬式とは、そういう特別な時間だと思うのです。
たとえば一般的な仏式葬儀で申しますなら
・亡くなられた直後に挙げられる「枕経」に立ち会う
・湯灌に立ち会い、本人の旅立ちの準備をする
・納棺に立ち会い、自らの手で棺に納める
・通夜の際、故人と関わりのあった方々に感謝の言葉を伝える
・葬儀の際、柩の中に眠る故人と最後のお別れをする
これらのプロセスひとつひとつが
故人と向き合うための数少ない機会なのです。

合理主義的に解釈すれば
それらは「無くてもいいプロセス」ということにはなるでしょう。
でも、私は
そこに必ず意味はあると申し上げたいのです。
過分な費用をかける必要はありません。
ただ
あなたの人生のほんの数日間を、亡くなられた方と向き合うために割いてさしあげてもいいのではないでしょうかと思うのです。




by dscorp-japan | 2018-11-17 17:48 | 葬儀 | Comments(2)

今年も『死者の月』

 
大騒ぎしたハロウィンが終わったと思ったら
「次はクリスマスじゃ!」とばかりに、街は一斉にクリスマスモード・・・
まぁそれはそれで良いんですけどね~

でも、キリスト教葬儀屋さんとしては
やはり『死者の日』『死者の月』を忘れちゃいかんのであります。

( → 過去記事

過日、11月4日の日曜日
多くの教会では、これまでに亡くなられた方々を思い起こし
それらの方々の魂の安息を願って「昇天者記念礼拝」や「合同追悼ミサ」が行われたはずです。

「はず」と申しましたのは
私はその日お葬式の担当があったので、そちらに専念していたわけです。
それでもその日、葬儀式場となった教会でも
午前中の主日のミサは「合同追悼ミサ」として挙げられ、午後にはスペイン語圏(ペルーやボリビアなど)の信徒の皆様による、やはり「合同追悼ミサ」が行われておりました。

「死者の日」や「死者の月」って
キリスト教の各教派を超えて、もはや文化として根付いているものなんですね。
その起源がなんであれ、今では
「今はこの世を去ったそれぞれの大切な人を思い起こし、それらの方々の魂の安息を祈るとき」
として、その「きっかけ」を私たちに示してくれているものと解釈しています。

だから
その大切な人がクリスチャンか否かなんて関係ないんですよ。

私の場合ですと
父方の爺ちゃんや婆ちゃん、叔父さんや伯母さん(この人はシスター)
母方の爺ちゃんや婆ちゃん
そして9月に亡くなった伯父ちゃん。
母方は全員曹洞宗の人間ですが、そんなの関係ないのであります。
皆さん全員、私が幼少の頃にとても可愛がってくれた人たちです。
普段の生活では忘れかけている(或いは完全に忘れ去ってしまっている)人たちのことを
この時期くらいは思い起こして
(ゴメンね、ずっと忘れてて)と、普段の薄情さを詫びつつ祈ればいいのだと。

・・・どうでしょう。
ハロウィンやクリスマスも良いけど
多忙な毎日の、ほんの少しだけ時間を割いて
天国にいる大切な人たちのことを思い出してみてはいかがでしょうか。






by dscorp-japan | 2018-11-07 18:29 | 葬儀 | Comments(2)

伯父のお葬式

 
またまた久々の記事更新で恐縮です m(_ _)m


先日の記事で書きました「結構へヴィな時間」というのが・・・
私事で恐縮ですが、先日私の母方の伯父が急逝しましてね。
すでに年齢は87歳だったのですが、普通に生活していたんです。
それが突然救急搬送されまして
搬送の翌々日には亡くなったということがあったんです。

搬送された病院ではすでに手の施しようがないという診断で
結局、強い鎮痛剤を投与して “ そのとき ” を待つという状態だったわけです。

となると伯父の家族としては
“ そのあと ” つまり「お葬式」のことを考えざるを得ない状況となり
不肖、葬儀屋さんである私が
アドバイザー的に駆り出されたわけです。

母方の家族は代々、曹洞宗の家系です。
したがって伯父もまた曹洞宗でありまして
母方の実家には菩提寺もあります。
故に仏教葬儀となります。
ウチの会社でもごく稀に仏教葬儀をお受けすることはあるのですが
伯父の家族(従姉妹たち)の意向で、いわゆる葬儀会館でのお葬式をすることとなりました。
したがって、弊社と業務提携している『葬儀会館ティア』に依頼することにしたわけです。

実はティアさんの社長である冨安社長は
私が以前在籍していた葬儀社時代の先輩です。
ティアさんには
冨安社長以外にも、何名かの先輩や仲間たちが在籍していらっしゃるんです。
そんなわけで
私としても、何かとお願いしやすいというわけなのです (^^ゞ


伯父が亡くなってから
私は基本的にあまり余分な口出しをしないように気をつけながら、後方からティアの係員さんの説明を聞くかたちで同行しておりました。
伯父のお葬式は、完全な家族葬(身内以外は一切招かない)だったので
私も、ティアさんには過分な気遣いをさせてしまわないように静かにしていたんですが・・・

・・・なァんか
昔の仲間たちが一人また一人と、弔問に来られるわけですよ。
伯父なんですから、そんな気遣いは無用なのに。
とはいえ
あちらから来て下されば、こちらとしてもお世話になっている御礼も言いやすかったわけで有難かったのですが。

いろいろと便宜をはかっていただいた御礼を申し上げて
ひとしきり伯父の話をした後はというと
どうしても同窓会的な話題にもなってしまうわけです (^^ゞ

「○○さんは元気?」
「△△さんは今何をしてるの?」
そんな、昔の仲間たちの近況の情報交換をしたあとは
今日の葬祭業界のお話にも及びます。

・・・思いのほかお話に花が咲いちゃったわけですが ^^;
昔の仲間たちが元気でいること、それぞれがそれぞれの場所で精進していることに
私は大いに勇気づけられたものでした。


そんなこんなで
おかげ様を持ちまして、伯父のお葬式は無事に終わりました。
伯父の家族たちもたいそう感謝しておりました。

今回の伯父の葬儀に際しては
いろいろと便宜をはかって下さったO専務やI課長をはじめ
『ティア御器所』のスタッフの皆様に、心から御礼申し上げます。








by dscorp-japan | 2018-10-13 22:51 | 葬儀 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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