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カテゴリ:葬儀( 661 )

訃報

 
本日 1月14日午前
カトリック名古屋教区司祭:アントニオ 谷上 勝神父様が帰天されました。
通夜ならびに葬儀ミサ・告別式は下記の通り執り行われます。



       通夜・・・・・・・・・1月16日 午後7時~
       葬儀ミサ・告別式・・・1月17日 正午~午後2時
       葬儀式場・・・・・・・カトリック布池教会 大聖堂
                  (名古屋市東区葵1-12-23)

       ※ 香典・供花・供物等は固くご辞退申し上げます
         教会には駐車場がわずかしかありません
         ご参列は公共交通機関にてお越しください

谷上神父様の葬儀に関するお問い合わせは
カトリック名古屋教区・本部事務局(052-935-2223)までお問い合わせください


どうぞ皆様
アントニオ 谷上神父様の為にお祈りください。






by dscorp-japan | 2019-01-14 22:07 | 葬儀 | Comments(0)

それも神様がされたこと

 
昨年12月の中旬以降
ほぼお休みが取れない状態でございます。
私個人としましても
昨年のクリスマス明けから今日に至るまで、大晦日も元日もお仕事です。
お休み、一日たりとも取れておりません・・・^^;


「大晦日や元日ってお葬式があるの?」

もちろんそれぞれの地方にもよりますが
少なくとも大晦日のお葬式は、普通にありますよね。
さすがに元日のお葬式は(一般的に)無いのですが、元日のお通夜はあるんです。

お盆だろうとお正月だろうと
復活祭だろうとクリスマスだろうと
人は亡くなるものなのであります。

お亡くなりになられたタイミングで
ご遺族の皆様と私たちは、臨機応変にお葬式の日程を決める他ないのであります。


・・・これは年末年始の “ お葬式あるある ” なのですが
大切な方を亡くされたご遺族の皆様は、この時期にお葬式をせざるを得ないことに恐縮されるんです。

「こんな時期のお葬式でご迷惑をおかけしてしまって・・・」

私たち葬儀屋さんはいいんです。
年末年始のお葬式となると
ご親戚の方々や関わりのあった方々に対する訃報連絡に躊躇されるんですね・・・

そのお気持ち、本当によく分かります。
私がご遺族様の立場でも、やはり同じように恐縮すると思います。
でも
それでも敢えて申しますならば
「恐縮する必要はないのだ」ということです。

私たちの一生の長さを決めるのが神様であるなら
その人の魂を天国に引き上げられる時を決めるのが神様であるのなら
私たちはその「時」が訪れたことを、神様の意思として受け止める他ないのであります。

誰のせいでもないのです。
神様がなさったことなのですから。

私たちは、いついかなる時に大切な方が召されたとしても
それが神様の御意志なのだということを、ただ謙虚に受け止めて
その時に私たちが出来る限りのことを粛々と進めるのみなのであります。


・・・ただ
それでも敢えて一つだけ言わせて下さい。

「休み、くれ」





by dscorp-japan | 2019-01-07 17:00 | 葬儀 | Comments(4)

お葬式の原風景

 
12月ですね。
教会の暦は『アドベント(待降節・降臨節・待誕節)』に入りました・・・

            ♢

・・・さて。
先ほどテレビのニュースで
女優・赤木春恵さんの通夜の模様が取り上げられていました。
( ネットニュースはコチラ

(私は初老のオッサンですのでこういう言い方になりますが)
「昔は」芸能人などの有名人のお葬式って
「何百名もの参列者が一斉に参列して焼香をする」という風景が当たり前でした。
報道関係者による
(やはり著名な)参列者から、故人を偲ぶコメントをインタビューするというのもまた、お葬式報道のデフォルトだったように思います。
それが昨今では
著名人たちのお葬式の多くが「葬儀は近親者で済ませて、後日お別れ会を」という形式を選択されるようになりました。
お葬式のかたちが変わってきたということなのでしょう。

今回の赤木春恵さんのお通夜の模様は
以前、私たちがよく目にしたお通夜の風景そのものでした。
様々な花で彩られた祭壇の中心には、戒名の記された位牌が置かれ
経机(司式する住職が読経する為の机)の向こうには柩が安置された
私などからすると「これぞ仏式葬儀」というものでした。
参列された何名かの著名人たちが赤木さんの柩を覗きこみ
「フェイス・トゥ・フェイス」でお別れをされていらっしゃる場面もありました。

・・・今のお葬式の潮流がダメだというつもりは一切ございません。
お別れのかたちはそれぞれであって良いし
特にそれが、生前のご本人のご意向であったのなら遵守されて然るべきかと思います。
ただそれでも、今回の赤木さんのお通夜の風景をみて
私は、お葬式の原風景を見たような気がいたしました。
ご本人の亡き骸が納められた柩を前に
故人の死を悼み、偲び、祈る。
(お葬式って、こうだよなぁ)と、しみじみと思ったのでした。

参列者の皆さんの、故人を想ってのコメントひとつひとつが
私には、赤木さんやそのご遺族への、この上ない慰めと感謝の言葉と感じました。
もちろん “ 今風の ” 近親者のみで葬儀を済ませるやり方であっても
故人との交わりのあった方々の想いに変わりなないでしょう。
でも、赤木さんのお通夜を見ていて
コメントを求められた参列者の皆さんの言葉は「赤木さんの柩を前にしたお通夜だからこそ」「赤木さんのそばに駆けつけたからこそ」その想いが一層リアルな言葉となったような気がするのです。

「死んでしまったら、その肉体は魂の抜け殻でしかない」

それはそうかもしれません。
でも、亡くなられた人と関わりのあった人たちにとって
死者の亡き骸は、単なる「抜け殻」ではないのではないでしょうか。
柩のなかに眠るその面影を見て
人は自然に感謝の言葉を口にし、自然に涙が流れるものなのではないでしょうか。
それは理屈などではなく
人の「想い」そのものなのではないでしょうか。

・・・私の勝手な思い入れでしかないのかもしれませんが
きっと赤木さんは、このお通夜を心から喜んでいらっしゃるような気がするのです・・・






by dscorp-japan | 2018-12-04 00:24 | 葬儀 | Comments(2)

トレンド

 
お葬式に「トレンド」という単語が相応しいのかどうか分かりませんが・・・


日々、お葬式に携わっている立場から申しますと
お葬式にもトレンド(≒傾向)というのがあって、やはり以前以上に「家族葬」をはじめとしたお葬式の小規模化という流れが加速傾向にあるようです。
今や「家族葬」は「小規模なお葬式全般」を指すものとなってきております。
私どもがお葬式の打ち合わせに入ると
ご依頼者からまず最初にお話しいただくのが「ウチは家族葬でお願いします」という一言だったりします。
「亡くなった本人が高齢で、参列者も少ないから」
「お葬式に過度な費用をかけたくないから」
つまり
「超高齢化社会」と「お葬式に対する価値観の変化」がその要因となっているのでしょう。

「参列者が少ないから、こじんまりとしたお葬式で」という案件が増えることは
私自身、会社を立ち上げた当初から想定していたことでありました。
しかし
よもやここまでお葬式に対する価値観が変わるとは、正直思っていませんでした。
表題にある単語を用いるなら
私は「トレンドを見誤った」ということになるのでしょうね (^^ゞ

私が古い人間だからなのでしょうか。
それとも私が殊更に、お葬式に強いこだわりを持っているからなのでしょうか。
いずれにせよ
お葬式はこれからも更に、簡略化の傾向を辿っていくのかもしれません。

2010年に発刊された
島田裕巳氏による『葬式は、いらない』(幻冬舎新書)について
多くの葬祭関係者は「NO!」と声をあげました。
私自身も、あの本に書かれていることには否定的です。
しかし、ネットの書評やレビューを見る限り
概ね「是」という評価をもって受け入れられているようです。
・・・つまり
葬儀屋さんと顧客との意識に大きな解離があるということなのかもしれません・・・


それでも、敢えて私は申し上げます。
お葬式の「小規模化」は致し方ありません。
でも
殊更にお葬式を「簡略化」するのは違うと思うのです。
もちろん、人それぞれ価値観は異なります。
実際に簡略化したお葬式を経験したうえで
尚「お葬式は簡略化すればよし」と思われるのなら、それはそれでいい。
でも、やったことのないお葬式に対して
「今はみんなそうしているから」という考えだけで「トレンド」に乗ってしまうことに、私は異を唱えたいと思うところなのです。

ご本人が亡くなられてからお葬式を終えるまで
平均的には3~5日間の時間がかかるでしょう。
この限られた短い時間
可能な限り、亡くなられた方の為に時間と、肉体的・精神的労力を割くことになります。
「この限られた時間をどのように過ごすのか」
つまり
「亡くなってしまった大切な存在と、限られた時間のなかでどのように向き合うのか」
それこそがお葬式の本質なのだと思うのです。

たとえ大切な人を亡くしても
ご本人の遺体から離れれば、頭と意識は他事に向いたりします。
お葬式を簡略化すれば、家族それぞれの「自由な」時間が増えます。
でも
大切な人の存在を強く意識させてくれる遺体は、程なく荼毘に伏されるのです。
私たちは大切な存在だった「遺体」を前にすることで
その人と向き合い、寄り添うことができるのです。
お葬式とは、そういう特別な時間だと思うのです。
たとえば一般的な仏式葬儀で申しますなら
・亡くなられた直後に挙げられる「枕経」に立ち会う
・湯灌に立ち会い、本人の旅立ちの準備をする
・納棺に立ち会い、自らの手で棺に納める
・通夜の際、故人と関わりのあった方々に感謝の言葉を伝える
・葬儀の際、柩の中に眠る故人と最後のお別れをする
これらのプロセスひとつひとつが
故人と向き合うための数少ない機会なのです。

合理主義的に解釈すれば
それらは「無くてもいいプロセス」ということにはなるでしょう。
でも、私は
そこに必ず意味はあると申し上げたいのです。
過分な費用をかける必要はありません。
ただ
あなたの人生のほんの数日間を、亡くなられた方と向き合うために割いてさしあげてもいいのではないでしょうかと思うのです。




by dscorp-japan | 2018-11-17 17:48 | 葬儀 | Comments(2)

今年も『死者の月』

 
大騒ぎしたハロウィンが終わったと思ったら
「次はクリスマスじゃ!」とばかりに、街は一斉にクリスマスモード・・・
まぁそれはそれで良いんですけどね~

でも、キリスト教葬儀屋さんとしては
やはり『死者の日』『死者の月』を忘れちゃいかんのであります。

( → 過去記事

過日、11月4日の日曜日
多くの教会では、これまでに亡くなられた方々を思い起こし
それらの方々の魂の安息を願って「昇天者記念礼拝」や「合同追悼ミサ」が行われたはずです。

「はず」と申しましたのは
私はその日お葬式の担当があったので、そちらに専念していたわけです。
それでもその日、葬儀式場となった教会でも
午前中の主日のミサは「合同追悼ミサ」として挙げられ、午後にはスペイン語圏(ペルーやボリビアなど)の信徒の皆様による、やはり「合同追悼ミサ」が行われておりました。

「死者の日」や「死者の月」って
キリスト教の各教派を超えて、もはや文化として根付いているものなんですね。
その起源がなんであれ、今では
「今はこの世を去ったそれぞれの大切な人を思い起こし、それらの方々の魂の安息を祈るとき」
として、その「きっかけ」を私たちに示してくれているものと解釈しています。

だから
その大切な人がクリスチャンか否かなんて関係ないんですよ。

私の場合ですと
父方の爺ちゃんや婆ちゃん、叔父さんや伯母さん(この人はシスター)
母方の爺ちゃんや婆ちゃん
そして9月に亡くなった伯父ちゃん。
母方は全員曹洞宗の人間ですが、そんなの関係ないのであります。
皆さん全員、私が幼少の頃にとても可愛がってくれた人たちです。
普段の生活では忘れかけている(或いは完全に忘れ去ってしまっている)人たちのことを
この時期くらいは思い起こして
(ゴメンね、ずっと忘れてて)と、普段の薄情さを詫びつつ祈ればいいのだと。

・・・どうでしょう。
ハロウィンやクリスマスも良いけど
多忙な毎日の、ほんの少しだけ時間を割いて
天国にいる大切な人たちのことを思い出してみてはいかがでしょうか。






by dscorp-japan | 2018-11-07 18:29 | 葬儀 | Comments(2)

伯父のお葬式

 
またまた久々の記事更新で恐縮です m(_ _)m


先日の記事で書きました「結構へヴィな時間」というのが・・・
私事で恐縮ですが、先日私の母方の伯父が急逝しましてね。
すでに年齢は87歳だったのですが、普通に生活していたんです。
それが突然救急搬送されまして
搬送の翌々日には亡くなったということがあったんです。

搬送された病院ではすでに手の施しようがないという診断で
結局、強い鎮痛剤を投与して “ そのとき ” を待つという状態だったわけです。

となると伯父の家族としては
“ そのあと ” つまり「お葬式」のことを考えざるを得ない状況となり
不肖、葬儀屋さんである私が
アドバイザー的に駆り出されたわけです。

母方の家族は代々、曹洞宗の家系です。
したがって伯父もまた曹洞宗でありまして
母方の実家には菩提寺もあります。
故に仏教葬儀となります。
ウチの会社でもごく稀に仏教葬儀をお受けすることはあるのですが
伯父の家族(従姉妹たち)の意向で、いわゆる葬儀会館でのお葬式をすることとなりました。
したがって、弊社と業務提携している『葬儀会館ティア』に依頼することにしたわけです。

実はティアさんの社長である冨安社長は
私が以前在籍していた葬儀社時代の先輩です。
ティアさんには
冨安社長以外にも、何名かの先輩や仲間たちが在籍していらっしゃるんです。
そんなわけで
私としても、何かとお願いしやすいというわけなのです (^^ゞ


伯父が亡くなってから
私は基本的にあまり余分な口出しをしないように気をつけながら、後方からティアの係員さんの説明を聞くかたちで同行しておりました。
伯父のお葬式は、完全な家族葬(身内以外は一切招かない)だったので
私も、ティアさんには過分な気遣いをさせてしまわないように静かにしていたんですが・・・

・・・なァんか
昔の仲間たちが一人また一人と、弔問に来られるわけですよ。
伯父なんですから、そんな気遣いは無用なのに。
とはいえ
あちらから来て下されば、こちらとしてもお世話になっている御礼も言いやすかったわけで有難かったのですが。

いろいろと便宜をはかっていただいた御礼を申し上げて
ひとしきり伯父の話をした後はというと
どうしても同窓会的な話題にもなってしまうわけです (^^ゞ

「○○さんは元気?」
「△△さんは今何をしてるの?」
そんな、昔の仲間たちの近況の情報交換をしたあとは
今日の葬祭業界のお話にも及びます。

・・・思いのほかお話に花が咲いちゃったわけですが ^^;
昔の仲間たちが元気でいること、それぞれがそれぞれの場所で精進していることに
私は大いに勇気づけられたものでした。


そんなこんなで
おかげ様を持ちまして、伯父のお葬式は無事に終わりました。
伯父の家族たちもたいそう感謝しておりました。

今回の伯父の葬儀に際しては
いろいろと便宜をはかって下さったO専務やI課長をはじめ
『ティア御器所』のスタッフの皆様に、心から御礼申し上げます。








by dscorp-japan | 2018-10-13 22:51 | 葬儀 | Comments(4)

人の振り見て・・・

 
ようやく本業のお葬式が一段落して
今日はお休みを決め込んでノンビリしております・・・(^^ゞ


・・・実は先日
ちょっと、いや相当に衝撃的な光景を目にしてしまったんです。
衝撃的というのはつまり
他社の施行しているお葬式の様子を目の当たりにしたということなんです。
その日私たちは午前中のお葬式を終えて
スタッフみんなで「メシ食うべ!」ということで、行きつけのお店に出向いたら
その向かい側の集合住宅で、お葬式(というか出棺)の場面に出くわしたんです。

そのお葬式の当事者であるご遺族様や故人様のため
その詳細は申しあげられないのですが
そこの葬儀屋さん
少なくとも、私が担当者なら「絶対に」やらないようなことをやっていたんです。
死者の尊厳を守っているとは到底思えない、私からすれば蛮行。
私を含めた3人のスタッフが一台の車に乗り合せて店の駐車場に入って
その光景を目にした途端「おい!何じゃありゃ!?」
と、しばし私たち全員が絶句したほどの行為です。
(具体的なことがお伝えできず申し訳ないのですが・・・)

とにかくヒドイ!
これだけ葬儀屋さん業界が注目される昨今に
あの行為を平気でやってのけられる、その担当者の気が知れない。
その集合住宅前の道
大通りではないのですが、そこそこ交通量もあるし歩行者も行き交うところです。
それらの方々はまず間違いなく「あの光景」に目を留められたはずです・・・

事の成り行きが一段落するまでを車内からこっそり見守り
私たちは店に入ってからも、ひとしきりさっき見た光景について話しました。
「あれは絶対ないな」
「さすがにありゃ亡くなった人が可哀想だわ」
「○○さん(=私たち共通の業界の先輩)があれを見たら
間違いなく『みぞおちパンチ』か『尻キック』だな」

そして
あの葬儀屋さんに欠けているものって何だろうかという話になって
やはり
「故人や遺族の立場に立っていない」
「心が無いからあのような行為ができる」
という結論に達したわけです・・・

            ♢

結局のところ
葬儀屋さんに最も必要不可欠なスキルって「心」なんですよね。
もちろん専門的な知識や経験値も必要でしょう。
でも、どれだけ知識と経験値があろうと
心が伴わないのなら、その葬儀屋さんは完全に「失格」なのです、絶対に。

「思い遣りや気遣いは全く無いが、ベテランの葬儀屋さん」
「まだまだ勉強不足だけれど、常に遺族の思いに寄り添おうとする葬儀屋さん」。
少なくとも私なら間違いなく、後者を選ぶでしょう。


・・・と
エラそうに他の葬儀屋さんを非難しておりますが
あの日は私たちも、本当に良い勉強をさせてもらいました。

「あんな葬儀屋にはなるまい」
それはつまり
『人のふり見て我が振り直せ』ということに他ならないのでありましょう。






by dscorp-japan | 2018-08-28 23:05 | 葬儀 | Comments(4)

副葬品は誰の為

 
様々な考え方の方がいらっしゃいます。
私自身はカトリック信者ですが
ユダヤ教の方もイスラム教の方も
仏教の方も神道の方も
いわゆる新興宗教とされる宗教を信じる方の信仰も尊重しております。
そして
無宗教の方のことも、無神論者の方の考えも否定いたしません。
人の思いは自由なのですから。

            ♢

これを前提として
今回は「副葬品」のお話。

副葬品とは
簡単に申しますなら「柩のなかに一緒に入れてあげる物」のことを指します。
たとえば
昔の日本の風習のひとつに『冥銭(めいせん)』というのがあります。
一般にいわれるところの『六文銭(ろくもんせん)』というやつです。
よく
「三途の川の渡し賃」などと言われ、柩の中にお金を入れるという風習がありました。
ただ現在では
意図的に金銭を破損することは懲罰の対象になるとされるため『六文銭』を紙に印刷したもので代用するのが一般的です(キリスト教では入れません)。
今日では、故人様に縁のある品々
たとえば好きだった衣服、嗜好品(タバコやお菓子)
ご家族からご本人に宛てたお手紙などを入れられる方が多いのではないでしょうか。

しかしながら
こうした副葬品を柩の中に納めることが、無神論者の方々にとっては無意味な行為として映ることがあるようです。
もちろんそのようにお感じになられる方には
副葬品を入れて差し上げることを強要するものではありません。
実際、故人様のご遺体以外は何も納められない方もいらっしゃいます。
それはそれでいいのです。
故人様をお送りする皆様ご自身のお考えなのですから。


・・・ただ、私たち葬儀屋さんは心の中で思うのです。
(亡くなった人 “ だけ ” の為に納めるわけじゃないんだけどな)

故人様と一緒に副葬品を入れてあげる行為って
大切な方を悼むという「思い」をかたちにした行為でもあると思うんです。
つまりこれ
遺された方々のための「グリーフワーク」のひとつだと思うんですね。

神や仏が居ようと居まいと
「人間、死んだら『無』だ」と考えようと
私たちは亡くなった方のご遺体の前では、厳粛な思いにかられるものです。
亡くなられた方への尊厳の思い、愛情や感謝の思いを
私たちは何らかのかたちで表現することで、慰められることもあるということです。


・・・死者の為であると同時に
死者を弔う私たち自身の為の行為が「お葬式」なのだということなんです。
お葬式って、理屈だけじゃない。
一見、無意味な行為に思えることでも
それを実際に行ってみることで感じることがあったりするものなんですね。






by dscorp-japan | 2018-08-25 17:37 | 葬儀 | Comments(4)

今年も供給不足が・・・

 
今年もニュースが出てしまいました・・・


私、二年前にもこんな記事を書いております。



・・・先日ご依頼をいただいたご葬儀の際
御遺体保全のためのドライアイスを手配しようと取引業者さんのところへ出向いたら
『本日、ドライアイスは完売いたしました』の看板が (><)
手配したのが夜だったこともあるのでしょうが・・・

正直、焦りましたよ。
最終的には様々なルートを辿って、何とか手配出来たわけなんですが・・・

ウチがお取引させていただいているドライアイスの業者さんは
私が以前在籍していた葬儀社時代から取引のあったところです。
少なくとも四半世紀以上にわたって
名古屋エリアの多くの葬儀屋さんが頼りにしてきた『老舗』といっていいでしょう。
昔だったら昼夜問わず、常に数百キロ単位でストックがあったんです。
それこそ工場が操業停止する年末年始だろうと、です。
それが『売り切れ』・・・

「何故?」とゴネても仕方ありません。
原料である二酸化炭素の供給が減ってきているというのですから。
ただそれにしても
大切な御遺体の保全措置としては、今なおドライアイスが最も有効な手段だと思うわけなんです。
これは、これまでの経験則として断言できると思います。

エンバーミングという手段もあるにはありますが
かなり高額な処理料がかかってしまうんです。
それこそ、ドライアイスとは費用の桁が変わってしまうくらいに。


とはいえ、背に腹は代えられないということで
ウチも二年前から、ドライアイスの代用品としての保冷剤を導入させていただいております。
それでももちろん、可能な限りドライアイスの使用を優先します。
大切な方の御遺体なのですから。






by dscorp-japan | 2018-07-13 03:28 | 葬儀 | Comments(2)

葬儀屋さんが「当事者」になるとき

 
相変わらず、久々の投稿でございます m(_ _)m

まず
先日の豪雨により被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
そして、かけがえのない命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに
大切な方を喪われた方々に、心よりお悔やみを申し上げます。

            ♢

さて。
西日本を中心に甚大な被害をもたらした豪雨のなか
相変わらず、私はお葬式の担当で現場に出ている次第であります。

そんななか
一昨日、以前私どもと一緒にお葬式のお仕事に携わっていた仲間のお母様がお亡くなりになり
担当の合間を縫って、昨晩のお通夜に参列してまいりました。

・・・葬儀屋さんといえども
大切な家族を喪った当事者ともなれば、ひとりの「遺族」であります。
当たり前のことなのですが、葬儀屋さんにだって家族はいるわけです。
その大切な家族を喪えば
お葬式をお手伝いする側から、葬儀屋さんからのお手伝いを受ける側に回るわけです。

・・・こういうとき
葬儀屋さんが「当事者」の立場にたつと、なかなか難しいものがあるんですね。
お葬式の何もかもを分かっているうえで
当事者である遺族として、お葬式を遂行していくわけです。
(自分はプロなんだから、ちゃんと滞りなく進めなくては)という
他の方々にはない、余計なプレッシャーみたいなものがのしかかってくるんですよね・・・

たとえば喪主としての挨拶。
あまりにもスラスラと淀みなく話せば “ 葬儀屋候 ” になってしまうし
かといって、たどたどしい雰囲気を演技するのもおかしいわけで・・・
そのサジ加減が分からなくなることがあったりするわけです。
・・・正直なところ、やりたくないというのが本音なのではないでしょうか。


昨日の通夜後
彼はとても良い挨拶の言葉を述べられました。
私たち参列者に対する謝意を述べられ
最愛のお母様の、人となりを分かりやすくご紹介いただき
お母様ご本人に対する感謝の気持ちが溢れるような、素敵な挨拶でした。

大変なご病気に立ち向かってこられたお母様のご冥福をお祈りしますとともに
S君のご家族皆様の上に、神様の慈しみと慰めが豊かに注がれますよう
心よりお祈り申し上げます。






by dscorp-japan | 2018-07-09 21:10 | 葬儀 | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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