D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

dscorp.exblog.jp Top

2011年 02月 10日 ( 1 )

回心のきっかけとしてのお葬式

回心。
よく「改心」と混同されますが、その意味するところは異なります。

これ、基本的にはキリスト教用語です。
広辞苑を紐解きますと・・・
「キリスト教などで、過去の俗人的(罪悪的)意志を悔い改めて
神の正しい信仰へ心を向けること」
とあります。

・・・個人的には、広辞苑の説明はやや仰々しい説明かなァとも思うのですけれど・・・

簡単に言えば、「回心(心を回す)」という文字からも分かる通り
『神様の方へ心を向ける』と解釈すればいいのではないでしょうか。
「罪を悔い改めたうえで」という条件は
十分条件ではありますが、必ずしも必要条件でもないのではないかと・・・
(と言って、私自身のことを擁護してるんですがネ)

いや
罪を犯し続け
その自責の念に悶え苦しみながらも
神様に依り頼むという「回心」もあっていいのでは?と思っています。

            ♢

さて、この言葉。
キリスト教に端を発する単語ではありますが
すべての宗教に適用されていい言葉だと思います。

「今までウチの仏壇になんか目もくれなかったけど
最近、たまに手を合わせるようになった」
「歳を重ねるにつれて
御仏の道の何たるかについて勉強したくなった」

・・・これもまた、ひとつの「回心」と言えるのではないでしょうか。

そして。
その大きなきっかけのひとつが、お葬式だと思うんです。

先日も
私が担当させていただいたご葬儀のご精算のため
ご遺族のお宅へお邪魔した折に、喪主様からこんなお話をいただきました。

「お恥ずかしい話なんだけど
オレ、もう20年近く教会に行ってなかったんだよね。
最後に行ったのが、母親の葬式のとき。
何故行かなくなったのか自分でも分からないんだけど。
多分、タイミングを逸してしまったんだと思うんだよね。
オレもサ、あンときは若かったからサ
何だか照れくさかったのかもしれないし、ひねくれてたのかも知れない。
でもサ
今日、オレ、久しぶりに日曜日のミサに行ってきたよ。
そんでサ
親父の冥福を祈って
お袋には沢山謝ってきたよ」

喪主様は、私とほぼ同年代の方です。
約20年前にお母様を亡くされ
そのまま教会から足が遠のき
時間の経過とともに、ますます教会に行き辛くなって
でも、心のなかには小さなシコリが常にあって・・・

(行かなきゃなァ、でも今さら行き辛いしなァ)

そんな思いで過ごされていたのかもしれません。

「オカダさん、言ったじゃん。
親父の棺の蓋を閉じるときに。
『これからの生活のなかで折をみて親父のことを思い出してやれ』って。
『それぞれの宗教のやり方でいいから親父の為に祈れ』ってサ。
ああ言われちゃったらサ、行かざるを得ないじゃん(笑)」

・・・何だか、私が脅迫したような言いっぷり・・・(汗)

いや
照れくさかったんだと思いますよ。
長年、自分のなかにあったシコリを取り払うきっかけとなったのは決して私の言葉なんかじゃなくて
お父様のお葬式、そのものだったはずなんです、間違いなく。

「だァって一応、オレの親父だしさァ(笑)」



・・・かように、ですね。
お葬式とは、回心の大きなチャンスであるということなのです。
そして
そういうお葬式の“お手伝いさん” でありたいと思うのであります。
[PR]
by dscorp-japan | 2011-02-10 00:33 | 葬儀 | Comments(3)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
カレンダー