とある神父様からの電話~その後~
私が「葬儀屋さん」ということは伏せて、あくまでも、一カトリック信徒のお手伝い役として。
私は思うのです。
『セレモニーホール』、たしかに便利ですよね。
私もその昔、勤務していた葬儀社のセレモニーホール支配人をしてましたから、その良さは十分に理解しています。
・・・でも、葬儀を『宗教儀礼』という側面で捉えた場合、はたしてセレモニーホールがベストなのかというと、少々疑問符がつくような気がします。
これはキリスト教だけを指して言っているのではありません。
仏教だって同じことだと思うのです。
キリスト教に教会があるように、仏教にはお寺がある。
教会には祭壇があって、お寺には本尊が祀られているわけです。
いわゆる『本物』があるんです。
人は皆大切な人を亡くしたとき、その魂の安息を願って手を合わせます。
では、誰に手を合わせるのか。
故人に対して?
勿論それもあるでしょう。
でもそれと同時に、自分たちの信じる神仏に故人の魂を委ねるために手を合わせるのではないでしょうか。
だとするなら、『本物』に依り頼みたいとは思いませんか。
教会やお寺の柱の一本一本に染みついた、人々の喜びや悲しみ、笑いや涙。
そういうものって、私はとても尊いものだと思うのです。
私は、宗教って『死生観』の捉え方だと思っています。
だとするなら、お葬式こそ、自分の信仰する宗教施設で執り行うのが理に叶っているのではと思うのです。
セレモニーホールを悪者扱いするつもりは微塵もありません。
ただ、セレモニーホールでのお葬式が増えることが、日本人の宗教的感性を希薄にしてしまわないことを願うばかりなのです。
逆に言うのなら、セレモニーホールはもっと、本当の意味での『祈りの場』としての空間を提供するということを考えていかなくてはならないだろうなぁと思うのです。
セレモニーホールでお葬式をした方々へ。
どうか、後からでもいいから、自分の信仰するお寺や教会へ行って、ほんの少しでもいいから故人のために祈ってあげて下さい。
それが、私の偽らざる思いです。
エラそうなこと言ってごめんなさいm(_ _)m