長くて短かった夏休みも終わろうかという先日
カトリックの司祭養成課程に臨まんとする(つまりカトリック司祭を目指す)ある方と食事を共にする機会がありました。
彼、O君はまだ20代後半の若き青年。
大学の名前は伏せますが
彼の出身は、日本トップクラスの超難関国立大学の法学部。
・・・そんな方が何故神父に・・・???
私、これまでにも何名かの神学生を見てきました。
そして彼らが長い準備期間を経て、叙階の秘蹟を受けて「神父様」になられる過程も見届けてきました。
誤解を恐れずに申しますなら
私からすれば、カトリック司祭になろうとする方なんて変人以外の何者でもないのです。
「自分の一生を神に捧げる」
私みたいな俗物の権化からしたら(マジで言ってんの?)ってなもんです。
・・・でも、O君はその道を選ぶのだと。
私からみたO君の印象。
穏やか過ぎるくらいに穏やか。
こちらが恐縮するくらいに気を遣う方。
そして謙虚。
・・・今どき
こんな若者がいるのかと驚かされるほどの好青年です。
好青年過ぎて、かえって心配になるくらい(汗)
限られた時間ではありましたが
食事の席でいろんなお話を聞かせていただきました。
(というか、ほぼ一方的に私が質問攻めしてた)
O君は “ ボン・クリ ”(=幼児洗礼)ではありません。
高校生時代にキリスト教に興味を持ったのだそうです。
そして超難関大学の学生時代を経て、その思いは日に日に強くなったのだとか。
そして彼の地元のカトリック教会の門を叩き、洗礼を受けられたと。
どうやらもう、そのときにはカトリック司祭になりたいという思いがあったようです。
・・・一気呵成だなぁ・・・
♢
そんなO君へ。
神父になったこともない私なんぞがエラそうなことを申しますが
私なりのエールを。
「100点満点を望まないでください」
おそらくこの先、何度も挫折を味わうことと思います。
でもだから、最初は「赤点」で全然OKなんです。
自己評価の点数は徐々に上げていくイメージで十分です。
叙階の秘蹟を受けて神父になるのではなく
経験を経て、神父に “ なっていく ” ものだと私は思ってます。
私の勝手な解釈ですが
叙階の秘蹟って、O君がカトリック司祭に “ なっていく ” 過程で、聖霊が助けて下さるという約束の秘蹟なのだと思ってます。
その約束を取り付けるに相応しい人間になるため
これからの修練期間で準備をするものなのだと思っています。
O君が無事、叙階の秘蹟を受けて神父様になられる日を楽しみにしています。
そしていつの日か
もしもご縁があれば、私のお葬式の司式をお願いできればと(笑)
・・・てか
O君が神父様になるまでは私も頑張って生きてないとなぁ~(汗)