でもなかなか機会がなくてズルズルと先延ばしにしてたところ・・・
名古屋エリアの上映館の多くが「8月10日まで」と。
慌てて万障繰り合わせて、先ほど鑑賞してきました~ ♪
・・・でも
上映最終日だってのに、観客は(多分)10名程度。
映画館、ガラガラでしたわ・・・
人気がなかったから早々に上映期間が終わっちゃったのかなぁ~
♢
それはともかくとして
私個人としては、かなり原作に書かれていた記述に忠実だったと思います。
もちろん
ホラー映画としてのエンタメ的な過剰(?)演出は散見されましたが、その本質的な部分は結構真面目に捉えられていたと思います。
どうやら本作の映画化にあたっては
その交渉時にはまだご存命だったアモルト神父様が、本作のプロデューサーの信仰心を汲み取って許可されたとか(それまでにも映画化の話があったそうですが、アモルト神父様はことごとく断っていたそうです)。
小学生時代からエクソシストネタが大好きだった私です。
それ系の書物は(眉唾モノも含めて)手当たり次第に読み倒してきているつもりですので、おそらくは皆様よりもほんの少しだけ知識の蓄積があると思います。
そのうえで申しますと
(本作でも描かれていますが)やはり悪魔祓いを行う際に絶対に避けて通れないのが『赦しの秘蹟(告解)』であります。
悪魔は必ず、悪魔祓いを行う司祭のイタイところ(つまり司祭自身の罪)をピンポイントで突いてきますよ、と。
そこに怖気づいたり躊躇したりした途端、一気に悪魔は攻勢に出てくるという構図です。
だから本作で悪魔祓いを行う二人の司祭は
お互いに自身の罪を告白して、悪魔と対峙するための準備をします。
・・・この描写、ムチャクチャ重要だと思うんですよね~
赦しの秘蹟の意味と意義としての回答が、非常に端的に提示されていると思います。
「悪魔祓いを行うから」赦しの秘蹟が重要だというのではなく
カトリックの信仰をもつすべての人にとって、赦しの秘蹟はとても大切なものであると再確認させられた次第です。
映画の序盤で
ラッセル・クロウ演じるアモルト神父様がバチカン教皇庁のお偉いさん(枢機卿)に呼び出されて、許可なく勝手に悪魔祓いを行ったことを叱責される場面があります。
要は「悪魔祓いとか、都市伝説的な行為ってどうなのよ?」ってことなんですが
これにアモルト神父様は「悪魔の実在を否定するなら、教会は一体何のためにあるのですか」と答えます。
もちろんこれ、かなり極端な返し方ではあると思いますが
私個人としては多いに賛同できる回答だと思っています。
アモルト神父様ご自身
「悪魔祓い案件のうち98%は精神疾患である」と認めていらっしゃいます。
そのうえで
残りの2%の事象に対する解決のため、アモルト神父様はその生涯を捧げたというわけです。
この上なくゆるぎない信仰とその確信によって。
だからこそ
教皇庁のお歴々から少々疎まれつつも、時の教皇ヨハネ・パウロ2世との間では共通の認識があったのだと。
2011年に公開された映画『ザ・ライトーエクソシストの真実ー』以来の
まっとうなエクソシスト映画だと思いました。
(ていうか『ザ・ライト~』のモデルもアモルト神父様だったりする)
ご興味のおありの方がいらっしゃいましたら是非
上映館を探して観に行ってみてください。