私にはできない
今日は全国的に冷え込んでおりますが
こんなに寒くても「春分の日」なんですね~
さて。
今日、カトリック名古屋教区では
司祭職(神父様)や修道者(ブラザーやシスター)の皆様など、その生涯をカトリック教会のために奉げられた方々のなかで、奉献生活50周年(=金祝)或いは25周年(=銀祝)を迎えられた方々を祝うミサが行われました。
・・・誤解を恐れずに正直に申します。
私は
カトリック教会に限らず「教会のためにその生涯を捧げる」方々のことを “ 変人 ” じゃねェかと思っております(笑汗)
だって、考えられないですもん。
基本的に「年中無休」「24時間営業」。
そのくせ
(カトリックの場合)好きな人がいても結婚できない。
自分の為に大金を稼ぐ経済活動もできない。
自分がヘロヘロに落ち込んでいようと
教会信者の皆様から「助けて」と請われれば応えなきゃいけない。
たとえばお葬式の場面においても
神父様が高熱でフラフラな状態にもかかわらず、亡くなられた方とそのご家族のために、一生懸命お葬式の司式をされるお姿を何度も拝見しております。
(無理することないのに)
(誰か代打を頼めばいいのに)
って思います。
でも神父様たちは
余程のことが無い限り「体調が悪いからパス!」とは仰らないんです。
そういう条件を分かったうえで
「私、やります」って、言えますか?
少なくとも私には言えません。
なんていうか
言葉は悪いですけれど「一生を棒に振る」感じさえしませんか?
・・・そうなんです。
私たちからみれば「一生を棒に振る」ような選択が
彼ら彼女らにしてみれば、その生涯を「神様に奉げる」ということなんですよね。
もうね
私なんぞからしてみれば、その選択を決意されたというだけで尊敬に値することだと思うんですよ。
そして
そんな奉献生活を25年、更には50年の長きに亘り継続されてこられたのです。
今日、金祝や銀祝を迎えられた方々を祝うことはもちろんですが
それ以上に私たち信徒は、心からの敬意と感謝の念をもたなくてはならないと思うのです。