ここはあなた方のフィールドではない
こんなこと、あまり言いたくないのですが・・・
学校関係者や学生さんのお葬式となると
やはり学校の職員や、児童・生徒さんとその保護者の皆様がご参列されることが多くなります。
特に都市部において葬儀参列者の減少傾向がみられる昨今であっても
このようなお葬式の場合、結構な人数の参列者がお越しになられます。
さて。
このようなお葬式をお手伝いさせていただくとき
ほぼ毎回のように目につくのが学校関係者、特に教師と思われる方々の立ち振る舞いです。
・・・あ
敢えて「教師」と断定してはおりませんが
元ガッコのセンセである私は、教師の “ 匂い ” を嗅ぎ分けられると思います。
多分、かなりの高確率で (^^ゞ
えっと
通夜や葬儀に参列される服装とかは、別に良いと思うんです。
通夜当日の朝に出勤してはじめて訃報を聞きつけ
通夜開式ギリギリの時間まで教員としての職務に携わり、そのまま(たとえば)ジャージ姿で参列に来られるとか。
それは別に頓着しません(少なくとも私は)。
そういうことではなくて、もっと本質的なことです。
せっかくスーツを着ているのに、上着のボタンを留めていない。
ポケットに手を入れたまま式場に入る。
職場の同僚(と思しき)方々で固まって席に着き、ペチャクチャ喋る。
とにかくマナーがなってない ^^;
同じく参列されている児童・生徒の方がよっぽどちゃんとしていることが多いです。
♢
先日のお通夜であったこと。
通夜典礼が無事終わり
ご遺族様ご了承のうえ、ご希望の参列者方々に故人様とのご対面のお時間を設けさせていただいていた時のことです。
式場(とあるカトリック教会)の、内陣入口に安置されたお柩の横で
やにわに、ひとりの教師(おそらく間違いなく)が大声で号令をかけました。
「卒業生、集合~!」
その教師はカトリック教会の祭壇内陣に靴のまま上がり
式場を見渡すような場所から、手でメガホンをつくって号令をかけたんです。
他の参列者が柩を囲んでいる横で。
「お~い!卒業生、集まれ!」
卒業生皆で故人様とのお別れをするのかと思いきや
内陣壇上から、数名の教師(と思しき)人たちが、集まった卒業生たちに代わるがわる話をし始めたんです。
その話の内容すべてを聞き取れたわけではありません。
しかし私の認識する限り
おそらくは、故人様との思い出話の発表だったように受け取ったのですが・・・
・・・何故?
何故それを、故人様の柩の横でやる?
それも故人様に対してなら分かるけれど、何故卒業生に?
(壇上で話す方たちは、決して柩の方を向いてはいませんでした)
あなた方は誰のためにここに集ったのか。
誰との告別に来たのか。
誰を慰めるために来たのか。
あなた方を見る他の参列者の視線に、あなた方は気付いていたのか。
・・・あなた方に、死者の尊厳を守るという気持ちはあるのか。
そしてもうひとつ。
祭壇内陣は、学校の教壇でもなければ朝礼台でもない。
『サンクチュアリ』という言葉があります。
神社仏閣(そして教会)の祭壇周りの、いわゆる「聖域」とされる場所をいいます。
そしてその「聖域」は多くの場合
誰の目にも分かりやすいように、境界(結界)があります。
そこから床の色が変わっていたり天蓋が設けられていたり、段が設けられています。
あの教師たちは誰の許可なく「聖域」に足を踏み入れ
自分たちのやりたいこと(私から言わせればエゴです)のために、その一段高い場所を「演壇」として使用したのです。
死者の尊厳を守るということは
その死者のために行われるお葬式も
死者を弔う役割を担う宗教も
同じく尊重されるべきだと、私は考えます。
それがどんなお葬式でも
それがどんな宗教でも。
「分からなかった」とは言わせない。
いや
本当に「分からなかった」のだとしたら、何とお粗末な人たちだろう。
・・・ここは
あなた方のフィールドではない。
ときとして子どもは「生き物の命」を残酷に扱うことがあります。
しかし
こと人間の命に対する重みに関しては、大人よりも子どもの方が謙虚なような気がします。
お返事が遅くなりました m(_ _)m
仰る通り、カトリック布池教会は8月末まで、大聖堂の改修工事に入っております。よろしければ、また秋になりましたら布池教会にもお越しくださいませ。
ご来訪&コメントを有難うございます。
そしてお返事が遅くなり、申し訳ありませんでした m(_ _)m
私も元教師ですので、以前の私だったらどうだったのかと自問することがあります。
これを読んでみて少し気になりました。
昨日,教え子(満9歳で没)のお通夜がありました。
先生たちは,他のみなさんと同様,みんな悲しみのどん底でした。
先生達にもいろいろいるのです…
色メガネで見ないでほしいな,と思うのです…