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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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ウィレム・ルスカ氏 逝去

 
今日になって知りました・・・
バレンタインデーにお亡くなりになられていたとは・・・<(_ _)>

→ ニュース記事

※ 記事では「ビレム・ルスカ」と表記されていますが
  私たちの時代では「ウィレム・ルスカ」と呼んでおりましたので、こちらで。


アントニオ猪木との異種格闘技戦があったのは、1976年。
この年、私は(多分)小学校6年生。

当時は全日本プロレス(=馬場)と新日本プロレス(=猪木)それぞれが
日本テレビとテレビ朝日で、毎週ゴールデンタイムにテレビ中継があったものです。
我が家はテレビ鑑賞にうるさくて
「プロレスはどちらかひとつしか見ちゃダメ!」だったので ^^;
私はテレビ朝日(=新日本『ワールドプロレスリング』)を観てました。

たしか
小学校卒業間近で、卒業文集の編集委員みたいなことをやらされていて
あの頃の私は毎日、結構帰宅が遅かったんです。
でも、あの日はちゃんとテレビの前に座れた。

・・・ウィレム・ルスカ、何か不気味に映ったもんだよなぁ・・・

もちろん私は猪木を応援してましたよ。
柔道のことなんて何にも知らないし
“ オランダの赤鬼 ” などといわれてもピンとこなかった。

で、試合が始まってみると・・・

ウィレム・ルスカ氏 逝去_a0153243_01234536.jpg
ロープ際の猪木を中央に来るよう手招きするルスカ


いかんせん「プロレス」という土俵で闘うには、ルスカにとってはあまりに不利だったように思います。
柔道スタイルのルスカに、プロレスのリングは狭すぎたようだし
猪木は道着を着ていないので、ルスカは要領が掴めなかったのではないでしょうか。

まァ何だかんだ言っても
後日、ミスター高橋は「あれは予め勝敗の決まっていた試合だった」と証言してたんですけどね・・・

それを言っちゃ~身も蓋も無いんですけど ^^;

ただミスター高橋はこうも述懐している。
「少なくとも自分の知る限り
喧嘩をさせたら最も強いのはルスカだ」と。

・・・時代は異なりますが
ルスカと木村政彦とがガチで闘ったら、どっちが強かったんでしょうね・・・


日本のプロレス黄金時代を支えてくださったウィレム・ルスカさんの
魂の安息と平安をお祈りいたします。






by dscorp-japan | 2015-02-16 01:26 | 格闘技 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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