「当たり」が引けない(><)
「活字中毒」とまでは申しませんが
私は常に、複数の小説を並行して読んでおります。
必ず定期的に本屋さんには行きますし
そこで(おぉ?これは)と思う作品はすぐに買っちゃいます(但し文庫本に限る)
ところが。
最近「当たり」が引けないんですよね・・・(><)
このブログでご紹介してきた作品は
大体が何らかの意味で良かったと思うものを中心に取り上げてきました。
履歴を見ると、これまでにご紹介した作品が80冊。
ブログを始めて以降、まァ大体この5倍くらいは読んでるはずです。
つまり「当たり」の確率が約20%といったところ。
最近、まったくヒットしないんですよ・・・
たとえば昨日読み終えた作品『白○○姫殺人事件』。
ダメだったなぁ・・・
その前に読んだのが『箱○図書館』。
イマイチだったなァ・・・
何というか、ですね
プロットとしては悪くないと思うものもあるんです。
でも「小説」である以上、読み手に「読ませる」という作品かというと・・・
・・・思うにですね
要は「脚本」になっちゃってるんですよ。
「小説」というよりも、ドラマや映画の「脚本」。
(この切り口は面白いなぁ)
(アイディアとしては秀逸だなぁ)
それはそれでとても良いのでしょうが
「読み物」としての魅力が感じられないと、これはもう「脚本」になってしまう。
・・・いや
私が読み手として成熟しているなどとは、決して申しません。
純文学なんて滅多に手を出しませんし
あくまでも娯楽として、手軽に読みたいだけの乱読者ですから m(_ _)m
それでもやっぱり
読み始めた以上は、何というか、文章の「コク」というか「味」が欲しいんですよね。
それは「リズム」とか「テンポ」だったり
「フック」だったり「アクの強さ」だったり
何かしら、そういったものが感じられると嬉しいものなんですよ・・・
「読欲」をそそられるというか。
そうなってくると
どうしても著名な作家さんに行き着くんですけどね~
でもね。
今日から読み始めた角田光代さんの作品は、何となく久々の「当たり」の予感 ♪
(言うまでもなく著名であり、素晴らしい作家さんです!)
「当たり」の作品って、読み始めて数ページで分かるんですよね。
(これはキタ・・・!)って。
「だったら書店で買う前に読めよ!」
私の個人的なルールとして
本屋さんでの立ち読みは雑誌に限られておりますので(・・・ってそれはそれでどうなのよ?)
いずれにせよ
多分ですけど、この作品はきっと近々感想を記事に出来そうです ♪
一般の本屋さんへ行くのは何ヵ月ぶりかなあ(^^;
今、東野圭吾の新最新作「虚ろな十字架」を狙っています。文庫化を待ってるんですけどね。
早く読みたいです。
3月にディーズさんが紹介されていた小池真理子さんの『恋』(TVドラマ版をネットで観る事が出来ました、仰っていた通り此方の方が良かったです!)読み終わりましたので、今日早速『ひそやかな花園』購入しました🎶眠る前に読むのは私には「入眠儀式」(?!)でしかないので、お昼間に気合い入れて読むことにします♫
それにしてもディーズさん、本当に物凄い読書量ですね☆
好きな作家の文章は 書き手の文体が似ているのでしょうか? 違う作品でも読み易い様に感じます。
フィクションですが 曾野綾子さんの 哀歌は 割合若い時に読んで 再読してまた違った思いと感動がありました。
私の勝手な定義付けなんですけど
「フィクションを好む人は現実逃避が好きな人」で
「ノンフィクションを好む人は現実と向き合うことを厭わない人」というイメージです(笑)
私は間違いなく「現実逃避型」ですね~(笑汗)
西神父様、速読出来るんですね!1日に数冊読破、凄すぎます!
西神父様、9月に京都にいらっしゃるんですよ(5月の予定が変更になりました)🎶本当に楽しみです。でも9月の京都って地獄の様な暑さなんです…。西神父様、大丈夫かなぁ。。。☆