映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』
「観たかった」
というのとはちょっと違います。
(やっぱ観とかなきゃイカンかな~)というのが正直なところ。
だから
レンタル屋さんにあるのを、何度も手にとっては借りることを躊躇しておりました。
能天気な気分で観る映画じゃないと思っていたので
借りるときには(よし、今日は観るぞ!)と、何故か自分を鼓舞して借りたような次第であります。
アルカイダの指導者であったウサマ・ビン・ラディン氏が
一昨年の5月、アメリカによって殺害されるまでを映像化したとされる映画。
映画に関する詳細は公式HPをご覧ください。
あの事件が起きた当時から
様々な謎や憶測が囁かれていたように記憶します。
(はたしてニュースは本当のことなのか)
(またアメリカの情報操作による陰謀じゃないのか)
もちろん私などには、その真偽を知る術などありません。
真実を知るのは、ほんの一握りの当事者たちだけなのでしょうから。
本作に関しても
「アメリカのプロパガンダ映画だ」という揶揄もあったようですよね。
たしかに “ CIAが全面協力 ” なんて文言を聞かされると
かえってその情報の正確性に疑問を持ってしまいますよね~
で、本作を鑑賞しての感想。
『 半沢直樹 』 じゃありませんが
最終的にとられた手段は “ やられたらやり返す、倍返しだ!” というのと大差ないと思いました。
監督であるビグローさんがどのような思いで本作のメガホンをとられたのか分かりませんが
「報復という行為に正義なんてものは無いのだ」と感じざるを得ませんでした。
映画の序盤において
本作の主人公であるCIA女性分析官・マヤ(ジェシカ・チャステインさん)は、ビン・ラディンの所在を突き止めることを、自らの職務として冷静に携わります。
しかし、女性の同僚が爆弾テロによって亡くなるにおよび
どうやら彼女の目的は「職務」というよりも「仲間を殺された報復」にとって代わったように映ります。
その執念は凄まじいもので
その根底にあるものははやり「怒り」であり「憎しみ」であったと。
逆に言えば
彼女の執念のおかげで、アメリカは目的を果たした(とされる)ことになるのですが・・・
(これで良かったのか?)
(アメリカよ、これで満足なのか?)
私はカトリック信者ではありますが
ことさらキリスト教的倫理観を持ちだすつもりはありません。
むしろひとりの人間として、本作で描かれていることに恐怖を覚えます。
人を殺すことに正義ってあるんだろうか。
もちろん
私があの場所にいたとしたら、どのような行動に出たのか分かりません。
だからこそ思います。
メチャクチャ身勝手かも知れないけれど
自分があの場所にいなくて良かった、と。
私は、殺す側にも殺される側にもいたくない。
誰も殺さず、誰にも殺されず
ちっぽけな平和のもとで老いさらばえていきたい。
たとえそれがまやかしの平和だとしても。