ねェよオマエには
・・・プンスカ(怒)
昨晩(ついさっき)の話。
私が担当させていただいていたお通夜を終えて、事務所へ戻ってきたときのことです。
つまり夜、です。
ウチの事務所って、名古屋市名東区の閑静な住宅地にあるんです。
事務所の前の道はほぼ生活道路なんですが
道路事情に詳しい方などが時折、抜け道というかショートカットの為に通行されたりするわけです。
生活道路にしては、そこそこ交通量もある道。
で
まさにウチの事務所の前あたりまでクルマで辿りついたとき
前方から無灯火の自転車がフラフラと走ってきたんですね。
スピードはそれほど出ていなかったんですが
なァんか頼りなく、ハンドルさばきも怪しい感じだったんです。
当然こちらはスピード落とします。
・・・自転車、こっちに寄ってくるし(汗)
(おいおい!)と思ってよく見ると
ハンドルには幼児用の椅子付き。
・・・赤ちゃん乗ってるし・・・(震)
もう完全に停車しますわそりゃ。
(こっちのヘッドライトとか見えてネェのか・・・?)
じゃ運転してる人はというと・・・片手運転だし・・・(><)
・・・メールやってるし!!
私のクルマすれすれのところで慌ててハンドル切って、ぶつからずには済んだんだけど・・・
後ろのサドルにゃ、もうひとりお子さんが乗ってるしィ~!!
三人乗りの自転車なのに
夜間に!
無灯火で!
片手運転で!
メールやってて!
・・・もうさすがに断言します。
母親の資格無し!
ねェよオマエには(激怒)
自分の子どもの命とメールと
どっちが大事やねんマジで!
後から考えて、怒鳴りつけてやれば良かったと思うんだけど・・・
そのときの私、正直唖然としてしまってました。
つくづく思います。
ああいう親のもとに生まれたお子さん、不幸だと思います。
まァ~あの親はいいや。
ひとりで勝手に事故起こすなりすりゃいいじゃん(但し単独事故ね)
問題は子どもです。
子どもには何の罪もないのに
ああいうバカ親のお陰で自分の命を危険にさらすことになるんですよ?
ひっさびさに
マジでムカついた。
長崎は自転車というより原付族が多いですが、いい年したおじさんがタバコふかしながら運転しています。更に、そのままポイっ!!全力でぶつかっていこうかと思うくらいイラっときます。
そういう大人にはならぬよう…肝に命じます!!
自力で転がす車のことを自転車っていうのに・・・・
まだ、息子が中学生のころ補導委員をしていて子どもに注意したところ「おばちゃんにも言うのかよ!」って言われて返す言葉なかったことを思い出しました。たしか「あのような大人にはならないでね。見本だから」って話した記憶が・・・共に生きる社会だからルールを守らなくちゃね。人として命は守らなくては・・・と理解させたいですね。
タバコのポイ捨て、ですね・・・(><)
私もクルマの運転をしながらタバコは吸うんですけど(笑汗)
さすがに窓からのポイ捨てはダメです。
前を走るクルマがあれをやるのを見ると、暗澹たる思いになります。
(ただでさえ喫煙者の肩身が狭いのにィ!)・・・って(笑汗)
小さなルール破りって、正直誰だってあると思います(もちろん私も)
ただ
大前提として、他者への何らかの影響(たとえそれがどんなに小さなものでも)があっては絶対にいけない。
自分自身のなかですべての結果を受け入れる覚悟がないなら、やはりルールを守れということなのでしょう。
・・・しかし記事のようなケースって、ルール以前の話だと思いますけどネ(汗)
子どもを前後に乗せて自転車に乗っていたママがバランスを崩して転倒。後ろに乗っていたお姉ちゃんが後続のトラックにひかれて亡くなる・・という悲しいニュースがありました。おそらく安全ベルトをしていなかったのではないかと思われますが。子育て中は何かと忙しくてついついながら運転(車も含め)してしまいます。携帯しながら、食べながら、化粧しながら・・。子どもの問いかけにスマフォを見ながら生返事したり。母親失格ですね・・気をつけます・・^-^;
こちらこそお久しぶりです m(_ _)m
私には子どもがありませんので分かりませんが
母親業が本当に大変だということはよく耳にします。
きっと、どれだけ時間があっても足りないのでしょうね。
だからせめて
(もちろんMariaさんはされないのでしょうが)
クルマや自転車を運転中の携帯操作だけでも控えていただければなァと思うばかりです。
と口では言わなくとも、生きている態度で示しているんですね。
母親業という言葉は、子どもを育てることですよ。
一番大切なのは、子どもと向き合うことです。
ベビーカーで散歩をしていても、子どもには目もくれずに携帯とにらめっこ。それでもう母親は失格です。
食事、下の世話。それだけだったらペットと変わりありません。
ただ、子育てを切り捨ててしまっている方が多いような感じがします。
子どもと向き合っていないから、自分も親として成長しないのです。
全ての方がクリスチャンではありませんが、「神から命を預かっているのだ。」という心情に近い観点で子育てはしなくてはなりません。自分の恣意が優先の世の中になっているのではないでしょうかね。
授業参観でも、子どもの様子を見るのではなく、おしゃべり(スマホ・携帯の延長ではないか)の方が大切のようです。向き合っていなければ分からないことはたくさんあるのに、分かったように物事をおっしゃる。だから問題は解決することはないのです。その方たちに育てられた子供たちがまた親になるのです。どんどん悪くなりますよ。国レベルで法的に整備しないと。まあ、企業としては困るでしょうね。まあ、国と企業の両者の関係が大きいでしょう。
教育の現役プロとしての御高見を有り難うございました m(_ _)m
コメントの一文一文に重みがあるように思います。
特に
>「神から命を預かっているのだ。」という心情に近い観点で子育てはしなくてはなりません
の一文から、大きな意味を感じました。
私が教職に就いていた頃思ったこと。
「悪い親から良い子どもが育つことはあり得るが
良い親から悪い子どもは育たない」