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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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それは奇蹟か偶然か:追記

 
一昨日に書いた記事『それは奇蹟か偶然か』について
ごく内輪的にではありますが、幾名かの方との会話で話題になったんですね・・・
もりもりさん、ゆきたんくさんからも丁寧なコメントをいただきました)


私がお聞きした事実関係は以下の通り。

死に直面したご本人の為
ご家族からのご依頼により、ご本人が所属されていたカトリック教会の神父様が病院に向かわれました。
病院のベッドの横で、神父様はカトリック教会の七つの秘跡のひとつである『病者の塗油(終油の秘跡)』を授けられました。
そこにはもちろんご家族も同席され、病院の担当医も立ち合われたのだそうです。
・・・秘跡の祈りが終わったまさにその瞬間、ご本人の心拍数がゼロになったそうです。
そして
立ち合われたお医者様が死亡確認をされたとのことでした。


この偶然と呼ぶにはあまりにも不思議な事実をお聞きして
私は私なりに、思うところを述べさせていただいた次第であります。

そして私はこの記事のなかで
「真実がどちらかなんてことは大した問題じゃない」と申し上げました。
私のこの表現について、少々補足させていただきたいと思います。

            ♢

ここで
故人様についてさらに知り得た背景を、公表できる範囲内で記します。

故人様の御子息には、カトリック司祭がいらっしゃいました。
「いらっしゃいました」というのはつまり、その神父様はお母様よりも先に、すでに帰天(=亡くなられた)されたのです。
・・・故人様は神父様のお母様、なんです。

また一方で、葬儀ミサ・告別式でのご遺族代表からのご挨拶ではこんなお話も伺えました。
「母は、少なくとも私を叱ることはまずありませんでした。
幼少の私が何をしても、本当に、決して叱ることがなかったんです。
ただ
神様を大切にしないこと、お祈りをないがしろにすることだけは別でした。
その点だけは、本当に厳しく教えられました」

故人様はそういう方だったということです。


・・・私は今回のことについて考えるとき
まさに死に直面していた、ご本人ご自身の立場になって考えたいと思うのです。


起こった事象だけを捉えたとき
それはもりもりさんの仰るように
故人様は、本当に神父様からの秘跡を待っていらっしゃったのかもしれません。
ゆきたんくさんの仰るように
神様の大いなる奇蹟が故人様の上に起こったのかもしれません。
ある方は
「息子である神父様が迎えに来てくれたのだ」と仰いました。
・・・或いは
やはりそれは時間的偶然なのだ、と捉える方もいらっしゃるのでしょう。


大切なことは
病床にあったご本人が、どのように感じられて死を迎えられたのか、ということだと思うのです。

上に記しました通り
故人様は生涯を通して、その生活すべてにおいて、まさに信仰の人でした。
おそらく
生活全般における事象のすべてを、神様のご意思と受け止められつつ過ごされたのではないでしょうか。
良い出来事もそうでない出来事も
全部ひっくるめて「神様の恵み」として捉えられていらっしゃったのだと思います。
・・・まるで
疑うことを知らない、子どものように。

そのように考えたとき
故人様の死の瞬間は、何と幸福に満ちた瞬間だったことでしょう・・・!
神様の慈しみとしての秘跡を授けられ
すべての罪から解放され
すべてを神様の御手に委ねられたのですから。

その瞬間はまさに
映画『汚れなき悪戯』のクライマックスそのものではありませんか!


本当のところは、故人様ご本人だけが知るところなのです。
でも
私たちがどう捉えようと、結局のところ、おそらくすべてが真実なんです。
ご本人が神父様を待っていらっしゃったことも
ご本人の上に神様の奇蹟が起こったことも
御子息である神父様が迎えに来られたことも
時間的偶然さえも・・・

全部、神様がなさったことなのです。

だから
私たちの捉える真実が何であるかは「大した問題じゃない」と申し上げたんです。
(誤解も招く表現でしたことをお詫び申し上げます)
・・・私が
「目の前で起こった事実を、真摯に、謙虚に受け止めることだ」と申し上げたのは、そういうことなんです。

            ♢

最後に
お通夜が行われた日曜日(主日)に朗読された福音書について。

(前略)
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。
弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
(マルコによる福音10:13‐16)


・・・イエス様が仰る「本当の信仰のあり方」がここに記されているとすれば
この聖書の箇所はまさに、故人様のことを仰っているのではないでしょうか。

故人様のお通夜が執り行われたこの日
全世界のカトリック教会で朗読されたのが、この箇所だった。

これもまた単なる偶然・・・?
by dscorp-japan | 2012-10-10 00:00 | 不思議 | Comments(6)
Commented by もりもり at 2012-10-10 00:47 x
今晩わ。カトリック教会は「偶然」の意味するる所を、まあ「偶然」の概念規定するところの内容を認めていません。偶然と言う事はないのです。このことを教えるのが「摂理」という言葉です。悪の上に善がある、と。だから人間が決める「奇蹟」認定には慎重になります。、、、、なぁ~ぁ~て。
Commented by dscorp-japan at 2012-10-10 00:54
☀もりもりさん。
珍しく、二回続けて素晴らしいコメントですね・・・(笑)
>偶然という事はないのです
つまり、すべての事象は「摂理」という言葉に集約されるということですね。
・・・こういうことを仰るもりもりさんって・・・尊敬しちゃうなァ ♪
Commented by ゆきたんく at 2012-10-10 06:12 x
おはようございます。
すべては神様が決めていらっしゃると信じています。
私は食事に連れていっていただけそうかなぁ(笑)
Commented by はち at 2012-10-10 08:59 x
神様のあたたかい愛に包まれて最期を迎えられたんだなぁと思いました。
7つの秘跡は私たちの信仰を助け支え、導いてくれるものだと私は思っています。その秘跡のひとつである、病者の塗油を受け、死を恐れることなく、キリスト者としての人生を全うされたのでしょう。
天国できっとたくさんお祈りくださると思います。
Commented by dscorp-japan at 2012-10-11 13:50
☀ゆきたんくさん。
>私は食事に連れていっていただけそうかなぁ
・・・って(笑)
そういう機会があれば、こちらこそ是非お願いしたく存じます m(_ _)m
Commented by dscorp-japan at 2012-10-11 13:53
☀はちさん。
まさに仰る通りだと思います。
そのように考えますと、やはりご本人はとても幸せな最期だったと言えるのだと思いますよね。
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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