それは奇蹟か偶然か
今日は忙しいので簡単に・・・ m(_ _)m
昨日から今日にかけて私が担当させていただいておりますお葬式。
亡くなられたとの御一報をいただいたのが金曜日の夕刻でした。
いつもお世話になり、また司牧者としても尊敬する神父様からのお電話でした。
「今、電話大丈夫?
あのネ
今私は病院で、とある方の病者の塗油のお祈りをしていたのね。
すでにかなり危険な状態とのことだったんだけど・・・
私の拙いお祈りが終わった瞬間、心停止されたんだよね。
ビックリしたんだけど・・・お葬式をお願いできるかなァ」
『病者の塗油(とゆ)』
カトリック教会で定められるところの、七つの秘跡のうちのひとつです。
以前は『終油(しゅうゆ)の秘跡』と呼ばれていました。
闘病中の方、重篤な状態にある方の病状回復(或いは苦痛の緩和)を祈るものです。
↓
「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。
その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます」
(ヤコブ5.14-15)
しかし
その祈りが終わった瞬間にお亡くなりになられたというのも、珍しいことではあるかと思います。
故人様は91歳。
91年の生涯を終えられる、まさにその時が『病者の塗油』を受けられた瞬間だったということです。
さて。
これを単なる偶然と捉えるか、奇蹟と捉えるか。
或いは
ご本人が、お祈りが終わるまでは何とか持ちこたえられたのか・・・
真実なんて誰にも分かりません。
ある方は偶然と仰るでしょうし、ある方は「これこそ奇蹟だ」と声高に仰るのでしょう。
・・・私は
真実がどちらかなんてことは、大した問題じゃないと思っています。
大切なことは
目の前で起こった事実を、真摯に、謙虚に受け止めることだと思います。
ご遺族様との打ち合わせを終えた後
臨終に立ち会われた神父様と、しばし二人っきりでお話させていただきました。
「いいんだよ、奇蹟で」
私もそう思います。
・・・何となれば
この世で起こる全ての事象には必ず何らかの意味があって
その意味するところには必ず神様の意思が隠されていて
つまり、森羅万象すべて奇蹟である、という考え方も出来るのですから。
さて。
今日は日が明けたらお葬式、です・・・
このたびの事、思うに神父さんを待っていたのではと思う。仏教用語に「引導」をわたす、いう言葉があるがそれではと思います。このことはカトリックの七つの秘跡の中に司祭しかできないことです。おばぁちゃんはそのことを知っていてがんばったのでは。マァお悔やみの言葉になりませんが。お世話された神父さんにもお疲れ様と。
まさに仰る通り!
・・・何と素晴らしいコメントでしょう。
こういうことを時折(というかごく稀に!)仰るアナタだから、私は好きなんですよ~
(でも当分食事には連れて行ってあげない)