葬儀社に就職する中国の若者
いろんな意味で考えさせられる記事がありました・・・
↓
『タブーに果敢に挑み、葬儀社に就職する中国の若者たち―英メディア』
記事をお読みいただければ分かりますが
中国において、葬祭業は「食いっぱぐれのない職業」として学生からの人気が高まっているとのこと。
しかし一方で
中国では「死」を口にすることさえタブーとされるほどで、世間からの葬祭業への風当たりはかなり強いようです。
さらに
暴利をむさぼる業界のワースト10にも、葬祭業はちゃっかりランクイン・・・(汗)
・・・しかしですね
この記事の内容は、私たちにも大なり小なり当てはまる話なんですよね。
私たち日本人だって笑うことなど出来ないんです・・・
日本における葬祭業界への意識が変わり始めたのだって、ここ10年ちょっとのことです。
私が葬儀社に就職したときなんて、先輩社員から言われたぐらいですから。
「オカダくん
学校の先生がこんなところに来るなんて
何か不祥事でもやらかしたの?」
・・・そりゃ~ね
たしかに、ガッコのセンセが葬儀屋に転職というのは珍しいかもしれません。
でも
葬儀屋さんが自分の職場を「こんなところ」などと認識していたんですよね・・・
・・・あ
お断りしておきますが
教員時代に不祥事は起こしておりませんでしたよ(笑)
問題の多い教師ではありましたがネ・・・(汗)
それはともかく
やはり「死」を扱う仕事に対する世間の目は「いずこも同じ」ということなのかもしれません。
「葬儀屋さんであるがために結婚できない」
なんて話だって、他人事じゃないんですよこの日本だって。
(実際にそういうケースを知っております)
こうした意識を変えていくことって、かなり難しいと思います。
でも
私は中国の若き葬儀屋さんたちに最大限のエールを送りたい!
「死」を尊ぶことは「生命」を尊ぶこと。
世間の厳しい目に晒されようとも
自分のお仕事に誇りを持って、是非立派な葬儀屋さんになっていただきたいものです!
「オカダくん
学校の先生がこんなところに来るなんて
何か不祥事でもやらかしたの?」
このところ、皇室の葬儀の報道がありましたが、天皇は葬儀には参列しないとの事。
こんなことの慣例により葬儀にかかわる人々への差別発言があるのかと考えます。日本の中の差別はキリシタン、親鸞の浄土真宗、に対する差別と外国人差別などあると思いますが、神道にもとずく「穢れ」に対する意識がおおもとにあると思います。なぜ天皇がいとこの葬儀に出席できないんか、なんか考えられますね。
「死」を「穢れ(ケガレ)」とする考え方って
人間の持ち合わせる、ひとつの防衛本能のようなものじゃないかと思っています。
「生」に執着することは決して悪いことではなくって、それはすべての人間の権利でもあるはず。
ただ、その意識が転じて「死」を忌み嫌うまでとなると
「生きる」或いは「生かされている」ことの素晴らしさや感謝の念を、私たちは忘れてしまうような気もします。
「死」は生命の延長であり、それもまた尊いものであるはず。
エマーソン・レイク&パーマーの『展覧会の絵』の歌詞に
“ Death is Life ” というのがあります。
私はこの短い歌詞に真理があると思います。
・・・そうです!私がヘンなセンセイです!(志村調で)