映画 『クロッシング』(洋画)
・・・本当に久しぶりに
自宅でのんびりと映画鑑賞をしました ♪
ずっと以前に入手しながら、鑑賞する機会を逸していた映画 『クロッシング』。
(先だって紹介しました『クロッシング』とは別モノです)
観る前から覚悟はしておりました。
かなり “どんより系” の映画なんだろうな、と。
(私のようなヒネクレ者の場合、実はこういう映画が嫌いじゃなかったりするのであります)
“三人の刑事。1つの事件。
それぞれの正義が交錯する―。”
犯罪多発地区・ブルックリンを舞台とした、警察群像映画です。
家族のために手を汚す麻薬取締官・サル(イーサン・ホーク)。
退職を間近に控えた、無気力な警官・エディ(リチャード・ギア)。
何年もの間、麻薬組織である黒人ギャング組織で潜入する捜査官・タンゴ(ドン・チードル)。
サルには身重の妻がいて
その妻は、住んでいる家のカビによる肺疾患を患っています。
愛する家族の為に引越しを考えるサルですが
その資金調達のことで頭を悩ませています。
エディは妻と長らく別居しており、生きる気力も見出せず
心の隙間を埋めるべく、夜な夜な娼婦のもとを訪ねるだけの生活を続けます。
タンゴは、何年もの間潜入捜査を続けるなかで、妻からも離婚を言い渡されます。
潜入捜査という精神的な重圧に耐えかねて、捜査から足を洗うことを願い出ますが聞き入れられません。
犯罪者側の心理に同調してしまうことにも葛藤する日々。
それぞれが悩みを抱えるなかで
三人の関わる事件は、ブルックリンの公営団地で “交差(クロッシング)” します・・・
ネット上のレビューなどを拝見しますと
良い評価の書き込みはあまりありませんね・・・
たしかに
映画を観終わった後で(あぁ~良かった)とはなりませんデス。
少なくとも、広く一般ウケする映画ではありませんですね~
しかし私は
なかなかに考えさせられたという点で、これはこれで良し、でした。
警察官であるという “力” を持つが故に
その “力” の矛先を、人はしばしば間違ったベクトルに向けてしまうこと。
人は、その身を置く環境のために
何が正しいのかを見誤ることがあること。
良くも悪くも、人は環境に適応してしまうということ。
(一体、どこで間違ってしまったんだろう?)
(誰がいちばん悪いんだろう?)
それは、この映画を観た方それぞれが判断することなのでしょうね・・・