『大斎』とか『小斎』とか
今日は『聖金曜日』。
キリストの受難を記念する日。
群衆(=私たち)が
「(イエスを)十字架につけろ!」と叫び
その結果、イエス様は私たちの罪の贖いとして十字架上で死に葬られました。
さて。
カトリックにも『断食』の習慣があります。
聖書を紐解いてみても
イエス様の時代からすでに断食の習慣はありました。
彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた。
(ルカ2.37)
イエスは・・・(中略)四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
(マタイ4.2)
現在のカトリック教会においては、長期間の断食を勧めてはいません。
ただ
日常の生活に支障をきたさない程度の(実質的には)節食を勧めている、という感じでしょうか。
これが『大斎』であり『小斎』であります。
『大斎』
・・・食事を節制すること、つまり、1日の食事中、1食だけ充分に食事をすることができます。
朝食はごく少量、他の1食は普通の半分にします。
満60歳に達するまでのすべての成人が守ります。ただ、病人、妊娠中の人は免除されています。
『小斎』
・・・鳥獣の肉を食べないことです。
大斎は食物の量を節制するのに対し、小斎は、食物の質や美食に対する節制です。
そして今日
『聖金曜日』は『大斎』『小斎』を守るべき日、とされています。
もちろん強制されるものではありませんが。
♢
私の若い頃は
この『大斎』『小斎』を、結構気合を入れて臨んだものでした。
(今日は食わんゾ、絶対に食わんゾ!)
(まだ昼過ぎかいな。腹減ったなァ・・・)
(腹減り過ぎて、だんだん気持ち悪くなってきた・・・)
・・・気合を入れて臨めば臨むほどに
妙に腹が減るものなんですよね・・・(笑)
非常に忙しい日など
気付けば一日食事をせずに過ごすことだってあるのに。
そんな日は、空腹など忘れて動き回ったりしているのに。
要は本末転倒な感じだったりしたんです。
ただの『我慢大会』でしかない。
祈りと犠牲の精神が伴うことが大切なんですね・・・
そういう、私たちの “勘違い” を
イエス様はすでに見抜いておられました。
断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。
それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
(マタイ6.16、18)
・・・バレてたか・・・(汗)
かく言う私はというと・・・
昨晩遅く、教会でのお祈りを終えたあと
結構遅がけにたらふく食事をとりましてネ
今朝起きてみたら、食べ過ぎで胃がもたれてるという・・・(大恥)
一体何やってんだか・・・
若い頃と何も変わってないじゃん!
ありゃぁ習性のようなものでしょうか?
私なんて自分の都合で食べられないときは何とも無いのに
『大斎』って言うと超腹痛が起きます。。。
『小斎』だって
ふと『とり南蛮うどん』を頼んでしまい
出てきた『うどん』を見て驚愕!ってことも…
でも
鳥獣の肉を食べないって言って
お刺身食してたら…どうよって思うでしょ?
日本では魚もプラスしたほうがいいよねぇ~
盛式共同祈願で、
東日本大震災の被災者のためと
被災地で働く人々のためにの意向で祈られたことは
とてもよかった。。。
日本カトリック司教協議会常任司教委員会の決定に感謝m(_ _)m