映画 『汚れなき悪戯』
この映画を想うとき
或いはこの映画について語るとき
少なくとも私は
汚れきった自分ではありますが、精一杯の誠実さを心がけようと思うのです・・・
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幼少の頃
たしか週末深夜のテレビで観たのがはじまりです。
映画の序盤は眠くてたまらなかった(私が小学校の低学年でした)のですが、気がつくと食い入るように観ていたのを覚えています。
19世紀、スペインのある町。
ある朝、町はずれにあるフランシスコ会の修道院に一人の赤ちゃんが置かれていました。
修道士たちはこの子の里親を探しますが、結局修道院で育てることに。
見つけられた日が聖マルセリーノの祝日であったので、この子はマルセリーノと名づけられます。
優しい12人の修道士たちに囲まれ、すくすくと育つマルセリーノ。
しかし、父親も母親もいない環境で、しかも同年代の遊び相手もいないマルセリーノは、必然的に“ひとり遊び”に没頭するようになります。
同居する修道士たちを困らせるような、小さな悪戯を繰り返す日々・・・
そしてある日のこと。
危険だからという理由で『絶対に行ってはいけない』という二階の物置部屋に、マルセリーノは忍び込みます。
はたしてそこには、とても大きな、十字架に架けられたイエス・キリストの像がありました。
純真無垢なマルセリーノは、十字架上のイエス様に恐るおそる話しかけます。
苦しみに耐える表情のイエス様を見たマルセリーノは
(きっとお腹が空いている違いない)と、食堂に忍び込んでパンを調達し、イエス様に差し出します・・・
すると
十字架に釘付けされているはずのイエス様の右手が、ゆっくりとマルセリーノの差し出すパンへと動き出すのでした・・・
この日以来
マルセリーノは毎日、イエス様の前にパンと葡萄酒を差し出し続けます。
寒い日には自分の毛布を
食堂からパンが調達できないときには、自分の食事の一部を。
イエス様はたいそう喜んで、マルセリーノをこう呼びます。
『Marcelino Pan y Vino(パンと葡萄酒のマルセリーノ)』と。
一方
食堂からパンや葡萄酒が減っていることに気付いた修道士のひとりが
こっそりマルセリーノの後をつけます。
二階の奥の部屋に入るマルセリーノ。
扉の向こうでは、マルセリーノと話す、もう一人の声が・・・
そして
修道士は観るのです。
マルセリーノに起こる、大いなる奇蹟を・・・
♢
この映画を思い出すとき、私は必ず泣きます。
(信じられないかもしれませんが)今も、ウルウルしながらこの記事を書いています・・・
思い出し泣き、です。
これまで私はこの映画を、少なくとも50回以上(おそらく100回近く)観ています。
毎回、泣きます。
必ず、泣きます。
この映画
基本的にはキリスト教的な宗教観のもとに描かれていますが、決してクリスチャンの為だけの作品ではありません。
天国を信じる、或いは神様を信じる、すべての人の為の映画だと思います。
すべての人が有する(神から与えられている)「愛する」という気持ち
自身のすべてを「与える(あるいは『割く』)」という愛の形を
私たちは小さなマルセリーノに教えられるのです。
キリスト教を信じる方も、そうでない方も
この映画は観るべきです、必ず。
こりゃぁ~なんだか損をしているような気分になって
いやいや損得ではないのですが・・・
でも、明日『汚れなき悪戯』DVDが届きます(^^)V
アマゾンで注文して一昨日観ました。
ただただ母を想う孤独なマルセリーノに泣けました。
この映画、よくできていますね。
光のあて方、カメラの動き。
ご紹介ありがとうございました。
そうそう、
母を慕う男の子の話ではハリウッド映画の「A.I.」も号泣しました。
何というか、静かにそして強烈に心に焼きついた映画でした。
でも映画のタイトルは覚えていなくて、あの映画のタイトル、
なんていうのだろうと何十年も思っていたのです。
また出会えて感激です。