太古からの『弔い』の風習・2
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太古からの『弔い』の風習
ここへきて新たに
昔の“葬風景”に関するニュースがいくつかあるようです・・・
8月31日
『1万2000年前の宴会跡=葬儀で野牛と亀の料理―イスラエルの洞穴で発見』(時事通信より)
とか
9月3日(今日)なんかも
『縄文時代もあった!?“ペット霊園”』(読売オンラインより)
なんて記事があったり・・・
・・・昨今の葬儀業界に関する間違った情報なんかより、よっぽどタメになると思いますね。
だって
人間の本質が、今も昔も変わらずそこに“在る”ということが分かるじゃないですか。
「人の死を悲しみ、遺された人が慰め合い、分かち合うために食事の席があった」
「動物を愛でる気持ちは縄文人にもあって、その死を悼んで動物の墓を造った」
葬儀屋さんのひとりとして、敢えて言わせてください。
ほぉ~らごらん!
『弔い』という行為
『弔い』という儀式
“文明”の無い時代に、葬送の“文化”はすでにあったのサ♪
つまり
『お葬式』を、葬儀屋さんの“金づる”みたいにしか考えられない方々に対するアンチテーゼとして、これらの記事は大きな意味を持つと思うんですよ。
「高い祭壇を選びなさい」とは申しません。
「大勢の参列者を招いて盛大にやりなさい」とも申しません。
ただ
『弔い』という、本質的なものまで見失ってはいけませんよ、と言いたいんですよ・・・