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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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遺影写真

大切な方のご不幸があると
貴方は、大切な方の遺影写真の原板を探すことになります。
深い悲しみにくれながらも
大切な方のお葬式のために、故人の在りし日の写真を探すのです。
手配した葬儀屋さんからは
「お通夜が〇〇日の〇〇時からですので、〇〇までには探し出して下さい」と
言葉は柔らかでも、貴方は結構急かされるように感じることでしょう・・・

最近の傾向として
写真って、なかなか撮っていない方が多くなってきているように思います。

「昔の写真なら探せないこともないけれど、最近の写真となると・・・」
・・・かなり慌てるお客様が増えてきているように思います。

かく言う私たち葬儀屋さんだって
自分や家族の写真となると(最後に撮ったのって、いつだったかなぁ)と考え込んでしまいます・・・

            ♢

お葬式をするにあたって
遺影写真は絶対に必要かというと、実はそうでもありません。
遺影写真がないとお葬式が成り立たない、ということでもありません。
しかしやはり
一般的には、故人の在りし日の姿を偲ぶための対象として、遺影写真はあった方が良いとも思われます。

遺影写真は「最近撮影されたもの」でなければならないということはありません。
「結構昔のものだけど」
「私が生まれる前の、ホントに若い頃のものなんだけど」
そうした写真だっていいんです。
特に女性の方などは(私が若くてキレイだったときの写真を使って欲しい)という考えの方も少なくありません。

「写真が全く見つからない」
という場合は、各種証明写真を使うこともあります。
免許証とか、社員証とか。
しかし
多くの場合、こうした証明写真というのは表情が硬くて、御遺族が本意とするものとはかけ離れた写真になってしまったりします。
もとより写真自体が小さいですから、拡大するとピントがボケてしまいますし・・・

じゃ、貴方は(たとえば)御両親に
「オカン(オトン)の葬式の遺影写真、どうしたらいい?」と聞けるかということです。

いやぁ~
なかなかねぇ・・・(汗)

            ♢

私が思うに
やはり、家族で何らかのイベントを開催するとことだと思うんです。
家族旅行
食事会
お正月やお盆に集まったときでも良い。
こうした機会に、皆で集まって写真を撮るというのがよろしいのではないでしょうか。

別に「遺影写真の為にイベントを開催しなさい」と申し上げてるわけじゃありません。
でも思っていませんか。
「親は実家に帰れば居て“当たり前”」
「“親孝行”は、自分が落ち着いてからで良いだろう」
そう思っているうちに、月日はどんどん過ぎていくんです・・・

            ♢

もうすぐ夏休み。
お盆になれば、それなりにお休みがとれる方も少なくないでしょう。
夏は来年も再来年もやってきます。
でも
貴方の大切な方に来年の夏が訪れるかどうかは、神様にしか分かりません(勿論、貴方にだって、私にだって)。
今は便利な世の中です。
わざわざカメラを用意しなくたって、携帯で写真が撮れる時代です。
写真なんて、いつだって撮れるんです。

問題は
シャッターチャンスを“作る”ことなんですよ・・・
by dscorp-japan | 2010-07-11 14:35 | 葬儀 | Comments(4)
Commented by ルビー at 2010-07-11 20:44 x
そうですよね。私も経験があります。

母と私の会話ですけど(笑)
お互いの誕生日に撮影。
翌年「使わなかったね。また、撮っておこうかぁ~」
一年間無事で(じゃないかも・・)

主人の時に思ったのは、葬儀屋さんがすすめる喪服を着た遺影は止めよう、普段の顔で笑顔で撮れたものがいい。
父のときにはそうしました。
小さなこだわり・・・・です。
Commented by dscorp-japan at 2010-07-11 21:32
☀ルビーさん。
お母様との“誕生日撮影”は、かなり良いアイデアですね♪

喪服を着た遺影写真って、大体が合成写真ですね。
あれ、正直言ってとっても不自然なんですよね。
そんなこともあってか、最近では明るい表情の自然な笑顔の写真を使うことが多くなりました。
後々、ずっと残るものですからね・・・
Commented by ロッルーレオン at 2010-07-11 22:04 x
私にも、経験があります。

姑の遺影です。
母は、今で言う「認知症」で、自宅介護から完全看護の施設に移りました。そして、10余年…
毎朝毎夕、仕事の行き帰りに、施設に居る母と過ごした時間。
たまたま撮った、母の最高の笑顔でした。
その時には、もう、母は、ものごとの認識はまったく出来なくなっていました。
無邪気なはち切れそうな笑顔でした。
ほんのちょっと、はじかむような笑顔でした。
彼女が生きた年月の苦しさも、今の病の苦しさつらさも、
まったく感じさせないような笑顔でした。

私たちが住む田舎では、そんな写真を遺影にすることは、
お寺さんも、ご近所さんも、親戚ご一同さんも許してくれないものでした。
でも・・・
聡明で気丈な実母の姿を知っている彼女の息子(私の夫)は、
涙を流しながら、この写真を選んでくれました。

天に帰る母を、
今までの苦労を超えて、くったくのない赤ちゃんのような笑顔の母として、見送るのも良いのではないかと、
夫は、言ってくれました。

そんな変わった私たち夫婦を支えてくださった葬儀社さんにも感謝しています。
思い出しました。ありがとうございます。
Commented by dscorp-japan at 2010-07-11 22:18
☀ロッルーレオンさん。
姑さんのことを『母』と仰る貴方と出会えたことは、姑さんにとってこの上ない幸せだったことでしょう。
きっと今頃は天国でロッルーレオンさんのことを見守りながら微笑んでいらっしゃることでしょうね♪
とっても素敵なエピソードを有難うございました。
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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