祈り
作業着のジャンパーはもう必要ない感じだし。
しかしながら
こうして呑気にタバコをふかしながらブログ記事を書いてる私がいれば、地球の裏側では大変なことになっている・・・。
阪神大震災のときも思ったことなのですが
どれだけ大変なことが起こっていようとも、自分に直接影響がないことは『他山の石』です。
本当に申し訳ないけれど、それがホンネです。
瓦礫の下敷きになって助けを求めている人がいようと
ライフラインを断たれて苦しんでいる人がいようと
私は今日も朝風呂に入り
近所のラーメン屋で昼飯を食い
コンビニでミネラルウォーターを買い
会社のパソコンでのうのうとキーボードを叩いている。
一体私たちには何が出来るのでしょう。
おカネ?
それが現地で正しく用いられるのなら、それは有効でしょう。
労力?
自分の仕事を投げ打って現地に飛べば、それでいいのでしょうかねぇ。
・・・こういうとき私は、こう考えるようにしています。
人にはそれぞれの役割があって、その役割を果たすことしかないのだ、と。
与えられた環境で、今やらなければならないことを、ただ粛々と遂行するのみなのだと。
そしてただひとつ、誰でも出来ること。
それが
「祈る」ことなのではないでしょうか。
どの神様にでもいい。
自分の信じる神様に
「どうか助けてください」と訴えるしかないのではないか、と。
被災地の皆さんが一人でも多く助けられ、救われますように。
人はちっぽけな存在…。
自分にできることは限られていますよね。
私は最近歳のせいか、祈ることの意味といったものを、少し見いだしてきたような気がしています。(えらそうなことを言ってしまいますが…)
自分が無能であると感じれば感じるほどね。
仏教の合掌でもキリスト教の祈りでも、それは同じですかね?
私も祈りたいと思います。
一人でも多くの方の命が助かりますように…。
お久しぶり♪
ご来訪有難うございます。
元気にしてましたか?
・・・私は、その祈りが善であり切なるものであるのなら、宗教の差なんて無いものと確信しております。
そこに祈りを聞いて下さる『神』がいるのなら、宗教の差などというチッポケなことに拘るような“了見の狭い”方であるはずがないのです。
貴方の信じる神様に対して、貴方の思いのすべてを祈ればいいのです。
・・・私こそエラそうなことを言ってすみません<(_ _)>
ごめんなさい。御二方のコメントと拝読して凄いな!
ニュースを見ながらワンと遊んでる私。恥ずかしくなりました。
暦年齢だけ重ねても何も知らない私。
ここで少しだけ自分が見れるようになったかも
いや・・・そう感じるだけなのかも
私たちとルビーさん、何ら違うところなどありません。
私たちがエラいわけでもなく、ルビーさんがダメなわけでもありません。
エラそうなことを言っても、私だって何もしない、動こうともしない。
本当に恥じ入るべきは、むしろ私の方なのです。