Oさんの生前見積り・6
入院先から助けを求めてきたOさん。
数日後、こちらから連絡を取ろうと試みるも、行方が分からなくなっていました。
・・・実はOさん、携帯電話を所有されていませんでした。
私への連絡はご自宅の電話からでした。
だからこちらから連絡を取るには、ご自宅へ電話するか、入院されている病院へ問い合わせるかのどちらかしかありませんでした。
ご自宅へ電話を入れるとお母様が出られたのですが
「 “ O ” はウチにはおりません」との返答だけでした。
私としても軽々しく自分の身分を明かすことは、却ってお母様からヘンに思われてしまう立場です。
「教会の友人のオカダと申します」
としか言えなかったわけです。
この後も何度かご自宅へ連絡したのですが、お母様の返答は判を押したように同じものでしかありませんでした。
一方、入院先の病院へ連絡を入れると、すでに退院したとのこと。
どうやら私への電話の翌日には退院されていたようです。
これでもう、私としてはお手上げです。
彼女からの連絡を待つより仕方がありません。
この一件があって後、Oさんから再び連絡があったのは、2~3カ月経った後のことでした。
私の携帯の表示は『公衆電話』。
Oさんの声は相変わらず明るく、とてもハリのある声でした。
正直、本当にホッとしたものです。
何せ200万円もの大金をお預かりしているのですから。
「私は今、滋賀県の〇〇病院にいるんです。
ここは私の希望をとても尊重して下さっていて、お陰さまで穏やかな毎日を過ごしております」
・・・どうやら私に依頼してきたことを他の方にも頼まれていたらしく、滋賀のご友人の方が手を打って下さったとのことでした。
「ごめんなさいね、オカダさんにお願いしておきながら勝手に転院してしまって」
私こそ、返答が遅くなったためにお力になれず申し訳ありませんでした。
「それでね、私が亡くなったらやはり名古屋でお葬式をして欲しいのです。
私の遺体は、オカダさんに迎えに来ていただくことは出来るのですか」
・・・葬儀屋さんというのは、時間さえいただければ基本的にはどこへでも伺うことは可能です。
ただ、時間を節約したいのであれば、地元の葬儀屋さんなどを通して寝台車を手配していただくという手もあります。
もちろん、その手配を私どもがすることも。
「こちらの教会でお尋ねしたら、こちらにもキリスト教専門の葬儀屋さんがあるそうなんです。
実は私、すでにそこへお尋ねしたんです。
そこの方、快く引き受けてくださったのですが、オカダさんのご迷惑になりますでしょうか」
もちろんそんなことはありません。
そして、寝台車を手配して下さる地元の葬儀屋さんは私も知っていて、とても丁寧なお仕事をなさるということを知っていました。
「万が一のことがありましたら、その葬儀屋さんに寝台車の手配をご依頼下さって結構です。
私どもは名古屋で待機して、Oさんが来られる時間に合わせて引き継ぎをさせていただきますので」
Oさんは何度も「良かった」と繰り返し、また私に対してもお礼を仰って下さいました。
「おそらく私はあと1~2カ月だそうなんです。
でもこうして沢山の方に支えられて、感謝しかありません。
こうなってみてはじめて見えてくるものってあるんですね。
ほんの些細な出来事にも神様の意思が働いていて、そのひとつひとつに感謝をしなくてはならないということを、今さらのように痛感しております」
分かりますよ、なんて言えません。
死を目前にした人の思いなんて、私なんぞに分かるわけありません。
また「分かる」なんて言うこと自体が詭弁なのでしょう。
「オカダさん、ありがとう。
今度お会いする時に私は話せませんけれど、貴方のことはちゃんと神様にお伝えしておきますわ」
Oさんの仰る通り、彼女と会話したのはこれが最後でした。
(つづく)
ギガーの絵見ました。ありがとう。そして文章を読んだ後ゴウギャンとゴッホを思い起こしました。
「主の祈り」『わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください』アーメン。