D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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今年も『死者の月』

 
大騒ぎしたハロウィンが終わったと思ったら
「次はクリスマスじゃ!」とばかりに、街は一斉にクリスマスモード・・・
まぁそれはそれで良いんですけどね~

でも、キリスト教葬儀屋さんとしては
やはり『死者の日』『死者の月』を忘れちゃいかんのであります。

( → 過去記事

過日、11月4日の日曜日
多くの教会では、これまでに亡くなられた方々を思い起こし
それらの方々の魂の安息を願って「昇天者記念礼拝」や「合同追悼ミサ」が行われたはずです。

「はず」と申しましたのは
私はその日お葬式の担当があったので、そちらに専念していたわけです。
それでもその日、葬儀式場となった教会でも
午前中の主日のミサは「合同追悼ミサ」として挙げられ、午後にはスペイン語圏(ペルーやボリビアなど)の信徒の皆様による、やはり「合同追悼ミサ」が行われておりました。

「死者の日」や「死者の月」って
キリスト教の各教派を超えて、もはや文化として根付いているものなんですね。
その起源がなんであれ、今では
「今はこの世を去ったそれぞれの大切な人を思い起こし、それらの方々の魂の安息を祈るとき」
として、その「きっかけ」を私たちに示してくれているものと解釈しています。

だから
その大切な人がクリスチャンか否かなんて関係ないんですよ。

私の場合ですと
父方の爺ちゃんや婆ちゃん、叔父さんや伯母さん(この人はシスター)
母方の爺ちゃんや婆ちゃん
そして9月に亡くなった伯父ちゃん。
母方は全員曹洞宗の人間ですが、そんなの関係ないのであります。
皆さん全員、私が幼少の頃にとても可愛がってくれた人たちです。
普段の生活では忘れかけている(或いは完全に忘れ去ってしまっている)人たちのことを
この時期くらいは思い起こして
(ゴメンね、ずっと忘れてて)と、普段の薄情さを詫びつつ祈ればいいのだと。

・・・どうでしょう。
ハロウィンやクリスマスも良いけど
多忙な毎日の、ほんの少しだけ時間を割いて
天国にいる大切な人たちのことを思い出してみてはいかがでしょうか。






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# by dscorp-japan | 2018-11-07 18:29 | 葬儀 | Comments(1)

映画 『 教誨師 』

 
以前から是非観たいと思っていた映画。
私は滅多に映画館へは行かないのですが
この映画だけはどうしても劇場で観たかったのです。

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→ 映画の公式HPはコチラ


皆様もご存じの通り
今年の二月に急逝された、大杉漣さんの主演作です。
きっと映画やドラマファンの方なら誰もが大好きだったはずの俳優さん。
もちろん私も大好きな俳優さん。
大杉さんの急逝の一報を知ったとき、本当に愕然としたものです・・・

私が本作を「是非劇場で観よう」と思った理由はふたつあります。
ひとつはもちろん
大杉さんご自身がエグゼクティブ・プロデューサーとして本作の制作に携わられたからということ。
「ちゃんと映画館でお金を払って観よう!」
と思ったからです。
そしてもうひとつは「教誨師」をテーマに扱った映画だからということ。
私がお世話になっている宗教者のなかに
実際に教誨師としての役目を担っていらっしゃる方がいるんです。
牧師先生におひとり。
神父様におひとり。
教誨師をされていらっしゃる方にはさまざまな守秘義務があるようです。
よって、実際の死刑囚とのやり取りに関する詳細は教えてもらえないのですが
それでも、こんなことは仰るんです。

「司祭職として、これほどやりがいのある仕事も無いと思う」
「彼らから学ぶことは山ほどある」


本作で大杉さん演じられる教誨師は、プロテスタントの牧師・佐伯という役です。
佐伯は、六名の死刑囚との接見を通して
自らの牧師としての使命と向き合いながらも苦悩します。
一緒に賛美歌を歌ってみたり
聖書を勧めてみたり
救い主イエスの愛について教え諭してみたり
しかしながら、なかなか死刑囚たちの心に佐伯の思いは届きません。
死刑囚たちと向き合うなかで
佐伯は、彼自身の苦い過去とも向き合うことになります。
(このあたりは私の大好きな映画『エクソシスト』にも通じるところがあります)
そんななか
クリスマスを迎える年末になって、自分の担当する死刑囚のひとりに執行命令が下ります・・・


映画の殆どが
接見室での、佐伯と死刑囚とのやりとりです。
とても静かな映画で
殆どSE(音響効果やBGM)は使われておりません。
しかしそれがかえって緊張感を醸しだしていて
死刑囚たちそれぞれの思いというか、感情がひしひしと伝わってきます。
それぞれの、自ら犯した罪との向き合い方。
罪を犯した、その理由というか思考、人間性。
そして
刑の執行を待つ身としての、彼らの内にある思い。

もちろん私は死刑囚と接見したことなどありませんが
映画を観ながら(もしも自分だったら・・・)と、何度か自問しました。
しかしおそらく最終的には
彼らの立場になってみなければ、彼らの思いなど分かるはずもないのだろうなと思うのでした。

映画の終盤近くでの接見室でのやりとりで
牧師である佐伯が言った言葉はとても印象的でした。

「神の救いとか、もうこの際どうでもいい。
ただ私は、最後まで君のそばにいるよ」
(言葉遣いは違っているかもしれませんが)

あの言葉こそ
死刑囚にとって最も救いとなる言葉だったのではないか、と・・・


個人的には
死刑囚のひとりを演じられた玉置怜央さんという俳優さんが素晴らしかった!
心の底から、本当に(上手い!)と唸らされました。

            ♢

・・・もちろん本作は
娯楽として気軽に楽しめる映画ではありません。
終始、眉間に皺をよせながら鑑賞することになるかもしれません。
でも
私はそれでも観て良かったと、心の底から思います。

多分、DVDが発売されたら買うと思います。
何度も、とまでは申しませんが、間違いなく再鑑賞します。

最後に。
あらためて、大杉漣さんという偉大な俳優さんのご冥福をお祈り申し上げます。
最後の最後にこんな映画を遺された大杉漣さん。
それは単なる偶然だったのかもしれないけれど
もしかすると本作こそが大杉さんの魂の救済になったのかもしれない、などとも思ってしまうのであります・・・





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# by dscorp-japan | 2018-10-23 01:45 | 映画・テレビ | Comments(4)

フェイツ・ウォーニングとラッシュ

 
私たちの世代が子どもの頃は誰だって
好きになった音楽といえば、アニメや特撮の主題歌だったり、歌謡曲(今で言うJ-POPですか?)だったりしたわけですよ。
そこからそれぞれの音楽の嗜好が分かれていって
好きな音楽のジャンルが出来ていく感じなわけです。

私の場合
最初は『マイティジャックの歌』と『タイガーマスク』のエンディングに流れた『みなし子のバラード』でした。
小学生になって、映画『エクソシスト』の音楽に衝撃を受けて
思春期の頃は、もちろん歌謡曲やニューミュージックも聴きまくりつつ
何となく「プログレッシヴロック」というジャンルに目がいくようになって
一方でハードロックも好きになって・・・という感じでした。

そして今はというと
もう新しい音楽(BABYMETAL以外)にはなかなかついていけないお年頃ですので
もっぱら昔のアルバムを聴いてばかりいる次第です。

「プログレ好き」
「ハードロック好き」
「ヘヴィメタル好き」
そんな私にとって
『Fates Warning』と『Rush』というふたつのバンドは、私の好みを凝縮したようなものでした。
彼らの音楽がいわゆる「プログレッシヴ・ヘヴィメタル」という
プログレでありつつ、ハードロック&ヘヴィメタルでもあるというジャンルだったわけですから。
子どもたちの嗜好でたとえるなら
「カレーライスとハンバーグが一緒になった」という、この上ないステキなご馳走なわけです(笑)

因みにこの二つのバンド
「プログレッシヴ・ヘヴィメタルの始祖」として認識されているバンドです。
そして双方ともにその歴史は長く
フェイツ・ウォーニングがデビューして約25年
ラッシュに至っては、デビューしてから約40年以上!

そんな私の大好きなバンドの曲のなかからご紹介です。

『 The Light And Shade Of Things 』フェイツ・ウォーニング

相変わらずの暗さ(笑汗)
しかしフェイツ好きは、この暗さがたまらなく良いんです♪


『Test for Echo』ラッシュ

バンドのドラマー:ニール・パート先生によるドラミング映像です。


このふたつのバンド双方に共通点があって
どちらもドラマーの技術がとんでもなく高いということ!
フェイツのボビー・ジャーゾンベクも
ラッシュのニール・パート先生も
とにかくドラミングの技術が素晴らしいのです。
だから複雑なリズムでもまったく安心して聴けるわけですね。


・・・BABYMETALのYUIMETALちゃんが脱退しちゃった・・・(T_T)






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# by dscorp-japan | 2018-10-21 23:11 | 音楽 | Comments(5)

伯父のお葬式

 
またまた久々の記事更新で恐縮です m(_ _)m


先日の記事で書きました「結構へヴィな時間」というのが・・・
私事で恐縮ですが、先日私の母方の伯父が急逝しましてね。
すでに年齢は87歳だったのですが、普通に生活していたんです。
それが突然救急搬送されまして
搬送の翌々日には亡くなったということがあったんです。

搬送された病院ではすでに手の施しようがないという診断で
結局、強い鎮痛剤を投与して “ そのとき ” を待つという状態だったわけです。

となると伯父の家族としては
“ そのあと ” つまり「お葬式」のことを考えざるを得ない状況となり
不肖、葬儀屋さんである私が
アドバイザー的に駆り出されたわけです。

母方の家族は代々、曹洞宗の家系です。
したがって伯父もまた曹洞宗でありまして
母方の実家には菩提寺もあります。
故に仏教葬儀となります。
ウチの会社でもごく稀に仏教葬儀をお受けすることはあるのですが
伯父の家族(従姉妹たち)の意向で、いわゆる葬儀会館でのお葬式をすることとなりました。
したがって、弊社と業務提携している『葬儀会館ティア』に依頼することにしたわけです。

実はティアさんの社長である冨安社長は
私が以前在籍していた葬儀社時代の先輩です。
ティアさんには
冨安社長以外にも、何名かの先輩や仲間たちが在籍していらっしゃるんです。
そんなわけで
私としても、何かとお願いしやすいというわけなのです (^^ゞ


伯父が亡くなってから
私は基本的にあまり余分な口出しをしないように気をつけながら、後方からティアの係員さんの説明を聞くかたちで同行しておりました。
伯父のお葬式は、完全な家族葬(身内以外は一切招かない)だったので
私も、ティアさんには過分な気遣いをさせてしまわないように静かにしていたんですが・・・

・・・なァんか
昔の仲間たちが一人また一人と、弔問に来られるわけですよ。
伯父なんですから、そんな気遣いは無用なのに。
とはいえ
あちらから来て下されば、こちらとしてもお世話になっている御礼も言いやすかったわけで有難かったのですが。

いろいろと便宜をはかっていただいた御礼を申し上げて
ひとしきり伯父の話をした後はというと
どうしても同窓会的な話題にもなってしまうわけです (^^ゞ

「○○さんは元気?」
「△△さんは今何をしてるの?」
そんな、昔の仲間たちの近況の情報交換をしたあとは
今日の葬祭業界のお話にも及びます。

・・・思いのほかお話に花が咲いちゃったわけですが ^^;
昔の仲間たちが元気でいること、それぞれがそれぞれの場所で精進していることに
私は大いに勇気づけられたものでした。


そんなこんなで
おかげ様を持ちまして、伯父のお葬式は無事に終わりました。
伯父の家族たちもたいそう感謝しておりました。

今回の伯父の葬儀に際しては
いろいろと便宜をはかって下さったO専務やI課長をはじめ
『ティア御器所』のスタッフの皆様に、心から御礼申し上げます。








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# by dscorp-japan | 2018-10-13 22:51 | 葬儀 | Comments(4)

逃げない心

 
また記事更新をサボってました・・・
ただ、ここ二週間は
結構へヴィな時間を過ごしておりましたので(勝手に)「致し方なし」ということで
ご容赦いただければ、と m(_ _)m

            ♢

さて。
今日は本当に久しぶりに、のんびり過ごさせていただいております。
そんななか
朝のテレビ番組『ワイドナショー』のなかで、コメンテーターのモーリー・ロバートソンさんが仰っていたコメントが(なるほど)と思ったので取り上げます。

おそらく皆様すでにご存じの
とある芸能人さんの、飲酒運転による交通事故から芸能界引退に至った、あの件を取り上げていた際のコメントで仰っていたことです。

(事故を起こした瞬間、加害者がそのまま逃げてしまったことに関して)
「日頃から小さなリスクにちゃんと向き合っておくという
ある種の『基礎体力』を作っておく」

・・・おそらくこれ
誰にも当てはまることなのではないかと思うんですよ・・・

誰だって
(やっちまった!)(ヤバいどうしよう!)
と思うようなことをやってしまったこと、一度や二度ならずともあると思います。
やらかしてしまったことを激しく悔いつつ
叶うものなら、無かったことにならないものかと天を仰ぐようなこと。
でもそんな都合のいい奇跡など起こるはずもなく
最終的には、失態を自ら解決させる(或いは収束させる)しかないわけです。

問題はこの、解決(或いは収束)の「手段」なわけです。
何とかして、うやむやのうちに済ませてしまうのか。
それとも、起こしてしまった問題に真正面から向き合って対峙するか。
この選択もまた、当事者である自分に課せられるわけですが・・・
こうしたことに対して、暗にモーリーさんは
「(逃げずに)向き合って対処するという経験を積み重ねておくことで
不慮の事態が起こった際の『精神的な体力』が培われる」
と仰っているわけです。

・・・なるほど、ですよね。
もちろんそれを実践することって
すごくイヤだし逃げたいし、勇気のいることだと思います。
でも、モーリーさんの仰る通り
普段の小さなトラブルや失態から逃げずに、真正面から(とまではいかなくとも)向き合って対峙するという経験値が重要になるというのは、全く以てその通りだなぁと思うわけです。

            ♢

これは比較するにはあまりにも小さな話かもしれませんが・・・

以前在籍していた葬儀社で、いわゆる中間管理職に就いていたとき
私は部下から “ 爆弾処理班 ” などと呼ばれておりました ^^;
要は「クレーム処理係」という意味です。

管理職に登用されて間もなく
こんな事案が立て続けに起こったんですね。
(そんな葬儀屋さんもどうかと思うんですが)
もちろん第一段階では、直接関わった担当者が対処するわけですが
それで解決しない場合は当然、上司である私が出向くことになるわけです。
・・・イヤでしたよね~
自分の失態でもないのに
部下のやらかしてしまったことに頭を下げるのって、やっぱキツいですよ。
逃げたくて仕方なかったけれど、逃げようがない。

でも今となっては
あのときの経験がものすごく貴重なものだったと実感できるんです。
「逃げない」「うやむやにしない」「放置しない」という
「心の基礎体力」を鍛えてもらえたように思うんです。
この経験値が培われることで
「逃げずに」「迅速に」「誠意を持って」対処することがいかに大切かを学ばせていただいたと思っております。
そしてその経験は
いまこうして小さな葬儀屋さんを営む責任者として、仄かな心の支えにもなっているのではないかと。


・・・なァんてエラそうなことを申しておりますが
私だって、いつ交通事故を起こしてしまう加害者になるやもしれません。
そのとき私ははたして
ちゃんと「逃げずに」「誠意を持って」対処できるのか。
もちろん私にはまったく自信がありません。

でも最終的に
たとえ適切な対処は出来なくとも、逃げさえしなければ最悪の事態だけは免れることができるのではないかと。
せめて「逃げない心」だけは忘れないようにしたいものだと思う次第です。







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# by dscorp-japan | 2018-09-30 14:34 | 思うに・・・ | Comments(6)

神と私「一対一」

 
キリスト教徒の方ならご存知の事と思います。

→ ニュース記事
『 性的虐待対応で法王窮地=大司教が辞任要求、権力闘争か-バチカン 』

まず、聖職者たちによる性的虐待については
当然のことながら、とことん糾弾されるべきことです。
「言い訳無用」「弁解の余地なし」であります。
聖職者がなんぼのもんだろうと、ダメなものはダメ!

ではその次の段階として
教皇庁(ヴァチカン)が長年にわたってこれを隠蔽してきたことについて。
これも当然、糾弾されて然るべきことです。
カトリック教会という「組織を守るため」という大義名分によって
「ああそうなの。
カトリック教会では悪いことをしても、隠し通せればオッケーなのね。
あんたたちの信じる神様は、そう教えてるのね」
と受け取られても文句は言えないでしょう。


私はひとりのカトリック信者ですが
こと「ヴァチカン」という、世界中のカトリック教会を束ねる組織については
(どうせ今でも、いろいろやらかしてたり隠してたりするんでしょ)
と、懐疑的な思いで受け取っている部分があります。
現代社会における、最も巨大な「伏魔殿」じゃないかとさえ思っています。

「そんな怪しい宗教を、オマエは何故信仰するんだ」
・・・そう思われても致し方ないと思います。

ただ
私はその問いに、こう答えます。
「私が信じているのは、ヴァチカンという組織ではない。
救い主イエス・キリストという方だから」
と。

            ♢

私の基本的な考え方として
「神様(つまり父と子と聖霊)と私とは
このうえなくパーソナルな関係性であるべし」
というのがあります。
神様と私は
最終的には、誰の介入もない「一対一」の関係にあるのだと。

もちろん、私の信仰の手助けとなる「聖書」も大切。
さまざまな知見を教えて下さる聖職者の皆さんも大切。
共同体としての「教会」も大切。
祈りの手段としての「ミサ典礼」も大切。
でも、それらすべての助けを受けながら
最終的に私は「私一人で神様と対話する」関係性でありたい。

今の「組織」としてのカトリック教会の有様がどうであろうと
その組織に所属する多くの聖職者の方々がどうあろうと
「そこ」を見て神への信仰を疑うべきではないのだと。
神は間違いなく、その向こう側にいらっしゃるのだと。

            ♢

・・・これはあくまでも個人的な推測なんですが
きっとパパ様(フランシスコ教皇)は、今の「組織」としてのヴァチカンのなかで
様々な手枷足枷でがんじがらめになっていらっしゃるのではないでしょうか。
彼の信仰に基づいた理想を
具現化したくても出来ないというジレンマが、垣間見えるような気がします。

『週刊プレイボーイ』で
モーリー・ロバートソンさんがこんなコラム記事を上梓しています。

            ↓

文中にある
「フランシスコ法王が背負っている"何か"に目を向けず」
という表現が、ヴァチカンという「組織」を暗喩していることは多分間違いないでしょう。
もしかするとパパ様は「ヴァチカンのトップ」という
この上なく大きな、そして重い「十字架」を担ったということなのかもしれません。






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# by dscorp-japan | 2018-09-12 18:16 | キリスト教 | Comments(4)

自然・2

 
ここ名古屋地方も相当の暴風に襲われ
(これはちっぽけなことですが)
ウチの事務所のほんの一部が強風で飛ばされたという、台風21号。

特に甚大な被害があったという関西地方のことを思い遣っていた矢先
今度は北海道で大きな地震が。

これは個人的なことですが
私の弟家族が札幌市に住んでおりまして
そして私の父親は旭川市に居を構えております。
たまたまなのですが
あの地震のあった瞬間(6日午前3時過ぎ)私は仕事の関係で起きておりまして
自宅PCで作業していたところ、地震の一報をネットで知ったのでした。
とりあえず弟の携帯メールへ安否確認を入れたところ
瞬時に返信があって「大丈夫」とのことで一安心したのですが
午前4時頃、弟からこんどは電話が入りました。

「すごい揺れだったぞ。
あの地震があって、俺は急いで職場に来たんだけどさ」
弟は調剤薬局で働く薬剤師でして
停電すると影響がある精密機械が心配だったからとのことでした。

「アニキ(私)の方は大丈夫なの?」
いやいや
そっちで起きた地震だし、さすがにこっちまでは影響ないよと答えたのですが
どうやら私の弟
あまりの激しい揺れに、全国レベルで影響があったのではと心配したようです。
ともあれ
即座に職場に行けたわけですので、大事には至らなかったようです。

一方の父親ですが
あの地震からちょうど丸1日経過した現在、まだ連絡はついておりません。
元より、あまり電話に出ない人間ですし
ま、あの父親のことですから
電話などほったらかして、仕事のことで頭がいっぱいなのでしょう。
(齢83になりますが、とある社会福祉法人の理事長職に就いております)
日が明けたら、再度連絡を入れてみようと思っております。
でもこういう時くらい電話に出ろよとも思うんですけどネ・・・


・・・しかしどうしちゃったんでしょうね、地球・・・


とはいえ
四の五の言っても仕方ありません
被災された方々には心よりお見舞い申し上げますとともに
1日も早く、これまでの生活に戻ることができるよう祈るばかりです。
そして
今回の北海道での地震のため
他の被災地の皆様のことが忘れられがちにならないよう
私たちひとりひとりが意識しなければならないのではと思う次第です。


※ 9月7日追記
安否のはっきりしなかった父親には
今日ようやく連絡がつき無事が確認できました。




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# by dscorp-japan | 2018-09-07 03:40 | あったこと | Comments(4)

自然

 
9月4日午後3時現在
ここ名古屋エリアにも台風の猛威が襲ってきております。
あくまでも個人的な体感ですが
ちょっと今回の台風は尋常ではないレベルの暴風雨と感じます。

これは「幸運にも」と申し上げて良いでしょう
今現在、ウチの会社にお葬式のご依頼は入ってきておりません。
しかしおそらく
今日、お葬式を執り行われてる方もいらっしゃると思います。
大切な方のお葬式を、このような日に執り行われた方々には
お悔やみを申し上げますとともに、心よりお見舞い申し上げます。

私は葬儀屋さんですから
このような自然の猛威に晒されるたび、この瞬間にお葬式を執り行われていらっしゃった方々のことを思います。

阪神淡路大震災のときも
東日本大震災のときも
熊本地震のときも
先日の西日本豪雨のときも
あの瞬間、日本のどこかで大切な方を送る為のお葬式をされていた方が。間違いなくいらっしゃったはずです。
大きな悲しみのなか
予期せぬ自然災害に見舞われ、お葬式どころではなかったのだろうと。
そしてまた
そのお葬式をお手伝いされていた葬儀屋さんたちのご苦労。
本来なら自分自身を守ることに専心したいところを
葬儀屋さんとしてのお仕事を全うしようと、心と身体を割いてお客様に寄り添っていらっしゃる方々が、間違いなくいらっしゃることでしょう。
どうか過度なご無理などなされませぬようにと祈るばかりです。


誰もがご存じのことですが
どれだけ文明が発達しようと
どれだけ経済的に豊かになろうと
自然の猛威の前で、人は「等しく」無力なのだと痛感させられます。
億万長者さんも
社会的地位にある人も
自然の前では等しく無力なのだと。

私たち人間は
自然の前では、どこまでも謙虚でなければならないということ。
それはこれまでも
そしてこれからも決して忘れてはいけないこと。


どうか皆様、ご無事でありますように。











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# by dscorp-japan | 2018-09-04 15:29 | あったこと | Comments(2)

人の振り見て・・・

 
ようやく本業のお葬式が一段落して
今日はお休みを決め込んでノンビリしております・・・(^^ゞ


・・・実は先日
ちょっと、いや相当に衝撃的な光景を目にしてしまったんです。
衝撃的というのはつまり
他社の施行しているお葬式の様子を目の当たりにしたということなんです。
その日私たちは午前中のお葬式を終えて
スタッフみんなで「メシ食うべ!」ということで、行きつけのお店に出向いたら
その向かい側の集合住宅で、お葬式(というか出棺)の場面に出くわしたんです。

そのお葬式の当事者であるご遺族様や故人様のため
その詳細は申しあげられないのですが
そこの葬儀屋さん
少なくとも、私が担当者なら「絶対に」やらないようなことをやっていたんです。
死者の尊厳を守っているとは到底思えない、私からすれば蛮行。
私を含めた3人のスタッフが一台の車に乗り合せて店の駐車場に入って
その光景を目にした途端「おい!何じゃありゃ!?」
と、しばし私たち全員が絶句したほどの行為です。
(具体的なことがお伝えできず申し訳ないのですが・・・)

とにかくヒドイ!
これだけ葬儀屋さん業界が注目される昨今に
あの行為を平気でやってのけられる、その担当者の気が知れない。
その集合住宅前の道
大通りではないのですが、そこそこ交通量もあるし歩行者も行き交うところです。
それらの方々はまず間違いなく「あの光景」に目を留められたはずです・・・

事の成り行きが一段落するまでを車内からこっそり見守り
私たちは店に入ってからも、ひとしきりさっき見た光景について話しました。
「あれは絶対ないな」
「さすがにありゃ亡くなった人が可哀想だわ」
「○○さん(=私たち共通の業界の先輩)があれを見たら
間違いなく『みぞおちパンチ』か『尻キック』だな」

そして
あの葬儀屋さんに欠けているものって何だろうかという話になって
やはり
「故人や遺族の立場に立っていない」
「心が無いからあのような行為ができる」
という結論に達したわけです・・・

            ♢

結局のところ
葬儀屋さんに最も必要不可欠なスキルって「心」なんですよね。
もちろん専門的な知識や経験値も必要でしょう。
でも、どれだけ知識と経験値があろうと
心が伴わないのなら、その葬儀屋さんは完全に「失格」なのです、絶対に。

「思い遣りや気遣いは全く無いが、ベテランの葬儀屋さん」
「まだまだ勉強不足だけれど、常に遺族の思いに寄り添おうとする葬儀屋さん」。
少なくとも私なら間違いなく、後者を選ぶでしょう。


・・・と
エラそうに他の葬儀屋さんを非難しておりますが
あの日は私たちも、本当に良い勉強をさせてもらいました。

「あんな葬儀屋にはなるまい」
それはつまり
『人のふり見て我が振り直せ』ということに他ならないのでありましょう。






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# by dscorp-japan | 2018-08-28 23:05 | 葬儀 | Comments(4)

副葬品は誰の為

 
様々な考え方の方がいらっしゃいます。
私自身はカトリック信者ですが
ユダヤ教の方もイスラム教の方も
仏教の方も神道の方も
いわゆる新興宗教とされる宗教を信じる方の信仰も尊重しております。
そして
無宗教の方のことも、無神論者の方の考えも否定いたしません。
人の思いは自由なのですから。

            ♢

これを前提として
今回は「副葬品」のお話。

副葬品とは
簡単に申しますなら「柩のなかに一緒に入れてあげる物」のことを指します。
たとえば
昔の日本の風習のひとつに『冥銭(めいせん)』というのがあります。
一般にいわれるところの『六文銭(ろくもんせん)』というやつです。
よく
「三途の川の渡し賃」などと言われ、柩の中にお金を入れるという風習がありました。
ただ現在では
意図的に金銭を破損することは懲罰の対象になるとされるため『六文銭』を紙に印刷したもので代用するのが一般的です(キリスト教では入れません)。
今日では、故人様に縁のある品々
たとえば好きだった衣服、嗜好品(タバコやお菓子)
ご家族からご本人に宛てたお手紙などを入れられる方が多いのではないでしょうか。

しかしながら
こうした副葬品を柩の中に納めることが、無神論者の方々にとっては無意味な行為として映ることがあるようです。
もちろんそのようにお感じになられる方には
副葬品を入れて差し上げることを強要するものではありません。
実際、故人様のご遺体以外は何も納められない方もいらっしゃいます。
それはそれでいいのです。
故人様をお送りする皆様ご自身のお考えなのですから。


・・・ただ、私たち葬儀屋さんは心の中で思うのです。
(亡くなった人 “ だけ ” の為に納めるわけじゃないんだけどな)

故人様と一緒に副葬品を入れてあげる行為って
大切な方を悼むという「思い」をかたちにした行為でもあると思うんです。
つまりこれ
遺された方々のための「グリーフワーク」のひとつだと思うんですね。

神や仏が居ようと居まいと
「人間、死んだら『無』だ」と考えようと
私たちは亡くなった方のご遺体の前では、厳粛な思いにかられるものです。
亡くなられた方への尊厳の思い、愛情や感謝の思いを
私たちは何らかのかたちで表現することで、慰められることもあるということです。


・・・死者の為であると同時に
死者を弔う私たち自身の為の行為が「お葬式」なのだということなんです。
お葬式って、理屈だけじゃない。
一見、無意味な行為に思えることでも
それを実際に行ってみることで感じることがあったりするものなんですね。






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# by dscorp-japan | 2018-08-25 17:37 | 葬儀 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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