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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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冬の海

 
この繁忙期のさ中ではありますが
個人的な用件で母方の実家方面へ行ってきました。

私の母方の実家は愛知県のほぼ南端にあたる場所にあります。
海沿いの町(というか、村です実際)でして
夏になれば一応海水浴で賑わうのですが、オフシーズンともなるとまぁ過疎化の激しい感じの土地ではあります(汗)
実家は海岸から歩いて10分にも満たない場所にありまして
だから私も幼少の頃から海には慣れ親しんできました。
でも中学生の頃から
人けのない海の方が好きになりました。
もちろん泳ぐことも好きなんですけど(小学生時代は水泳部♪)
人けのない海で、静かに波の音を聴くのが無性に好きになりましてね~
だからオフシーズンの海、特に冬の海が大好きなんです。

ってなわけで特にこの時期
実家方面へ独りで行ったときは必ず海へ立ち寄るのであります。

冬の海_a0153243_20572153.jpg

2024年2月1日の海


・・・人っ子ひとりとして居やしません(笑)
でもそれでいい。
それが良いのです。


ついでといっては何ですが
あの映画を観て以降、冬の海を訪れると必ず頭の中で流れる曲があります。




# by dscorp-japan | 2024-02-01 21:33 | あったこと | Comments(2)

H先生

 
不肖、私めにも
何名かの、恩師と仰がせていただいている方がいらっしゃいます。
他に尊敬申し上げる方はたくさんいらっしゃるのですが
「恩師」ともなるとその人数は限られてきます。
そんな私の恩師のおひとりに
Hさんという方がいらっしゃいました。
その方は約40年に亘り、公立小学校の教職に就いていらっしゃいました。

H先生(と呼ばせていただきます)と私が出会ったのは
私がまだ大学生だった頃、教育実習で配属された小学校でした。
当時の私は結構生意気な大学生でして(汗)
若気の至りと申しますか「謙遜」とは程遠い、かなり傲慢な人間でありました。
配属された教育実習先の小学校でも
まぁ斜に構えた不遜な態度で臨んでいたんですね・・・
となれば当然
配属先の校長先生や教頭先生、指導教官であった先生からも(おそらく)目を付けられていたんじゃないかと思います。
H先生はその小学校の、教務主任でいらっしゃいました。
非常に寡黙な方で、まず無駄話をされない先生でした。
逆にその寡黙さが故に
私たち教育実習生の本質を見抜かれているような気がして、ひそかに実習生同士で警戒(笑)していたものでした。

ある日のこと。
教育実習生にあてがわれた控室で私がひとりで居たとき
扉にはめられたガラス窓から、H先生がこちらを覗き込んでいたんです。
咥えタバコでまったりしていた私(あの当時は教室でなければ喫煙OKだったんです)
慌てて火を消しながら、H先生に会釈しました。
するとH先生はほんのり笑みを浮かべながら部屋に入ってきて
「オカダ先生、どうですか」と声をかけてこられたんですね。
「はい、何とかやってます」とか答えたと思います。
するとH先生
「オカダ先生は変わった雰囲気の方ですね」
と言われたのを今でも覚えています。
それは多分、ですが
私が教育実習の成績に拘ってなかったというか、緊張感が無かったからじゃないかと思います。

そのときはそんな感じの会話で終わったと思うのですが
以降、私が一人のときを狙うようにH先生は私に声をかけて下さったんです。
そして
どういう話の流れだったか忘れましたが、私がカトリック信者であることを話すに至りました。
するとH先生はそれまで見たことがないくらいに表情を変えて驚かれ
「私もカトリックですよ」と仰ったんです・・・
そこからはもう一気に、たくさんお話ししました。
当時の私が所属教会の教会学校リーダー(いわゆる先生役)をしていたこと
同じく所属教会の侍者会の侍者長をしていたこと
当時のカトリック名古屋教区長であるアロイジオ相馬信夫司教様との関わり
そして一方で
私が実はそれほど子どもが好きじゃないと思っていること
自分は教育者に向いていないと思っていることなど
結構あけすけに私自身の思っていることもお話ししたんです。
H先生は終始、ただ微笑んで黙って聞いて下さったんですね。
・・・非常に身勝手な解釈ですが
H先生はそんな私のことを肯定してくださっていたように思うんです。
それが私にはとても有難かったし心強かった。
教育実習期間一カ月の後半二週間
私は毎日、半分はH先生に会いに行く感覚で登校していたものでした。

時は流れ
私がガッコの先生の職から離れて葬儀屋さんになり
再びH先生とお会いするようになりました。
H先生が所属する教会でのお葬式の場面で、です。
H先生は定年退職後
保護司として青少年の更生に携わりつつ、所属教会での葬儀の際の先唱者(いわゆる司会者です)として奉仕されていらっしゃいました。
私が教員の世界から離れたこと
葬儀屋さんになったこと
H先生は特に何も訊いてこられませんでした。
以前と変わったことといったら
私への呼び名が「オカダ先生」から「オカダさん」に変わったこと。
そして、お葬式を終えるたび
ただニコニコして私に何度も頷いてみせてくださいました。

更に時は流れ
昨年末、クリスマスの直前のこと。
H先生の奥様から「夫が危篤です」との一報が。
「夫から(葬儀は)オカダさんにとのことでしたので、その際はどうか」
・・・そしてとうとう
年が明けて間もない先日、H先生は90年のこの世でのつとめを終えて天国に旅立たれました。
私なりに精一杯、お葬式のお手伝いをさせていただいたつもりです。
でも
先生の安らかなご尊顔をみるたび、鼻の奥がつんとしました。
だから努めて、遺影のお姿を見ないようにしてお手伝いしました。
でも
葬儀ミサ・告別式を終えて出棺となったとき
遺影を手にする奥様を誘導する際、ちょっと我慢が出来なくなっちゃいました・・・
もちろん泣き崩れなどはしませんでしたけれど
ちょっと溢れてきてしまいました。
葬儀屋さん、失格でした。


ごめんなさい、思うがままに書いてます。
つまりは何が言いたいのかと申しますなら
やっぱり「ありがとうございました」なんです。





# by dscorp-japan | 2024-01-16 01:08 | 葬儀 | Comments(6)

大変遅くなりましたが

 
皆様
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

とはいえ
すでに皆様ご周知の通り、元旦夕刻に起きた能登半島の地震や飛行機事故などあって、能天気な私もさすがに明るくお祝いの言葉を口にするのが憚れる状況であります。

今年の年越し
私は名古屋市近郊のとある市民病院で迎える形となりました。
私が通院というわけではなく、もちろんお仕事です。
よって、日が開けた日の夕刻、あの地震があった時間
私はその病院のあるエリアにある教会で納棺式の真っ最中でした。
お身内や友人知人が約20名ほど集まって祈るなか
やにわに皆の持つスマホがけたたましく鳴り響き、その約30秒後
まるで大きな波に揺れる船のような揺れを感じました。

・・・その揺れ方は
今から13年前の東日本大震災があったときの名古屋エリアでの揺れ方にそっくりでした。
(これって、遠方で大きな地震があったときの揺れ方だろ・・・)

ゆっくりと大きな振幅で揺さぶられていたのが
時間とともにその振幅を小さくしていったのですが、私の記憶では約2分ほど揺れが続いたのではなかったでしょうか。
そこに集う皆様の動揺はありましたが、何とか納棺式は無事に終えました。
祈りが終わった途端
皆それぞれ一斉に自分のスマホを開き、そこここから「石川方面らしいぞ」「かなり大きいみたい」という声があがりました。

何となくその場に落ち着きが戻った頃、私はこんなことを考えていました。
(震源地に近いエリアでもきっと、今の俺たちと同じように弔いの場があったはず。
大丈夫なのだろうか)
そして思い至るのです。

もし俺がその場にいたら、どう対処しただろう。

            ♢

私は葬儀屋さんです。
だからどうしても、お葬式の場面とリンクして考えてしまいます。
あの日は元旦の夕刻ですが、通夜、或いはその準備に入っていた方がいらっしゃった可能性は大いにあるはずです。
そこに集っていたご遺族をはじめ、ご友人や知人の皆様
そして
そのお葬式を取り仕切っていらっしゃった葬儀社の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
さぞやお大変だったことと拝察申し上げます。
これは葬儀屋さんのみならずサービス業に携わる皆様全員に言えることなのでしょうけれど
自身のことを二の次にして、お客様へのアテンドや指示を優先させることがどれほど難しいことか。
恐れ。
不安。
焦り。
これは実際に経験された方にしか分からないことなのだと思います。
経験のない私は
ただただお見舞いを申し上げることしかできません・・・

            ♢

あらためて
今回の地震で命を落とされた方々の魂の安息をお祈り申し上げますとともに
被災された皆様方には、心よりお見舞い申し上げます。

「まさか元旦に」という思い
日本人全員、皆同じかと思います。
被災された皆様に、私は「前を向いて」などと言えません。
ただ
とにかく今は生きてください。
生きながらえてください。
すべてはそれから、のように思う次第です。






# by dscorp-japan | 2024-01-08 22:07 | Comments(4)

クリスマスのご挨拶。

 
皆様

主のご降誕、おめでとうございます!

クリスマスのご挨拶。_a0153243_02235991.jpg
12月24日のカトリック布池教会


復活祭もそうなのですが
クリスマスのような(教会で言うところの)大祝日ともなると、普段はなかなか教会でお会いしない方と再会できたりしまして
クリスマスを祝う想いとは別に、何だか仏教でいうところの法事というか、旧交を温める機会になったりもするわけです。
私は基本的に人が大勢集まる場所が苦手でして(笑汗)
そういう場所ではあまり周りの方々の顔を見ていなかったりするんです。
ところが私が無駄に背が高くて目立つようでして
皆さんの方から次々とお声をかけて下さるわけです、有難いことに。

以前に関わっていた教会学校の “同僚” の皆さん
侍者会の後輩たち
元気な様子を確認できると、そりゃやっぱり嬉しいものです。

・・・こんなことを思うのも、私が歳をとったからでしょうかね~

            ♢

司教様司式によるミサの説教の場面で
司教様が、今世界で起きている戦闘状態にある国々について触れられました。

国家や民族の問題についてはそれぞれの考えや価値観があるので、私個人としてはここで深堀することは控えたいと思います。
ただ
「戦地において、老若男女を問わず多くの方々がその命を奪われている」
という、厳然たる事実があります。

「私たちはその事実から決して目を背けてはならない」
などと、エラそうなことを申し上げるつもりはありません。
ただ
救い主がお生まれになったことを記念し祝うという、今日この時こそ
彼の地で恐怖に怯え、苦しんでいらっしゃる皆様に思いを馳せるくらいのことはしましょうよと
ほんの一時でも良いから彼らのために祈りましょうよと
心の底から思うのです。

以前にもあげましたが
やっぱり今年もこの歌を聴いて、一日も早く争いが無くなりますようにと願いたいと思います。





# by dscorp-japan | 2023-12-25 03:07 | キリスト教 | Comments(3)

映画 『おじいちゃん、死んじゃったって。』を観て思ったこと

 
久々の映画ネタ。


・・・何故今、この映画?って自分でも思います。

巷じゃ『ゴジラ-1.0』が評判のようだし
個人的には『エクソシスト 信じる者』に興味が尽きないところではあります。
何たって今年は “元祖”『エクソシスト』公開50周年だし
・・・ってことは
私の愛して止まないマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』が発表されて50周年というわけで
今回の『エクソシスト 信じる者』の予告にも、マイクのあのメロディが使われてたりしてて、否が応でも気になるところではあるんです。
でもまだ観に行ってない。
何故か分からないけど、映画館に足が向かない。

で、2017年公開のこの映画。
タイトルに惹かれたのは、葬儀屋さんのサガなんでしょうか・・・(笑)

映画内でお葬式に関する描写があると、どうしてもいちいち細かいところにツッコミを入れたくなるわけで、すると映画そのものを楽しめなかったりするわけですけれど
本作に関してはそういうことはありませんでした。
ちゃんと、普通に観ることができました ♪
まぁ基本的に淡々とした映画でして
何というか、結末に期待するというよりも物語のプロセスを楽しむ類の映画なんだと思います。

            ♢

本作の描写のなかで個人的に興味を持ったのが
いわゆる思春期世代にあたる親族(本作では「孫」の皆さん)の、お葬式に臨む思い、みたいなものでした。
本作に出てくる、亡くなったおじいちゃんにとっての孫の皆さん
どうやらおじいちゃんに対する思い入れがそれほど深くないような感じです。
・・・これ
私たち葬儀屋さんは散々見てきた光景だったりするんですね。
かなりあからさまに
“嫌々”
“面倒くさい”
という態度で来られる学生服の皆さん。
親御さんが先頭で、その後を俯き加減で式場に入ってこられる。
ポケットに手を突っ込んで
片手に持ったスマホから目を離すことなく
学生服の着こなしも(おそらくは)普段通り。
靴だって踵を踏んだスニーカーだったり。
もしかするとそれは彼らの本音なのかもしれないけれど
多少なりとも、思春期世代の照れくささみたいなものもあると思うんですね。

・・・私が歳をとったからなのでしょうか
そういう光景を見るにつけ、私は微笑ましく思ったりするんです。
若い頃の私だったら
(お前ら、場をわきまえろ)
(引率する親たちももっとちゃんとさせろ)
とか思ったりしたものなんですけれど
今はもう、そこに腹を立てることはほぼ無くなっちゃいました(笑)

私自身の感情を自己分析するに
多分ですが、私の視点はもうすでに故人目線になってきているのかもしれません。

(そうかぁ、嫌々連れてこられたかぁ)
(そりゃ面倒くさいよなぁ)
(悪かったなぁ)

お葬式が始まってからも
多くの場合、彼ら彼女らはあまり集中してない感じが見て取れたりします。
多くのキリスト教葬儀の場合、式次第が配られたりするわけなのですが
彼ら彼女らが式次第に目を落としていることはあまり無いようにも思います。
孫たちにとっての祖父母との距離感。
もちろん一概には言えませんが
そんなことを思わされたりします。

・・・でも
お葬式の典礼が終わって、親族が故人の柩を囲んでお別れをする際に至って
やっぱり彼ら彼女らの目には涙が浮かんでいたりするんです。
もしかすると
あの瞬間になってはじめて、彼ら彼女らは本当の意味で親族の「死」を実感するのかもしれません。
祖父母との距離感が一気に縮まるのが、あの瞬間なのかもしれません。
それが証拠に、というわけでもないのでしょうけれど
お葬式を終えて出棺、となった際
彼ら彼女らの背筋の伸び方が違って見えたりするんですよね・・・

(よしよし)

ご遺族を案内しながら
私はそんなふうに見てたりします
・・・ってなことを
本作を観ながら思い返しておりました、というお話でした。

            ♢

もうすぐクリスマスですね。
これも歳のせいなのか
カトリック信者でありながら、私は年々クリスマスへの意識が希薄になってきた気もするのですが(汗)
どうぞ皆様
良いクリスマスをお迎え下さいませ m(_ _)m






# by dscorp-japan | 2023-12-22 14:33 | 映画・テレビ | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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