不肖、私めにも
何名かの、恩師と仰がせていただいている方がいらっしゃいます。
他に尊敬申し上げる方はたくさんいらっしゃるのですが
「恩師」ともなるとその人数は限られてきます。
そんな私の恩師のおひとりに
Hさんという方がいらっしゃいました。
その方は約40年に亘り、公立小学校の教職に就いていらっしゃいました。
H先生(と呼ばせていただきます)と私が出会ったのは
私がまだ大学生だった頃、教育実習で配属された小学校でした。
当時の私は結構生意気な大学生でして(汗)
若気の至りと申しますか「謙遜」とは程遠い、かなり傲慢な人間でありました。
配属された教育実習先の小学校でも
まぁ斜に構えた不遜な態度で臨んでいたんですね・・・
となれば当然
配属先の校長先生や教頭先生、指導教官であった先生からも(おそらく)目を付けられていたんじゃないかと思います。
H先生はその小学校の、教務主任でいらっしゃいました。
非常に寡黙な方で、まず無駄話をされない先生でした。
逆にその寡黙さが故に
私たち教育実習生の本質を見抜かれているような気がして、ひそかに実習生同士で警戒(笑)していたものでした。
ある日のこと。
教育実習生にあてがわれた控室で私がひとりで居たとき
扉にはめられたガラス窓から、H先生がこちらを覗き込んでいたんです。
咥えタバコでまったりしていた私(あの当時は教室でなければ喫煙OKだったんです)
慌てて火を消しながら、H先生に会釈しました。
するとH先生はほんのり笑みを浮かべながら部屋に入ってきて
「オカダ先生、どうですか」と声をかけてこられたんですね。
「はい、何とかやってます」とか答えたと思います。
するとH先生
「オカダ先生は変わった雰囲気の方ですね」
と言われたのを今でも覚えています。
それは多分、ですが
私が教育実習の成績に拘ってなかったというか、緊張感が無かったからじゃないかと思います。
そのときはそんな感じの会話で終わったと思うのですが
以降、私が一人のときを狙うようにH先生は私に声をかけて下さったんです。
そして
どういう話の流れだったか忘れましたが、私がカトリック信者であることを話すに至りました。
するとH先生はそれまで見たことがないくらいに表情を変えて驚かれ
「私もカトリックですよ」と仰ったんです・・・
そこからはもう一気に、たくさんお話ししました。
当時の私が所属教会の教会学校リーダー(いわゆる先生役)をしていたこと
同じく所属教会の侍者会の侍者長をしていたこと
当時のカトリック名古屋教区長であるアロイジオ相馬信夫司教様との関わり
そして一方で
私が実はそれほど子どもが好きじゃないと思っていること
自分は教育者に向いていないと思っていることなど
結構あけすけに私自身の思っていることもお話ししたんです。
H先生は終始、ただ微笑んで黙って聞いて下さったんですね。
・・・非常に身勝手な解釈ですが
H先生はそんな私のことを肯定してくださっていたように思うんです。
それが私にはとても有難かったし心強かった。
教育実習期間一カ月の後半二週間
私は毎日、半分はH先生に会いに行く感覚で登校していたものでした。
時は流れ
私がガッコの先生の職から離れて葬儀屋さんになり
再びH先生とお会いするようになりました。
H先生が所属する教会でのお葬式の場面で、です。
H先生は定年退職後
保護司として青少年の更生に携わりつつ、所属教会での葬儀の際の先唱者(いわゆる司会者です)として奉仕されていらっしゃいました。
私が教員の世界から離れたこと
葬儀屋さんになったこと
H先生は特に何も訊いてこられませんでした。
以前と変わったことといったら
私への呼び名が「オカダ先生」から「オカダさん」に変わったこと。
そして、お葬式を終えるたび
ただニコニコして私に何度も頷いてみせてくださいました。
更に時は流れ
昨年末、クリスマスの直前のこと。
H先生の奥様から「夫が危篤です」との一報が。
「夫から(葬儀は)オカダさんにとのことでしたので、その際はどうか」
・・・そしてとうとう
年が明けて間もない先日、H先生は90年のこの世でのつとめを終えて天国に旅立たれました。
私なりに精一杯、お葬式のお手伝いをさせていただいたつもりです。
でも
先生の安らかなご尊顔をみるたび、鼻の奥がつんとしました。
だから努めて、遺影のお姿を見ないようにしてお手伝いしました。
でも
葬儀ミサ・告別式を終えて出棺となったとき
遺影を手にする奥様を誘導する際、ちょっと我慢が出来なくなっちゃいました・・・
もちろん泣き崩れなどはしませんでしたけれど
ちょっと溢れてきてしまいました。
葬儀屋さん、失格でした。
ごめんなさい、思うがままに書いてます。
つまりは何が言いたいのかと申しますなら
やっぱり「ありがとうございました」なんです。