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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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至極プライベートなことですし
今はこの世を去った私の父についてここで語ることを、はたして父は許してくれるのかどうか分かりませんが・・・

まずは私の父の名前について。
・・・おそらくは日本でも滅多にない名前かと。
私の父は岡田喜篤と申します。
さて、何と読むでしょう・・・?
喜篤と書いて「きとく」と読むんです。
「きとく」と読む単語にはいくつかあるともいます。
「既得」「奇特」そして「危篤」。
では父の職業は何かと申しますと、医者なのであります。
医者の名前が「キトク」ですよ・・・(汗)

その昔
よく電報定型文のひとつとしていわれてきた一文があります。

「チチキトク、スグカエレ」

・・・あ~そうですよ、私の父は「キトク」ですよ!
いつだってね!(笑)

            ♢

私が父の名前をイジったことで、父は怒ってるかもしれませんので(汗)
少々父の名誉回復を。

父は精神科医でした。
特に、重度心身障がい者の臨床医という分野で働いておりました。
私は医学の世界のことなど全く分かりませんが
どうやら父は、その世界では一時期それなりに名の通った医者だったようです。
決して天才肌ではなかったと思いますが、努力は人一倍していたと思います。
少なくとも(私などと違って)勤勉な人間だったことは確かかと思います。
幼少時、私は滅多に父の顔を見たことがありませんでした。
少なくとも
子どもの私が起きている時間に帰ってきたことは殆どありません。
父の部屋にはおびただしい量の医学書があり
子供の頃の私は、分からないながらも父の蔵書を読むことが好きでした。
なんせ私が起きている時間、父は殆ど家に居なかったのですから
「鬼の居ぬ間に」というやつです。
あくまで拾い読みではありましたが
中途半端に様々な病名や医学用語は頭に入ってきました。
そして何となくですが、父の職業にも憧れてもいました。
「大きくなったら医者になる」
その淡い憧れも
成長するにしたがって(俺には到底無理!)と悟るわけですが(笑)

そこそこ高名になった父は
医療系大学の学長を務めたり、社会福祉法人の理事長なんかもやっていたようです。
「やっていたようです」というのは
この約四半世紀、父は私たち家族とはほぼ接触がなかったんですね~
(このあたりのことは家族の問題なので触れずにおきます)

晩年の父は緑内障を患い、ほぼ視力を失いました。
その頃からでしょうか、父から私に連絡が来るようになったのは。
ようするに自身の終活的なことに関する相談だったわけですが
最終的に、終の棲家であった九州の施設で息を引き取ったというわけでした。

父_a0153243_22271324.jpg

父の遺骨葬です


努力の人ではありましたが
…まぁ~結構好きなように生きてきた人でもあります(笑汗)
家族としては複雑な思いもあるにはあったわけですが
息子として、最初で最後の親孝行(になっているかどうか分かりませんが)として
私は父の葬儀の喪主と、担当葬儀屋さんの二役を担ったというわけでした、とさ。







# by dscorp-japan | 2024-06-17 00:40 | あったこと | Comments(1)

サボっていた言い訳です

 
・・・もうね
何の予告もなく三カ月以上記事更新をサボって放置しておきながら
今さらブログ記事更新するってどうなのよ?ってお話なんですがね~

サボっていた理由はいくつかありましてね~

ひとつは、2月に弊社スタッフが一名退職したことがあります。
ウチのような超零細葬儀屋さんにおいて
スタッフ一名が抜けるとなると、結構な大ごとなんです。
そしてどういうわけか
そのスタッフが退職した直後からここずっと(本当にずっとです)
お葬式のご依頼が絶えませんでして、毎日走り回っていたという状況です。

そしてもうひとつが
私事ですが、私の父が春先頃から重篤な状態に陥りましてね
まぁそりゃ年齢が年齢ですから、私たち身内は覚悟していたわけなんですが
父は名古屋から遠く離れた九州の地で療養しておりましたので
父が亡くなったときの対処法をいろいろと検討したり準備したりしていたわけです。
先月末、父が亡くなりましてね~

結局、九州の地で父の亡骸は荼毘に付されまして
火葬後に父の遺骨を名古屋へ連れ帰りまして、先日私の所属する教会で葬儀を執り行った、という次第です m(_ _)m

父の葬儀については
またあらためて(私の気が向いたら)ここで書いてみようとも思います。
まずは取り急ぎ
長らくサボっていたお詫びと申しますか、言い訳をさせていただきましょうと(^^ゞ

            ♢

葬儀は一応無事に終えることが出来ましたが
このあとは死後の諸手続きとか、いわゆる相続のこととかあるわけでして
まだしばらく落ち着かない日々が続きそうではあります。

今後も確信犯的に(笑)サボりつつ
ちまちまとやっていきますのでよろしくお願いいたします。





# by dscorp-japan | 2024-06-02 22:49 | あったこと | Comments(8)

冬の海

 
この繁忙期のさ中ではありますが
個人的な用件で母方の実家方面へ行ってきました。

私の母方の実家は愛知県のほぼ南端にあたる場所にあります。
海沿いの町(というか、村です実際)でして
夏になれば一応海水浴で賑わうのですが、オフシーズンともなるとまぁ過疎化の激しい感じの土地ではあります(汗)
実家は海岸から歩いて10分にも満たない場所にありまして
だから私も幼少の頃から海には慣れ親しんできました。
でも中学生の頃から
人けのない海の方が好きになりました。
もちろん泳ぐことも好きなんですけど(小学生時代は水泳部♪)
人けのない海で、静かに波の音を聴くのが無性に好きになりましてね~
だからオフシーズンの海、特に冬の海が大好きなんです。

ってなわけで特にこの時期
実家方面へ独りで行ったときは必ず海へ立ち寄るのであります。

冬の海_a0153243_20572153.jpg

2024年2月1日の海


・・・人っ子ひとりとして居やしません(笑)
でもそれでいい。
それが良いのです。


ついでといっては何ですが
あの映画を観て以降、冬の海を訪れると必ず頭の中で流れる曲があります。




# by dscorp-japan | 2024-02-01 21:33 | あったこと | Comments(4)

H先生

 
不肖、私めにも
何名かの、恩師と仰がせていただいている方がいらっしゃいます。
他に尊敬申し上げる方はたくさんいらっしゃるのですが
「恩師」ともなるとその人数は限られてきます。
そんな私の恩師のおひとりに
Hさんという方がいらっしゃいました。
その方は約40年に亘り、公立小学校の教職に就いていらっしゃいました。

H先生(と呼ばせていただきます)と私が出会ったのは
私がまだ大学生だった頃、教育実習で配属された小学校でした。
当時の私は結構生意気な大学生でして(汗)
若気の至りと申しますか「謙遜」とは程遠い、かなり傲慢な人間でありました。
配属された教育実習先の小学校でも
まぁ斜に構えた不遜な態度で臨んでいたんですね・・・
となれば当然
配属先の校長先生や教頭先生、指導教官であった先生からも(おそらく)目を付けられていたんじゃないかと思います。
H先生はその小学校の、教務主任でいらっしゃいました。
非常に寡黙な方で、まず無駄話をされない先生でした。
逆にその寡黙さが故に
私たち教育実習生の本質を見抜かれているような気がして、ひそかに実習生同士で警戒(笑)していたものでした。

ある日のこと。
教育実習生にあてがわれた控室で私がひとりで居たとき
扉にはめられたガラス窓から、H先生がこちらを覗き込んでいたんです。
咥えタバコでまったりしていた私(あの当時は教室でなければ喫煙OKだったんです)
慌てて火を消しながら、H先生に会釈しました。
するとH先生はほんのり笑みを浮かべながら部屋に入ってきて
「オカダ先生、どうですか」と声をかけてこられたんですね。
「はい、何とかやってます」とか答えたと思います。
するとH先生
「オカダ先生は変わった雰囲気の方ですね」
と言われたのを今でも覚えています。
それは多分、ですが
私が教育実習の成績に拘ってなかったというか、緊張感が無かったからじゃないかと思います。

そのときはそんな感じの会話で終わったと思うのですが
以降、私が一人のときを狙うようにH先生は私に声をかけて下さったんです。
そして
どういう話の流れだったか忘れましたが、私がカトリック信者であることを話すに至りました。
するとH先生はそれまで見たことがないくらいに表情を変えて驚かれ
「私もカトリックですよ」と仰ったんです・・・
そこからはもう一気に、たくさんお話ししました。
当時の私が所属教会の教会学校リーダー(いわゆる先生役)をしていたこと
同じく所属教会の侍者会の侍者長をしていたこと
当時のカトリック名古屋教区長であるアロイジオ相馬信夫司教様との関わり
そして一方で
私が実はそれほど子どもが好きじゃないと思っていること
自分は教育者に向いていないと思っていることなど
結構あけすけに私自身の思っていることもお話ししたんです。
H先生は終始、ただ微笑んで黙って聞いて下さったんですね。
・・・非常に身勝手な解釈ですが
H先生はそんな私のことを肯定してくださっていたように思うんです。
それが私にはとても有難かったし心強かった。
教育実習期間一カ月の後半二週間
私は毎日、半分はH先生に会いに行く感覚で登校していたものでした。

時は流れ
私がガッコの先生の職から離れて葬儀屋さんになり
再びH先生とお会いするようになりました。
H先生が所属する教会でのお葬式の場面で、です。
H先生は定年退職後
保護司として青少年の更生に携わりつつ、所属教会での葬儀の際の先唱者(いわゆる司会者です)として奉仕されていらっしゃいました。
私が教員の世界から離れたこと
葬儀屋さんになったこと
H先生は特に何も訊いてこられませんでした。
以前と変わったことといったら
私への呼び名が「オカダ先生」から「オカダさん」に変わったこと。
そして、お葬式を終えるたび
ただニコニコして私に何度も頷いてみせてくださいました。

更に時は流れ
昨年末、クリスマスの直前のこと。
H先生の奥様から「夫が危篤です」との一報が。
「夫から(葬儀は)オカダさんにとのことでしたので、その際はどうか」
・・・そしてとうとう
年が明けて間もない先日、H先生は90年のこの世でのつとめを終えて天国に旅立たれました。
私なりに精一杯、お葬式のお手伝いをさせていただいたつもりです。
でも
先生の安らかなご尊顔をみるたび、鼻の奥がつんとしました。
だから努めて、遺影のお姿を見ないようにしてお手伝いしました。
でも
葬儀ミサ・告別式を終えて出棺となったとき
遺影を手にする奥様を誘導する際、ちょっと我慢が出来なくなっちゃいました・・・
もちろん泣き崩れなどはしませんでしたけれど
ちょっと溢れてきてしまいました。
葬儀屋さん、失格でした。


ごめんなさい、思うがままに書いてます。
つまりは何が言いたいのかと申しますなら
やっぱり「ありがとうございました」なんです。





# by dscorp-japan | 2024-01-16 01:08 | 葬儀 | Comments(6)

大変遅くなりましたが

 
皆様
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

とはいえ
すでに皆様ご周知の通り、元旦夕刻に起きた能登半島の地震や飛行機事故などあって、能天気な私もさすがに明るくお祝いの言葉を口にするのが憚れる状況であります。

今年の年越し
私は名古屋市近郊のとある市民病院で迎える形となりました。
私が通院というわけではなく、もちろんお仕事です。
よって、日が開けた日の夕刻、あの地震があった時間
私はその病院のあるエリアにある教会で納棺式の真っ最中でした。
お身内や友人知人が約20名ほど集まって祈るなか
やにわに皆の持つスマホがけたたましく鳴り響き、その約30秒後
まるで大きな波に揺れる船のような揺れを感じました。

・・・その揺れ方は
今から13年前の東日本大震災があったときの名古屋エリアでの揺れ方にそっくりでした。
(これって、遠方で大きな地震があったときの揺れ方だろ・・・)

ゆっくりと大きな振幅で揺さぶられていたのが
時間とともにその振幅を小さくしていったのですが、私の記憶では約2分ほど揺れが続いたのではなかったでしょうか。
そこに集う皆様の動揺はありましたが、何とか納棺式は無事に終えました。
祈りが終わった途端
皆それぞれ一斉に自分のスマホを開き、そこここから「石川方面らしいぞ」「かなり大きいみたい」という声があがりました。

何となくその場に落ち着きが戻った頃、私はこんなことを考えていました。
(震源地に近いエリアでもきっと、今の俺たちと同じように弔いの場があったはず。
大丈夫なのだろうか)
そして思い至るのです。

もし俺がその場にいたら、どう対処しただろう。

            ♢

私は葬儀屋さんです。
だからどうしても、お葬式の場面とリンクして考えてしまいます。
あの日は元旦の夕刻ですが、通夜、或いはその準備に入っていた方がいらっしゃった可能性は大いにあるはずです。
そこに集っていたご遺族をはじめ、ご友人や知人の皆様
そして
そのお葬式を取り仕切っていらっしゃった葬儀社の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
さぞやお大変だったことと拝察申し上げます。
これは葬儀屋さんのみならずサービス業に携わる皆様全員に言えることなのでしょうけれど
自身のことを二の次にして、お客様へのアテンドや指示を優先させることがどれほど難しいことか。
恐れ。
不安。
焦り。
これは実際に経験された方にしか分からないことなのだと思います。
経験のない私は
ただただお見舞いを申し上げることしかできません・・・

            ♢

あらためて
今回の地震で命を落とされた方々の魂の安息をお祈り申し上げますとともに
被災された皆様方には、心よりお見舞い申し上げます。

「まさか元旦に」という思い
日本人全員、皆同じかと思います。
被災された皆様に、私は「前を向いて」などと言えません。
ただ
とにかく今は生きてください。
生きながらえてください。
すべてはそれから、のように思う次第です。






# by dscorp-japan | 2024-01-08 22:07 | Comments(4)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
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