D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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『 A change Of Seasons 』 ドリーム・シアター

 
久々のドリーム・シアター(以下:DT)。

とは申しましても
ここでこのバンドの作品を紹介するのは、これが最後になるかもしれません。
大好きなドラマー:マイク・ポートノイが脱退した以降のDTの作品は、どうにも私にはしっくりこないんです。
しっくりこないと思いながらも
新作がリリースされるたびにアルバムは購入するんですが・・・^^;

ということで
今回は、私が個人的にDTの最高傑作だと思っている曲をご紹介します。
この先、本作を超える作品を出してくれるといいんですがネ~

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1995年発表の企画アルバム『 A change Of Seasons 』


このアルバムが「企画モノ」であるというのは
今回取り上げるタイトル曲以外すべて、他の名立たるバンドの名曲をカヴァーしたものばかりだからだということです。

で、ここで取り上げるのは当然タイトル・チューン。
一曲で、約23分。

・・・プログレッシヴ・ヘヴィメタルの曲として
個人的には超名作だと思っております。
多くのDTファンの方々は
『Metropolis Part2 : Scenes From A Memory 』を彼らの最高傑作に挙げられるようですが、個人的には今回ご紹介する曲の方が好き。
本作リリース以降、私はこの曲をもう何百回も聴いてきております。
でも、全然飽きません。




曲の展開や緩急
変拍子のつなげ方
それぞれの楽器(ドラムを含めた)のアレンジと個性
そしてもちろん、メロディも
すべてが高次元で融合していると、個人的には思っております。

            ♢

・・・20代の頃から聴いてきたバンドですから
そりゃ今でも思い入れが無いわけじゃないんです。
だから今でも新作が出るたびに買ってる。
そしてそのたび、ちょっとガッカリする ^^;

やっぱり
このバンドはマイキーがいないとダメなのかなぁ・・・





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# by dscorp-japan | 2017-06-12 00:06 | 音楽 | Comments(2)

先輩:Kさんが亡くなられた

 
それだけ私も歳を重ねたということなのでしょうか・・・
一昨日
私の大切な先輩がまたおひとり、浄土へと旅立たれました。


その先輩:Kさんは
私が以前在籍していた葬儀社の先輩であります。

その会社はすでに他社に吸収され、会社としての実態は無いに等しいのですが
今はそれぞれ離れ離れとなった仲間たち皆、現在でもそれなりに連絡を取り合ったり、時には集まって食事を共にしたりしております。
先輩後輩を問わず
「同じ釜の飯を食った仲間」という意識が今も続いております。
ですからKさんの訃報も
お亡くなりになられてすぐ、私どもにも連絡が入りました。


・・・私はKさんとの関わりについて
いま、非常に後悔していることがあるんです・・・

Kさんと最後にお会いしたのは昨年の10月。
やはり同じ仲間だったMさんがお亡くなりになられ、その通夜の席でした。
通夜に参列した後
皆で喫茶店に場所を変えて、Mさんの思い出話をしたんです。
そこにKさんも同席されておられました。

その席で、Kさんは仰ったんです。

「ねェオカダちゃん(=私)
また今度、あらためてみんなで集まろうよ。
みんなの元気な顔が見たいじゃん」

皆、口々に「いいね」「是非やろう」と話し合ったんですが
同じ業界にいる人間たちとして、どうしても冬場は時間が取りづらいことが分かっています。

「そうですね~
冬を越して、暖かくなって現場仕事が落ち着く時期がいいですね~」

そこでKさんが仰ったんです。

「でも出来るだけ早くが良いんだけどなァ・・・」


そのお言葉の意味が何を表しているのか、正確には分かりません。
・・・でも
もしかするとご自分に残された時間をご存知だったとしたら・・・

現在分かる限りで申しますと
あの時点ではまだ、ご自分がガンに侵されていらっしゃることが判明していたわけでもないそうです。
実際、あのときのKさんはいつも通りだった。
でも、タバコは止めていたんですよね・・・

・・・すべて、私の杞憂かもしれません。
でも、私はどうしても思ってしまう。
(もっと早く、Kさんがお元気なうちに企画すべきだった・・・)


優しかったKさんことだから
きっと彼は「そんなこと気にせんで良いよォ」と仰って下さることでしょう。
でも
私としては申し訳ない思いが拭い去れないんです・・・


『 孝行の したい時分に 親は無し 』


お柩のなかに眠るKさんは
ほんのり照れ笑いを浮かべているような、穏やかな表情でした。





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# by dscorp-japan | 2017-06-06 00:00 | 葬儀 | Comments(6)

夢を見た。

 
普段の私、夢を見ません。
というか
夢自体は見ているのでしょうけれど、目を覚ますと何一つ記憶に残っておりません ^^;
そんな私ですが
今朝方見た夢のことを珍しく覚えていたので、今回はその夢の顛末を。

・・・何たって「夢」ですから
お話に脈略など一切ございません。
そして、大したオチもございませんので悪しからず m(_ _)m

            ♢

夢の中の私、いきなりどこかの火葬場の従業員でした。
次から次へと入ってくる霊柩車を火葬炉の前に誘導して
何故か、私が霊柩車の運転手のところへ行って火葬の受付をしておりました。

そんなところへ
一台、やたらと派手な霊柩車が入ってきたんです。
今となっては少数派の
仏教葬儀で使用されていた、金襴飾りの豪勢な「宮型霊柩車」。
その金襴飾りがあまりにも豪勢過ぎて
その車高は5メートルにも届かんという高さ(夢ですから)。

その霊柩車
火葬場に入ってきたときから、頭でっかちのせいでフラフラしてたんです。
夢の中で私、思ってました。

(どこの業者だァ?あんな飾り付けて、アホちゃうか)

目を凝らしてみてみると
その霊柩車のベース車両は4WDの車。
多分、ハイラックス・サーフとかだったと思います。

(いくら四駆のRVベースでも、ありゃやり過ぎだろ)

敷地内に入ったその霊柩車
載せているお柩を降ろすスペースに近づいて行ったんですが・・・
突風に煽られて、横倒しに転倒してしまったんですね(夢の中じゃ予想通りの展開)。

(・・・やりおった!)

急いで転倒した霊柩車に駆け寄ると
運転手さんが降りてきて、参ったなァといった表情で頭を掻くばかり。

するとそこへ
(何故か)私が以前在籍していた葬儀社時代の上司が私の傍に駆け寄ってきて
「オカダさん!すぐに『アレ』を持ってこい!」

・・・この上司
緊急時に何か持ってこいと命令するときは、いつも「アレ」という ^^;
私たち部下は、彼のいう「アレ」が何であるかを即座に判断しなければなりません。
この場合の「アレ」とはつまり
「ご遺体を移し替えるための新しい棺」であります。

私は急いで、新しい棺を取りに行きます。
その先というのが、何故か体育館 ^^;

(このあたりが元ガッコのセンセらしい夢の展開デス)

・・・体育館には大抵、倉庫が併設されています。
各種運動器具とか、体育大会の備品とかが収納されていたりします。
夢の中の私は
そこに新しい棺がストックされていると思ったのでしょうね~

今日の棺って
その多くが、折り畳み式で納品されて、使用時にこれを組み立てるタイプのものです。
体育館倉庫には、いくつかの種類の棺があったのですが
私はその中でもいちばん豪華な棺をチョイスします。
何故なら、私には命令した上司の考え方が分かるから。
すなわち
「アクシデント発生時の対応は、やり過ぎくらいで丁度いい」。

ホントはこれ
火葬場側に責任があるわけでもないんです。
完全に業者さん(葬儀屋さん or 霊柩会社さん)の責任です。
しかしながら、上司の考え方に照らし合わせれば
「可能な限り最上のサービスをせよ。後のことは後で考えればいい」
ということになるわけです。

・・・しかし私
夢の中でこんなこと考えてるんですね・・・

それはともかくとして
私は一刻を争う感じで、組み立て前の棺を梱包されたまま抱えて走りました。
必死こいて転倒した霊柩車のそばまで走り寄って
いざ梱包を開けてみると・・・何と空っぽ!(何度も言いますが、夢ですから)

・・・私、冷や汗ダラダラ。
・・・私の上司、大激怒!

「何やっとるんだオカダさん!
何で中身を確かめないんだ!」

・・・と、そこで目が覚めましたよ、と ^^;

            ♢

至極下らん夢です。
夢のない夢、です。

せっかく
珍しく覚えていた夢が、こんなんです。

どなたかに夢診断してもらおっかなぁ・・・





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# by dscorp-japan | 2017-06-03 17:20 | あったこと | Comments(2)

葬儀屋さんの「忖度」

 
少し前のニュース記事になるんですが
私はこの記事を読んでからずっと、これに触れようか触れまいかと迷っておりました。

『葬式にサプライズ的演出 「太陽にほえろ!」生演奏など』
 (早晩、リンク先の記事が削除されるかもしれませんが悪しからず)

このニュース記事にあるエピソードが事実かどうか分かりません。
きっかけがあの、宗教学者:島田裕巳氏ですし ^^;
それはともかく
仮にこのニュース記事で書かれている通りなら、これは葬儀屋さんサイドによる「感動するお葬式を演出しよう」という、甚だひとりよがりなサービスの失敗例だったということになります。


すでにここでも何度か申し上げておりますように
私は、葬祭業界の一部企業などが声高に謳う『感動葬儀』という表現と方針に、懐疑的な立場をとる者です。
はっきり申しますなら、大反対です。

→ 過去記事①『「おくりびと」は誰か』
  過去記事②『私の葬儀の先生が・・・』 
  過去記事③『ありがたいこと』
  過去記事④『やっぱり葬儀屋さんは「黒子」であるべし

もちろん、葬儀屋さんはお葬式をお手伝いする「プロ」です。
「少しでも良いお葬式にしよう」
「お客様により喜んでいただけるようにしよう」
そう考え、取り組むこと自体は全く間違っていないでしょう。
但しそこには
可能な限りご遺族とのコミュニケーションをとって、お亡くなりになられた方やご遺族が何をお望みなのかを推量することが不可欠要因としてあります。
これを葬儀屋さんたちは、よく「寄り添う」という表現をします。

・・・最近注目される表現を使うなら
「忖度」ということになるでしょうか・・・


葬儀不要論者の皆様が「お葬式なんて要らない」と仰る理由を考えるとき
その大きな要因のひとつに、私は、葬儀屋さんによる「忖度」が間違っていたことがあると思っております。
それはもちろん、ごく一部の葬儀屋さんによるものだとは思いますが
「忖度」の出来ない葬儀屋さんが「忖度出来ている」と勘違いすると「感動葬儀」も押し売りになるし「サプライズ演出」も大きなお世話でしかない。

もちろん
ニュース記事にある葬儀屋さんに悪意などないはずなのです。
ただ
葬儀屋さんの考える「良かれと思って」が、ときとして間違っていることがあるのだということです。

「忖度」の間違いです。


私の考える、最も大切な葬儀屋さんの「忖度」とは
「葬儀屋ごときがヘタに出しゃばらないこと」
「故人様とご遺族のことを知ったようなフリをしないこと」
そしてやはり
「葬儀屋は黒子に徹するべし」
ということになるのであります。





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# by dscorp-japan | 2017-06-02 16:28 | 葬儀 | Comments(2)

捨てられなかった

 
葬儀屋さんをさせていただいておりますと
おそらくは他の職種の方々以上に、早くから自分の「死」とその後について考えを巡らせるものだと思います。
私もまたそのうちの一人でして
自分の記憶する限り、今から20以上前の30歳あたりから、ぼんやりとながらも自分の死について考えるようになったと記憶します。
(オレの寿命はどのくらいなんだろ?)
(まァその時はその時だな)

そして、私は独り身です。
(いまオレが死んだら、誰が後始末をしてくれるんだ?)
・・・つまり
私の心配事はこれに尽きるのです。


まァ、いざというときはおそらく
同じ県内に生活する妹の世話になるしかないのだと思います。
(弟もおりますが、彼は北海道なのでちょっと難しい)

妹は結婚しておりますが、DINKsです。
「だから甘えても良いのだ」などと開き直るつもりはありませんが
現実的には、そうせざるを得ないというのが実情かと (^^ゞ

私の場合、お葬式はいいんです。
ウチの会社の人間に、まァ適当にやってもらえば良い。
そのためのお金もすでにキープしてあって
「オレが死んだらこの金で、ちゃんと会社の売上としなさい」と伝えてあります。

問題は、それ以外のこと。
何かといろいろあるわけですが
いちばんの問題は、私の住まい(賃貸マンション)にある私の持ち物。
もちろんその時がきたら好き勝手にしてもらえば良いんですが
妹にしてみれば、どう処理して良いか分からないものがあると困るわけですよね。

家具?
全部処分で良いです。
欲しけりゃあげるけど、要らんでしょ。

オーディオ類?
欲しけりゃ妹夫婦にあげるし、要らなきゃ捨てて良い。

ギター?
さすがに妹は楽器をやらないからなぁ。
捨ててもらっても良いんだけど、結構良いギターもあるしなぁ。
誰かギター弾くヤツに譲ってもらうか。

私の絵と画材?
ンなもん、ポイですよポイ。


・・・問題はですね
手紙とか写真類なんですよ。
もちろん私は全部捨ててもらって良いんですけれど
妹にしてみれば、軽々に可燃物のごみ袋に入れるのを躊躇するかもしれません・・・


手紙とか写真って、なかなか捨てられないものですよね~
特に私の場合
ガッコのセンセ時代の手紙や写真が結構あったりするんですね。
生徒からもらった手紙とか
卒アルとか文集とか
顧問をしてた部活の写真とか。

私が捨てられないものを、妹が簡単に捨ててくれるだろうか・・・


ということで
実は昨日、久しぶりに現場のお仕事が一段落したので『断捨離』をやってみようと思い立ったんです。
手紙と写真の。

・・・出来なかった orz

捨てられなかった。
何か、申し訳なくて。
手紙にしろ写真にしろ
基本的にはどなたかから頂いたものばかりなんですよね。
(私は写真が大嫌いなので、自分で撮った写真など皆無ですから)


・・・そういえば
PCのなかに保存されているデータとか
携帯電話のなかにある各種情報とかも
持ち主が死んだ後って、その処理に困るんでしたよね~

・・・う~ん (><)







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# by dscorp-japan | 2017-05-29 00:00 | 思うに・・・ | Comments(10)

サルヴェ・レジナ

 
他のカトリック教区のことは存じあげませんが
カトリック名古屋教区においては、聖職者(司祭、修道士など)が帰天された際
そのお葬式(葬儀ミサ・告別式)の最後(ご出棺の直前)に、参列した司祭団が柩を囲んで『サルヴェ・レジナ』を歌います。

今月はじめにあったアントニサーミ・サガヤラージ神父様のご葬儀でも
今日行われたペトロ・七種照夫神父様のご葬儀でも歌われました。


『サルヴェ・レジナ(Salve Regina)』。
一般的な和訳では『元后あわれみの御母』となります。
分かりやすく申しますなら『聖母マリア』を指します。
どのような祈りなのかをご説明するには
その祈りの言葉をお読みいただいた方が早いかと思います。

(文語体の祈り)
元后、憐れみ深き御母、われらの命、慰め、および望みなるマリア、
われらちくたくの身なるエワの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、
この涙の谷に泣き叫びて、ひたすら仰ぎ望みたてまつる。
ああ、われらの代願者よ、
憐れみの御眼(おんまなこ)もてわれらを顧みたまえ。
またこのちくたくの終わらん後(のち)、
尊き御子(おんこ)イエズスをわれらに示したまえ。
寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。


(口語体の祈り)

元后、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、
なげきながら、泣きながらも涙の谷にあなたを慕う。
われらのためにとりなすかた、あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエズスを、旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる 喜びのおとめマリア



これを
ご葬儀の際には、司祭団がラテン語で歌うんですね。

Salve Regína, Máter misericórdiæ,
Víta, dulcédo et spes nóstra, sálve.
Ad te clamámus éxsules fílii Hévæ.
Ad te suspirámus geméntes et fléntes
in hac lacrimárum válle.
Eia ergo, advocáta nóstra,
íllos túos misericórdes óculos ad nos convérte.
Et Jésum, benedíctum frúctum véntris túi,
nobis, post hoc exsílium osténde.
O clémens: O pía: O dúlcis Vírgo María.


・・・これが美しいんですよ、本当に。

司祭団が歌いますから、男性合唱です。
しんと静まり返った聖堂に響く、伴奏なしのアカペラで歌われるサルヴェ・レジナは、本当に心が洗われるように感じます。




わずか2分ほどの祈りの歌声に包まれ
私たちは、聖母マリアの御取り次ぎを切に祈るのであります。






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# by dscorp-japan | 2017-05-26 21:37 | キリスト教 | Comments(6)

訃報

 
カトリック神言修道会司祭
ペトロ・七種 照夫神父様が、5月23日午後3時52分に帰天されました。

通夜ならびに葬儀ミサ・告別式は下記の通り執り行われます。




    通夜・・・・・・・・・・5月25日(木)午後7時より
    葬儀ミサ・告別式・・・・5月26日(金)午前10時より12時
    式場・・・・・・・・・・カトリック五反城教会
                名古屋市中村区二瀬町27
                ℡ 052-412-3456


(教会へのアクセスについては上記リンク先をご参照ください)

※ 香典・供花・供物等、固くご辞退申し上げます。


どうぞ皆様、七種神父様の魂の安息をお祈りください。





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# by dscorp-japan | 2017-05-23 23:22 | キリスト教 | Comments(2)

お葬式で使われる生花は「使い回し」されるのか

 
・・・最近では減ったんですけれど
それでも今も時折訊かれるんですよ、これ。


おそらくは「古今東西」と申し上げていいでしょう。
お葬式に生花は「マストアイテム」と言って差し支えないと思います。
太古より私たち人間は
亡くなった大切な人を弔う際に、その亡骸の傍らに花を手向けてきたといわれます。
( → 過去記事
多分この先も
たとえお葬式の小規模化が進もうとも
葬送の典礼が簡素化されようとも
そのボリュームの多寡は別として「死者に花を手向ける」という行為は継続されていくのではないかと思います。


・・・で、生花の「使い回し」について。

今から約20年近く前
以前私が在籍していた葬儀社では、たしかにやってました ^^;
もちろんすべての生花を使い回したわけではありませんが
いわゆる仏教葬儀で葬儀社が用意する段飾りの祭壇の横に添えられる、白菊を使った祭壇脇の生花(当時の私たちは「ガンヅケ」と呼んでおりました)は正直、2~3回の葬儀にわたって使い回しておりました・・・
これは言い訳にもなりませんが
私の知る限りにおいてあの当時、少なくとも私たちのエリアにおいては、それが半ば当たり前だったように記憶します。

・・・時は移って現在。
「使い回し」をしていないことを特段に誇るわけではありませんが
少なくともウチの場合、まったくやっておりません。
皆無です。
おそらく他の多くの葬儀社さんも、今はやっていないと思いますよ。

たとえばウチの場合で申しますと
まず、絶対的な生花の量がそれほど多くありません。
ウチの一般的な生花飾りは、お柩の周りに洋花をあしらった生花飾りで囲む程度でして
ここに飾られる生花のほぼすべては、最後のお別れの際にお柩のなかに手向けられるからです。
仮にその生花が余った場合も
(ご遺族様のご意向にもよりますが)その多くは、葬儀を行った教会に寄贈されたり、参列者の皆様に摘み取ってお持ち帰りいただきます。
そして何より大前提として
ウチの場合すべて洋花を使用しますので、使い回しが難しい(というか出来ない)んですね・・・

・・・なんか妙に言い訳がましいなァ ^^;


ということで(笑汗)
おそらく今日の多くの葬儀屋さんは、生花の使い回しはそれほどやってないと思いますけどね~
(他社さんの実態はそれほど知りませんけど)






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# by dscorp-japan | 2017-05-17 15:35 | 葬儀 | Comments(2)

ファティマの聖母出現・100周年

 
陰謀論や都市伝説系のお話が大好きな私でありますが
ことファティマにおける聖母出現の話については、個人的に真摯にとらえたいと考えるものであります。


ちょうど100年前、1917年の今日は
ポルトガルの小さな町・ファティマにおいて「三人の牧童の前にはじめて聖母マリアが出現された」といわれる日であります。
今日、ヴァチカンはこの聖母出現を公に認めているとされ
毎年の5月13日は『ファティマの聖母』の記念日と定められております。
そして今日
今は巡礼地となっているファティマにおいて、三人の牧童のうちの二人であるフランシスコとヤシンタ(ジャシンタ)の列聖式が、教皇フランシスコによって行われるとのことです。



ファティマの聖母出現に関する詳細は
恐れ入りますが、皆様それぞれでネットなどでお調べください。
そのうえで何が真実で何が偽りの情報なのか、各自でご判断いただければと思います。
何故なら、私などが「実はこういうことなのですよ」などと申し上げたところで、それを信じるか否か、或いはその真偽を判断するのは皆様個々人に委ねられるべきだと思うからです。



・・・私のスタンスは以下の通りです。

個人的に、聖母マリアの存在はもちろん信じております。
そして、ファティマの聖母出現も信じております。
そこでマリア様が語ったとされるメッセージ(敢えて『予言』という表現は差し控えさせていただきます)についても、私なりに真摯に受け止めたいと考えます。

何故信じるのか。
聖母マリアによる具体的なメッセージの真偽を議論する前に
私はただ「祈りなさい」「回心しなさい」「罪を遠ざけなさい」といった、カトリック信徒にとって最も基本的な啓示に、真理を感じるからであります。
聖母マリアのメッセージについて
巷では「○○年に世界が滅びる」などといった推測が後を絶ちません。
(一説には、その日はまさに「今日」であるという説もあります)
しかし私は
世の終わりがいつであるかを論じる前に
聖母マリアのメッセージは、常に「今」の自分に向けられたものであると理解したうえで、ただ謙虚に受け止めたいと考えます。

『祈りと犠牲』。

とは申しましても
きっと私は、今日も明日も明後日も
変わらず罪を犯し続けることでしょう。
「犠牲を払え」といわれても
意志の弱い私は、これからも楽な道を選び続けることでしょう。

ならばせめて
ファティマの聖母が勧められた「ロザリオの祈り」を唱えることだけでも続けたいと思います。


最後に
『ファティマの祈り』を記します。

(私が学生時代に覚えたのが、以下のような文語体の祈りです)

ああ我がイエズスよ、我らの罪を赦し給え。
我らを地獄の火より護り給え。
また煉獄のすべての霊魂、ことに主の御慈悲を最も必要とする霊魂をして天国へ至らしめ給え。


(以下、今日の一般的な口語体の祈りです)

主イエス・キリスト
わたしたちの罪をゆるしてください。
私たちを滅びから救い、全ての人々、
ことにおんあわれみをもっとも必要としている人々を
天国に導いてください。







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# by dscorp-japan | 2017-05-13 00:00 | キリスト教 | Comments(4)

お葬式の個性

 
ここでいうところの「個性」とは
(お亡くなりになられた)「ご本人らしさ」という意味です。


たとえば
先日私がお手伝いさせていただいたお客様のケース。
必要最低限のご用意で臨んだお葬式で
もちろん参列者は直近のご遺族様に限るという、本来的な意味合いの「家族葬」でした。
葬儀の典礼を終えて、ご出棺前に故人様の柩にお花を手向けられる場面で
ご遺族様方々は、めいめいに故人様との思い出の写真を入れられたんですね。
・・・その枚数は、ゆうに100枚を超えるものでした。
「私たちとの思い出を天国まで持って行って欲しいので」
お柩のなかは
お顔周りからお足元まで、一面思い出の写真で埋め尽くされました。
それこそ、柩のなかに手向けられたお花が隠れてしまうくらいに。
おそらく
お写真の一枚一枚に、ご遺族に皆様の思いがしっかりと込められていたのでしょう。
その思いが、とてもいい形で表現されていたと感じました。
お傍から拝見していて
(こういうのも良いよなァ)と思わされるものでした。


たとえば
先日ウチのスタッフが担当させていただいたお客様のケース。
ご生前、故人様が所属されていらっしゃったハーモニカ演奏のグループの方々が
ご出棺の際、ハーモニカで「ふるさと」を演奏されたんです。
グループの皆様は十数名くらいいらっしゃったでしょうか
皆様それなりにご高齢の方々です。
そのグループの皆様が
教会からお柩が運び出される横に一列に整列され、あの懐かしいメロディを奏でられてんですね。

・・・ベタな選曲といえば、そうかもしれません。
失礼を承知で申し上げますと
その演奏はほんの少しだけ、たどたとしさを伴うものでもありました。

でもね
実際に故人様のお仲間十数名で一斉に奏でられた「ふるさと」は、とても心を打つものだったんですね・・・


私が申しあげたいのは
お葬式の「個性」つまり「その人らしさ」というのは
葬儀屋さんの用意する祭壇や商品で表現されるものではない、ということなんです。
ご本人の死を心から悼む、ご遺族様やご友人の方々が
思いのたけを何らかの形で表現されることが、結果的にいちばん「その人らしいお葬式」になるのではないでしょうか、ということなんです。

そもそも
その人のお葬式は、その人「だけ」のお葬式なのであって
すでに他と同じお葬式ではないのです。
余分なお金などかけなくても
当事者の皆様の「思い」が、そのお葬式を「その人らしく」していくものなんですね。







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# by dscorp-japan | 2017-05-10 00:00 | 葬儀 | Comments(5)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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