D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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あらためてアルバム 『 Gaia 』 ヴァレンシア

 
このブログを始めた一年目
早々にヴァレンシアというアーティストを取り上げています(→過去記事
しかし
肝心の具体的な曲についてはほとんど触れておりませんでしたので、今回あらためて取り上げてみましょうということで。

7年前に書いた記事を再読してみると恥ずかしいばかりなのですが
この当時はやや上から目線な感じで取り上げてマス (^^ゞ
でも実のところ
個人的な感想として、このアルバムはハードポップ(或いは産業ロック)として非常に高い水準の作品だと思ってるんです。
だからこそ
普段はこういうジャンルのアルバムにあまり手を出さない私が、このアルバムを購入しているんですから。

あらためて申しますが
本作はハードポップアルバムとして、ほぼ「捨て曲ナシ」の作品といって良いと思っています。
メロディはしっかりしているし
アレンジも何気に豪華絢爛。
ご本人のヴォーカルも
ケイト・ブッシュ的でもありフレディー・マーキュリー的でもあり
はたまたマイケル・ジャクソン的でもあり(つまり上手いということです)

たとえば
個人的に好きな曲がこれ。


この曲なんか
フレディーのソロアルバムに入っていてもおかしくない感じがしませんか?
ヴォーカルスタイルも、もろフレディー節が全開。
あいの手の入れ方まで、まんまフレディーじゃありませんか(笑)

逆にマイケルっぽいのはこの曲。


バラードなんですけれど
全盛期のマイケルあたりが歌っていてもおかしくない感じでしょ ♪
でも、ギターのトーンはやっぱりブライアン・メイ(笑)


そしてやっぱり
このアルバムの白眉はタイトルチューンのこの曲ですね。

(最後にアルバム最初の曲がちょっとだけ入っちゃってマス)

・・・この曲はほんの一時
日本でもそこそこヒットしたんじゃなかったでしょうか。

それにしてもこの曲
複雑且つ壮大なアレンジといい
メロディアスで劇的な展開といい
なかなかにプログレしてると思うんですよね~
ビートルズ(或いはティアーズ・フォー・フィアーズ)的エッセンスもあり
ご本人仰るところのルーツである
ケイト・ブッシュやクイーンの影響を上手く昇華してる気がします。

妙な先入観を持たなければ
このアルバムは佳作と言って良いと思いますし
ヴァレンシアさんご自身も非常に才能のある方だと思っております。






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# by dscorp-japan | 2017-05-08 00:16 | 音楽 | Comments(0)

15期目

 
私の大切な指導者であり、友人でもある方のお葬式をお手伝いするなか
ウチの会社も、どうにかこうにか15期目を迎えることが出来ました。

「これもひとえに」という表現は月並みですが
ウチほど、多くの方々からのご支援で成り立っている会社も少ないと思います。
何と申しましても
会社設立時より現在に至るまで『広告宣伝費ほぼゼロ』で営業させていただいているのですから。

私は常々思っております。
ウチの会社が立ち行かなくなったとしたら
それは、ウチの会社が誰からも必要とされなくなったときなのだろうと。
逆に申しますなら
たったおひとりの方でも、ウチを必要としてくださる方がいらっしゃる限りは
何としてでも存続し続ける責任があるのだろうと。

「必要とされる有難み」。

これを肝に銘じて
私どもなりに、細々とながらこのお仕事を続けさせていただければと思います。

私どもを必要としてくださる、すべての方に感謝。
様々なかたちでご支援をいただいている、すべての方に感謝。
そして
この役割を与えて下さった、神に感謝。







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# by dscorp-japan | 2017-05-04 00:00 | あったこと | Comments(2)

サガ神父様のこと

 
アントニサーミ・サガヤラージ(Antonysamy Sagayaraj)神父様のお葬式
一昨日、無事に終えることが出来ました。
サガ神父様のお人柄を表すように
ゴールデンウィーク中のお葬式であったにもかかわらず、両日ともに大変多くの方々が参列に来られました。
はるばるインドから来られたご家族からも
つたない日本語で「本当にありがとう」「あなたで良かった」と仰っていただけました。


・・・さて。
このところ再三ここで書いてきた記事にある「大切な友人に関する心配事」とは
他ならぬ、サガ神父様のことでありました。

→ 『相反する思い』
  『あらためてマルティン・ルターの名言を思う』
  『今年の聖週間』
  『よろしくお願いします』


サガ神父様とのご縁をいただいたのは
(最近ここでは登場しませんが)畏友:西経一神父様からのご紹介でした。
西神父様は、サガ神父様が神学生だった頃の指導司祭であったということです。

私の認識する限り
サガ神父様は、インド人として日本に来られた人カトリック司祭の一人目だったと聞いております(葬儀ミサの説教でもそのように紹介されていました)。
今では神言修道会・日本管区には多くのインド人司祭がいらっしゃいますが
サガ神父様は、その先駆者であったということです。

「サガはな
オレの教え子のなかでもトップクラスの人材だァ。
モリオ(=私)
サガからいっぱい学べよ!」

その後サガ神父様とは
何度も家庭ミサに与り、何度も一緒に食事をして、インドのお話をたくさんお聞きしました。
おそろしいまでに日本語が堪能で
(ことによると私たち以上にキレイな日本語で)
しかも、非常にウィットに富んだジョークが好きで
いっつも満面の笑顔で
本当にサガ神父様とのご縁をいただけたことは、私の宝物でした。

彼のガンが再発して余命宣告を受けたときから
私のなかでは常にサガ神父様のことがありました。
ここ一ヶ月は
仕事の合間を縫って、ほぼ一日おきに病室へ伺いました。

・・・西神父様から言われたんです。

「見届けろ」

聖週間を迎えたある日は
サガ神父様と手を握り合い、ふたりだけで涙しました。
「サガさん、大好きだよ」と言いました。
サガ神父様は、握った私の手の甲にキスしてくれました・・・


サガ神父様の葬儀ミサの説教で
同じ神言修道会々員であり、サガ神父様の後輩であるマリス神父様が話された言葉をご紹介します。

「(前略)
サガ神父様は、人と人とを結びつける宣教師でした。
日本ではじめてのインド人宣教師として
後輩である私たちを、いつもいろいろなところへ連れ出してくださり
たくさんの人たちに紹介してくださいました。
南山大学では、日本とインドを結びつけるための様々な取り組みをされました。
その過程で、彼の学生同士が結婚された方もあります。
いま、天国に旅立ったサガ神父様は
これからは、私たちと神様とを結びつけるためにお祈りして下さるに違いないのです」


通夜当日の午前中
出張の合間に、サガ神父様の「先生」である西神父様がサガ神父様の元に駆けつけられました。
たった約10分間
西神父様はサガ神父様の枕元で、ふたりきりで過ごされました。
その間おふたりがどんなお話をされたのかは、おふたりだけの秘密なのでしょう。
そしてその後、西神父様は
急いで長崎に帰って行かれました。
・・・あの、超多忙な西経一に
たった10分のためにわざわざ名古屋まで足を運ばせるほどの方だということです。


私の祈りは
半分だけ聞き入れられて、半分は御心に適わなかったようです。

(どうか私たちからサガさんを取り上げないでください)
(どうか私にサガさんのお葬式をさせないでください)

(どうしてもサガさんを連れて行かれるというのなら
どうかそのときは、すべての苦しみから解放してあげてください)

最期の最期
サガ神父様は、それまで何日も閉じていた目を大きく開いて
一回、深く呼吸をして、静かに息を引き取られたということです。


サガさん、ありがとう。
僕は絶対にサガさんのことを忘れない。






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# by dscorp-japan | 2017-05-03 00:00 | おともだち | Comments(2)

訃報

 
神言修道会司祭であり
南山大学・人類文化学科准教授である
アントニサーミ・サガヤラージ神父様 が帰天されました。

通夜ならびに葬儀ミサ・告別式は、以下の通り執り行われます。





   通夜・・・・・・・・・4月30日 午後6時~

   葬儀ミサ・告別式・・・5月 1日 午前10時30分~午後0時30分

   葬儀式場・・・・・・・カトリック神言神学院
                名古屋市昭和区八雲町70
                      ℡ 052‐832‐2082


※ 香典・供花・供物等、固くご辞退申し上げます。



・・・大いなる親しみと敬意を込めて
どうか、サガ神父様(或いはサガ先生)のためにお祈りください。

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R.I.P
Fr. Antonysamy Sagayaraj SVD
(1967.3.2 ~ 2017.4.28)




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# by dscorp-japan | 2017-04-28 17:39 | 葬儀 | Comments(6)

『 よろしくお願いします 』

 
・・・個人的に常々思っているんです。

自分の為、或いは誰かの為に祈るとき
その祈りには必ずエゴみたいなものが、ほんの少しであれ含まれてしまうような気がしているんですね、少なくとも私の場合は。
「祈り」というか「お願い」ですよね。
私たちが祈るときって、その本意は大体が「お願い」だったりするじゃないですか。

しかし
私の理解するところのキリスト教におけるお祈りって、最終的には「主に任せる」「主に委ねる」ということらしいわけです。


・・・祈りのための指針と思われるエピソードが聖書にあります。

いわゆる受胎告知の場面で
大天使ガブリエルから告げられたことに対して、マリアはこう答えます。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
(ルカによる福音 1-37)


そして
受難を受ける直前のイエスがゲッセマネの園で祈った言葉。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
(マルコによる福音 14-36)


キリスト教では
“ 私たちの祈り(というか願い)が 神様の御心に適うものであれば どうかそれが実際に行われますように ” という
表現が正しいかどうか分かりませんが “ 条件付き ” みたいな感じなわけです。


・・・個人的には
(ンなケチ臭いこと言わずに、とにかくお願い聞いてちょ!)
って思っちゃうわけなんですけど (^^ゞ

その一方で
(叶えて欲しいなら、神様に対して謙虚な姿勢を見せとかないとイカンのかな?)
とか思ったりもするわけです・・・


・・・で、タイトルの言葉になるわけです。

私が祈る(というかお願いする)とき
いつもこういう表現を使うようにしているんです。

「〇〇のこと、ひとつよろしくお願いします」

・・・個人的に、結構便利な表現だと思ってるんですよね (^^ゞ


皆さんにはご経験はありませんか?
(せっかく必死こいて祈り倒したのに
神様の野郎、オレの祈りをスルーしやがった!)とか思ったこと。

・・・まァ実際はスルーされたわけじゃなくて
聞いちゃくれてるんだけど、神様の御心とは違ってたってことらしいんですけど。

経験則で申しますと
具体的なお願いを必死こいて祈って、こっちの思いが叶わなかったりするとガッカリするじゃないですか。
だから最近は
もうね、具体的なお願いはそこそこにしておいて、最終的には(くれぐれもひとつよろしく!)みたいな感じで祈るようにしてます。
もちろんそこは必死に祈りますよ。
(マジで頼むから!)
(こんだけ祈ってるんだからちゃんと聞いてよ!)
みたいな。

それで叶えてくれなかったら
(あっそ!)で終わらせる(それでも時々ムカつくけど)。

            ♢

・・・今
個人的に、結構真剣に祈っていることがあります。
これは私自身の為の祈りじゃありません。
このところ、散々祈り倒しているので
さすがにウチの神様も無視はできないはずです。

『 よろしくお願いします 』






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# by dscorp-japan | 2017-04-23 14:31 | キリスト教 | Comments(4)

書留や小包はすべて「郵便局に取りに行く」で良い(私の場合は)

 
先日、こんな記事を書きましたが
今回はこれと同じような意味合いのお話です。


日本郵便を介しての郵送物って、もちろんありますよね。
プライベートなハガキやお手紙もあれば
いわゆるダイレクトメールの類もあります。
これらは問題ないんです。
普通に郵便受けに投函していただければいいのですから。

問題は、簡易書留とか小包の類のものです。

先日の記事と同じ理由なんですが
私、お仕事の関係上、家にいる時間がムチャクチャ不規則なんですね。
ただでさえ独り暮らしなんで
せっかくお届けいただいても、不在のときが少なくない。
(仕事の都合で日中に寝てたりするので、居留守を使うことも・・・)

・・・これって、何気に申し訳ないじゃないですか・・・

郵便局員さんは何も悪くないんです。
(松本人志さんのCM曰く『バカまじめ』ってくらいですから)
せっかく
時間と労働力とガソリンを使ってお届けいただいたのに、受取人の私が不在なんです。
申し訳ないし、勿体ない。

だから思うんですよ。
私のような人間は、予め郵便局に申請しておいて
「〇〇町の〇〇は、普通郵便以外は郵便局まで取りに来るから届けなくてよし!」
みたいなシステムにしたらどうかと思うんですよ。

「配達物があることを知らせる為には不在者伝票が必要だろう。
一旦は配送員が自宅まで行く必要があるじゃないか」

・・・いやいや
だからそこは、自宅の電話なりメルアドなりを管轄郵便局に登録しておいて
留守電なりメールなりでお知らせしていただく感じで良いじゃないですか。
仮に電話代がかかるとしても
実際にお届けいただくコストからすれば、ずっと安価で済むじゃないですか。

実際
私が不在者伝票を持って管轄の郵便局に行きますとね
結構な人数の方が受け取りにいらっしゃってるんですよ。
真夜中なのに、列ができてることもしばしばです。
私と同じような人間って、潜在的に少なくないと思うんですよね・・・

配送物を一定期間保管する場所の問題があるかもしれませんけれど
今だって結構同じような状況になってるような気がするんですけどね~

個人的に妙案だと思ってるんですが、いかがでしょう?






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# by dscorp-japan | 2017-04-20 00:00 | 思うに・・・ | Comments(4)

アラン・ホールズワース、逝去

 
復活祭の日
本物のギター・レジェンドが天国へ旅立たれました(訃報を伝える記事はコチラ

ギターを弾く人間で彼のことを知らない人がいたなら
その人は「モグリ」といわれても仕方がないはず。
世界中のギタリストの
才能やセンス・テクニックを有する人は皆、彼のことを認め尊敬しているという「ミュージシャンズ・ミュージシャン」「ギタリスト・オブ・ギタリスト」であります。

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1946.8.6~2017.4.16


私がはじめて彼の演奏を聴いたのは
ソフト・マシーンの8作目のアルバム『 Bundles(邦題:『収束』』でした。

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1975年発表


実際に聴いたのは高校三年の頃だったと思います。
アラン・ホールズワースというご尊名は存じ上げていたのですが
それまではまったく聴く機会のないギタリストでありました。
どちらかというとジャズ・ロックにカテゴライズされる音楽でしたので
何となく自分には縁遠いギタリストなんだろうなぁという感じでした。
(でも今じゃこのアルバム、愛聴盤です!)

で、その後
私の大好きなバンド『 UK 』が結成されるに及んで、あらためてこの方の演奏にブッ飛んだ次第であります。

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1978年発表


彼独特のレガート奏法に対する好みは分かれるところでありましょう。
しかし
彼の恐ろしいまでの正確無比な(そして縦横無尽な)運指の前に
凡そすべてのギタリストはひれ伏すに違いないのであります・・・

彼を悼んで
ここでは、彼が急逝する直前(4月3日)のライブ映像をご紹介します。



左端の、少しポッチャリなオジサンが彼です。
古希を迎えてなお、そのギターテクニックは健在でありましたのに・・・


これからしばらく私は
孤高のギタリストが遺してくれた作品を聴きながら、彼を偲びたいと思います。
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RIP




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# by dscorp-japan | 2017-04-19 01:02 | 音楽 | Comments(0)

ハッピー・イースター ♪

 
・・・何とか今年も
復活祭(イースター)を迎えることが出来ました。

再三申しておりますように
今年の四旬節は、個人的に少々ヘヴィーな時間でした。
お世話になっている教会の先輩が少々重篤な病に倒れられたり
大切な友人がかなり厳しい状況にあったりと
能天気な我が身は差し置いても、いろいろと思い悩む時間が少なくありませんでした。

・・・でも、思い煩ううちに迎えたこの日
その友人のところへ顔を出したら、とても元気な笑顔で迎えてくれました。
そして先ほど、所属教会の復活徹夜祭に行ったら
病に伏せっていた教会の先輩が、元気なお姿で教会に来られました。

ほんの小さなことかもしれないけれど
私には大きな慰めであり、お恵みでした ♪
「奇跡」などという大袈裟な表現は控えますが
それでもこの日、私にはたしかに「恵み」が贈られたと思っております。


・・・つくづく思います。
生かされていることに「感謝」。
イヤなこと、辛いことばかりかもしれないけれど
たまに訪れる「小さな福音」に、心から感謝したいと思います。


皆様
主のご復活、おめでとうございます。
こういう表現が正しいか分かりませんが
イエス様のご復活にあやかって、皆様の上に素敵な奇跡が沢山ありますように!






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# by dscorp-japan | 2017-04-16 00:58 | キリスト教 | Comments(4)

今年の聖週間

 
「今宵の斬鉄剣は一味違うぞ!」
とつぶやいたのは、ルパン三世の盟友である石川五エ門だったわけですが・・・

少なくとも私にとって
今年の聖週間は、例年とは違った意味でいろいろと考えさせられる時間のようです。

私はここで政治とか世界情勢のお話とか、あまりしたくないのですが
・・・何と申しますか「地に足がつかない」というか
様々な国の人々が、政治が、政策が、なんとも落ち着きの感じられないような様相が感じられてなりません。

人を思いやり
お互いを認め合う。

簡単なことじゃないのかもしれないけれど
「自己の利益のためなら何をしてもいい」というような風潮が、あまりにも強すぎるんじゃないかと思われてなりません。

個人的には
「愛」などという言葉はくすぐったいので苦手です。
そこはイエス様にお任せしときます。
でも
私たち人間が皆お互いを、自分と全き同じ人間として尊重すること
つまり「人間の尊厳」を、今一度一人ひとりが思い起こすべきではないかと思うものです。


そしてもうひとつ。
今、大きな苦しみと不安のなかにある、私の大切な友人のために
私はこの聖週間を通して、私なりに祈りたいと思います。
私のような腐り切った人間の祈りでも
ウチの神様は必ず耳を傾けて下さるに違いない、と信じて祈るのみであります。

イエス様の死と復活の先にある大きな救いと希望を信じたい。
特に今年の聖週間、切に思うのであります。






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# by dscorp-japan | 2017-04-13 14:15 | キリスト教 | Comments(2)

あらためてマルティン・ルターの名言を思う

 
ルターによる、その言葉とは
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」
であります。


・・・実は私
現在、ある大切な友人のことを案じております。
彼のことを「友人」と呼ぶのは少々おこがましいのですが
彼は私をひとりの「友人」としてお付き合いして下さっています。

その友人に関する詳細をここで記すことを、今は控えます。
ただ
いま彼の身の上に起こっていることを、私はひとりの「友人」として、大いに案じているところであります。
彼は私にとって、とても大切な存在です。
彼の苦しみや痛みの、ほんのひとかけらでもいいから私が背負ってあげたいと思います。

一方で
相変わらずお葬式のお仕事が忙しいのですが
もちろん(心、ここに非ず)ということではないんですけれど、いつも頭の片隅に彼のことがあります。
だから
半分は忙しさにかまけて、あとの半分は彼のことに思いを馳せて
この下らないブログの記事更新に気が回っていない状態であります。


・・・で、ルターの言葉です。

大切な友人がへヴィな状態にある今
はたして私に何ができるだろう、と考えます。

「祈る」
もちろんします。しています。
でも
じゃ、他に何ができましょう。

・・・そうなんです。
「今日私はリンゴの木を植える」ことくらいしか出来ないのです。

結局のところ
私にとっての「リンゴの木を植える」ことといえば
大切な人のために祈ることと、ご依頼いただいたお葬式を一生懸命にお手伝いすること。
(そういうことなんだろう)と、勝手に解釈して
今目の前にある、やるべきことをやるしかないんだろうな、と・・・。







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# by dscorp-japan | 2017-04-08 14:29 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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