D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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ロボット導師、ですか

 
「ご導師、ご入場でございます。
本日読経を賜りますのは、真宗大谷派・Pepper導師様です。
ご参列の皆様方におかれましては、御低頭の上お迎えくださいませ」

・・・とか、開式のときにアナウンスされるのかなァ ^^;


   → ニュース記事はコチラ


・・・このニュース記事のタイトルを見て
ピンクレディーのデビュー曲を思い出したのは私だけ? ^^;
一方で
コンセプトの元ネタが『ロボット刑事K』じゃないかと疑ったのも私だけ? ^^;

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冗談はこのあたりでおしまい m(_ _)m



大切な方を亡くされたご家族それぞれ、様々なご事情がお有りかと思います。
ニュース記事にもありますように
菩提寺の無い方や檀家制度にとらわれたくない方など、たしかにいらっしゃることでしょう。

しかし、そこでいきなりPepper君が導師、ですか。
“ 彼 ”のアノ声で、ですか?


「お葬式の多様化」は、もはや変えることのできない潮流なのでしょう。
私もさまざまなお葬式の様式があって良いと思いますし
今後さらに、これまでの形式にとらわれない形で送りたい(或いは送られたい)というニーズも増えていくことなのでしょうね。

私は今回のニュースにある新しい提案を、完全に否定するつもりはありません。
そこにたしかなニーズがあるのであれば
その存在価値もまた有るということなのでしょうから。
でも、私が古い人間だからなのでしょうか
どうしても違和感を拭い去ることが出来ない思いがあります・・・


現在の私はキリスト教専門の葬儀屋さんですから
仏教のご住職やお上人様の読経や説法をお聞きする機会は殆どありません。
あるとすれば、知人やお世話になった方のお葬式に参列したときくらい。
とはいえ
これでも一応、約1000件あまりの仏式葬儀をお手伝いしてきた人間です。
そういう立場からすると
お葬式の際、ご導師が唱えられる読経や説法を拝聴するときは
(このご住職の読経は美しいなァ)
とか
(このご住職は本当に心をこめてお勤めいただいているなァ)
とか
(なるほど、故人やご家族のことをよく考えた説法をされているなァ)
とか
比較してしまうというか、そういう視点で判断してしまうところがあります。


私が現場で受ける印象がご遺族のそれと同じかは分かりませんが
司式者としてのご導師によって、そのお葬式に対する評価が大きく左右されるところだと思うわけです。

たとえ、ですよ?
どんなダメ葬儀屋さんのお手伝いだろうと、祭壇が汚れていようと
(もちろんそれはそれで絶対ダメなんですけど)
ご導師の素晴らしい読経や説法ひとつで、そのお葬式は一気に素晴らしいお葬式に変わるものなんです。

これだけは間違いない。
それだけ
お葬式を司る立場のご導師の存在って、大きいと思うんです。


・・・そこにPepper導師が来るんですか。
う~ん ^^;


ニュース記事では
「ちゃんと人間の副住職がいる」そうじゃないですか。
だったら
わざわざPepper君に読経させるのではなく、副住職が導師をした方が良いんじゃないの?とか思っちゃいますよね。

「副住職は住職ではない!」

じゃPepper君は住職なんですか?


なんだかよく分からないなぁ・・・






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# by dscorp-japan | 2017-08-17 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

ポストモダン・ジュークボックスの音楽

 
皆様はお盆休み、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
私はと申しますと
すでにお盆中のご葬儀をご依頼いただいておりまして、お休みはナシな感じ ^^;
ですからせめて
好きな音楽を聴きながら過ごすのであります。
今回はたくさんの音楽をご紹介いたしますので
お時間のある方はどうぞお付き合いくださいまし m(_ _)m

            ♢

さて。
寡聞にして、私はつい最近までこの『 Postmodern Jukebox 』のことを存じ上げませんでした。

・・・えっと
私がこの音楽ユニットのことを知ったきっかけは、恥ずかしながらBABYMETALの『ギミチョコ!』のカヴァーです (^^ゞ
そのカヴァ―・ヴァ―ジョンというのがこちらです。



因みに、原曲はこちら。




とってもユニークなアプローチでしたので、おおいに興味をそそられた次第。

私は
ジャズとか
フュージョンとか
ブルーグラスとか
オールディーズとか
ドゥーワップとか
チャールストンとか
とにかく、そういう類の音楽には全く疎いのですが
・・・でも嫌いじゃない ♪

ということで
この音楽ユニットがYouTubeにアップしている公式チャンネルを見てみると・・・

・・・あるわあるわ!
いろんなジャンルの音楽のカヴァー・ヴァージョンが!
とにかくとっても面白いので、いくつかご紹介させていただきます。


まずはドリー・パートンの『 Jolene 』。
日本ではオリビア・ニュートンジョンのヴァージョンが有名ですね。


(原曲はコチラ。ついでにオリビア・ヴァージョンがコチラ


次は
私の大好きなポリスの『 Roxanne 』。


(原曲はコチラ



ハードロックバンド:ガンズ&ローゼスの『 Welcome To The Jungle 』。


(原曲はコチラ

次。
マドンナの『 Material Girl 』。


(原曲はコチラ


・・・えっと、もう飽きちゃいました? (^^ゞ


次、カーディガンズの名曲『 Lovefool 』。


(原曲はコチラ


次は
映画『タイタニック』のテーマ曲『 My Heart Will Go On 』。
異なるヴァージョンがあるので、お聴き比べください。







(原曲はコチラ


次、ボン・ジョヴィの『 You Give Love A Bad Name 』。


(原曲はコチラ


・・・いい加減、飽きてきましたでしょうかね~ ^^;
ホントはもっとたくさんご紹介したいんですけれど、この辺で最後の一曲にしときます。


個人的にいちばん好きだったのが
リック・アストリーの『 Never Gonna Give You Up 』。
これは良い ♪


(原曲はコチラ

このガンヒルド・カーリングさんという方、恐ろしい才能ですよね!
素晴らしいヴォーカルの直後に
リコーダーやらトロンボーンやら、バグパイプを吹きこなすって・・・(驚)
実際にやってみりゃ分かりますけれど
相当の安定した肺活量がなければ、こんな風に演奏できるわけがないんです!
多分
いや、間違いなく「天才」です!

            ♢

・・・さて。
公式チャンネルを検索されれば
このほかにもたくさん、いろんな曲が楽しいアレンジで聴けます ♪


・・・あらためて、つくづく思うんですよ。
もちろん作詞や作曲も大切なんでしょうけれど
音楽って、楽曲のアプローチというかアレンジによって、その表情も大きく変わってくるんですよね~
アレンジひとつで、良くも悪くもなるというか。

ついでに申しますと
この音楽ユニットがBABYMETALの音楽を取り上げたというのも驚きです。
日本の楽曲として取り上げられているのは『ギミチョコ!』だけ。
それだけBABYMETALが、海外で注目されているということなのでしょうね ♪


・・・ということで、このお盆休み
『 ポストモダン・ジュークボックス 』の音楽が、皆様の一服の清涼剤になりますように。






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# by dscorp-japan | 2017-08-13 00:00 | 音楽 | Comments(4)

平和旬間中の24時間聖体礼拝

 
先日の記事でも申しましたように
現在日本のカトリック教会では、8月6日~15日までの十日間を『日本カトリック平和旬間』と定めて、特に平和について考え、また祈ることが推奨されています。

これにあわせて
カトリック名古屋教区では、名古屋市東区にある『カトリック主税町教会』の記念聖堂において、24時間×10日間の聖体礼拝が行われております。
この期間の毎日
午前十時からは「平和を祈るロザリオの祈り」
午後三時からは「平和を祈る主のいつくしみの祈り」
午後七時からは「平和を祈るミサ」
が行われております。

そして現在
カトリック主税町教会・記念聖堂の祭壇に安置された「聖体顕示台」が、YouTubeでライブ・ストリーミングで配信されております。

午後七時からはミサが行われる様子も視られます。

→ https://www.youtube.com/watch?v=gI64RcpkZNo

ミサ祭壇の中央に安置されているのが聖体顕示台です。
たとえこの場所に行かれなくとも
一緒にミサに与る思いで祈ることが出来るということです。


よろしければ
祈りの助けとしてご覧いただければと思います。







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# by dscorp-japan | 2017-08-11 17:50 | キリスト教 | Comments(2)

雑誌『AERA』8月7日号を読んで

 
娯楽小説一辺倒の私ですから
『AERA』なんて雑誌、滅多に手に取らないんですが・・・


表紙にこんな文言が謳われてると、そりゃさすがに手に取りますわね~

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・・・やっぱ要りませんか、お葬式 ^^;


「お葬式はもういらない」という表現から
名(迷)著『葬式は、要らない』を上梓された“アノ人”からケンカを売られたような気持ちで、仕方なくレジに持っていきましたよ。

(売られたケンカだもんなァ、受けて立つしかないかぁ~)

・・・で、読んでみたらやっぱり!
アノ人のコラム記事も載ってました・・・^^;


表紙には「大特集」とありますが
読んでみると、それほど「大」でもありませんでした(笑)
個人的な印象ではむしろ「小特集」くらいです。
もっといろんな情報が詰まっていると思っていたんですが。

それぞれの表題には、なかなかインパクトがあります。

「古い葬式よ さようなら」
「仏教ビッグバン」
「価格破壊のお葬式」
「お坊さん便も定着」
「葬儀も明るく個性的に」
「色鮮やかなLED仏」・・・

(ご興味のお有りの方は書店にGO!)

でも敢えて申しますが
正直、あまり有益な情報が書かれているとは思われませんでした。
仏教が岐路に立たされていて、様々な打開策を模索(&実践)されているというお話は興味深く拝読させていただきましたが
それ以外の記事に目新しいものは無かったと思います。


ホントはいろんな項目の記事に反論したいことが山ほどあるんですけれど
今回は敢えて、特集内にあった、例のアノ方のコラム記事にだけモノ申させていただきます (^^ゞ

            ↓

「0葬」唱える島田裕己さんが語るお葬式『大往生』で亡くなった人は葬儀ではなく、お祝いを


「お祝い」という単語を用いること自体は構いません。
でも、じゃ大往生されたご本人の為に
遺されたご家族はお葬式の代わりに、一体何をすればいいんでしょう?
「葬儀ではなくお祝いを」と仰る以上
お葬式とは異なる、何か具体的な提案があるのかといえば何もないし。

そしてご本人のご希望である「卒人式」。
ご本人による造語ありきのご提案としか思えないのですが・・・^^;
「人間を無事に終わりましたと、お祝いをしてもらう」って
やはりこの場合も、遺されたご家族やご友人は具体的にどのように「卒人式」すればいいのでしょう?

・・・何となくですが
仰っているイメージは「無宗教葬」や「お別れ会」と何ら変わらないと思うのですが。



実際にお葬式の現場に立つ人間として申します。
奇をてらう必要などなくとも
これまで通りのお葬式でも「お祝い」することは出来ます。
事実、これまで故人様を「お祝い」するお葬式を何度もお手伝いしてきております。
それが「卒人式」かどうかは分かりませんけれど
大切な人の「大往生」に際して、やはりその死を悼みながらも

「長らくお疲れさまでした」
「これまで本当にありがとう」
「今日は笑顔で『さようなら』だね!」

泣き笑いの顔で
最後には「よかったよかった」とご遺族が口々に語りあうお葬式を、私は十分「お祝い」と言えると思います。


さらに申しますと
どれだけ「大往生」だろうと「お祝い」だろうと
「大切な人が亡くなった」という現実の前に、人はやはり厳粛な思いになるものだと思いますし、またその思いを忘れてはいけないのだと思います。

お葬式のカタチに捕らわれる必要はありません。
でも
「お葬式」という名称を変えたところで
或いはそこで行われる式の内容が大きく変わったところで
(たとえそこでケーキカットをしようがクラッカーを鳴らそうが)
そこに集うご家族や友人知人の「思い」は何も変わることなどないのです。


私は
大切な人が亡くなって、故人と交わりのあった方々が時間を割いて故人の元に集った時点で、それはすでに「お葬式」だと思っております。
何故なら
「お葬式」とは、人の「思い」だからです。






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# by dscorp-japan | 2017-08-06 00:00 | 葬儀 | Comments(8)

8月6日の『聖書と典礼』より

 
1981年、当時の教皇:ヨハネ・パウロⅡ世が来日されて以降
日本のカトリック教会は、毎年8月6日~15日までの10日間を『日本カトリック平和旬間』と定めて、特に平和について各自が考え、また祈ることを推奨しています。
つまり
今日からの10日間はそういう「時」であるということです。


先ほど
私の所属するカトリック布池教会の夕方のミサに与ってきました。
ミサというのは平日にも行われるのですが
特に主日(日曜日)のミサにあたっては『聖書と典礼』というリーフレットが用意され
ミサに与る信徒たちは、この『聖書と典礼』に掲載される聖書の箇所や祈祷文を用いて祈ります。

で、今週の『聖書と典礼』のコラムに
カトリック名古屋教区長:ミカエル松浦悟郎司教様の文章が掲載されていましたので、今日はこの文章を転載させていただきます。


今、選択のときー「日本カトリック平和旬間」

今、世界も日本も危機的状況の中にあります。自国中心主義が広がり、極右勢力の台頭による難民、移住者への排斥、また紛争やテロが頻発するなど、世界全体が暴力的になりつつあります。その背景には、想像を絶する富の格差(上位八人の大富豪と下位三重六億人の総資産が同じ)があり、またそこへ軍需産業の利権がからむなど、歯止めが効かなくなってきています。
残念ながら、日本はその流れのなかに組み込まれるというより、積極的にその傾向へと突き進んでいます。多くの人が「ぼんやり」させられているうちに、日本政府は平和憲法の精神無視して軍事力一辺倒の政策で突き進んでおり、市民への監視、情報コントロールを強力に進めてきています。国連特別報告者が「メディアの公平性や独立性」「プライバシーや表現の自由」について数次にわたって強い懸念を表明していることは記憶に新しいところです。
こうした現実の中、ヨハネ・パウロ二世の広島での平和メッセージが今、現実味を帯びてきています。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争への準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備が整うということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、ある時、どこかで、何らかの形で、誰かが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険をおかすということです」(広島『平和アピール』1981年2月25日)と。このメッセージから36年経ち、教皇フランシスコは世界が「散発的な世界大戦」(2017年「世界平和の日」メッセージ)に入っていると指摘しています。今、方向を変えないと世界は大変な状態になっていくことでしょう。
この現実の中に教会は派遣されています。私たちを派遣し、共に歩んでいるキリストはどこに向かって歩めと呼びかけているのでしょうか。その声を聴きつつ現実を直視し、流れに身を任せるのではなく、自覚し、決意し、平和を選び取っていきたいものです。個人として、教会として。



・・・皆様それぞれ、様々なお考えがおありのことでしょう。
それはそれでいいと思います。
大切なことは
私たち一人ひとりが真剣に「考えること」なのではないでしょうか。
この十日間、私も私なりに考えていきたいと思います。






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# by dscorp-japan | 2017-08-05 23:23 | キリスト教 | Comments(4)

夏は午前!

 
以前にも同様の記事を挙げたかと思うんですが・・・


今日は
(ウチのようなちっぽけな葬儀屋さんには珍しく)同日程&ほぼ同時刻のお葬式が三件重なりました。
お葬式の時間はすべて午前中 or お昼またぎの時間。
ウチの一方的な都合で申しますと、本当は時間帯がバラけてくれると助かるんですが ^^;
でもやはり、いちばんはご遺族様方々のご意向に沿って時間設定をします。

・・・で
特にこの暑い時期、私どもは必ず早めの時間をお勧めするんですね。
その理由は「午後のお葬式はさらに暑いから」。
もちろん午前中だって十二分に暑いわけなんですけれど
午後はさらに暑さに拍車がかかる、と思うわけなんです。
式場となる教会に冷房設備がないところ(稀にあるんです!)の場合は
もう、何が何でも「午前中にしましょう!」と強くご提案させていただきます。
もちろん、火葬場の空き状況や教会サイドの都合と照らし合わせたうえでの話ですが。

冷房設備があっても
参列者が熱中症で倒れられることってあるわけです。
(実際に何度もそのような状況を経験してきております)
特にお歳を召された方々にとって
この猛暑は間違いなく、身体的なストレスが相当かかるに違いないのであります。


幸いなことに
今日、私がお手伝いさせていただいたご葬儀の式場は、冷房がとてもよく効く教会でしたので助かったわけなのですが
それでもご出棺時には、たとえ一時的にであっても屋外に出るわけです。
ご遺族様をはじめ、お見送りに出てこられた参列者の方々が口々に仰ってました。
蝉の大合唱が聞こえるなか
空を見上げて「うわぁ~暑い!」
お見送りのために屋外に出る時間なんて、ものの5分もありません。

でも皆様ほぼ全員、その手にはハンカチやハンドタオルがありましたよ ^^;


ですから皆様
暑い時期のお葬式は「午前中」
これです!


ところで。
昼夜を問わず鳴き続ける蝉の声って、耳にこびりつく感じがしませんか?
私だけかもしれませんが
夜中に寝るときも耳の奥に蝉の鳴き声がこびりついちゃってて
もう何だか、蝉なのか耳鳴りなのか分かんなくなっちゃうんですよね・・・






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# by dscorp-japan | 2017-08-01 14:28 | 葬儀 | Comments(2)

私は何故、司祭職の道を諦めたのか(後篇)

 (前記事の続き) 

・・・お断りしておきますが
そんな崇高な話でもなけりゃ、大したオチも無い話ですんでご了承くださいな・・・ m(_ _)m


「罪深い自分を変えたい」
特に
「エロの呪縛から解き放たれたい」(笑)
そして
「他者を愛せない自分を何とかしたい」


その対策として当時の私は
「他人が幸せになるのを手助けすることで、自分も他者を愛することが出来るようになれるんじゃなかろうか」
そして
「カトリックの世界に没頭する(=身を置く)ことで罪から解放されるんじゃなかろうか」
と考えるようになったのでした。


そこでいきなり(神父になりたい!)と。

・・・ムチャクチャ短絡的ではあります(笑汗)

当時の私
神父になることがどれほど大変なことか、そしてどれほど責任を伴うことか、全く分かっておりませんでした。
ちょうど高校三年生、つまり進路を決める時期ではあったわけですが
(キリスト教系大学の「神学部」に入れば良いんじゃないの?)くらいに簡単に考えていたんです。

で、私は父親に頼みました。
「神父になりたいから神学部に行くわ」

父親からは激しく叱責されました。
「神父を舐めんな!」

父もまた厳格なカトリックの家庭で育ったカトリック信者なのですが
母と結婚して以降、父は一切教会に行かなくなりました。
(その理由は家族だけの秘密です)
それでも、そんな父の中にもカトリック司祭の崇高さみたいな意識はあったらしく
学業も疎かにしている不肖の息子が神父になるなど笑止千万!ということだったようです。

「エラそうなことを言う前に勉強しろ」
「そういうことを言うのは成績が上がってからにしろ」
「神学部に入れば(神父に)なれるなんて簡単なものじゃない。
そもそも神学部に入ることがどれほど大変なのか、オマエは分かっていない」

反対されると余計に反発するのが10代の青年です。
(だったら絶対神父になったるわ!)と意気込んだわけですが
いかんせん、どうにもお勉強だけは好きになれない ^^;
机の前には座るのですが
本来開くべき教科書や参考書はそっちのけで、やっぱり哲学系やら宗教系の本ばかり読んでしまうわけです。
そして何より
カトリック司祭になるためには具体的にどうしたらいいのか、神父様に相談することもしておりませんでした。
この頃はタバコの本数も増えたよなァ~(ってオイ!)

・・・で、当然の結果として浪人です。

「浪人は一年まで。その先は面倒見きれん」

親のすねかじりで予備校には入ったのですが
まァ~遊び呆けますよねそりゃ ^^;
毎日「行ってきまァ~す」と家を出てはパチンコ屋に行ったり
(高校時代のバイト代で、そこそこ貯金はあったのです)
同じ予備校生たちと麻雀ばっかりやってたり
(今も全然強くないですけど)
(神父になりたい)という思いはあったものの、具体的な行動は一切なかったんですね。

そんななか、同じく浪人していた同級生の女の子がいて
何やかんやと経緯があって、お付き合いするようになったんです。

「そんなことするヒマがあったら勉強しろ!」
・・・仰る通りなのです。

でも私
その子のことが本当に大好きだったんです。
実は私、その子のことが高校三年のときから好きでした。

彼女とお付き合いする前の段階で
私は(珍しくも)本気で真剣に悩みました。

(神父になるつもりなのに女の子と付き合っていいのか?)

つまり私のなかで
どちらかを諦めなければならないという選択に迫られたわけです。


・・・はい。
悩んだ末に、私は彼女とのお付き合いを選びました(笑)
私、女の子とお付き合うするの、これが初めてだったんです。
「オクテ」といわれればその通りなのですが
私のなかで「異性とお付き合いすること=結婚前提」との思いがあったんで(そういうところだけカタブツだった)。
そして何より
彼女のことを「心から好き」という自覚はつまり(自分も他者を愛することが出来たということじゃないのか)という喜びもたしかにあったんです。

かくして
彼女とお付き合いが始まった時点で、司祭職という選択肢はバッサリ消えたという次第であります。



・・・これが、私が司祭職を諦めた理由であります (^^ゞ
つまらない話でゴメンナサイ m(_ _)m


・・・まァ今となってはすべて過去の話なわけですが
この歳になってつくづく思うわけです。
あらためて
自分なんぞが神父にならなくて良かった、と。
・・・いやもちろん
なれるかなれないかを決めるのは神様なわけですが
仮にでもなってしまっていたら、私は間違いなく日本のカトリックの歴史に汚点を残すような神父になっていたに違いないという、強い確信があります。


最初に申し上げましたでしょ?
だって私「煩悩の塊」なんですから(笑)






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# by dscorp-japan | 2017-07-27 19:34 | あったこと | Comments(4)

私は何故、司祭職の道を諦めたのか(前篇)

 
・・・とある方よりご質問がありましたので。

っていうか
ただ何とな~く(なりたいかも)と思ったくらいで「目指していた」「志していた」なんて言葉にするのもおこがましいわけですよ。
だから自分自身
「諦めた」と言うほど真剣だったのかも分かりませんしね。

・・・まァね
先に結論から申しますと「煩悩を断ち切れなかった」ということですよ、ハイ・・・


私の場合
何となく(神父になりたいかも)と思ったのが、高校三年の頃だったと記憶します。
地元じゃそこそこの進学校といわれる高校に進学したものの
私の場合、実技四教科の内申点で滑り込めたようなものですから、高校に入ってからはずっと地上スレスレの低空飛行だったわけです(笑)
元々勉強なんて大ッキライだったし
好きな音楽をやったり聴いたりして、好きなお絵描きをして、のんびり楽しいことだけやって過ごしたかったわけです(つまり今と一緒!)

そんななか(一応)多感なお年頃だった私は
「人間の幸福とは何ぞや」とか「生きる意味とは?」とか、生意気にも薄っぺらな哲学的なことを考えるようになりました。
学校帰りには毎日のように本屋さんに行っては哲学っぽいことが書かれてる本を読み漁ったりしてまして
そのうちに今度はいろんな宗教の本を読むようになりました。

私は “ ボンクリ(Born Christian=幼児洗礼) ” のカトリックでしたが
それまでは殆ど教会にも行っておりませんでした。
幽霊部員ならぬ “ 幽霊信者 ” でありました。
自分の洗礼名が「ペトロ」ということだけ認識していて、あとはカトリックに対して何ら思い入れもなかったわけです。
ところが様々な宗教の本を(あくまでも薄っぺらァ~く、ですが)読み漁っているなかで
(やっぱオレ、カトリックが良いや ♪)と思うに至ったわけです。
それ以降
こんどは当時の自宅からほど近い教会のミサに通うようになりました。
(それが今も私の所属する『カトリック布池教会』であります)
ミサに出ていても最初は何のこっちゃさっぱり分かりませんでしたが
通い詰めるうちに、私なりに少しずつ理解していったんだと思います。

青臭い当時の私のなかには
常に「罪の意識」というのがありました。
その罪にもいろいろあったわけですが
私のいちばんの罪の意識というか、自分には「他者を心から愛する心が欠けている」という思いがありました。
元々が冷めた人間だという自覚がありましたし
本来大切であるべき家族に対しても、それほどの思い入れも持てませんでした。
人並みに好きな女の子もいたりしましたけれど
それとて(ただの性欲の対象なんじゃないか?)という自問がありました。

・・・悶々と考えるなか
いつしか私は(罪深い自分を変えたい)という思いが強くなっていったのでした・・・

(続く)






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# by dscorp-japan | 2017-07-25 00:12 | あったこと | Comments(4)

『 キリスト教のリアル 』 松谷 信司

 
基本的に
私の読む本は、専ら娯楽小説であります。
いわゆるハウツーものとか、お勉強系は苦手(勉強嫌いですから)。
新書サイズの本を手にすることも、まず無い人間です。

しかしながら
何かとお世話になっている方の書かれた書籍、しかもキリスト教を題材にした本ということで、出版から一年以上経ったところではありますが手に取ってみました。

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なかなか面白かったので、画面いっぱいに宣伝しときました(笑)


日本人の0.8%しか知らない「キリスト教」
近年、様々なメディアでキリスト教が取り上げられているが、その多くが「(日本における)現場・現実」と接点のない、「歴史や教養」のひとつとして語られることが多い。
日本に約0.8%いると言われているクリスチャンや牧師・神父の現状を書いた、「キリスト教の今」を知るための一冊。
(書籍背表紙説明より)



本書の著者である松谷信司さんとの交わりのきっかけは
盟友:はるさん(『株式会社シャローム』代表取締役)からのご紹介でした。
キリスト教葬儀について研究・情報や意見の交換を行うネット上の任意団体『キリスト教会葬儀研究所(CCFI)』のメンバーとして、何度もネット会議を通じていろいろとお世話になっております。
彼が旗振り役となって開催されてきた『いのり☆フェスティバル』にも参加させていただき、私としてはお世話になりっぱなしなのであります (^^ゞ
お世話になりっぱなしなので
彼の所属するキリスト新聞社の発行する『キリスト新聞』に、時折寄稿させていただいておる次第であります。


さて、本書について簡単にご説明です。

本書は前半(第一部)が、今日の日本におけるクリスチャンたちの生活や実態、もっといえば「クリスチャンあるある」について語られます。
そして後半(第二部)が、実在の牧師先生や神父様による対話が掲載されています。

第一部で語られる、今日の日本のクリスチャンの実態について申しますと
やはりまず、同じクリスチャンである私からすると、終始ニヤニヤしながら読み進められるものでありました ♪
ただ同じクリスチャンと言っても
私はカトリック信者であり、プロテスタント信者の皆様の実態については知らなかったこともあったりして、そこは勉強にもなるものでした。
・・・同じクリスチャンでも
教派の違いによる小さな差異みたいなものって、結構あったりするんですよね~

そして第二部。
ここでは、各教派から集まった4名の牧師・神父による “ 歯に衣着せぬホンネ ” が次々と語られます。

集まった牧師・司祭がまた面白い ♪
単立『ともにチャペル』の森 直樹先生
日本のキリスト教世界では有名なバンド『牧師ロックス』を組む関野和寛先生
とってもお若い女性牧師の川上咲野先生
そして我がカトリックからは
カリスマ神父として名高い、晴佐久昌英神父様
彼らが一堂に会して
それぞれの教派に仕えながら、日々の生活や思うところを余すことなく語り合います。

牧師先生や神父様の「ホンネ」って
訊こうと思っても、なかなか聞けないじゃないですか。

(神に仕えるってどういうこと?)
(よくもまぁ牧師とか神父とかになる気になったなぁ)
(毎日何して暮らしてるの?)

クリスチャンである私たちでさえ、知らないことって沢山あるんです。
そういう意味では
私たちクリスチャンもまた “ 外野 ” の人間なのかもしれません。
そんな私たちの疑問が
本物の牧師先生や神父様の口から語られるのですから、面白くないはずがないのであります。


・・・ただひとつ、敢えて申しますが
ここに集った方々って、何気にエキセントリックなメンツだったりするんです。
私は直接お会いした頃はありませんが
たとえば関野先生なんてエキセントリックを通り越して、もはや「ファンキー」じゃないですか(笑)
そういう方々の語るホンネが
他に数多いらっしゃる牧師先生や神父様のそれと同じかというと、そこは何とも言い難いところではあると思うんですよね・・・

しかし一方で
牧師や司祭職になられた方々って、元よりエキセントリックといえばそうなのかもしれない。
・・・普通、牧師や神父に何てなろうとなんて思いませんもん。
(私も諦めたクチです)

まぁね
ここに登場される先生方の語られる言葉は、あくまでも「一例」と捉えるスタンスで読み進められれば良いのではないでしょうか。

少なくとも本作、私は非常に面白かったデス ♪
キリスト教に興味のお有りの方
すでにクリスチャンでいらっしゃる方々も含めて、是非ご一読をお勧めします。

最後に

一年前に行われた、本作の出版記念感謝礼拝&トークイベントの動画がありますのでご紹介しておきます。










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# by dscorp-japan | 2017-07-23 00:00 | | Comments(5)

『 A Man I'll Never Be 』 ボストン

 
超のつく秀才:トム・ショルツ。
(少なくとも理系では世界最高峰のマサチューセッツ工科大学出身ですから)
電子工学の知識を生かして
デビュー前から自宅にプライベートスタジオを作っちゃうし
『 Rockman 』というブランドでギターアンプやエフェクターを製作しちゃうし。
ある意味において
トム・ショルツとは、究極の “ 音楽ヲタ ” なのでありました。
だから40年以上のキャリアであるにもかかわらず
発表されたアルバムは(ベスト盤を除いて)たったの6枚という・・・^^;

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若い頃の(笑)トム・ショルツ氏


彼の率いる(というか、半ば彼個人のプロジェクト)であるバンド『ボストン』の名声は
もちろん彼の作り出す楽曲の素晴らしさもあるのですが
彼の生み出したギタートーンによるところも少なくないと思うのです。
『ボストン』の音楽性は(当時の音楽業界の流れもあって)「産業ロック」などと言われたものですが
トム・ショルツの生み出した独特のギタートーンは産業ロックの、ひとつの「顔」のような存在だったような気もします。
だからこそ
彼のギタートーンが出せるエフェクターとして、当時『 Rockman 』というブランドが成立したのだと思います。


今回は
そんなトム・ショルツが紡ぎだす、独特のギタートーンを堪能できる曲をご紹介。
これは初期ボストンの
というか、これまでのボストンのキャリアの中でも最も美しいとされるバラード。




ギタリストであるトム・ショルツが
敢えて、ギターイントロ無しでピアノとヴォーカルからはじまる曲としたところに、彼のセンスが伺えます。
彼はバンドのプロデューサーであり、コンポーザーであり、アレンジャーであり、ギタリストでありますが
他の多くのギタリストとは異なり、殊更に自分が前に出ようとする意識は少ないです。
音楽を演奏する際には、バンドのワンパートとしてのギタリストに徹するという感じ。
ギタリストの立ち位置という点においては
ボン・ジョヴィのギタリスト:リッチー・サンボラと似ていると言えるかもしれません。

今回の曲はバラードとしてエヴァーグリーンであることは間違いないのですが
特にトム・ショルツが好きな人間にとっては
この曲間に聴かれる、彼独特のギタートーンとそのメロディに惹かれるのであります。





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# by dscorp-japan | 2017-07-21 16:43 | 音楽 | Comments(1)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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