D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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短距離走

 
いきなりですが
私は、葬儀屋さんのお仕事を「短距離走」だと思っているんです。

・・・いや
最終的にはどんなお仕事も「長く続ける」という意味においては、どれもマラソンだったりするんでしょうけれど。


世の中には様々なお仕事があって
じっくり時間をかけてひとつの物事を成し遂げる形のお仕事もあれば
限られた時間のなかで、集中してひとつの目的を達成する形のお仕事もあるわけですよね。
その意味で
葬儀屋さんってのは、やはり短距離走なんだと思うわけです。
もちろん一概にはいえませんが
ご依頼の電話があった日から、まぁ大体2~3日でひとつのお仕事が終わるわけです。

ご依頼をいただいて
打ち合わせをして準備をして
お通夜とお葬式の現場に立ち会ってお手伝いして、一応の一区切りがつきます。


で、私は思うんですよね。
このお仕事って
「短距離走」だからこそ出来るお仕事なんだと言える面がある気がするんです。
私たちはよく「ご遺族の思いに寄り添って」などと申しますが
たとえばこれを数週間の間ずっと続けろなどと言われたら、正直こっちの精神も参ってしまうような気がするんですね。
集中力が切れてしまうというか、心が持続しないというか。

お仕事の「連チャン」はいいんです。
気持ちを切り替えることが出来るし
そもそも、お客様が変わるわけですから。

とにかく
「短距離走」だから全速力で走り抜けることが出来る、と。


・・・ただ、このお仕事の特徴のひとつとして
いつ何時「よ~いドン!」の号砲が鳴るのか分からないというところ。
自宅でヨダレ垂らして寝ていても
どっかでご飯を食べてても
或いは少々体調が思わしくなくてゲンナリしてるときでも
ひとたびご依頼の電話(これが号砲ですね)が鳴ったら、とにかく走らなきゃいけないということです。

今だって時折思いますよ。
正直(このタイミングでマジかよ!)って。
でも
他に誰もいなければ “ 棄権 ” するわけにもいかないんですよね ^^;

号砲を聞いて一旦走り出したら、もうあとはゴール目指して走り抜けるのみ、です。
有難いことに、ゴールは数日後にあるわけですから
そこを目指して集中すればいいわけです。


・・・きっと
そういうお仕事だからこそ、私は葬儀屋さんを続けていられるのだと思います。





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# by dscorp-japan | 2017-10-08 16:50 | 思うに・・・ | Comments(6)

心からの言葉

 
相変わらず、記事更新も放ったらかしだなぁ・・・ (^^ゞ

・・・とはいえ
やっぱり忙しかったってのもあるんですけれどね。

            ♢

今日、お手伝いを終えたお葬式は
同じクリスチャンとして、私が長きにわたって交わりをいただいていた方でした。
少し前までお元気だったのに
病が発覚してから、ほんの数か月で天国に召されました。
ご依頼のお電話をいただいたとき
私たちスタッフ全員(〇〇さんって、あの〇〇さんじゃないよね?)と、半信半疑でした。
ウチのスタッフがご指定いただいた病院に伺って
故人様と対面してはじめて、私たちのよく知る方がお亡くなりになったという現実を受け入れざるを得なかったという・・・

とはいえ
あとは、私たちが葬儀屋さんに徹してお手伝いをするのみです。
私は他のご葬儀のお手伝い担当でしたので
ウチのスタッフが、彼なりの精一杯のお手伝いをさせていただいたのでした。
もちろん私も、自分のお仕事の合間を縫って弔問に伺わせていただき
今日は身体が空きましたので、この方のご葬儀お手伝いのサブとして現場に入らせていただいた次第です。


ご葬儀の終わり、ご子息様がご挨拶をされました。
ご挨拶の具体的な内容については控えさせていただきますが
そこで語られたお話は、亡くなられた方を知る人間にとっては、本当に心の揺さぶられるものでした・・・

そのとき、つくづく思ったこと。
会葬御礼の挨拶って、何もかしこまる必要なんて無くて
いわゆる「忌み言葉は使ってはいけない」とか、そんなルールなんてどうでもよくって
ただ、故人を偲ぶ思いを、ありのままにお話すればいいんだよなぁ、と。

重ね言葉が使われたって構やしない。
笑いがあったっていい。

亡くなられた方を知る私たちには
ご家族が、亡くなられた方のことを心から愛していらっしゃったことが分かるから。
ご家族の思いに耳を傾けて
大切な方を喪った想いを共有できたなら
私たちにとっても、それが何よりの慰めになるんですよね・・・


〇〇さん。
今まで、本当にお世話になりました。
先に天国で待っていらっしゃる由井神父様にも、よろしくお伝えください。





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# by dscorp-japan | 2017-10-05 16:05 | 葬儀 | Comments(2)

現代カトリックは “ 異端 ” なのか

 
→ ネタ元のニュース記事はコチラ


まず
私は、第二バチカン公会議(1962~1965年)の真っ最中に生まれた人間です。
カトリック教会の大転換期を迎えたときに生を受けた人間ということです。
「それがどうした」ということでもないのですが
つまり私は、第二バチカン以前のカトリック教会を肌で知る人間ではないということです。
だから、というわけではありませんが
私が高校生の頃、第二バチカン公会議に対する肯定派と否定派それぞれの考え方や根拠について、私なりに薄っぺらくも勉強したつもりではあります。
そのうえで
私は私自身の考え方に基づいて、肯定派・否定派それぞれの良いところと思われる部分を取り入れて、自分の信仰を構築しているつもりです。


・・・私は思うんです。
キリスト教に限らず、ですが
宗教の現実的な役割って「人間の救済」であるはずじゃないですか。

「十戒を守れ」
「聖書に従え」
もちろん正論です。
でも
じゃ、それらの教えを完全に遵守出来ている人間がどれだけいるんでしょう。
少なくとも、私はまったくダメです。
保守派の方々からすれば、私などとっくに「破門」なのです。

イエス様がこの世に生を受けて
十字架に架けられたのは、罪人を「切り捨てる」為ではなかったはずです。
でなければ「罪の贖い」という考え方自体が否定されてしまうような気がします。

「離婚や再婚はダメ」
LGBTは容認できない」

でも実態として
それらの方々だって、ミサに与っていらっしゃるわけじゃないですか。
人には言えない苦しみや悩みを抱えて
神に依りすがろうとしてるわけじゃないですか。
それが
現代を生きる私たちそのものなわけじゃないですか。


異端かどうかなんて、この際どうでもいい。
大切なことは
「私たちは皆、罪人です」という自覚なんじゃないでしょうか。

「不完全な私」
「罪を犯し続ける私」
それを自覚したうえで、私たちは神に依りすがるのだと思うんです。

キリストの代弁者としての教皇フランシスコは
不完全で罪深い私たちを「切り捨てない」ために、さまざまな救いの手を差しのべて下さっているのだと思います。

罪を容認するのではもちろんなく
罪深い自分を自覚してなお、神に依りすがろうとする私たちにこそ目を向けて下さっているのだと。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書:2章17節)






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# by dscorp-japan | 2017-09-28 16:00 | キリスト教 | Comments(6)

引き取り手の無い遺骨の行方

 
→ ネタ元のニュース記事はコチラ


発覚したことの概要はニュース記事の通りです。
私たち葬儀屋さん目線から考えても
まず事件性は無いものと考えていいと思います。
身寄りのない方
或いは、家族や親戚がいらっしゃっても遺骨の引き取りを拒否された方の遺骨を埋葬しないまま、老齢女性の自宅で保管し続けていたということなのでしょう。

記事にもある通り
人骨は、その遺骨が誰のものかを証明する「火(埋)葬許可証」と一緒に保管されていれば、いついつまでに納骨しなければならないということはありません。
5年だろうと10年だろうと
自宅に保管すること自体は罪に問われることはない、ということです。


記事にある
「女性の夫はかつて葬儀関連の仕事をしていたとする情報があり」
というところから考えられるのは
これらの遺骨を預かったのは老齢女性のご主人であり
引き取り手のいない遺骨を預かることで、どこかから、幾ばくかのお金をもらっていたのではないかということです(あくまでも可能性としての推測ですが)。
或いは一切の預かり料など受け取らず
(ご本人の考える)善意のもとに預かっていただけ、ということかもしれません。

記事から推測する限り
当事者である「女性の夫」はすでに他界されているか、女性と離婚されて、今はいらっしゃらないということのようです。
よって、残された女性は遺骨の処遇に苦慮されて、業者に連絡されたということなのでしょう。
少なくともこの女性は
これら遺骨をぞんざいに扱って遺棄するという選択はされませんでした。
業者に連絡して引き取りを依頼したということはつまり
引き取ってもらうための費用を負担する意思があったということなのですから。
他人の遺骨であっても
その、最低限の「尊厳」は遵守しようとされたということではないでしょうか。


・・・私は
このニュースが発表されたのが「今」ということの意味を考えたいです。
「今」とはつまり『お彼岸』ということです。

私は、このニュースの当事者を責める気持ちにはなれません。
また、遺骨の引き取りを拒否されたご家族やご親戚がいらっしゃったとしても
それらの方を責めるつもりもありません。
家族の関係性などは、当事者にしか分からない事情があるでしょうから。

ただ、今思うことは
家族でも親族でもない他人の家で預かられていた遺骨が、丁寧に供養されることを祈るばかりです。






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# by dscorp-japan | 2017-09-25 00:00 | ニュース | Comments(2)

『 Like a Song 』 U2

 
私が大学受験に失敗して ^^;
浪人することになったにもかかわらずお付き合いする女性ができまして (^^ゞ
その彼女からいただいたプレゼントが、このバンドのアルバム『 WAR 』だったのでした。

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1983年発表(邦題:『闘』)


その彼女もまた、私と同じくハードロック好きの娘でして
お互いに自分の好きなバンドや音楽を紹介し合ったりもしていました。
そんななか
やはりお互いが注目していた、当時の若手バンドであるU2の新作アルバムが出るということで、その彼女がプレゼントしてくれたというわけです。
そんなわけで
私にとってこのアルバムは非常に思い出深いものでして
もちろん今もこのアルバム(LPレコード)は私の手元にあって、愛聴盤であります。


個人的な思い出があるからなのかどうか分かりませんが
私のなかでは、彼らの初期三部作(『 Boy 』『 October 』『 War 』)が好きな作品なのであります。
特に音作りの面で
プロデューサーのスティーブ・リリーホワイト氏による、独特の残響音が醸し出す、寒々とした空気感がたまらなく好きなんですね~

・・・後に彼らは世界的な名声を得ましたが
正直、彼らがこんなモンスターバンドになるとは思ってもいなかったなぁ~


で、今回の曲。
このアルバムの曲は全部好きなんですが
そのなかでもこの曲は、荒々しさと力強さが絶妙にマッチしていて大好きなんです ♪




音のひとつひとつが
ヒリヒリした痛みを伴う、カミソリのような曲だと思います。






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# by dscorp-japan | 2017-09-23 18:24 | 映画・テレビ | Comments(2)

ファーストコンタクト

 
お葬式のご依頼をいただくと
私たちが最初にお手伝いさせていただくお仕事の流れは
「病院や施設へのお迎え~搬送~送り先への安置~葬儀の打ち合わせ」
というのが一般的です。
私たちがご遺族様とはじめて直接お会いするのは
ご自宅か、ご指定いただいた病院や施設の一室や霊安室ということになります。

もう何十年もこのお仕事をさせていただいておりますが
やはりご遺族様とのファーストコンタクトって、今でも緊張するものです。

でもね
私たち以上に、ご遺族の皆様の方がずっと緊張されていらっしゃるんだと思うんですよね。
ただでさえ、大切な方を亡くされた直後です。
神経の張りつめた状況にあって
そこへきて、初めて会う葬儀屋さんがどんな人なのか。

(若い人なのかな。ベテランさんかな)
(コワい感じの人だったらイヤだな)
(安心して任せられる人だといいな)

つまりこのファーストコンタクトの瞬間は
ご遺族様と葬儀屋さん双方が緊張感の中でお会いするわけなんですよね。
お互いがお互いを、どんな人間なんだろうかと心配する瞬間ということです。

どんなお仕事でもそうなのでしょうが
私たち葬儀屋さんはこのファーストコンタクトでの応対を、とても大切にします。
いかにして、ご遺族様に自分という人間を受け入れていただけるかが、その後の流れを大きく左右しかねないからです。
お葬式を成功させるか否かの要因のひとつに
「担当者が、どれだけご遺族様と信頼関係を築けるか」というのがあります。


・・・で。
これはお客様サイドにとっても重要なことでして
「故人の家族として、どれだけ葬儀屋さんに “ やる気 ” をおこさせられるか」
というのも、実はあったりするんですね・・・

では、どうすればいいのか。

・・・って、別に何かをすべきということでは無いんです。
そこに、亡くなられた方を大切にしているという「思い」があれば充分なんです。
その「思い」の表現の仕方はそれぞれでしょう。
でも私たちも一応、お葬式の「プロ」です。
お客様がどのような態度であれ
経験則から、ご家族の、亡くなられた方を思う気持ちを感じ取るアンテナは持っております。
そこに「思い」さえあれば、私たちは
(よし、この方の為に精一杯お手伝いしよう!)
と、必ず考えます。
(そう思わない担当者は葬儀屋さん失格!)

以前にもここで書きましたが
良いお葬式にする手段のひとつに
「葬儀屋さんを、お客様の手のひらに乗せて踊らせる」
というのがあります。

・・・要は
葬儀屋さんを “ その気にさせる ” ということです。
それさえできれば
その葬儀屋さんはお客様のため、必死になってお手伝いしてくれるに違いないのです。






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# by dscorp-japan | 2017-09-16 18:23 | 葬儀 | Comments(2)

百歳の洗礼式

 
今日、お手伝いを終えたお葬式
お亡くなりになられたのは、御年104歳の女性の方でした。


元々ご本人はクリスチャンではなかったのですが
その方が幼少の頃(つまり約100年近く前)、当時お住まいだった(現在の)長崎県五島市
で、何があるでもなく教会に行っていらっしゃったそうです。
何もわからないまま、ただ「主の祈り」を唱えていらっしゃったそうです。
それでも
カトリックの洗礼は受けないまま名古屋の地に移り住み
ライフワークとして短歌を詠まれ、地域紙では短歌の選者としてその才を発揮されていらっしゃったということです。

時は移って今から四年前
ご本人が100歳を迎えたとき、ご本人が「カトリックの洗礼を受けたい」ということで、ご自宅に程近い教会で洗礼を受けられました。
私の手元に洗礼式の写真があるのですが
ご本人は車椅子に座りながらも、喜びにあふれた表情で写っていらっしゃいます。


・・・凄いなァと思うんです。

おそらく幼少の頃の思いを
約100年もの間ずっと、胸に秘め続けて
ご自身が100歳を迎えたときに受洗の意思を示されたのです。

そして
ご本人はそのときの思いを謳っていらっしゃいました。

『受洗して 清められたり 我が胸も』

『一日を 神につかへし 心豊か』

『神父様に 握手いただき 胸ふるえ』

『教会の 祭壇麗し 天国か』


これを受けて
洗礼を授けられた神父様が返歌されました。

『百歳で 神の子になり 目に涙』

『百歳を 生きてなおかつ 神求め』

『神様の 秘めた計らい 今気づき』

『人生は 神の国への 一里塚』


・・・ただただ
神様の計らいに思いを馳せる思いでした。





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# by dscorp-japan | 2017-09-11 16:21 | キリスト教 | Comments(4)

まぁいっか

 
ずっと記事更新もサボっておりました ^^;
お葬式の担当もさることながら
夏バテ & 親の面倒見などで(まぁいっか)と、ブログのことを頭から追い出しておりました。
ようやくお葬式のご依頼が止まった感じなので
久しぶりに自分のブログサイトを開いてみた次第であります。
(コメントへの返信が遅れまして申し訳ありません m(_ _)m )


どこかで読んだんですけれど
血液型がO型の人間の口ぐせが「まぁいっか」なんだそうです。
私は血液型診断みたいなの、全く信用していないんですけれど
たしかに私はO型で、考え方には常に「まぁいっか」があるのはたしかです。
でも
同じO型の父や弟は「まぁいっか」な人じゃないんですけどね~


自分で自分のことを考えてみても
私という人間の根本にあるのは「なるようになる」とか「まぁいっか」とか
基本的にダラァ~ッとした考え方があるんだと思います。
キライは言葉は「努力」と「頑張る」だし
人との付き合い方も「来る者は拒まず、去る者は追わず」だし
以前の記事でも書きましたが
「無いなら無いなりに」何とかなるわサ、というスタンスです。

つまり
基本はダメ人間だということですわ ♪
・・・って
記事更新をサボった言い訳にもならないんですけどね~


まぁいっか。
マイペースで、細々とやるようにしますわ。





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# by dscorp-japan | 2017-09-06 17:27 | 思うに・・・ | Comments(6)

ローマ教皇庁の掲げる指針について思う:追記

 
8月21日の記事について
私の永年の友人である牧政さんより、貴重なご指摘をいただきました。

結論から申しますと
昨年にローマ教皇庁が発表した、火葬・埋葬に関する指針を受けて
日本のカトリック司教団は、日本における葬送文化の実態を考慮して、本指針の『日本の教会への適応』について定めたのだそうです。

情報ソースのリンクを貼っておきますので、ご一読ください。

教皇庁教理省、死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針

教皇庁教理省『死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針』の
  日本の教会での適応について

上記にある通り
ローマ教皇庁の打ち出した指針について
日本のカトリック教会は、独自のガイドラインを設けたということです。



キリスト教専門の葬儀屋さんとして
先日の記事掲載は甚だ軽率でありました。
細かい裏付けも確認せずに記事掲載してしまい
無用なご心配をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。







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# by dscorp-japan | 2017-08-26 23:02 | キリスト教 | Comments(4)

ローマ教皇庁の掲げる指針について思う

 
もう一年ほど前のニュースなのですが・・・

 → ローマ法王庁、火葬の新指針を発表 散骨や自宅保管は認めず

※ カトリック教会側の意向として
 「法王」ではなく「教皇」という表現を推奨しております。
  よってここでも「法王庁」ではなく「教皇庁」とします。


記事にあるように
教皇庁は「火葬後の遺灰(或いは遺骨)を海にまいたり自宅に置いたりしてはいけない」
と規定したというわけです。
他にも
「遺灰を親族の間で分ける(≒分骨)」
「遺品やジュエリーなどに入れるなどして保管する」
といったことも認めないとあります。

・・・う~ん。
特に火葬国である日本のカトリック信者にとっては、なかなかハードルの高いお話かとは思われますよね・・・
ただでさえ火葬が前提の国で
特に西日本エリアでは、遺骨の一部をお骨上げして、残りの遺骨は火葬場に任せるという「部分収骨」が一般的だったりします(もちろん事前に申し出れば、すべての遺骨をお骨上げすることは可能です)。


結局のところ
教皇庁の掲げる指針について、私たちはそこにある根源的な意味を理解する必要があるのではないかと思うんですね。
それはつまり
カトリック教会教義の根本にある「復活」という信仰です。


「信仰宣言(使徒信条)」という祈りの最後、私たちはこう唱えます。

「聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます」

カトリック教会では
たとえ亡くなった後においても、その亡骸(ご遺体)もまたその人の人格の一部として重んじます。
何故なら
「終わりの日に復活するとき、その人は肉体をともなって復活する」とされるからです。
ですから
カトリックのお葬式の典礼には「遺体への崇敬」という項目があるんですね。
ご遺体とは、或いは遺骨もまた、そういう存在なのだということです。


※ ここからは、あくまでも私個人の見解です。

では何故
「散骨」や「宇宙葬」や「自宅安置」や「分骨」や「ジュエリー加工」がいけないのかと考えたとき
それを行う当事者たち(特にご遺族)の思いに「死者への尊厳」という認識がしっかりと根付いているのかどうかという一点に集約されるということなのではないかと思うんです。
「何故そうするのか」という、その根拠が大切なのだと。

「火葬したあとの遺骨の処遇に困る」
「納骨が面倒だから自宅に置く」
であってはならないのだ、と。

ですからたとえば
「亡くなった、愛する人と離れ難い」という思いで遺骨を自宅に安置するのなら、その意味合いは変わってくるのではないかと。
「自宅の片隅に小さな祭壇を設けて、そこに遺骨を安置して、毎日その前で死者のために祈る」
それならば認められてもいいのではないかと思うところなんですが。

終わりの日、神様が私たちを復活させて下さるとき
「遺骨のすべてが一箇所に集まっていないと復活させられない」ということではないのではないかと思うんです。
ニュース記事にもこうありますよね。
神がその全能性において遺体に新たな生命を与える妨げにはならない」
ただ
亡くなった後もなお、その「身体」であるところの遺骨もまた「その人の人格の一部である」ことには変わりないのだという認識は忘れてはならないのだ、と。
たとえそれが、遺骨のほんのひとかけらであっても。


私は常々
「人間の尊厳」という言葉を強く意識します。
特にお葬式に携わるとき、その思いを強く持とうと心がけます。
当然この「人間の尊厳」は死者にも当てはまることであり
亡くなられた方のご遺体に対してもまた「死者の尊厳」が大切にされるべきだと。

そしてその「思い」こそが
終わりの日、神様の計らいに適うことなのではないかと思うのです。


※ 追記
 本記事を掲載後
 ある神父様より、記事内容に補足説明が必要だと指摘されました。
 あらためてその記事を掲載しておりますので
 こちらをご覧いただければと思います。






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# by dscorp-japan | 2017-08-21 19:22 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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