D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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訃報

 
神言修道会司祭であり
南山大学・人類文化学科准教授である
アントニサーミ・サガヤラージ神父様 が帰天されました。

通夜ならびに葬儀ミサ・告別式は、以下の通り執り行われます。





   通夜・・・・・・・・・4月30日 午後6時~

   葬儀ミサ・告別式・・・5月 1日 午前10時30分~午後0時30分

   葬儀式場・・・・・・・カトリック神言神学院
                名古屋市昭和区八雲町70
                      ℡ 052‐832‐2082


※ 香典・供花・供物等、固くご辞退申し上げます。



・・・大いなる親しみと敬意を込めて
どうか、サガ神父様(或いはサガ先生)のためにお祈りください。

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R.I.P
Fr. Antonysamy Sagayaraj SVD
(1967.3.2 ~ 2017.4.28)




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by dscorp-japan | 2017-04-28 17:39 | 葬儀 | Comments(6)

『 よろしくお願いします 』

 
・・・個人的に常々思っているんです。

自分の為、或いは誰かの為に祈るとき
その祈りには必ずエゴみたいなものが、ほんの少しであれ含まれてしまうような気がしているんですね、少なくとも私の場合は。
「祈り」というか「お願い」ですよね。
私たちが祈るときって、その本意は大体が「お願い」だったりするじゃないですか。

しかし
私の理解するところのキリスト教におけるお祈りって、最終的には「主に任せる」「主に委ねる」ということらしいわけです。


・・・祈りのための指針と思われるエピソードが聖書にあります。

いわゆる受胎告知の場面で
大天使ガブリエルから告げられたことに対して、マリアはこう答えます。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
(ルカによる福音 1-37)


そして
受難を受ける直前のイエスがゲッセマネの園で祈った言葉。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
(マルコによる福音 14-36)


キリスト教では
“ 私たちの祈り(というか願い)が 神様の御心に適うものであれば どうかそれが実際に行われますように ” という
表現が正しいかどうか分かりませんが “ 条件付き ” みたいな感じなわけです。


・・・個人的には
(ンなケチ臭いこと言わずに、とにかくお願い聞いてちょ!)
って思っちゃうわけなんですけど (^^ゞ

その一方で
(叶えて欲しいなら、神様に対して謙虚な姿勢を見せとかないとイカンのかな?)
とか思ったりもするわけです・・・


・・・で、タイトルの言葉になるわけです。

私が祈る(というかお願いする)とき
いつもこういう表現を使うようにしているんです。

「〇〇のこと、ひとつよろしくお願いします」

・・・個人的に、結構便利な表現だと思ってるんですよね (^^ゞ


皆さんにはご経験はありませんか?
(せっかく必死こいて祈り倒したのに
神様の野郎、オレの祈りをスルーしやがった!)とか思ったこと。

・・・まァ実際はスルーされたわけじゃなくて
聞いちゃくれてるんだけど、神様の御心とは違ってたってことらしいんですけど。

経験則で申しますと
具体的なお願いを必死こいて祈って、こっちの思いが叶わなかったりするとガッカリするじゃないですか。
だから最近は
もうね、具体的なお願いはそこそこにしておいて、最終的には(くれぐれもひとつよろしく!)みたいな感じで祈るようにしてます。
もちろんそこは必死に祈りますよ。
(マジで頼むから!)
(こんだけ祈ってるんだからちゃんと聞いてよ!)
みたいな。

それで叶えてくれなかったら
(あっそ!)で終わらせる(それでも時々ムカつくけど)。

            ♢

・・・今
個人的に、結構真剣に祈っていることがあります。
これは私自身の為の祈りじゃありません。
このところ、散々祈り倒しているので
さすがにウチの神様も無視はできないはずです。

『 よろしくお願いします 』






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by dscorp-japan | 2017-04-23 14:31 | キリスト教 | Comments(4)

書留や小包はすべて「郵便局に取りに行く」で良い(私の場合は)

 
先日、こんな記事を書きましたが
今回はこれと同じような意味合いのお話です。


日本郵便を介しての郵送物って、もちろんありますよね。
プライベートなハガキやお手紙もあれば
いわゆるダイレクトメールの類もあります。
これらは問題ないんです。
普通に郵便受けに投函していただければいいのですから。

問題は、簡易書留とか小包の類のものです。

先日の記事と同じ理由なんですが
私、お仕事の関係上、家にいる時間がムチャクチャ不規則なんですね。
ただでさえ独り暮らしなんで
せっかくお届けいただいても、不在のときが少なくない。
(仕事の都合で日中に寝てたりするので、居留守を使うことも・・・)

・・・これって、何気に申し訳ないじゃないですか・・・

郵便局員さんは何も悪くないんです。
(松本人志さんのCM曰く『バカまじめ』ってくらいですから)
せっかく
時間と労働力とガソリンを使ってお届けいただいたのに、受取人の私が不在なんです。
申し訳ないし、勿体ない。

だから思うんですよ。
私のような人間は、予め郵便局に申請しておいて
「〇〇町の〇〇は、普通郵便以外は郵便局まで取りに来るから届けなくてよし!」
みたいなシステムにしたらどうかと思うんですよ。

「配達物があることを知らせる為には不在者伝票が必要だろう。
一旦は配送員が自宅まで行く必要があるじゃないか」

・・・いやいや
だからそこは、自宅の電話なりメルアドなりを管轄郵便局に登録しておいて
留守電なりメールなりでお知らせしていただく感じで良いじゃないですか。
仮に電話代がかかるとしても
実際にお届けいただくコストからすれば、ずっと安価で済むじゃないですか。

実際
私が不在者伝票を持って管轄の郵便局に行きますとね
結構な人数の方が受け取りにいらっしゃってるんですよ。
真夜中なのに、列ができてることもしばしばです。
私と同じような人間って、潜在的に少なくないと思うんですよね・・・

配送物を一定期間保管する場所の問題があるかもしれませんけれど
今だって結構同じような状況になってるような気がするんですけどね~

個人的に妙案だと思ってるんですが、いかがでしょう?






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by dscorp-japan | 2017-04-20 00:00 | 思うに・・・ | Comments(4)

アラン・ホールズワース、逝去

 
復活祭の日
本物のギター・レジェンドが天国へ旅立たれました(訃報を伝える記事はコチラ

ギターを弾く人間で彼のことを知らない人がいたなら
その人は「モグリ」といわれても仕方がないはず。
世界中のギタリストの
才能やセンス・テクニックを有する人は皆、彼のことを認め尊敬しているという「ミュージシャンズ・ミュージシャン」「ギタリスト・オブ・ギタリスト」であります。

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1946.8.6~2017.4.16


私がはじめて彼の演奏を聴いたのは
ソフト・マシーンの8作目のアルバム『 Bundles(邦題:『収束』』でした。

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1975年発表


実際に聴いたのは高校三年の頃だったと思います。
アラン・ホールズワースというご尊名は存じ上げていたのですが
それまではまったく聴く機会のないギタリストでありました。
どちらかというとジャズ・ロックにカテゴライズされる音楽でしたので
何となく自分には縁遠いギタリストなんだろうなぁという感じでした。
(でも今じゃこのアルバム、愛聴盤です!)

で、その後
私の大好きなバンド『 UK 』が結成されるに及んで、あらためてこの方の演奏にブッ飛んだ次第であります。

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1978年発表


彼独特のレガート奏法に対する好みは分かれるところでありましょう。
しかし
彼の恐ろしいまでの正確無比な(そして縦横無尽な)運指の前に
凡そすべてのギタリストはひれ伏すに違いないのであります・・・

彼を悼んで
ここでは、彼が急逝する直前(4月3日)のライブ映像をご紹介します。



左端の、少しポッチャリなオジサンが彼です。
古希を迎えてなお、そのギターテクニックは健在でありましたのに・・・


これからしばらく私は
孤高のギタリストが遺してくれた作品を聴きながら、彼を偲びたいと思います。
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RIP




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by dscorp-japan | 2017-04-19 01:02 | 音楽 | Comments(0)

ハッピー・イースター ♪

 
・・・何とか今年も
復活祭(イースター)を迎えることが出来ました。

再三申しておりますように
今年の四旬節は、個人的に少々ヘヴィーな時間でした。
お世話になっている教会の先輩が少々重篤な病に倒れられたり
大切な友人がかなり厳しい状況にあったりと
能天気な我が身は差し置いても、いろいろと思い悩む時間が少なくありませんでした。

・・・でも、思い煩ううちに迎えたこの日
その友人のところへ顔を出したら、とても元気な笑顔で迎えてくれました。
そして先ほど、所属教会の復活徹夜祭に行ったら
病に伏せっていた教会の先輩が、元気なお姿で教会に来られました。

ほんの小さなことかもしれないけれど
私には大きな慰めであり、お恵みでした ♪
「奇跡」などという大袈裟な表現は控えますが
それでもこの日、私にはたしかに「恵み」が贈られたと思っております。


・・・つくづく思います。
生かされていることに「感謝」。
イヤなこと、辛いことばかりかもしれないけれど
たまに訪れる「小さな福音」に、心から感謝したいと思います。


皆様
主のご復活、おめでとうございます。
こういう表現が正しいか分かりませんが
イエス様のご復活にあやかって、皆様の上に素敵な奇跡が沢山ありますように!






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by dscorp-japan | 2017-04-16 00:58 | キリスト教 | Comments(4)

今年の聖週間

 
「今宵の斬鉄剣は一味違うぞ!」
とつぶやいたのは、ルパン三世の盟友である石川五エ門だったわけですが・・・

少なくとも私にとって
今年の聖週間は、例年とは違った意味でいろいろと考えさせられる時間のようです。

私はここで政治とか世界情勢のお話とか、あまりしたくないのですが
・・・何と申しますか「地に足がつかない」というか
様々な国の人々が、政治が、政策が、なんとも落ち着きの感じられないような様相が感じられてなりません。

人を思いやり
お互いを認め合う。

簡単なことじゃないのかもしれないけれど
「自己の利益のためなら何をしてもいい」というような風潮が、あまりにも強すぎるんじゃないかと思われてなりません。

個人的には
「愛」などという言葉はくすぐったいので苦手です。
そこはイエス様にお任せしときます。
でも
私たち人間が皆お互いを、自分と全き同じ人間として尊重すること
つまり「人間の尊厳」を、今一度一人ひとりが思い起こすべきではないかと思うものです。


そしてもうひとつ。
今、大きな苦しみと不安のなかにある、私の大切な友人のために
私はこの聖週間を通して、私なりに祈りたいと思います。
私のような腐り切った人間の祈りでも
ウチの神様は必ず耳を傾けて下さるに違いない、と信じて祈るのみであります。

イエス様の死と復活の先にある大きな救いと希望を信じたい。
特に今年の聖週間、切に思うのであります。






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by dscorp-japan | 2017-04-13 14:15 | キリスト教 | Comments(2)

あらためてマルティン・ルターの名言を思う

 
ルターによる、その言葉とは
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」
であります。


・・・実は私
現在、ある大切な友人のことを案じております。
彼のことを「友人」と呼ぶのは少々おこがましいのですが
彼は私をひとりの「友人」としてお付き合いして下さっています。

その友人に関する詳細をここで記すことを、今は控えます。
ただ
いま彼の身の上に起こっていることを、私はひとりの「友人」として、大いに案じているところであります。
彼は私にとって、とても大切な存在です。
彼の苦しみや痛みの、ほんのひとかけらでもいいから私が背負ってあげたいと思います。

一方で
相変わらずお葬式のお仕事が忙しいのですが
もちろん(心、ここに非ず)ということではないんですけれど、いつも頭の片隅に彼のことがあります。
だから
半分は忙しさにかまけて、あとの半分は彼のことに思いを馳せて
この下らないブログの記事更新に気が回っていない状態であります。


・・・で、ルターの言葉です。

大切な友人がへヴィな状態にある今
はたして私に何ができるだろう、と考えます。

「祈る」
もちろんします。しています。
でも
じゃ、他に何ができましょう。

・・・そうなんです。
「今日私はリンゴの木を植える」ことくらいしか出来ないのです。

結局のところ
私にとっての「リンゴの木を植える」ことといえば
大切な人のために祈ることと、ご依頼いただいたお葬式を一生懸命にお手伝いすること。
(そういうことなんだろう)と、勝手に解釈して
今目の前にある、やるべきことをやるしかないんだろうな、と・・・。







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by dscorp-japan | 2017-04-08 14:29 | キリスト教 | Comments(4)

死者とそのご家族に対する、病院のホスピタリティ

 
一昨日
とある神父様と「医療施設における亡くなられた患者さんやご家族に対するホスピタリティ」についての意見交換をしてまいりました。
打ち合わせ相手のM神父様は
小教区としての教会の主任司祭である一方で、あるミッション系の総合病院(名古屋では誰でも知っている病院です)の理事長職にも就かれていらっしゃる方です。
有難いことに
普段からM神父様には、私を含めたウチのスタッフ全員可愛がっていただいております。

本当のところ
今回の打ち合わせの打診は二か月も前にいただいていたんです。
ところがウチの本業があまりにも多忙で、落ち着いてお話させていただく時間が取れないままにお待たせてしていたのでした。


お話の発端は
M神父様の、小さなひとつの疑問でした。

「病院の霊安室ってさ
大体が病院の裏側にあって、お迎えの寝台車が来る場所も何だか薄暗い感じのところが多いでしょ?
僕はどうしても違和感を感じるんだよね」

・・・おそらくそれ
全国の葬儀屋さん誰もが思っていることです ^^;
もちろん一概には申せませんが
特に寝台車を着ける場所について申しますと、病院に出入りする各種業者さんの搬入場所だったりするところが少なくありません。
なかには、病院で出た廃棄物の回収場所と同じだったりするところもあります。
病院によっては
新しく建て替えや増築する際にこの点を改善されるところもあるのですが
なかには、せっかく建て替えたのに全く改善されていないところも・・・

「僕はね
医療機関の責任として、亡くなられた方を送り出すその瞬間まで、施設としてのホスピタリティを充実させたいんだよね」

・・・まったく以て仰る通り!

「そりゃ『100%完璧に』とまではいかなくともさァ
たとえば
お亡くなりになられた方のご遺体を搬送するまでの時間を出来るだけ急かさないとか
寝台車をお見送りする場所も、ひとりの人間を送り出すに相応しい場として改善するとか
そういうことって大切だと思うんだよね」

もォ~120%同意!

・・・もちろん、病院側の様々な事情も分かるんです。
「亡くなられた方には出来るだけ早く出発して欲しい」とか
「寝台車は他の外来患者の目につかない場所に」とか
そりゃもちろんそうなんでしょうけれど・・・

「大体さ
『ホスピタル』という施設がホスピタリティを軽視しちゃいけないでしょ。
そしてそのホスピタリティは、亡くなられた方にもそのご家族にも提供されるべきでしょ」

・・・葬儀屋さんは、常々思っているんです。
私たちはいろんな病院に亡くなられた方をお迎えにあがります。
そこでそれぞれの病院の対応を間近で見ます。
そして
(オレはここの病院にはお世話になりたくねェな)
(オレだったら〇〇病院で死にたいな)
とか、思ってるものなんですよ。

「まずは霊安室の充実。
ある程度の期間、ご遺体を安置できる環境を作りたいんだよ。
そして寝台車のお迎え場所も
それなりにキチッとした環境を整備したいんだ」

・・・ここでお断りしておきますが
M神父様が理事長をされている病院は、今でも結構ちゃんとしてるんです。
ご家族からの評判も、概ね悪くありません。
でも、改善の余地がないわけでもない。


そんなわけで
私たちが葬儀屋さんとして見てきた、様々な他の医療施設の実態などをお伝えしたうえで
今後のより良いホスピタリティの具体的な提案をしてきたというわけでした。

「なんかさァ
あまりにも病院側がいろいろと手を出して、葬儀屋さんサイドの職域を侵してしまうみたいなことって無い?」

全然ございません!
神父様の修道会の掲げる言葉『HOMINIS DIGNITATI(ラテン語で「人間の尊厳」)』は
亡くなられた方にもまた当てはまる言葉だと思います。
どんどん改善していってください!







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by dscorp-japan | 2017-04-03 00:00 | 思うに・・・ | Comments(2)

相反する思い

 
この歳まで葬儀屋さんをさせていただいておりますと
私が個人的にお世話になった方や友人・知人のお葬式をお手伝いさせていただくことも少なくなくなりました。
昨年も
一昨年も
その前の年も
さらにその前の年も
個人的に辛い別れを伴うお葬式をお手伝いいたしました。

お仕事ですから、もちろん気合を入れてお手伝いさせていただきます。
ご依頼いただいたすべてのお葬式を
一応はプロとして、分け隔てなくお手伝いさせていただくよう心がけはします。
でも、私もただの人間です。
「個人的な思い入れは一切介入しない」などとは、とても申せません。
歳のせいもあって、年々涙もろくなってきているところを
どうにかして堪えつつ仕事に専心しようとはするのですが・・・

こういうとき
本当に因果な商売だなぁと痛感します。
このようなお葬式を担当するたび(もう二度と担当なんかしねェよ)と思います。
仕事から離れたところで
いち参列者として
お世話になった方や友人・知人の魂の安息と平安を祈りたいと、切に思います。


・・・でも一方で、こうも思うのです。
大変に表現は悪いですが
(どこの馬の骨ともしれぬ葬儀屋に、オレの大切な人を任せられるか)と。

自分以上にデキる葬儀屋などいない、などとは申しません。
でも
自分以上に相応しい葬儀屋がいるのか?とも思ってしまいます。

すみません。
私の傲慢かもしれません。
でも、どうしてもそう思ってしまうんです・・・


今、祈ること。
今年は、私の大切な人のお葬式を手伝うことがありませんように。






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by dscorp-japan | 2017-04-01 13:00 | 葬儀 | Comments(8)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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