D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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恥知らずな信仰で良い

 
三たびの、映画『 沈黙 』に関する記事でございます m(_ _)m


前回の記事で
映画『 沈黙 』の重要な登場人物であるキチジローの信仰心について、私は “ 恥知らずな ” という表現をしました。
念のための補足ですが
具体的には、キチジローによる周りの人間への裏切り行為やキリスト教信仰を否定する行為(踏み絵を踏む・十字架に唾を吐く)と、その後に寄りすがるイエスによる救済 ≒ 告解 (赦しの秘跡))を求めるのを繰り返す様を “ 恥知らずな信仰心 ” と表現したわけです。
この世における人間社会の常識から考えたとき
キチジローが繰り返す「 裏切り ⇆ 回心」のループは、間違いなく恥知らずな行為のはずです。
或いは厳格なクリスチャンからみてもそうなのかもしれません。

そのような理解の上で
私は、キチジローの “ 恥知らずな ” 信仰こそが罪深い私たちにとっての「佳き模範」として捉えられていいのではないか、と申し上げたかったのです。

            ♢

すでに何度かここでも触れさせていただいております。
ウチの会社の名前は『 ディーズ(D's)』です。
この意味は
イエスが十字架に架けられたときの両脇に、同じように十字架に架けられた二人の罪人のうちのひとりから取っております。


十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(ルカによる福音書 23章39~43節『新約聖書・新共同訳』より)


ここに登場する、イエスに「わたしを思い出してください」と言った罪人を
多くのキリスト教会では「佳き罪人」或いは「右側の罪人」などと呼びます。
聖書自体には彼の名前がありません。
しかし外典を調べますと、そこには『Dysmas(デュスマス・ディスマス)』という名前(実際には俗称らしいのですが)が記されております。
彼の頭文字からとった『D's』とは
デュスマスの信仰心(Dysmas's Faith)こそが、罪人である私たちが死に葬られたときの救いとなるに違いないと考え、私たちの考える葬儀を執り行う会社の名前に相応しいと決めたのでした。

            ♢

たとえば私自身のことで申しますと
私は何回も、それこそ何百回も何千回も、同じ罪を犯し続けてきております。
それが罪であると知りつつ
確信犯的に犯し続けている罪もあります。
そしてそのたびに
しれッとしたツラをして告解部屋に向かいます( “恥知らず ” にも!)。
毎回のように同じ罪を告白します。
告解部屋のなかで罪の告白をしながら
(どうせオレ、またやるし)と思いながら、です。

「それじゃ意味が無いじゃないか」

そうかもしれません。
でも
それでも私は繰り返すんです。
「 罪を犯す ⇆ 赦しの秘跡 」の無限ループを。

罪を告白するとき
(どうせオレ、またやるし)とは思ってますけれど
それでも「ごめんなさい」の気持ちだけはあるんですよ。
つまり
(何度言われても直そうとしないガキみたいなオレだけど
だけど「悪い」とは思ってるんです。
だから赦して下さいな)
ということです。


・・・“ 恥知らずな ” キチジローと私、どこが違うのでしょう?

・・・いや
キチジローは最後までその “ 恥知らずな ” 信仰を貫きました。
私は、それを貫き通すことすら出来ないかもしれないのです・・・

            ♢

私見で申しますと
この世における人間の価値は、死ぬ瞬間にこそ決まるのだと思います。
逆に申しますなら
死ぬ瞬間まで、自分を正すチャンスがあるということです。

どれだけ罪を犯していても
それが何百回も何千回も繰り返されたものでも
それが確信犯的に重ねられた罪だったとしても
死ぬ直前に、心から「ごめんなさい」「私を憐れんで下さい」と神に依りすがることが出来れば、それで良いんじゃないかと。

それがデュスマスの信仰であり
キチジローの信仰なのではないかと考えるのです。





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by dscorp-japan | 2017-01-30 00:00 | キリスト教 | Comments(10)

『 沈黙 』鑑賞後に思うこと

 
前回の記事と内容が重なりますが・・・m(_ _)m


映画『 沈黙 』を鑑賞して以降
私は毎日のようにネット上にある、本作に関連する記事を読み漁っております。
私にとって本作は
それほどまでに衝撃的な映画だったということです。
そんななか
昨日「毎日新聞」に、イエズス会機関誌『チビルタ・カトリカ』の編集長が行ったマーティン・スコセッシ監督へのインタビューが掲載されたという記事を見つけました。

(ネット上の記事はコチラをご覧ください)


思いのままに記事を書き始めたものの
私自身の思いのすべてをここで書こうとすると、どうしても映画のあらすじや結末を明かしてしまうことになります。
本作をこれから鑑賞しようとお考えの方もいらっしゃることを考えると
それはさすがに憚られるところであります。

では、私は何を書きましょう・・・(><)


・・・私はつくづく思うのです。
私にとってキリスト教とは
私自身の不完全さや罪と向き合うための指針なのだな、と。
私の辿ってきた人生なんて人様に自慢できるようなものではありませんが
それなりに悩みもしましたし難局に対峙するようなこともありました。
そのたびに私は
(こういうときイエス様だったらどうするんだろう)と、その答えをキリスト教に求めたりもしたものです。

そんな考え方を本作にあてはめてみると
(イエス様がキチジローの立場だったら)
(イエス様がロドリゴ神父の立場だったら)
そして
(イエス様がフェレイラ神父や井上筑後守の立場だったらどうするのだろう)
などと思いを巡らせるのです。

そして逆に、こうも思うのです。

(イエス様は一体この物語の、誰を責めるのだろう)


原作発行当時の日本のカトリック教会は
信徒たちに対して、極力本作を読まないように勧めたとききます。
それは(映画でいうところの)『転ぶ』まではいかなくとも『躓き』の元になり得るのではないかという懸念があったからのように思います。
「カトリック信徒たるもの、かくあるべし」
といった不文律のような考え方があったのかもしれません。

しかし私は
本作に出てくる登場人物ひとりひとりが、不完全で罪深い私たちの「救い」として描かれているように思えてならないのです。
『躓く』ことが問題なのではなく
(いや、もちろん躓かないことが理想ではあるのですが)
躓いてしまった「後」こそが、私たちにとって大切なのではないか。

その意味において
本作に登場する「キチジロー」の生き様とその(恥知らずな)信仰心に、私たちが学ぶところがあるように思えるのです。・・・

            ♢

どこかの記事にも書かれていましたが
これからこの映画を鑑賞しようとお考えの方は是非、映画鑑賞後に予定を入れられないことをお勧めします。
もちろん映画を観た後の感想は人それぞれでしょう。
しかしおそらく
少なからずの方は本作の鑑賞後、しばし呆然とされるような気がいたします。
「余韻に浸る」というよりも
どうしようもなく胸が締め付けられる思いにとらわれるのではないでしょうか。

そのときは是非
その思いを振り払うのではなく、感じたことに素直にどっぷりと浸かってみるのもいいのではないでしょうか。






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by dscorp-japan | 2017-01-28 00:09 | 思うに・・・ | Comments(6)

映画 『 沈黙 -Silence 』

 
先ほどレイトショーで鑑賞してきました。
あまりにも鑑賞後の余韻が強くて
この記事を書いている今も、心の動揺が収まりません。

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(映画の詳細については公式HPをご覧ください)


私が遠藤周作の『沈黙』を読んだのは、たしか大学生の頃だったと記憶します。
特に遠藤周作の作品が好きだったということではなく
あえて申しますなら、私は遠周の『狐狸庵先生』としての作品である『ぐうたらシリーズ』の方が好きだったりしました。
あと私が好きだった、真面目な遠周の作品としては
『私にとって神とは』くらいでした。
逆に申しますなら、それほど読んでいないということです ^^;
本作を手にしたのは
たまたま当時の私の家に、父が持っていた古い原作本があったからです。

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今も手元にあります


・・・読んだ時期が早すぎたのでしょうか
もちろん大いに考えさせられたのですが、今回映画を観て抱いた衝撃的な思いまでには至らなかったように記憶します・・・

            ♢

まずは本作の監督であるマーティン・スコセッシ氏について。
ロバート・デ・ニーロの出世作である『 タクシー・ドライバー 』の監督として有名ですね。
私がスコセッシ監督の作品で好きなのは『 グッドフェローズ 』だったりします。
監督は、その幼少期にはカトリック司祭になることを目指していたという、本来的には筋金入りののカトリック信者という方です。
しかしながら一方で
公開当時、キリスト教の世界では大いに物議を醸した『 最後の誘惑 』を撮った監督でもあります。

何故
敢えてまずは監督について言及したのかと申しますと・・・
今回の本作を、イタリア系アメリカ人であるスコセッシ氏が監督したとは到底思えなかったからです。
「本作は日本人の監督によるもの」と言われれば、おそらく日本人の誰もが違和感なく受け入れたのではないでしょうか。
つまりそれほどまでに
17世紀の日本が、一抹の違和感もなく描かれていると感じられるのです。
もちろん私は17世紀の日本を知るわけではありません。
しかし
単に日本人俳優の出演が多くを占めるからということではなく、当時の日本、特に長崎エリアの状況を相当高いレベルで再現していると感じざるを得ないものでした。

            ♢

さて、本作の内容について。

私は原作を読んでから数十年経つので、あらすじの詳細はうろ覚えだったのですが
それでも(泣くかもしれない、でも泣くまい)と映画に臨みました。
しかしながら
私の薄っぺらな誓いは、映画の序盤で脆くも崩れ去ってしまいました・・・

イエズス会宣教師のロドリゴ神父とガルペ神父が長崎に降り立ち
隠れキリシタンたちからすがるように歓迎された描写だけで、もうウルウルでした。

私が本作の登場人物のなかで特に注目したのは、やはり二人のイエズス会司祭を日本に案内するキチジロー(窪塚洋介さん)です。
心弱きキリシタンであるキチジローが、聖書でいうところのイスカリオテのユダに比肩される存在として描かれているであろうことは異論の余地のないところだと思います。
ただ、ユダとキチジローの違いは
ユダは自らの裏切りによって自分に絶望し命を落としますが、キチジローは何度周りの人間を裏切っても、神の救いと赦しを諦めないという点です。
それは人間的な尺度で考えれば「厚顔無恥」ということになるのでしょう。
しかし冷静に考えてみると
私たちは皆、大なり小なりキチジローと同じなのではないかという点に気付かされます。

劇中、キチジローが語ります。
「(キリスト教の)禁教令が出される前だったら
自分だって佳きキリシタンとして死ぬことが出来たのに。
自分は何て不運なんだ」

(自分がキチジローと同じ時代に同じ立場だったとしたら)
そう考えたとき
はたして私たちは「厚顔無恥な」キチジローとは別の生き方を全うすることができたのでしょうか・・・

特に私は
周りの人たちを裏切りながら
それこそイエズスを裏切ったユダのように、イエズス会宣教師のロドリゴ神父を藩に「売って」おきながら
「どうか私の告解(今で言う『赦しの秘跡』)を聴いて下さい」と
裏切った相手であるロドリゴ神父の足元にひれ伏すキチジローに、大いに心を動かされました。

この上なく醜く憐れなキチジローは、まぎれもなく「私たち」なのだと。
そして「神の子キリスト」は
キチジローと同じである私たちを赦すために、この世に遣わされたのだと。

            ♢

ここでは特にキチジローに焦点をあてて書きましたが
もちろんキチジロー以外の人物の苦悩や葛藤にも、大いに観るべきところがあります。
端的に申しますなら
すべての登場人物の考え方や言動が、大いに考えさせられるものです。
神の目から見て、誰が正しいのかは分からない。
でもおそらく、誰ひとり悪いわけでもないのかもしれない。


・・・こうして書いていても
私の感じた思いがうまく表現できていないように思います。
私自身、本作のすべてを理解できていないような気もいたします。
そういう意味で
私はもう一度(或いは何度も)本作を観るべきかもしれません。
ですから
本作のDVDが発売された時には間違いなく、買います。


「お勧め」などという軽い表現は、本作には物足りないと思います。
間違いなく、観る価値のある映画です。
私の鑑賞後の感想は
(観て良かった)ではなく(観るべき映画だ)でしたから。





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by dscorp-japan | 2017-01-25 02:12 | 映画・テレビ | Comments(8)

ジャンボタクシーの需要

 
私たちがお客様とお葬式の打ち合わせをする際には
火葬場へ向かわれる方として予測される凡その人数と、その移動方法についてもご相談させていただきます。

これまで火葬場へのお供の車として考えられたのは
① それぞれの自家用車に分乗
② 必要台数分のタクシーを用意
③ マイクロバス(状況に応じて中型バス)を手配
④ ①~③の混合

・・・だいたい、こんな感じでしょうか。

上記に挙げた方法のなかで私が個人的にお勧めしているのは
(以前ここでも申しましたように)③の「マイクロバス」です。
マイクロバスの利点として
① 25~28名が乗車できるので、お供の方ほぼ全員が乗車できる
② ある程度、人数の増減に対応できる
③ 自家用車やタクシーに分乗する際の振り分けが不要
④ 道中の不安が無い

たしかにそれなりの費用はかかるのですが
それでも、様々な面で安心であることをご説明させていただくわけです。


・・・ところが。

お葬式の小規模化&ご遺族・ご親族人数の減少という背景から
火葬場までお供される方の人数もまた減少傾向にありまして、マイクロバスを手配するケースが減ってきているんですね。
「ウチはせいぜい多くても15人くらいだから」

一方で
それなりの人数が火葬場に行かれるケースでマイクロバスを手配しても
「私は自家用車で向かいます」という方も少なくない。

結果
せっかくマイクロバスを用意しても、実際の乗車人数は10名に満たない、などということが結構あるんですね。

・・・少々勿体ない感じがするわけです。


こうした実情を踏まえてか
最近では『ジャンボタクシー』のご用命が少しずつ増えてきているようです。
いわゆるワンボックスの、乗車定員が大体10名の車ですね。

ご遺族ご親族の人数にもよるでしょうけれど
最初から少人数であることが明らかなお客様にはちょうど良かったりします。
仮に予測人数が15名程度の場合なら
『ジャンボタクシー+普通のタクシー』『ジャンボタクシー+自家用車』といった使い方が出来るわけなんですね。

おそらく今後は今まで以上に
お葬式での車は、マイクロバスよりもジャンボタクシーの需要が増えてくるような気がします。
ただ、現状としての難点は
ジャンボタクシー自体の台数が、やや少ないということでしょうか。
お葬式の時間が決まったら出来るだけ早めに車の手配をするんですが
すでにその時間にチャーター出来る車両が無い、という返答の場合も少なくないわけです。


・・・ということで
いち葬儀屋さんの希望ですけれど
もう少しジャンボタクシーの台数を増やしてもらえると良いなァ、と m(_ _)m






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by dscorp-japan | 2017-01-23 00:00 | 葬儀 | Comments(4)

『悪の経典#9 第1印象パ-ト1』 モルゴーア・クァルテット

 
私のように「へヴィメタ好き」「プログレ好き」というおっさんですと
たとえば自分のスマホのニュースサイトを開いてみても
大切な時事ニュースは最小限に、ハードロック・プログレ関連の普通の方ならスルーするようなニュースをたくさん紹介してくれちゃったりするわけです(一応、お葬式関連の記事もですけど)。


先日、こんな記事が私のスマホに入ってきたわけです。

『 MORGAUA QUARTET、キース・エマーソンに捧げるプログレ名曲群『トリビュートロジー 』を発売

・・・『MORGAUA QUARTET』???


知らん。
どこの国のバンドだ?

と思って記事を読んでみれば
“ 日本を代表する弦楽四重奏団 ” とあるじゃないですか。

・・・ほほう、クラシック畑の方々とな。


これはロック好きの方ならお分かりいただけることなのですが
ハードロックやプログレって、実はクラシックとの相性が結構良かったりするんですね。
「ベクトルが全く逆方向の音楽じゃん」
と思われがちなのですが、何故か結構シックリきちゃったりする(笑)

ですからこれまでにも
そのようなアプローチがたくさんされてきたわけです。

たとえば今回取り上げられているエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)によるライヴアルバム『展覧会の絵』なんかは超名作といわれてます。

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『展覧会の絵』(1971年発表)

このアルバムのフル演奏がコチラ

            ♢

さて。
私は『モルゴーア・クァルテット』なるユニット(?)は存じ上げませんでしたが
今回紹介された記事から、いろんな音源を探して聴いてみましたよ。

・・・良い ♪
なかなかに良いじゃないですか! (^^)


たとえば
キング・クリムゾンの超有名曲『 21世紀のスキッツォイドマン 』。
正直、すンげェ~スリリングな演奏!



原曲をご存じの方なら、この演奏がいかにスゴイか分かるはず!
とにかく私
この曲を聴いて、ノックアウトされちゃいましたよ!


これなんかも素晴らしい!
ロバート・フリップ教授自ら「メタル・クリムゾンである」と仰った『RED』。



この演奏、教授に聴かせてあげたい!


そして今回発表されるアルバムは
昨年残念なかたちで亡くなられた、EL&Pのキース・エマーソンに捧げるということで
EL&Pの作品ばかりを集めたもののようです。

彼らによるEL&Pの曲演奏を探してみたところ
これまたEL&Pの傑作『恐怖の頭脳改革』に収録される組曲『悪の経典#9』の『 第1印象パ-ト1』がありましたのでご紹介。



・・・やってくれるわァ~モルゴーア・クァルテットさん ♪
こりゃ~真剣にアルバム購入を検討せねば!





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by dscorp-japan | 2017-01-20 20:39 | 音楽 | Comments(2)

「葬式無用」と仰るけれど

 
俳優の神山繁さんが急逝されたとのニュースをみました。
(ニュース記事はコチラ

記事によれば
ご本人のご意向で、いわゆるお葬式は行わずにお身内だけでお見送りされたとのことです。
献体登録などされていらっしゃらなかったのであれば「火葬のみを行った」
つまり「直葬」をされたということなのでしょう。

            ♢

ここで考えてみたいのですが
そもそも「葬式は不要」と仰る方の「葬式」とは何なのか?ということです。

たとえば
特定の宗教を信じていらっしゃらない方の場合なら、宗教の典礼に則ったお葬式は行わないという選択肢はあります。
その場合は、無宗教葬を行うという手段がありますね。
或いは先にお身内だけで「直葬」或いは「家族葬」などを行い
後日あらためて、宗教色を拝した「お別れ会」を催すという考え方もあります。
これらは、公に典礼としてのお葬式は行わないけれど
生前親交のあった方々との「お別れの場を設ける」という意味合いが強いでしょう。

・・・では
亡くなられた方とのお別れをする時間って「お葬式」ではないのでしょうか?


私個人の定義として申しますと
亡くなられた方とのお別れをする時間すべてが「お葬式」じゃないかと思っております。
火葬までの時間を待つ間
亡くなられた方の亡き骸に寄り添うのも
傍でご飯を食べるのも
一時離れてお風呂に入って故人様を想う時間も
それらの時間すべてが「お葬式」なのだと。

「なら、火葬するまでの時間があればそれで良いんだろ?」

たしかに
日本の法律では「(特別な場合を除き)死後24時間は火葬できない」という法律があります。
それを待つ時間はすべて「お葬式」ということになります。

・・・はい。
最終的にはそういうことだと、私は捉えております。

問題は
その、火葬までの時間をどのように過ごすのかということ。


お亡くなりになられた神山さんは
「亡くなったら、ただのカルシウムだよ」と仰られていたとか。
ご自身のご遺骨をそのように表現されたのでしょう。

でも大切なのは
「ただのカルシウム」になるまでの時間でしょう。

「死体だって、ただの魂の抜け殻だろう」

たしかにそうかもしれないけれど
人は皆、大切な存在を亡くした時
その「ただの魂の抜け殻」の手を握り、寄り添い、声をかけ、別れを惜しむんです。
死者の尊厳を尊び
死者への感謝の気持ちから「ただの魂の抜け殻」の傍らに花を手向けるんです。
そして
ある人はお経を唱え
ある人は祈りの言葉を捧げ
ある人は別れの歌を送るんです。

「ただの魂の抜け殻」を前にして。

これは理屈じゃない。
「心」だと思うんです。
死者を想う「心」が、そうさせるのだと。
それが「お葬式」なのだと。


・・・お葬式を
お葬式の価値を、決して理詰めで考えてはいけないと思う。

            ♢

間違いなく神山さんのご家族は
神山さんのご遺体が荼毘に付されるまでの時を過ごす間、神山さんの亡き骸に寄り添い、感謝の言葉をかけたに違いないのです。

私の価値観で申しますなら
それもまた「お葬式」だったのです。






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by dscorp-japan | 2017-01-17 00:53 | 葬儀 | Comments(4)

『新成人を祝う新年の集い』

 
一昨日(土曜日)からの雪対策で
私はスタッドレスタイヤにチェーンを巻いて、万全の体制を整えていたのですが・・・

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真夜中に装着しておいたのだ


昨日(日曜日)の午後にはほぼ道路の凍結も溶けて
結果的にチェーンの威力を発揮する場面はありませんでした (^^ゞ
まァでも
使わずに済むのであれば、それに越したことは無いのであります。
お葬式のご依頼もありませんでしたし。

            ♢

さて。
昨日は午後二時からカトリック布池教会において
タイトルにある通り、司教ミサと新成人祝賀パーティーが行われたのでした。
もちろん、新成人を祝うことがメインなのですが
一方で、カトリック名古屋教区としての「新年会」みたいな側面もあったりします。
ですから布池教会に限らず
カトリック名古屋教区を構成する各小教区(それぞれの教会)の皆様もお集まりになって、親交を深める場でもある、ということです。

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祝いの日に相応しく、雪は止んでドピーカンに ♪


・・・晴れたとはいえ、これはあくまでも名古屋の話。
やはり岐阜県以北の各教会の皆様は、さすがにお越し下さるのは少々難しかったようです。
例年以上に参加者の人数は少なかったですね。

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松浦司教様司式のミサが行われ
その中で新成人の皆様の祝福式があり
ミサ後には聖堂地下にあるホールでパーティーでした。
パーティーでは
すでに恒例化しつつある(?)松浦司教様を含めたご兄弟のバンド『ビート・ルーズ(お分かりの通り『ビートルズ』をもじってます)による演奏 ♪
曲目ももちろんビートルズ。
(写真撮るの忘れました (^^ゞ)


・・・というわけで
公私ともに、昨日で “ おとそ気分 ” も終了です。
今日からまたお仕事に(それなりに)勤しむ所存でございます。

寒い日が続きます。
どうぞ皆様、お風邪など召されませぬようご自愛くださいませ m(_ _)m





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by dscorp-japan | 2017-01-16 00:00 | キリスト教 | Comments(2)

言い訳でしかありませんが m(_ _)m

 
天気予報によれば
この週末は名古屋・中部エリアでも雪が積もる恐れがあるとのこと。
(すでに大雪が積もっているエリアもあるようですね)

葬儀屋さんのお仕事って、降雪を言い訳には出来ないものではありますが
それでも道路交通がマヒしたりすると、どうしてもいつもより余分に時間を頂かないとならない状況が発生しがちではあります。
私たちの車がスタッドレスタイヤに替えていても
さらに念のため、タイヤチェーンを持参していても
名古屋って、結構そういう対策をしていない車両が少なくなかったりします。
するとお分かりの通り
全体の交通の流れはどうしても遅くなるし
なかには路上で立ち往生してしまう車両がいて渋滞が発生したりします。

これまでにもこのような状況は何度もあったわけですが
有難いことに、こういった状況時にご葬儀のご依頼をいただいた方には充分ご理解を頂いておりました。


一方で
このような天候時にお通夜やお葬式を迎えざるを得ない方もあります。
ただでさえ大きなお悲しみのなかにある関係者方々には
少なからずのご負担やご心配の種となることでしょう。

何の慰めにもなりませんが
どうぞご無理の無きよう m(_ _)m






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by dscorp-japan | 2017-01-13 15:54 | 思うに・・・ | Comments(2)

死亡診断書の医師の署名と捺印について

 
おそらく多くの葬儀屋さんも同じでしょうが
私が葬儀依頼を受けたお客様と最初の打ち合わせに入る際
私は必ず最初に、医師から発行された『死亡診断書(或いは『死体検案書』)』を拝見します。
最初に目を通すのが、ご本人の氏名と死亡年月日です。
そしてその次に確認するのが、医師の署名・捺印欄です。


・・・今日はこの「医師の署名・捺印欄」についてのお話です。

a0153243_16285569.jpg
これが死亡診断書(死体検案書)の書式です。

昔はこの書類にお医者様が手書きで記入したものですが
昨今ではこの書式にパソコンで入力・プリントアウトしたかたちで発行されるケースが増えてきております。
画像では分かりづらいかもしれませんが
この最下段の部分に、医師の署名・捺印欄があるんですね。


・・・で
この署名・捺印欄に、お医者様の印鑑が押していない場合があるんです。

「お医者様の名前は書いてありますけれど、印鑑を忘れてるみたいなんですが?」
「もう一度病院に行かなければならないですかね?」

お客様にしてみれば不安になりますよね・・・


ということで
この点についてご説明いたします。

医師の署名・捺印については
「診断書を発行した医師の、自筆署名があれば捺印は不要」なんです。

捺印が必要なのは自筆署名でない場合です。
たとえば
パソコン入力で医師の氏名が印刷された状態の書類は捺印が必要です。
或いは
署名欄の氏名をゴム印などで押している場合も捺印が必要となります。


ですから
私たち葬儀屋さんは必ずこの医師の署名・捺印欄を確認するんです。
これは殆ど無いことなのですが
ごくごく稀に、自筆署名でないのに印鑑が押されていないものがあったりするんですね。

この場合、死亡診断書として通用しません。
死亡届の際も、役所は受理してくれません。
その場合はさすがに
再度病院に出向き、お医者様の捺印をいただく必要があるんですね・・・

            ♢

・・・この点について、私は常々思ってるんです。

「死亡診断書(死体検案書)は、例外なく医師の自筆署名を必須とする」
そして
「書式のひな形から「捺印」の欄は削除する」

そうすれば
捺印欄があるのに印鑑が無い書類を受け取ったご家族が不安にならずに済むじゃないですか。

印鑑って、そんなに信用できるものでもないと思うんですよね。
その気になれば100均で買えちゃいますよね。
言い方は悪いですけれど、偽造だって出来なくもない。
だったら例外なく医師の自筆署名にして
有事の際は、署名者の筆跡鑑定が出来るようにした方が良いんじゃないか、と。






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by dscorp-japan | 2017-01-11 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

映画 『 聖獣学園 』の話

 
・・・え~っと、最初に言い訳を ^^;
本作は決してR18(成人映画)ではないそうです。
あくまでも『エロティック・サスペンス映画』というくくり、だそうです。

a0153243_00564507.jpg
1974年公開



今回、何故この映画を取り上げるのか。


私が本作を知った(というか観た)のは、たしか高校生の頃。
さすがに少々記憶が曖昧なのですが
当時は(多くのティーンエイジャーがそうであるように)スケベモード全開の高校生でしたから(恥)当時の自宅からほど近い、名古屋市千種区の繁華街「今池」にあった『今池地下』という映画館(今もあるみたいです!)に行って観たんです。

この映画館、要はポルノ映画館でして(映画館の名前からして『地下』ですから)
毎日、一本のポルノ映画を延々映写し続けていて
たしか入場料が当時350円だったと思います。
当然「18禁」だったのですが・・・
そこはそれ「ルールはあって無きが如し」とでも申しましょうか (^^ゞ

はやる心を抑えつつ
今池ビルの地下にある怪しげな切符売り場で大人の振りしておカネを払い
(絶対バレてますわな)
背徳感に後ろ髪を引かれる思いを振り払って劇場の扉を開くと・・・

そこで上映されていたのが本作だったのでした。

正直なところ
多岐川裕美さんが好きだったとか、修道院モノが好きだったとか
そんなのは全くありませんでしたよ、ハイ。
上映映画の前情報など一切無しで
ただただ「エッチな映画が観たい!」その一念のみ (^^ゞ


・・・ところで
私はこんな話、ここでしてて良いんでしょうか・・・?

まあいいや(良いのか!?)


舞台はとあるカトリック女子修道院(当然、架空の)。
その修道院に
主人公(多岐川さん)は、ある謎を解き明かすべく単身修道院に修練女として潜入します。
するとそこは
乱れ切った性が横行する、エロ修道院だった(苦笑)
そしてこの修道院を実質的に支配するのが、悪の大司教様だったのだァ~(爆)

・・・という、何とも陳腐なストーリー。
(でも海外ではこの映画、カルト映画として人気があるらしいデス)

            ♢

さて!
ここからが本題なのです!

血走る目を皿のようにしてスクリーンに見入っていた私ですが
ある場面で(あれ?)と思ったんです。

(この修道院の外観って、T修道院じゃない?)

そしてさらに。
悪の大司教様の住まう教会が映るんですが・・・

(・・・オイこれ、ウチの教会じゃねェか?)


・・・エロモードだった私、一気に興ざめです。

もちろん確証はありませんでした。
似たような教会は他にもあるだろうし
第一、こんな映画に教会が撮影許可を出すはずがないでしょうから。

いずれにしても
その後の私は、スクリーンに映る多岐川さんの裸体も上の空。
結局、その後は映画に集中することが出来ないまま終わってしまったんですね・・・


その後35年以上にわたり
私はずっとずっと、この映画に対する疑問がくすぶっていたんです。
(あの映画のあの場面、オレの見間違いだったのかなぁ)

            ♢

時は流れて、去年の暮れ。
私がAmazonさんでお買い物をするのは、専ら音楽CDと映画DVDです。
で、映画のジャンルですと
どうしてもキリスト教に関連した作品も含まれるわけです。

・・・そしたら何とAmazonさん
「あなたへのおすすめ」として、この映画を推薦してきやがったんです(笑)

本作を「キリスト教モノ」「教会関連モノ」とカテゴライズするAmazonさんに爆笑したんですが・・・
(いや待てよ?
例の積年の疑問を解消するには、この映画を買って確かめるしかないだろ!)

・・・ということで。
買いましたよ『聖獣学園』。
2800円くらい払って (←アホ)


・・・しかしてその結果は。

(映画の著作権とかあるから画像は載せませんけど)


撮影許可したんかァ~い!!!

いや
きっと、間違いなく無許可のはず。

アングルの位置からして
まずT修道院は、どう考えても修道院の敷地内から撮影してる!
(T修道院敷地内は広大でして、誰でも入れます)
そんでもってウチの教会は
当時、教会南側の道を挟んだところにあったホテルから撮影してるに間違いない!


・・・こういうときにこそ使う言葉。

オー・マイ・ガー!!





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by dscorp-japan | 2017-01-09 12:21 | 映画・テレビ | Comments(6)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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