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最近読んだ本


巷じゃ
又吉先生の “ 火花フィーバー ” の様相ですよね ♪
私も読んでみたいとは思っているのですが
基本的なスタンスとして「文庫本が出てから」というのがありますので (^^ゞ

とはいえ
内心じゃ中村文則さんの『教団X』と
西加奈子さんの『サラバ!』が読みたくてウズウズしてるんですけど・・・

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・・・ここに映っていない作品も読んだりしてます。

たとえば角田光代さんの『紙の月』とか
白石一文さんの『翼』とか
西加奈子さんの『あおい』とか。

それぞれ、それなりに良かったなァと思う作品ではあるのですが
(この作品は是非取り上げて感想を書きましょう)
と思わされるところまでには至らず、といった感じ。

・・・でもさすがに
警察モノにはちょっとだけ飽きてきちゃったかな ^^;
警察モノでも今後も追いかけようと思うのは
・・・やっぱり横山秀夫さんだけは外せませんよね。
ちょっと目先を変えて
警察モノ以外のミステリー小説で良さげな作品を探したいなァ~ ♪
沼田まほかるさんの『ユリゴコロ』の衝撃を
もう一度どなたかの作品で味わってみたい今日この頃。






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by dscorp-japan | 2015-08-27 02:06 | | Comments(8)

独り身の方こそ考えておくべきかと

 
・・・以前から、あるにはあったんです。
しかしその割合は、間違いなく増加傾向にあることは間違いありません。


ご結婚歴の無い方。
死別や離別によって、配偶者のいらっしゃらない方。
ご子息のいらっしゃらない方。
つまり
おひとりの世帯の方。

・・・この状況、私もまた同じなのであります。


こうした方々がお亡くなりになられた際のお葬式はというと
ご本人の兄弟姉妹や甥御様や姪御様(或いはご両親)が、その費用負担も含めて取り仕切られることが少なくありません。
配偶者やご子息がいらっしゃらない以上
それら方々のどなたかにその役回りがいってしまう、というのが現実なのでしょう。


私は法律には詳しくないのですが
民法には次のような条文があるようです。

《 民法第730条 》
直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない。

《 民法第877条 》
1.直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。
2.家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合のほか
  三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。
3.前項の規定による審判があった後事情に変更を生じたときは
  家庭裁判所は、その審判を取り消すことができる。


現実的には上記のような法律以上に
親族として(やっぱり自分がやらなきゃいけないだろうな)という心情面が大きく作用するように思います。

(生前お世話になったんだから、せめてもの恩返しとして)
そんなふうに捉えていただけるのなら有難いことですよね。
でも
(他に誰もいないし、しょうがないじゃん)
といった、責任感や、親族としての倫理観のみでお世話になるとしたら・・・
これは非常に申し訳ないことだと感じるのではないでしょうか。

たとえ世話になるのが実の兄弟姉妹だとしても
相手にはそれぞれの家族があったり生活があったりしますよね。
それが甥御様や姪御様ともなると
世話になる側としては恐縮至極といったところではないでしょうか。

私の個人的な考えとして
「親の葬儀代くらい子が負担していいはず」というのがあります。
しかし
その相手が「親」ではなく「兄弟姉妹」や「おじさん・おばさん」ともなると話は変わってきます。

経済的負担を極力避けるのなら「火葬のみ(いわゆる『直葬』)という手段になります。
しかしそれでさえ
葬儀屋さんに支払う費用と火葬料などを合わせて、“ 二桁 ”(10万以上)の費用がかかることはまず間違いないでしょう。

「立つ鳥跡を濁さず」
それが理想なんでしょうけれど、なかなかそうもいかない。


どうされるかは各々のご判断になります。
でも
何も考えずにいらっしゃるのは、ちょっとキツイかもしれません・・・








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by dscorp-japan | 2015-08-26 00:00 | 葬儀 | Comments(0)

映画 『アメリカン・スナイパー』を観て思ったこと


本作の評判は聞いていたんです。
実話を元にした作品であるし、クリント・イーストウッド監督作品でもあるということで
個人的には戦争映画ってあまり好きじゃないのですが、レンタルで借りてきました。

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→ 映画『アメリカン・スナイパー』公式HP


本作の直接的な感想として
私はここで皆様にお伝えできるほどの言葉を持ちあわせておりません。
本作は、実話を(一部の脚色を除いて)可能な限り忠実に再現した映画であり
その舞台は9.11後、つまり21世紀の話であるという事実だけ確認させていただくに留めたいと思います。
そして
この戦争に “ 大義 ” は無かったという現実を踏まえること。

あとは
本作を観る方それぞれが感じ、考えることに委ねられるべきだと思います。

            ♢

それでも敢えて申し上げるなら
本作を観た後、心に浮かんだ思いだけ書かせていただきます。


まず思ったのは
(今なお、この世の中はパーフェクトじゃない)
(21世紀になってなお、私たち人間もまたパーフェクトではない)
ということ。

私たちひとりひとり、皆が平和で幸せな世界を望んでいるけれど
今現在もなお、それは達成されていないという事実を再認識させられました。


次に思ったこと。
(世界のそこかしこで今尚解決しない諸問題から、いかに自分は目を背けているか)
ということ。

目を閉じているつもりは無いけれど
目を見開いてはいない。
耳を塞いでいるつもりは無いけれど
耳を澄ませてはいない。


もうひとつ思ったこと。
(私の考える正義が、普遍的・絶対的なそれと同じとは限らない)
(日本の考える正義が他国の考えるそれと同じとも限らない)
そして
(そもそも現在の現実世界において、絶対的な正義や善とは曖昧なものだ)
ということ。

世界的な指針(とされるもの)のひとつに「聖書」があります。
でも聖書でさえ、現在の全人類の指針とはなっていないんですよね。


・・・そして、いちばん痛切に感じたこと。
それは
(人間とは「言い訳」をする生き物なのだ)
ということ。

「言い訳」の多くは他者に向けられますが
ときとしてそれは、自分自身にも向けられるのだということ。
人は時折
自分の心の声に反した行動や選択をしてしまいます。
本当は(そうしたくない)(そうすべきではない)と思うのに
その思いに反する行動や選択を自分自身に納得させる為、自分に「言い訳」をする。
これを「正当化」と言います。
でも
これって、誰だってやったことがあるはずなんですよね。
もちろん私だって。



さて
後は本作をご覧いただき、それぞれがお考えください。
少なくとも
映画として、非常にレベルの高い作品だと思います。






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by dscorp-japan | 2015-08-25 02:40 | 映画・テレビ | Comments(2)

懺悔

 
正直に申しますと
実はウチのスタッフ全員、以前私の在籍していた葬儀社時代の部下なんです (^^ゞ

・・・あ
別にヘッドハンティングしたわけじゃないんですよ。
何か知らないけど
「ウチに来たい」と言ってくるから迎え入れただけのことです。

だからスタッフ全員
昔の私のことを全部知っているわけです。
お互いの昔を知っているから
時折、昔話に花が咲く(咲くほどの話でもないんですが)んですね。



私のことに話が及ぶと、必ず言われること。

「オカちゃん(=私)の通った後は “ 焼け野原 ” だったよな~」
「・・・そうそう!ペンペン草の一本も生えない(笑)」

・・・一体どういうことと申しますと
私が葬儀の受注(つまり商談です)に出向くと
かなり高額の売上を作って帰ってくる、という例えデス・・・^^;
・・・これは決して自慢ではないのであります。
むしろ過去の “ 罪 ” と呼べなくもない、あまり褒められた話じゃないのです。


以前の葬儀社時代
私は長きにわたって「葬儀受注課」という部署に所属しておりました。
この部署の業務は
普段は会社に待機していて、葬儀依頼が入ると指定先に出向いて、ご遺族様とご葬儀の内容について打ち合わせ(商談)をしてくるというもの。
で、打ち合わせを終えると、実際にお葬式を施行する担当者に引き継いで、自分はまた次の葬儀依頼を待つという内容でした。
業務内容からも分かるように
会社から受注課に求められたのは「いかにして売上を作ってくるか」というものです。
要は “ 売上ナンボ ” のお仕事。
言い方はえげつないですが
「お客様からどれだけのお金を引き出せるのか」が至上命題でした。

この受注課、私の在籍当時は12~3名の社員がいたのですが
・・・私、ほぼ毎月、葬儀一件あたりの単価がトップだったんです。
年間平均単価も、毎年トップ。

・・・いやネ
営業職としては「優秀」という言い方も出来るのでしょうけれど
一方で「お客様に優しくない」「血も涙も無い」という言われ方をされても仕方ないのであります・・・

無論、私は断じて “ 騙し ” や “ ボッタクリ ” みたいな真似はしてないんです。
具体的な商談の進め方は個人的な企業秘密ですけど ^^;
約600件ほどの受注したお客様からいただいたクレームは、一件だけでした。
(「一件あるじゃないか!」と言われればその通りですし、私の耳に聞こえてこなかったクレームはあったのかもしれません)

・・・でもね・・・
今思い返してみると
言われる通り「お客様に優しくなかった」し「血も涙も無かった」かもしれない。
(もうひと押しいける)と思えば躊躇なく攻めましたし
“ 売り上げトップ ” のプライドが無かったといえばウソになります。
・・・結果的に
今となっては、お客様に無理をさせてきてしまったかもしれない、という思いが拭い去れないのであります。


受注課時代の実績を買われ
その後私は管理職に引き上げられました。
今度は、会社全体としての実績を管理する仕事になりました。

・・・そして、そこで学んだのです。
「一件の売上を上げることよりも
一件でも多くのお葬式を獲得することこそが会社としての実績に繋がる」
ということ。
つまり
「葬儀屋さんとして
如何にしておひとりでも多くのお客様からの信頼を勝ち取れるか」
こそが、会社にとっていちばん重要だということ。

受注課だった頃は毎年売上トップだった私が
管理職になって程なく「売上で無理をするな」「単価は低くても良いから一件でも多くの葬儀を獲得せよ」という方針を打ち出しました。
当然、現場からは反感を買ったと思います。
「自分は散々高い葬儀売り付けておいて・・・」
至極ごもっともな意見なのであります。
でも、私は方針転換をしました。

そして
管理職になって二年後、私は実質的に左遷されました。
「売上トップ」の私を見込んでの管理職登用だった会社は
その後の私の変貌ぶりに「NO」と判断したわけです。

・・・まァそうなりますよね ^^;

で、その約一年半後
私は会社に辞表を提出するに至ったというわけです・・・
ホントに恥ずかしい過去であります m(_ _)m


でも
あのときの経験があるから、今の自分の会社があるのだとも思っております。
受注課時代の「売上至上主義」の自分のままだったら
ウチの会社はとっくの昔に淘汰されていたに違いありません。
そして有難いのは
今のウチのスタッフ全員が、今の私の方針についてきてくれているということ。
少々薄給でも(笑汗)文句ひとつ言わずに頑張ってくれている。

「売上低くても文句言わねェから気が楽だもん」
というセリフは、ある意味で建前でしょう。
「気が楽」というのはつまり
「お客様に無理させていないから」ということだと思います。


今さらなのですが
過去にご迷惑をおかけしたお客様がいらっしゃったとしたら、心よりお詫び申し上げます。
自分の過去を踏まえて
今の会社では、自分が学んできたことをしっかりと反映させたお仕事を貫きたいと思っております <(_ _)>






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by dscorp-japan | 2015-08-23 02:03 | 葬儀 | Comments(2)

『 The prophet's song 』 クイーン

 
今じゃスポーツ祭典で必ずと言っていいほど流れる
We Are The Champions 』や『 We Will Rock You 』。
今じゃクイーンといえば、ロック・ミュージックの代名詞的な解釈がされていますよね。

しかし
初期のクイーンの音楽を知る方ならご存知かと思います。
クイーンって、何気にプログレッシヴロック的アプローチの曲が少なくないんです。
コアな(或いは古くからの)クイーン・ファンって
クイーンの、そういった側面を特に好きだったりします。
実際彼らのセカンドアルバム『 Queen Ⅱ』は
プログレッシヴロック・アルバムの、或いはコンセプト・アルバムの名盤とさえ言われたりもします。

で、今回取り上げるのは
クイーンの4枚目のアルバムにして、ロック史上に残る名盤とされる『 A Night At The Opera 』からの一曲。

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まァこのアルバムに関しては
是非ともアルバム全曲を通してお聴きいただきたいところではあります。
特にアルバムの後半(レコードでいうところのB面)の流れは、是非とも一連の流れを通してお聴きいただきたいところ。

・・・といいつつ
そのB面最初を飾る曲をご紹介するわけなんですけどネ (^^ゞ




何を以て「プログレ」と呼ぶか、議論の余地はあります。
しかし
少なくともこの曲のアプローチは、まぎれもなくプログレであります。
嵐のようなSEを伴ったイントロは、アコースティックギターと、何と琴!
(日本公演の際にファンから贈られた、小ぶりの琴を使ったとか)
歌詞の内容もまた「prophet's song(預言者の歌)」ってなくらいです。

そしてこの曲の白眉であるのが、中間部分の輪唱部分。
いわゆる “ カ~エ~ルゥ~のォ~歌がァ~ ” デス(笑)
前作『 Sheer Heart Attack(シアー・ハート・アタック)』で、ギタリストのブライアン・メイが披露した、ギターによる輪唱(『ブライアン・ディレイ』と呼ばれます)のアイディアを応用したものですね。
一切の楽器を排して
アカペラのオーバーダビングだけで聴かせます。
おそらく
アカペラの前半はフレディだけによるもので、後半はブライアンとロジャーが加勢しているのではないでしょうか・・・


この曲だけを切り取っておいて何ですが
この直後の名曲『 Love Of My Life 』への流れの美しさと言ったらありません!
「感涙必至」と申し上げて差し支えないと思います・・・!









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by dscorp-japan | 2015-08-20 16:36 | 音楽 | Comments(2)

『○○葬儀』出身というプライド

 
今一度
先日お手伝いさせていただいた仏式葬儀の際の話です (^^ゞ


そのご遺族様は
特定のお付き合いのあるお寺(菩提寺)をお持ちでいらっしゃいませんでした。
十数年前にご家族を亡くされた際も
当時ご依頼された葬儀屋さんにお寺を紹介していただいたものの、お葬式だけのお付き合いで終わっていたとのことでした。

今回ご葬儀のご依頼をいただいた際
まず私がお尋ねしたのは、十数年前にご依頼されたお寺の確認でした。
このようなお客様の場合
まずは以前に(一時的にでも)お付き合いのあったお寺にご依頼するのが順当だと考えたからです。

ところがご家族は「分からない」「思い出せない」と仰る。
お寺の名前も、場所も、何も分からない。

となると、次なる手段は
私の知るところの、信頼のおけるお寺をご紹介することであります。

・・・しかし。
ご周知の通り、今の私たちはキリスト教専門葬儀社であります。
以前在籍した葬儀社時代に懇意にしていただいたお寺様方々とも、随分疎遠になっているというのが実情であります。
たとえ私は覚えていても
肝心のご住職様が、私のことを忘れていらっしゃることは想像に難くないのです。

だから
心のなかで(このご住職様なら・・・!)と思いついたお寺に電話を入れる際は、正直かなり緊張しました。
夜半近くでしたし
キリスト教葬儀屋であるウチの社名などを名乗ったところで、相手に通じるわけも無いのですから (^^ゞ

電話の最初の応対では
やはり少々怪訝そうな応答でした。
そこで私は
「以前『○○葬儀(以前在籍した葬儀社名)』にいた際にお世話になったオカダと申します」
と名乗らせていただいたんです。

「・・・あぁ~!『○○さん』のね!」

・・・そこからは話がトントン拍子に進んだ、というわけです。


何が申し上げたいのかといいますと・・・

以前私が在籍していた葬儀社って
それなりにお寺様方々からの信頼を得ていたのだろうなァということが、あらためて実感できたということなんですね。

私の在籍していた葬儀社は
名古屋では古参の部類に入る老舗でした。
最大手ではありませんでしたが、あの当時はそこそこの規模でした。
残念なことに
その会社は今では同業他社に吸収合併されてしまいましたが・・・

いろんな社員がいました。
社会からドロップアウトされた方だったり
元 “ ヤ ” のつく関係の方だったり・・・(汗)
でも総じて皆、心根の優しいスタッフだったと思います。
(私の最初の指導教官は、元・流しの歌手でした)
社員それぞれの個性でもって
ご遺族に溶け込んで「一緒にお葬式をつくりあげる」という社風がありました。

「正しい葬儀屋さん」だったとは申しません。
在籍していたのですから、いろんな内情も知っております。
クレームが無かったとも申しません。
私自身だって、過去には失敗もしております <(_ _)>

それでも
あの会社は「良い葬儀屋さん」だったと思うんです・・・

            ♢

ご葬儀を終え
収骨後の初七日法要も終えたところで、ご住職がお帰りになるところをお見送りに出た際のこと。

「いや~、良いお葬式が出来ましたね」

「ご多忙のところを有難うございます。
私も久々の仏式葬儀で、何かとご不便をおかけいたしました」

「いやいや。
しかし、あの頃の『○○さん(以前の葬儀社)』みたいなお葬式をしていただける葬儀社さんが、今は少なくなりましてねぇ・・・
先日も『◇◇葬儀(某大手葬儀社)』さんのお葬式があまりにお粗末だったので、私、ちょっと担当の方と口論になってしまいましたよ」

「オカダさん、頑張って下さいね。
またこういう機会があれば、いつでも呼んでください」


・・・単なるベンチャラなのかもしれません。
でも
以前在籍した葬儀社のことを、そのように仰っていただけたことが嬉しかった。

・・・すごく嬉しかった!


もう今は無い会社ですけど
『○○葬儀』出身としてのプライドは持ち続けようと思った次第です m(_ _)m







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by dscorp-japan | 2015-08-18 00:57 | あったこと | Comments(2)

先日の仏式葬儀

 
先日お手伝いさせていただいた仏式(浄土宗)葬儀
何とか無事に終えることが出来ました m(_ _)m

葬儀屋さんとしては大変に恥ずかしいことなのですが
私自身、仏式葬儀のお手伝いは約二年ぶり
浄土宗のお葬式ともなると、おそらく15年ぶりくらいになるのではないでしょうか。

・・・正直
いろんな細かいところをかなり忘れておりました。
昔なら全く問題なく段取りできたことが
「もしかして浄土宗ってアレが二本いるんじゃなかったっけ?」
とか・・・(葬儀屋さんなら「アレ」が何であるかすぐに分かりますよね)


・・・は、恥ずかしいッ(><)

だから
担当は私でしたが、ウチのスタッフ総動員で「あれも要る」「これも要る」と、結構大騒ぎでした (^^ゞ


でも
(こういう言い方はどうかとも思いますが)
久々の浄土宗のお葬式、私としてはとても楽しくお手伝いさせていただけました。
(やっぱ仏教のお葬式も良いよなァ)

そして
そう思わせてくれた主たる要因は、お招きしたご住職様の読経が素晴らしかったことにあります。
以前の記事でも書きましたが
お盆でこの上なく多忙のなか、スケジュールを調整してお越しいただけたご住職は、本当に読経が素晴らしい方なんです。
そのご住職とお会いしたのも、約15年ぶりです。
長らくご無沙汰だったにもかかわらず
どうやら私のことも覚えていて下さったようで、とっても嬉しかった ♪

そして読経。

(あぁ、相変わらず素晴らしい読経だなァ)


儀式としてのお葬式の良し悪しの基準には
やはり司式者による典礼の美しさって不可欠だと思うんですよね。

司式者の立ち振る舞い
発せられる言葉のひとつひとつ
読経のメリハリ

それらが高次元で成立することで
その場にいらっしゃる方々も、厳粛な思いで参列されるんですよね。


あらためて思います。
良いお葬式をつくるのは葬儀屋さんじゃない。
その宗教であり
宗教者であり
参列者である、と。







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by dscorp-japan | 2015-08-16 00:00 | 葬儀 | Comments(0)

アルバム 『 SNAKEMAN SHOW(急いで口で吸え)』 スネークマン・ショー

 
今日が大切な日なのは重々承知してはいるのです。
ただ、8月に入ってからの忙しさがようやく一昨日で一段落し
何とも疲れが溜まっておりまして、昨日~今日とぐったり休んでおりました。

ということで、今日も穴埋め的なネタでごまかします ^^;


スネークマン・ショーのことをご存知だという方の多くは
おそらく40代以上の年齢なのではないでしょうか。
イロモノ的扱いではあったかもしれませんが
YMOとのコラボ効果などもあって、80年代初期にはかなりの人気があったと記憶します。
今では名バイプレイヤーである伊武雅刀さんや
テレビ番組『 Sma Station 』のナレーターで有名な小林克也さん(私たちの世代は『ベストヒットUSA』のMCとしての印象が強い方)も在籍したユニット。

シニカルなテーマや当時の時事問題を取り上げ
かなりエゲツナイ表現で笑いを誘う。
コントというか
ラジオドラマのような作風で世間を騒がせました。
私も二枚ほどアルバムレコードを持っていたのですが
誰かに貸したままなのか、所在不明 ^^;


スネークマン・ショーの凄いところって
聴覚への情報だけで、臨場感溢れるドラマを提示することだと思います。
様々なSEを多用しつつ
あくまでも主役は「人間」であります。
人間の浅はかさや愚かさを、半ば自虐的に表現して笑いをとるという手法は
ある意味において “ あるあるネタ ” の元祖ともいえるのかもしれません。

ということで
動画サイトに音源がありましたのでご紹介。



個人的には
「はい、菊池です」が大好きです(笑)
あの当時
ポール・マッカートニーの来日公演が、本人の大麻不法所持による逮捕でキャンセルになったことを受けた仮想コント劇。
刑事役の伊武さんが笑わせてくれますよね~♪


興味のお有りの方は
他のアルバム音源なども動画サイトで探せるようですのでご一聴を ♪





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by dscorp-japan | 2015-08-15 18:34 | 音楽 | Comments(2)

久々の仏式葬儀

 
すでにご周知の通り
ウチの会社はキリスト教専門葬儀社であります。
ただごく稀に(おそらくは数年に一回くらいの割合で)
私の個人的な友人や知人からの依頼で、仏式葬儀をお手伝いすることがあるんですね。

昨日、そんなご依頼が舞い込んできました。

ご宗派等をお尋ねすると「浄土宗」とのこと。
菩提寺はというと・・・「特にありません」

・・・さて、困った ^^;
よりによってこの時期に、菩提寺の無い家のお葬式。

というのは
ご存じの通り、もうお盆です。
どのお寺も、超忙しい時期です。
このタイミングで
お寺の檀家さんでもない方のお葬式を受けて下さるお寺が、果たしてあるのか。

いや
以前在籍していた葬儀社では、当たり前のようにこなしていたんです。
在籍していた葬儀社の信用度もあって
大体各エリアに、各宗派の懇意にさせていただいていたお寺がありまして
「他ならぬ○○さん(葬儀社の名前)のご依頼でしたら」
みたいな感じで、何とかお受けいただいていたんですね。

しかし今はキリスト教葬儀屋さん。
各お寺様とのお付き合いも疎遠になり
ウチみたいな葬儀屋さんがご依頼したところで「おたく、どなた?」ってなもんです。

それでも探すしかない。
近隣のお寺のリストを見比べたりはしたんですけど
実は私の頭の中では最初から(あのご住職が受けて下さればなぁ)というお寺がひとつだけあったんです。
そのご住職様は本当に良い方でして
どんなご遺族様にも真摯な対応をしていただけるんですね。
そして何より、読経が上手い、美しい!

(あのご住職様しかいない!)
という思いで、夜半近くに少々緊張しつつお電話をすると・・・

「30分で枕経に伺います!」

・・・心のなかでガッツポーズですよ ♪


10何年ぶりにお会いしたご住職様、全然お変わりありませんでした。
そして枕経。

相変わらず上手い!
そして超美声!

久々に聴く読経に、聴き惚れちゃいましたよ!


ご遺族様は葬儀屋さんに頼ります。
そして私たち葬儀屋さんは、ご住職に頼ります。
今、私は大船に乗った気分です ♪

あとは私が葬儀屋さんとしての職務を全うするのみ。
昔の記憶を辿りつつ(笑汗)
緊張感を持ってお手伝いさせていただきます <(_ _)>


この超多忙な時期に
ご無理をお聞きいただいたご住職様に深謝申し上げます。

                            合掌




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by dscorp-japan | 2015-08-10 10:40 | 葬儀 | Comments(0)

私なりの偶像崇拝に対する解釈

 
「現代のカトリック教会が、聖書のなかで禁じている『偶像崇拝』についてどのように捉えているのか」
というご質問をいただきました。

私はカトリック信者でありますが、宗教者でもなければ神学者でもありません。
ただのヒラ信者(私はヒラ社員にかけて「ヒラ信者」と呼びます)であります。
まともに聖書を通読したことも無ければ、ミッション系の大学で「キリスト教概論」の講義を受けたこともありません。
ですから
これから書きます内容のすべては、あくまでも私個人の解釈に過ぎませんことをあらかじめご理解いただいたうえでお読みくださればと思います。


まずは旧約聖書にある『偶像崇拝』に関する記述です。

あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
(出エジプト記 20章4節~5節 新共同訳旧約聖書)


いわゆる『十戒』に関する記述です。


私は基本的に保守的な人間ですが、ファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)ではありません。
聖書記述に関する個人的な解釈としては
書かれている文章の向こう側にあるであろう「本当に言わんとすること」と思われることを読み取りたいというスタンスであります。
ですから私は
聖書の記述をそのまま額面通りに受け取る、という考え方ではありません。

この聖書の記述を額面通りに受け取ると
世界中の教会にある十字架も
イエス様やマリア様の御像も
ミサが行われる祭壇も
そもそも宗教施設としての「教会」自体さえ否定されているようにも受け取れます。

でも、神様が本当に言いたかったことって
それらすべてを禁じることじゃなかったんじゃないかって思うわけです。


上記抜粋した聖書の箇所で最も重要なのは
>あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない
という点だと解釈しております。
特に「それらに向かって」という部分。

私たちカトリック信者が祈る際
壁にかかる十字架に「向かって」或いはイエス様やマリア様の御像に「向かって」、たしかに祈ります。
しかし
私たちは十字架そのものを「崇拝の対象」としているわけではありません(少なくとも私は)。
壁にかかる十字架を通して
その向こうにいらっしゃる神様やイエス様ご自身に「向かって」祈っています。
イエス様やマリア様の御像も同じです。
十字架や、イエス様やマリア様の御像そのものが信仰の対象物なのではなく
それらを通して “ 本物の ” 神様やイエス様、マリア様に祈るわけです。

個人的な解釈で申しますと
壁にかかる十字架や御像って、私たちが神様やイエス様、マリア様に祈る(或いは「語りかける」「お願いする」)ための “ アンテナ ” みたいなものだと思っております。
祈りという「通信」のための “ 中継地点 ” という感じです。

もちろん
神様サイドにしてみれば、そんなもの要らないのかもしれません。
何も無いところでも “ 本物の ” 神様に祈ることは出来るだろう、と。
多分そうなのです。
ところが
私たち人間の意思って、結構弱いものですよね。
余程切羽詰った祈りでもない限り
何もないところで祈るって、結構意識が散漫になると思うんですよね。

・・・「祈る」という行為って
心と身体のすべてを、その一点に集中させることが肝要だと思うんです。
思いだけでなく、五感を通して祈りに集中する。
そのための十字架であり御像であり
さらには「教会」という場所なのだと思うんです。

祈りの場所としての教会という「空間」があり
視覚を通して祈りを向かわせる “ 中継地点 ” としての十字架や御像があり
聴覚を通しての教会音楽があり
嗅覚を通しての、司祭が炊く香の香りがあるのではないでしょうか。
すべては
未熟で不完全な私たち人間が、本物の神に祈るための「助け」であるということ。
それらの助けを以てはじめて
私たちは祈りに集中できる、ということなのではないかと解釈しております。

神様が仰った本当の意味は

「オマエらって
偶像作ると、それ自体に祈ったりしやがるだろ。
それ自体を「神」として崇めたりしやがるだろ。
そりゃアカン。
祈るんならオレ自身に祈らんかい!」
ってことじゃないでしょうか。



・・・と、散々エラそうなことを申しておりますが

私、祈りの場である教会で手を合わせる際でさえ
今夜の晩飯のこととかグルグル考えちゃってますけど ^^;






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by dscorp-japan | 2015-08-09 00:00 | 思うに・・・ | Comments(6)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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