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『 I Believe In a Thing Called Love 』 ザ・ダークネス

 
このクッソ暑いなか
連日の現場仕事でグロッキー(><)
叫びたくなるような暑さを紛らわすには、ドストレートなハードロックがよろしい(笑)

ということで
出ました、ザ・ダークネス(笑)
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2000年結成

21世紀
突如出現した、70年代のハードロックを昇華した素晴らしいバンド ♪
音楽シーンに登場した当初は
ややイロモノバンドと誤解される向きもあったようです。
しかし!その実力は本物です。
往年の先達バンド
たとえばレッド・ツェッペリンとかエアロスミスとかクイーンとか
そして特にAC/DCとか
それらのエッセンスを高次元で吸収して、自分たちのものにしています。



イントロはやっぱAC/DCっぽいですよね(笑)
レスポールらしい、音圧のあるギタートーンです。
そしてハードロック界では珍しい、ファルセット・ヴォイス(笑)
これが不思議と曲にマッチしてる ♪
PVではおフザケをかましてますが、そこもまた微笑ましいのですよ(笑)

私はこのバンドって
イギリス版『すかんち』じゃないかと思ってるんですよね(笑)
すかんちというバンドもまた、イロモノっぽいアプローチでデビューしました。
でも実のところ楽曲は素晴らしかったし、特にローリー(寺西)氏のセンスはズバ抜けていたと確信します。



・・・と、この記事を書いている今また
お葬式のご依頼が入りましたので、今日はこのあたりで m(_ _)m







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by dscorp-japan | 2015-07-30 01:01 | 音楽 | Comments(0)

先日の記事について

 
先日の記事『ここはあなたがたのフィールドではない』について
畏友:友人Mさんからコメントでご意見をいただきました。


私の文章で「教育の現場で働かれるすべての教師の皆様がお葬式に参列される際のマナーがなっていない」という印象を持たれたことについて、まずお詫び申し上げます。
私としてはそのような意図は無かったのですが
現職の教職員の方がそのように受け取られたことを真摯に受け止めたいと思います。

申し訳ございませんでした。

すでにここで再三申し上げておりますように
私もまた、以前は教育の現場に身を置いた人間です。
私の友人には教員が大勢います。
高校の同級生にも、大学(教育学部でした)の同期にも。
友人Mさんもまた、そんなひとりです。
ここはどうかご理解いただきたいのですが
基本的に、私は教職に就く方々の擁護をしたいスタンスをとっております。


・・・教員って
他の大人たちに対する以上に、その評価(判定)の目が厳しくなると思うんです。
「教師たる者かくあれ」
みたいな評価基準が、たしかにある。
評価の “ ハードルが上がる ” ということです。
友人Mさんから「色メガネでみないでほしいな」とご高見をいただきましたが
たしかにこれ、別の意味での「色メガネ」なのかもしれません。

しかしこれ、どうしようもないことだと思うんです。
「教師といえど同じ大人」
たしかにそうなのですが
実のところ、世間の目はもっと厳しい。
ごく一部の教師の立ち振る舞いを目にした方が
「あのヒト教師なのに」から
「やっぱり教員ってダメだよね」と断してしまう。
すべての教師が一括りで評価されてしまう。

私は
学校の先生だから非難したのではありません。
学校の先生だからこそ、ちゃんとして欲しいと考えてあの記事を書きました。


今一度申し上げます。
すべての教職員の方々を一括りで非難するような文章ととられたことをお詫び申し上げます。
しかし
「葬儀の場面でちゃんとしていない教職員が目につく」というのは、私の偽らざる本心なのです。







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by dscorp-japan | 2015-07-27 00:30 | 思うに・・・ | Comments(2)

洗礼を受ける

 
・・・実は
私のガッコのセンセ時代の教え子のひとりが、カトリックの洗礼を受けることを前提とした、カトリック要理の勉強をはじめたんです。


私は彼女(つまり女子です)を勧誘などしておりませんので誤解無きよう (^^ゞ
基本的なスタンスとして
私の側から “ 神様を信じましょう ” 的な話題を振ることは絶対にありません。
そういうのって、虫唾が走るほど大ッ嫌いですので。


「あのさァ先生
私、カトリックに興味があるんだけど」

ふぅん。

「洗礼受けるのって、どうすればいいの?」

っていうかオマエ、マジで受けたいの?

「なんか受けようかなぁって思って」

じゃ~とりあえず神父様を紹介してやるわ。


・・・という流れ。

さて。
カトリックの洗礼を受けるためには、一応それなりの準備が必要とされています。
特に成人洗礼の場合
ある一定の期間(私の知る限りにおいて、凡そ半年~一年間くらい)
神父様から、ローマ・カトリックの基本的な知識とか考え方などを説いてもらいます。
これが先に述べた「カトリック要理」です。
で、この準備期間を通して
洗礼を受けるにあたっての、自分自身の意思を確認するんですね。
だから途中下車も全然アリ。
迷うようなら先送りにすればいいし
止めたいと思えばいつでも止められます。
誰にも、何にも強制されるものではないのですから。

(せっかく始めたんだから続けなきゃ)
とか
(何とか洗礼を受けるまでは)
とか
そんな風に思う必要は無いですよ、と。

(むしろそんなふうに思うなら一度立ち止まった方が良いと思います)


大体ね
「洗礼を受けたから神に救われる」とか
「洗礼を受けたから信仰心が芽生えた」とか
そんなもんじゃないと思いますよ私は。
たしかに洗礼はカトリックの秘跡のひとつに数えられます。
もちろん非常に大きな意味のあることです。
でも一方で
信仰の本質って、洗礼を受けるまでのプロセスに、そして洗礼を受けた後の生活にこそあるのだと思うんですよ。

・・・え
「オマエが言うな!」って・・・?

いや逆にネ
私のようなダメ信者だからこそ言えることだってあるわけですよ (^^ゞ


ところで。
その教え子から面白い質問がありました。

「それでさァ先生。
授業料って要るの?」

・・・要らねェよ(笑)

「だァって個人授業だよ?
神父様の貴重な時間を私だけのために割いていただいて、申し訳ないよぉ」

・・・なるほどね。
幼児洗礼の私は、そういうところまで頭が回りませんでした (^^ゞ

オマエがそう思うんなら
何か美味い食い物でも持っていったら?(笑)
そして、もしもこのまま洗礼を受けたなら
そのときは信者の一人として教会を支えてくれれば神父様は喜ぶよ ♪





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by dscorp-japan | 2015-07-24 22:46 | キリスト教 | Comments(10)

携わるということ

 
まァこの話も
すでにここで申し上げていることなんですけどね。
しかし私の考えとしてとても重要なことだと捉えておりますので・・・ m(_ _)m


それなりの期間葬儀屋さんをさせていただいておりますと
友人や知人から、自分の家族の葬儀に関わる相談を受けます。
質問の内容は千差万別ですが
どんな質問を受けた場合でも必ず伝えるようにしていることが、ひとつだけあります。

それは
「葬儀屋さん任せにするな」ということ。
仮に大切な方のお葬式をウチに(≒私に)依頼された場合でも、です。

「葬儀屋さん任せにするな」というのは
「葬儀屋さんの言いなりになるな」という意味だけではありません。
もちろんそれも大切なことなのでしょうが
私が申しあげているのは
「“ 自分でできることを ” 葬儀屋さん任せにするな」ということです。

たとえば。
病院や施設から亡くなられた方をお連れする際。
担架などを使ってご自宅の一室などへお連れするときは、ご自分も担架に手をかける。

たとえば。
当該役所へ死亡届を提出する。
役所への届けを代行してくれる葬儀屋さんも多いです。
でも、自分でやる。

たとえば。
亡くなられた方の衣服を着替えさせる際。
湯灌などを依頼された場合、お着替えの殆どは係員が整えて下さるでしょう。
それでも言ってみる。
「私にやらせてください」

それぞれの葬儀屋さんにもお考えや方針があることでしょう。
「ここは私どもでいたしますので」と言われるかもしれません。
それでも、手を挙げてみていただきたいのです。
「私たちで出来ることは私たちにやらせてもらえませんか」と。


「弔う」「悼む」という行為の意味するところ。
それは、式典としてのお葬式のみを指しているとは考えません。
お葬式が終わればすべて終了、というものでもありません。
大切な方を「弔う」「悼む」ことの本質は
一連の葬送儀礼のプロセスにこそあるのだと思っております。
そしてそのプロセスひとつひとつに
家族として積極的に携わることで「弔うこと」「悼むこと」を実感する。
頭と身体と時間を割いて
亡くなられた方の為に考える。動く。
そこにこそ「弔う」「悼む」ことの本質があるのだと。

誰がやっても同じ、じゃない。
「あなたが」やることに意味があるのだということです。






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by dscorp-japan | 2015-07-23 15:56 | 葬儀 | Comments(2)

『 もうじき夏がくる 』 井上陽水

 
私の場合
夏を手放しで喜べるタイプじゃないんですね ^^;
まず何より、暑いのが滅法苦手。
そして自分のこれまでを思い返してみても
正直、あまり良い思い出がなかったりします(忘れてるだけかも知れんが)

・・・いや
海水浴とか好きなんですよ、泳ぐの大好きだし。
スイカとか目がないし。
大好きなカルピスがいちばん美味しく飲める季節だし。

でも
そういうの全部ひっくるめても、イマイチ夏は苦手であります。


で、このアルバム。

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1981年発表のアルバム『あやしい夜をまって』


このアルバムには、個人的に強い思い入れがあるんです。
発売されたのは秋なんですが
その翌年の夏、私はこのアルバムを聴きまくってたんです。
大学受験を控えた夏
「一体自分は何故大学を目指すのか」
「自分は何になりたいのか」
「そもそも自分の人生とは何なのか」

・・・とまァ、生意気にも考えるだけ考えながら
このアルバムの、漂う世界に浸りまくっていたんですね。
結果
大して勉強もしないままに夏が終わり
秋には好きな子にもフラれて(笑)そのまま受験して浪人する、と。

・・・そんなことはどうでもいい話 (^^ゞ


この時期の井上陽水さんって
ものすごく脂がのってた気がするんです。
一曲一曲に独特の世界観があって
たとえばこのアルバムに収録される曲でいえば、個人的には捨て曲ナシ!って感じ。

ということで
今回は「けだるい夏」の歌。

YouTubeに無かったので、ニコニコ動画から拝借しました。




・・・夏のけだるさが感じられませんか?






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by dscorp-japan | 2015-07-20 00:00 | 音楽 | Comments(2)

映画 『 gift 』

 
アイドルが主演だからって
侮ってはいけなかったのでした・・・<(_ _)>

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主演のおひとりが現役アイドルさん(松井玲奈さん)ということで
正直、映画を借りるのにかなり躊躇したのは事実です。
それでもやっぱり借りようと決心したのは
本作のパッケージに、我が故郷である愛知県にスポットをあてて映画製作された(『Mシネマ』という企画だそうです)と書かれていたからです。


いわゆるロードムービーです。
孤独で偏屈な二人の人間(遠藤憲一さんと松井玲奈さん)が主役です。
(映画のあらすじなどは公式HPをご覧ください)
寒空の日本を、二人の孤独な人間がレンタカーを借りて
“ ある目的 ” のために東京を目指すという映画です。

・・・基本、暗い映画です。
映画全体に寂寥感が漂います。


本作を観終わって思い出されたのは
あの超名作『 息もできない 』でした。

ロードムービーとチンピラ映画という相違はありますが
双方に共通するテーマは「孤独感」だと思います。
孤独である自分に気付かないふりをして、虚勢を張って強がる。
強がり合う二人の人間が、少しずつ心を通わせ合う。

遠藤憲一さんの演技は、もう折り紙つきです。
特に、セリフなしの表情だけの演技には、あらためて唸らされます。
凄みのあるなかに哀しみをたたえた表情は、本作の白眉だと思います。
そして
良い意味で裏切られたのは、松井玲奈さんの演技でした。
(上手いッ)と膝を打つほどとまでは申しませんが
(あれ?結構やるじゃん)と思わされたのは驚きでした・・・


本作をご覧いただければお分かりの通り、この作品は間違いなく低予算映画です。
失礼を承知で申しますなら、B級映画ということになりましょうか。
しかし本作は
数多公開されるメジャーな映画よりも、ずっと芯の通った良作だと思います。
数多あるロードムービーというジャンルのなかでも
かなり上位にランクされる映画と言っていいんじゃないでしょうか。
日本映画らしい上品さがあって
脚本がしっかりしていて、スタッフ皆様が真面目に取り組んでいらっしゃる。

「お金かけなくたってこんな良い映画が出来るんだ」という
本作はお手本のような作品だと思います。






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by dscorp-japan | 2015-07-19 03:32 | 映画・テレビ | Comments(2)

目まぐるしいのである


つい先日まで梅雨だなァと思ってて
やにわに猛暑が来たなァと思ったら・・・今度は台風ですか。
まだ中部地方って梅雨明けしてないんですよね?たしか。

なァんか目まぐるしいですよね ^^;

あくまでも個人的な印象なんですけど
私たちの子どもの頃って、もっとこう、梅雨は梅雨 “ ちゃんとした梅雨 ” で
その後、なだらかに夏にフェードインする感じだったように思います。
「いきなり夏!」とか、そんな感じじゃなかったような・・・

思い返せば
今年の春も、なんか春らしくない春だったように記憶します。
桜の花も例年以上に一瞬だったような印象でしたし。

・・・まァ単純に私が歳をとったから、そう感じるだけなのかもしれませんけど。


日々のお仕事に追われて
季節を愛でるというか、移りゆく季節を楽しむという余裕がなくていけません。

この梅雨にゆっくりとアジサイを眺めたことって、あったっけ?
雨の匂いを意識したことって、あったっけ?
(もうすぐ夏だ!)って、最後にワクワクしたのはいつだったっけ・・・(^^ゞ

「忙しいから」というのは言い訳なんでしょうね、きっと。
忙しくても
気持ちにゆとりがないからいけないんでしょうね。
いつも急かされているように感じるのはつまり
自分で自分を急かしているだけなんでしょうね・・・

いかんいかん。
もっと心にゆとりを持たねば。
そして
移りゆく季節を、五感と心で感じられるようにならねば。


・・・にしても
なァんか目まぐるしくないッすか?






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by dscorp-japan | 2015-07-18 00:00 | 思うに・・・ | Comments(0)

ここはあなた方のフィールドではない

 
こんなこと、あまり言いたくないのですが・・・


学校関係者や学生さんのお葬式となると
やはり学校の職員や、児童・生徒さんとその保護者の皆様がご参列されることが多くなります。
特に都市部において葬儀参列者の減少傾向がみられる昨今であっても
このようなお葬式の場合、結構な人数の参列者がお越しになられます。

さて。
このようなお葬式をお手伝いさせていただくとき
ほぼ毎回のように目につくのが学校関係者、特に教師と思われる方々の立ち振る舞いです。

・・・あ
敢えて「教師」と断定してはおりませんが
元ガッコのセンセである私は、教師の “ 匂い ” を嗅ぎ分けられると思います。
多分、かなりの高確率で (^^ゞ

えっと
通夜や葬儀に参列される服装とかは、別に良いと思うんです。
通夜当日の朝に出勤してはじめて訃報を聞きつけ
通夜開式ギリギリの時間まで教員としての職務に携わり、そのまま(たとえば)ジャージ姿で参列に来られるとか。
それは別に頓着しません(少なくとも私は)。

そういうことではなくて、もっと本質的なことです。

せっかくスーツを着ているのに、上着のボタンを留めていない。
ポケットに手を入れたまま式場に入る。
職場の同僚(と思しき)方々で固まって席に着き、ペチャクチャ喋る。

とにかくマナーがなってない ^^;
同じく参列されている児童・生徒の方がよっぽどちゃんとしていることが多いです。

            ♢

先日のお通夜であったこと。

通夜典礼が無事終わり
ご遺族様ご了承のうえ、ご希望の参列者方々に故人様とのご対面のお時間を設けさせていただいていた時のことです。

式場(とあるカトリック教会)の、内陣入口に安置されたお柩の横で
やにわに、ひとりの教師(おそらく間違いなく)が大声で号令をかけました。

「卒業生、集合~!」

その教師はカトリック教会の祭壇内陣に靴のまま上がり
式場を見渡すような場所から、手でメガホンをつくって号令をかけたんです。
他の参列者が柩を囲んでいる横で。

「お~い!卒業生、集まれ!」

卒業生皆で故人様とのお別れをするのかと思いきや
内陣壇上から、数名の教師(と思しき)人たちが、集まった卒業生たちに代わるがわる話をし始めたんです。
その話の内容すべてを聞き取れたわけではありません。
しかし私の認識する限り
おそらくは、故人様との思い出話の発表だったように受け取ったのですが・・・

・・・何故?

何故それを、故人様の柩の横でやる?
それも故人様に対してなら分かるけれど、何故卒業生に?
(壇上で話す方たちは、決して柩の方を向いてはいませんでした)

あなた方は誰のためにここに集ったのか。
誰との告別に来たのか。
誰を慰めるために来たのか。
あなた方を見る他の参列者の視線に、あなた方は気付いていたのか。

・・・あなた方に、死者の尊厳を守るという気持ちはあるのか。


そしてもうひとつ。
祭壇内陣は、学校の教壇でもなければ朝礼台でもない。

『サンクチュアリ』という言葉があります。
神社仏閣(そして教会)の祭壇周りの、いわゆる「聖域」とされる場所をいいます。
そしてその「聖域」は多くの場合
誰の目にも分かりやすいように、境界(結界)があります。
そこから床の色が変わっていたり天蓋が設けられていたり、段が設けられています。

あの教師たちは誰の許可なく「聖域」に足を踏み入れ
自分たちのやりたいこと(私から言わせればエゴです)のために、その一段高い場所を「演壇」として使用したのです。

死者の尊厳を守るということは
その死者のために行われるお葬式も
死者を弔う役割を担う宗教も
同じく尊重されるべきだと、私は考えます。

それがどんなお葬式でも
それがどんな宗教でも。


「分からなかった」とは言わせない。
いや
本当に「分からなかった」のだとしたら、何とお粗末な人たちだろう。


・・・ここは
あなた方のフィールドではない。





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by dscorp-japan | 2015-07-17 00:42 | 葬儀 | Comments(10)

『 ロスト・ケア 』 葉真中 顕

 
先日の記事でちょっとだけ触れた
あらためて今回は、この作品の感想です。

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光文社文庫(¥680+税)


戦後犯罪史に残る凶悪犯に降(くだ)された死刑判決。
その報を知ったとき、正義を信じる検察官・大友の耳の奥に響く痛ましい叫び―悔い改めろ!
介護現場に溢れる悲鳴、社会システムがもたらす歪み、善悪の意味…。
現代を生きる誰しもが逃れられないテーマに、圧倒的リアリティと緻密な構成力で迫る!
全選考委員絶賛のもと放たれた、日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。
(文庫本背表紙説明より)



大多数の人間にとって
「殺人」などの凶悪犯罪は、身近に感じることの難しいものなのでしょう。
日々テレビのニュースで流れる事件をみて眉間に皺を寄せることはあっても、それはあくまでも「対岸の火事」。
心のどこかで(自分には関係ない話)と感じているような気がします。
しかしこれが「介護」の果てに起きた事件となると
それは俄然、私たちに強いリアリティをもって迫ってくるのではないでしょうか。

介護疲れの果てに起きてしまう「介護殺人」。
今となってはそれほど珍しい事件でもありません。
家族や親を持つ私たちすべての人間にとって
それはもはや「対岸の火事」では済まされないはずです。

この作品のもつリアリティは、この「介護」をテーマに据えているところにあるのでしょう。


本作を読んでいて、何度も思いました。
(これは現代の黙示録じゃないか)と。

実は、本作のそこかしこに聖書の引用が出てきます。
それもかなり巧妙な引用、です。
読んでいる最中何度も
(この作家はクリスチャンじゃないか?)と思わされるくらいに。

(実際に葉真中 顕さんがクリスチャンかどうかは分かりません)

何カ月も何年も介護に携わる家族が
(もういっそのこと死んでくれたらいいのに)と考えてしまうことは罪なのか。
不自由な心と身体に縛られ続ける本人が
(もう充分だ、殺してくれ)と願うことは罪なのか。
しかも介護を受ける本人が
“ 家族に迷惑をかけるから ” 殺して欲しいと願っているとしたら。

それは当事者のエゴとして片付けられるのか。
家族への愛ではないのか。


再三申しておりますように
神様の考えていることって、さっぱり分からないときがあります。

神様はどうして私たちに
介護という “ 十字架 ” を背負わせるんだろう。
「それが育ててもらった親への恩返しだから」と、正論を口にすることは簡単です。
たしかにイエス様は私たちの罪の贖いとして
十字架を背負い、ゴルゴタの丘で磔刑に処されました。
それが私たちすべての人類に対する「愛」だというのは理解します。

しかし
イエス様の十字架と、いつ終わるとも知れない介護の日々という十字架と
いったいどちらが重い十字架なんだろう?

私が当事者になったとき
きっと天を仰いで叫ぶことでしょう。

(いつまでこれを続けりゃいいんだ?)
(オレはあんたみたいに強くねェんだよ!)

そして
(これがオレの罪の代償だというなら
もういいから、今ここでオレのことを裁いてくれよ!)



・・・敢えて本作の最後の部分を抜粋いたします。

>日没まで、もうさほど時間は無い。
>それは、あらかじめ分かっている。
>もうすぐ、夜が来る。


これは「予告」であります。
本作は私たちに警告しているのです。

「覚悟せよ!」と。

そして
「もうすぐ、夜が来る」のは、私もまた同じなのです。






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by dscorp-japan | 2015-07-14 00:00 | | Comments(2)

『 Holding On 』 イエス

 
プログレファンの方ならご存知かと思いますが
イエスというバンドは一時期、ふたつのバンドに分裂しておりました。

まァその細かい経緯は省略しますが (^^ゞ
ジョン・アンダーソンを中心に黄金期のメンバーが終結した『ABWH』と
マルチ・プレイヤーであるトレヴァー・ラビンを擁した『90125イエス』でした。

実質的な解散状態にあったイエスが
トレヴァーを迎えて発表したアルバム『90125』が大ヒットして
次作『ビッグ・ジェネレイター』が不振に終わって
バンドの顔であるジョン・アンダーソンが脱退して
そのジョンを中心に、イエス黄金期のメンバーが終結して『ABWH』が結成され
ふたつのバンドの間でどちらが “ YES ” を名乗るか訴訟沙汰になって(笑汗)

(詳しくはウィキペディア『イエス』をご参照ください)

・・・と、まぁメンドクサイ人たちなのですが
プログレ畑のお歴々って、こういうことが日常茶飯事ではありました。

私は古き佳きプログレ(=ABWH)も、産業ロック(=90125イエス)も
どちらも好きでしたので、ふたつのイエスが楽しめたわけなんですけどネ (^^ゞ


で。
ケンカしていたはずのふたつのバンドが
どういうわけか「この際、みんな一緒にやりまっか?」となって発表されたアルバムがこれ。

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1991年発表のアルバム『UNION(邦題:結晶)』
ジャケットはもちろんロジャー・ディーン



「イエスメンバー総集結!」となれば
プログレファン垂涎の話題、ではあるのですが・・・
実のところこのアルバム
先記したふたつのバンドの楽曲を寄せ集めしたものであって、本当の意味で総集結したわけでもないんですね。
アルバムの楽曲を聴けば分かるのですが
もうはっきりと、ABWHの曲と90125イエスの曲とでは、そのカラーが異なります。

そんな内情もあってか
コアなイエスファンからは評判がよろしくないアルバムなのですけれど
私個人としてはこのアルバム、結構好きだったりするんですよね~ ♪


というわけで
今回はこのアルバムの、ABWHサイドの楽曲のひとつをご紹介。



よっぽど評価が低いのか
YouTubeにも殆どこの曲がありませんでした・・・^^;


・・・でもね
この時代のABWHメンバーによる楽曲って
音の一つ一つがキラキラしていて、私は大好きなんです。
ジョンのヴォーカルも
スティーヴ・ハウおじさんのギターも
リック・ウェイクマンのキーボードも
みんなそれぞれが自由な感じで音を乗せてて
個人的には音の万華鏡みたいな感じがして、聴いてて飽きないんですよね~

イエス黄金期のメンバーですもの
やっぱりセンスがあるなァと思うんですよね。


やや尻切れトンボのような終わり方ですけど
これもまた「だってプログレだし」という言い訳で許されちゃうという ^^;





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by dscorp-japan | 2015-07-13 00:00 | 音楽 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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