D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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『 Six Degrees Of Inner Turbulence 』 ドリーム・シアター

 
個人的な印象で申しますなら
アルバムSystematic Chaos 』以降のドリーム・シアター(以下:DT)は
今となっては(もう終わったかなァ~)って感じではあります ^^;)
何だかんだ言っても
やっぱりマイク・ポートノイのドラムは好きだったし
後任ドラマーのマイク・マンジーニが嫌いなわけじゃないけど、肝心の楽曲が少々マンネリ化してきてるというか・・・
“ DTブランド ” の呪縛に、自らがとらわれているような気がします。


さて。
中期のDTの傑作アルバムといえば
『 Metropolis Pt. 2: Scenes from a Memory 』とされております。
私もキライじゃありませんけど
個人的にはその次に発表された、このアルバムの方が好きです。

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2002年発表の、CD二枚組アルバム


一枚目のCDには比較的短い曲(といっても10分越えが3曲)が
そしてもう一枚のCDには
42分(!)にも及ぶ、プログレメタルの組曲が収録されております。

私はこの
アルバム表題曲でもある組曲『 Six Degrees Of Inner Turbulence 』が好きなんです。
メタル色も
ハードロック色も
そして
古き佳きプログレッシヴロックのエッセンスも
なかなか絶妙のブレンド感で混在する大作です。

おそらくは
前作より加入したキーボーディスト・ジョーダン・ルーデスの手腕によるところが少なくないのかと。


・・・で。
この組曲を
彼らは何と、オーケストラと共演するという大技で披露したんですね~
この模様は『 SCORE 』というタイトルでDVD化されてます。
(もちろん私は持ってます)

・・・しかし今は何でもYouTubeで観れてしまうんですよね ^^;
せっかく大枚はたいてDVD買ったのにぃ。



オーケストラとの共演が
どれほどの効果を生み出しているのかは、正直疑問デス(汗)
悪かァないけど
(別にわざわざオーケストラまで呼ばなくても・・・)ってのが私の印象。

ただこの組曲は
プログレッシヴ・へヴィメタルの組曲としては出色の出来だと思います。

ジェイムス・ラブリエのヴォーカルは相変わらず安心できない ^^;
それこそ
日本が誇る(?)BABYMETALの、SU-METALちゃんの方がよっぽどお上手 ♪

でも
相変わらずスティックを放り投げたり
好き放題やるマイクのドラミングは、やっぱりお茶目で私は好き(笑)






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by dscorp-japan | 2015-01-30 00:00 | 音楽 | Comments(0)

ロザリオを首にかける

 
先日の記事『コンタツ』
「ロザリオは首にかけるものじゃない」と申し上げました。
ただ、例外的に首にかける場合もある、という一例を。

いわゆる「アルツハイマー型認知症」のお婆様がいらっしゃいました。
このお婆様
認知症が発症する以前は、大変に熱心なカトリック信者さんでいらっしゃったとのことです。
しかし認知症の発症以降
ご自身の力では教会へ通うことも困難となり、ミサに与っていても典礼の流れが理解できなくなっていったとのことです。

それでも
認知症の発症以降も、どうやら彼女の心の支えはカトリックの信仰だったようだとのことでした。
家族に、毎日のように「明日は何曜日?」と尋ね
「日曜日だよ」と返答すると「じゃあ教会の日だ」と答えられたそうです。


・・・そして
ロザリオもまた、彼女の心の支えのひとつだったようです。
時折、思い出したように仰ったそうです。

「私のお守りはどこ?」

「ロザリオ」という単語が出てこなくなったのかもしれません。
或いは元々、ロザリオを「お守り」と認識していらっしゃったのかもしれません。
いずれにせよ
彼女にとってロザリオが大切なものだったことは確かだと。
ご家族がロザリオを手に持たせると
彼女は嬉しそうに首にかけ、先端に付いた十字架を握りしめたそうです・・・


私は医者じゃありません。
認知症に対する理解が深いわけでもありません。
ただ
このお婆様の「ロザリオを首にかける」という行為には、大きな意味があるような気がしてなりません。
ロザリオを「ロザリオ」として認識するか否かは別として
何らかの心の支えとしてそれを身につけることで心の平安が得られたのであれば、その行為には意味が生まれるのではないでしょうか。


今はこの世を去ったお婆様の遺影。
彼女の首には、青いロザリオがかけられています。
そしてそのお顔は、満面の笑みをたたえていらっしゃいます。






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by dscorp-japan | 2015-01-29 17:15 | キリスト教 | Comments(0)

『女性のための終活』・補足

 
幾名かの方より
先日の勉強会でお話されたことを、もう少し具体的に教えてください」
といったご要望がありましたので・・・


まずは
亡くなられた方にお着せする衣服のこと。

病院や施設でお亡くなりになられた場合
特段の用意がなければ、だいたいが施設側で用意する浴衣のようなものを着せられます。
しかし亡くなられた方が女性の場合
さすがに「浴衣のままではちょっと・・・」という話にもなるわけです。
お亡くなりになられた方の死後処置の際
病院や施設によっては「何かお着せされたい服とかありますか」と尋ねてくれるところもあります。
これを受けて
ご家族は急いで自宅に戻って、適当なご本人の衣服を用意することになります。
しかしご家族は慌てているものですから
取り急ぎの手近なもので済ませることにもなりかねない。
お着せ替えを終えて
たとえばご納棺された後になって
「やっぱり(別の)あの服にしておけばよかったね」
などと後悔されることもしばしば、なんですね。

よって、です。
「自分の服は自分で」ということで
もしもの為に、自分が亡くなった際に着せて欲しい服を一揃え、事前に用意しておくことをお勧めするんですね。


もうひとつが遺影写真のこと。

大切な方を亡くされたご経験がお有りの方ならお分かりかと思います。
ご本人の遺影写真の原版を探す&決める作業って、実は結構大変なんですね。
アルバムを紐解き
写真がまとめられた段ボールをひっくり返し
或いは携帯の写真データをチェックし・・・
それでもなかなか決まらない。

「お母さんだったらどれがイイって言うかしら・・・?」

・・・だから、です。
やはり遺影写真の原版となるものも、ご本人が事前に選んでおくことが賢明なのだということです。

昨今では
写真屋さんなどが遺影の為の写真撮影をしてくれるところもあります。
・・・ただ、個人的にはあまり好きじゃありません。
妙にかしこまった写真よりも
普段の生活のなかの、自然な表情の写真の方が私は好きです。
まァこれは好みの問題ですが。


・・・そして。
着せて欲しい衣服と遺影写真の原版の二点を
出来れば双方、事前に療養されている施設の病室に用意しておくんです。
特に衣服を用意しておくことで
「もしものときは、この衣服を着せてください」と、施設のスタッフに頼んでおけばいいわけです。
こうすることで
ご家族も慌てて奔走する必要がなくなるのではないでしょうか、と。

そして最後に。
やはり私はエンディングノートの活用をお勧めします。
ご自身の希望を記しておくことで
ご家族は、これをもとに準備を進めていけばいいのですから。

            ♢

・・・実際にはもっといろんな話をしたんですけど
まァ大体こんな感じでお話をさせていただいた次第でありました m(_ _)m






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by dscorp-japan | 2015-01-26 01:00 | 葬儀 | Comments(2)

葬儀勉強会 『 女性のための終活 』

 
最初に申し上げておきます。
今回の葬儀勉強会のテーマを決めたのは、私じゃないんです・・・


昨日
以前よりご依頼をいただいていたカトリック東山教会にて
『女性のための終活』というテーマで、葬儀に関するお話をさせていただきました。
これまでのお葬式に関する講演とか勉強会って
まァ大体が『キリスト教の~』『教会における~』といった感じでした。
しかし今回は
カトリック東山教会の、女性部の方々からこのテーマをいただいた次第でありました。

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見渡す限り皆女性(&女性に囲まれて焦る私)


・・・しかし
『女性のための』って、なかなか面白い切り口だと思いませんか・・・?


お亡くなりになられた方が女性の場合
たしかに私どもも、そのあたりは気を配りながらお手伝いさせていただきます。

もちろん、性別で差別するわけではありませんよ~ (^^ゞ

たとえば
お亡くなりになられた方にお着せする衣服を考えるとき。
たとえば
遺影写真のための原版を選ぶとき。
たとえば
祭壇の生花飾りのお花を選ぶとき。

・・・やっぱり
お亡くなりになられた方が女性なら、いろいろと考えるわけです。

そして(個人差はありましょうが)
自分のお葬式に対するこだわりが強い傾向にあるのも、男性よりも女性だと思うんです。
「私のお葬式はこうしたい」
「もしものときはこんな風に送られたい」


しかし、これは当たり前のことなのですが
こうした希望を、お亡くなりになったご本人から訊くわけにもいかないわけです。
やはりこうした希望って
可能な限り、事前に家族などに伝えておくことが賢明なんですね。
そうした意思表示を
何らかの形で明確にしておきましょう、というお話をさせていただいたわけです。

            ♢

・・・私はこう考えているんです。

(語弊があるかもしれませんが)
男性が亡くなるときは、人として亡くなる。
対して
女性が亡くなるときって「女性」として亡くなるんだと思うんです。

だからお葬式においても
「女性」であることを意識してイイと思うんですよね・・・


・・・と、まァ分かったようなことを申しておりますが・・・

『女性のための終活』について
中年のオッサンが話すというのもヘンな構図ではありました、とサ (^^ゞ






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by dscorp-japan | 2015-01-25 01:03 | 葬儀 | Comments(4)

『老い』を受け入れる

 
「生老病死(しょうろうびょうし)」とは仏教用語です。
すべての人間が避けて通れない四つの苦しみをいいます。
すなわち
「生まれること」「老いること」「病に伏せること」「死ぬこと」です。
『四苦八苦』の「四苦」がこれであります。

たとえば医療関係に従事する方
高齢者を対象としたお仕事に携わる方
そして私たち葬儀屋さんもまたそうなのですが・・・

人間の命と日常的に関わっておりますと
やはり考えるものなのだと思います。
「四苦」のうちの「老」「病」「死」について。
これらすべて、歳を重ねるほどに現実味を帯びてきます。

特に現実的に実感させられるのが、やはり「老い」でありましょう。

すでに何度も申しております。
私もまた「老い」を実感する日々であります (^^ゞ
脳みそも身体も、年々衰えてきております、確実に。

でも私
老いる自分を楽しみにしているところもあるんです。
・・・いや
これは決して強がっているわけじゃありません。
死ぬことを恐れているつもりはありませんけど
そこに至るプロセスは、やっぱり怖いですよ。
痛いのや苦しいの、やっぱりイヤですもん ^^;

ただ、思うんですよ。
「老いる」というプロセスを経て
人間って、新しいステージに移行するような気がするんです。
「新しいステージ」ってのは大袈裟な表現かもしれませんけど・・・

でも、たしかに言えることがあるんです。
以前は見えなかったものが、見えてきたと実感できることがある。
以前は気にも留めなかったことに、心を奪われる瞬間がある。
以前は受け入れ難かったことを、すんなりと受け止められることがある。

上手く言えないんですけど
そういうことに気付ける瞬間を、喜びをもって受け入れている自分がいるんです・・・


きっと
人は老いてゆく過程のなかで尚、何かを学ぶように造られているのではないでしょうか。
この世界に神様がいたとして
「老いる」という必然のなかに、神様はきっと、何らかの意味を持たせているような気がするんです。

だとするなら
私は是非、その意味を学んでみたい。
「老い」の過程のなかで見えるものがあるのなら見てみたい。






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by dscorp-japan | 2015-01-23 00:44 | 思うに・・・ | Comments(5)

『 オープン・ダ・ドー 』 戸川純バンド

 
ようやく現場の仕事も、今日で落ち着いた模様です。

私は、昨日まで担当していたお客様のお手伝いをさせていただき・・・
今日は・・・もうダウンしました(><)
それほどひどい風邪ではないんですけど
とにかく今日一日は寝て過ごしました。
ホントはこのブログもお休みしたいんですけど
家にいるんだし、なんか記事更新しとこうかなぁということで。

            ♢

大学生時代から
私は戸川純さんのファンです。
学生時代に組んでいたバンドも、結構影響されていたような気がします。
実際何曲かコピーしかけたと記憶します(披露はしなかったけど)。
『ゲルニカ』とか『ヤプーズ』とか、大好きでした ♪

元祖・不思議ちゃんキャラとして認識されてますけど
彼女の音楽の世界観って、結構いろんな方に影響を及ぼしていると思うんですよね。
初期の椎名林檎さんの、一部の楽曲とか。

で。
今日はこの曲。



特にコメントは差し控えさせていただきます。
ただ
他ならぬ彼女が歌うからこそ、この曲は説得力を持つのだと思います。







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by dscorp-japan | 2015-01-21 18:57 | 音楽 | Comments(2)

ときどきでいいから思い出す

 
人間は「忘れる」生き物です。
「忘れる」という表現が的確でないとするなら
「意識から遠のく」と申しましょうか・・・

決して忘れてなどいない。
けれど
普段の生活で、少しずづ意識することが少なくなる。

・・・それはもしかすると
神様が私たちに与えてくださった、生きる力のひとつなのかもしれません。

しかし私たちは
様々なきっかけを通して、忘れていたことを思い出すことが出来ます。
そのきっかけは
ふとした一言だったり
当時を連想させる音楽だったり
思い出の場所だったり、香りだったり。

そして
「記念日(メモリアルデー)」であったり・・・


「記念日」と表現するつもりはありませんが
今日という日もまた、忘れてはならない日なのだと思います。

20年前の今日未明
名古屋で暮らす私のベッドも、揺れました。
目を覚ました私は
(あぁ~結構揺れてるなァ)と思うにとどまりました。
しかし程なくテレビを付けて、素っ頓狂な大声をあげたと記憶します。

正直なところ
大阪方面に、多くの知り合いがいたわけではありません。
テレビに映る惨状を見て
私が「対岸の火事」と意識したのも事実です。

しかし時間が経つにつれ
人でなしの私の意識も、少しずつ変わったように思います。
何もできない
いや、何もしない自分を考えるにつけ
(せめて、時々祈ろう)と考えるに至りました。

こんな私なんぞの祈りですから
当事者の方々には何の役にも立たないかもしれません。
私の自己満足に過ぎないのかもしれません。

でも
せめて「思い出す」「意識する」。
何もしない私だけれど
せめて「思い出そう」「意識しよう」ということです。







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by dscorp-japan | 2015-01-17 00:00 | 思うに・・・ | Comments(2)

映画 『オー!ゴッド』

 
「こンの忙しいときに
オマエにはレンタルDVD屋さんとか覘いてるヒマがあるのか!」

・・・はい、覘いてました (^^ゞ

私の気分転換のひとつに
「目的もなく本屋さんを覘く」
「何となくレンタルDVDを眺める」
というのがあります。
まァレンタル屋さんの場合は、ものの15分程度で終わるんですけど。

で、先日覘いた時
懐かしい映画を見つけちゃったので、思わず借りてしまいました。

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1977年公開(日本公開は翌年だそうです)


日本公開時、私は本作を観ていません。
大学生になって
所属する教会で遊び呆けていたときに、ある神父様から教えていただきました。
あの当時はVHSビデオの時代だったんですが
たしか神父様が本作のビデオを持っていらっしゃって、借りて観た記憶があります。


スーパーマーケットの副店長として真面目に働くジェリー・ランダース(ジョン・デンバー)は、家庭と幸せな生活を送っています。
ある日ジェリーの元へ「ホテルの2700号室へ来なさい」というDMが届きます。
差出人は「GOD(神)」。
ジェリーは本気にせず、そのDMを捨てるのですが
捨てても破っても、そのDMは彼の元に戻ってきます。
半信半疑ながらも、ジェリーは指定された場所へ出かけます。
そこには誰も居ず、ただインターフォンから「神」と名乗る存在の声が。
何かの悪戯と疑うジェリーに「神」はこのホテルに2700号室は無いことを告げ
するとこのホテルは17階建てだと知り、ジェリーは「神」の実在を世に知らしめる役を果たすべく動き出します。
当然のことながら
マスコミからのバッシングに遭い、各宗教者からも叩かれ、家族からも信じてもらえません。
それでも自身に与えられた役目に奔走するジェリー。
「神」からのメッセージとして
ある宗教(おそらく新興宗教)の教祖を非難する発言をしたことから、ジェリーは訴訟を起こされます。
弁護士もつけずに裁判に臨んだジェリーの前に
突如、証人として「神」が出廷します。
そこで「神」が語った言葉とは―。
(何となくのあらすじです)



・・・冷静にみた場合
本作のストーリーには、やや危険な要素も含まれているのではないでしょうか。
突如現れた「神」と称する存在をいとも簡単に信じて
その教えに従うという主人公の行動は、やや軽率であり危険であるとも考えられます。
だからこそ本作のなかでも
各宗教者たちが協議する場面において、主人公の主張を懐疑的に捉えるのでしょう。
闇雲に疑うのではなく
充分な検証がなされたうえで、その真偽が議論されるべきであります。

ただまァ
本作のテーマはそこにあるわけではありません。
基本的には、コミカルなファンタジー映画ということでしょう。
配役にもその意図があらわれていて
「神」を演じるのは、往年のコメディアン(だそうです)であるジョージ・バーンズさん。

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「神」(ジョージ・バーンズさん)と主人公・ジェリー(ジョン・デンバーさん)


肩ひじ張らずに、リラックスして鑑賞するのがよろしいのか、と。


・・・でも、です。
法廷に現れた「神」の語る言葉は、何気に深い。
その具体的なメッセージは、是非映画でご確認ください。

でもひとつだけ
彼の語ったセリフをご紹介します。

「わたしを信じなくても
わたしは君たちを信じている」







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by dscorp-japan | 2015-01-16 20:56 | 映画・テレビ | Comments(0)

接客ということ

 
先日
ある仕事の関係で、とある役所とのやり取りで腹の立つことがありまして・・・

・・・まァ~基本的な対応がなっとらんわけですよ。
事前の電話応対はゾンザイだし
提出書類にしても
役所側の不備のくせに、さも当たり前のように「もう一度こちらに来て下さい」とか。
文句を言っても、最後まで詫びの言葉一つもない。


一方で
そのお仕事の故人様がお世話になっていたグループハウスにも顔を出したんですが・・・
介護スタッフの皆さん、結構お若い方々ばかりでした。
正直、今風の若者メイクのスタッフさんもいらっしゃったんです。
正直、内心思いましたよ
(チャラ・・・)って。
でもね
スタッフの皆さん全員、本当に礼儀正しかったんですよ。
私なんぞが玄関を入った際は
手の空いたスタッフさん全員でお出迎えされ
大きな声で「ようこそいらっしゃいました!」と最敬礼。
スタッフの皆さん全員、常に笑顔を絶やさない。
もちろん私が帰る際も、皆さんが玄関先までお見送り。
ちょうど昼食時で
施設の中央ロビーでお食事中だったのに、です。

・・・素晴らしいと思いました。
自分も老後はこんなところにお世話になりたいと思いました。


・・・しかしこの違いって何なんでしょ ^^;


お役所だろうと民間だろうと
接客という点では、何ら変わりは無いはずですよね。
お客様側と応対する側
双方が気持ちよくなれるようなコミュニケーション。
接客する側の対応ひとつで大きく変わるものですよね。


・・・お役所の対応が悪かったりするたびに思うんです。
(オマエら一度、ファミレスとか居酒屋の接客やって勉強せい!)って。





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by dscorp-japan | 2015-01-15 13:50 | 思うに・・・ | Comments(0)

『コンタツ』

 
カトリック信徒の方の葬儀依頼に伺った際、私どもがよくご案内すること。

「故人様の愛用されていたロザリオはありますか?」

それがカトリックの決まり事というわけではありませんが・・・
カトリック信徒のお葬式の際
一般的には故人様のお手を組ませ、そこにロザリオを持たせて差し上げるんですね。
だから
もしも亡くなられた方ご本人のロザリオがあれば、それをお持ちいただくわけです。

私どもがお尋ねすると
時折、ご遺族様はこうお答えになられるんです。

「あぁ、コンタツね。
ちょっと~!お婆ちゃんのコンタツ持ってきて~!」

“ コンタツ ” ?

・・・風邪薬?

それはコンタック(←つまらん!)

文脈からお分かりかと思います。
これ、ロザリオの別称なんですね。

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私所有の、エルサレム十字 “ コンタツ ”(=ロザリオ)


日本におけるキリシタン迫害の時代
隠れキリシタンの方々は、ロザリオのことを「コンタツ」と称していたようです。
どうやらこの「コンタツ」という言葉
ポルトガル語の「contas」からきているようです。

[contas]=「数える」

・・・これは私の勝手な推測なんですが
英語でいうところの [ count ] と同義なのではないでしょうか。
(確証はありませんのでご了承ください)

ロザリオの祈りとは
ロザリオの珠ひとつひとつを繰るたび、聖母マリアへの祈り(現在はアヴェマリアの祈り)を唱えるという信心業であります。

「珠を繰る」。

・・・そうなんです。

この「コンタツ」の語源が「数える」という単語に由来するのであれば
コンタツとはまさに
「(珠を)数える」→「数珠」なんですよね・・・


コンタツ(ロザリオ)は
手に持って珠を繰りながら祈るための道具であります。
だから仏教でいうところの数珠と同様の用途のものであるということ。

以前にも書きましたが
多くの方が「ロザリオは首にかけるもの」と、誤った解釈をされているようです。
歌手のマドンナさんが首にかけて以降
ロザリオは、ファッションアイテムになりました。
(因みにマドンナさんの家系はカトリック ^^;)

ロザリオを首にかけている若いお嬢さん方は
それが「西洋版・数珠」であると知ってのことなのでしょうかね・・・(><)

閑話休題。

さて。
この「コンタツ」という単語
私の印象としては、年々耳にする回数が減ってきているように感じます。
私の知る限りにおいては
九州エリアご出身の方
特に長崎エリアご出身の、ご高齢のカトリック信徒がよく用いられる単語のようです。
ですからこのコンタツという呼称
もしかすると近い将来、カトリックの死語になるのかもしれません・・・


ただひとつだけ言えること。

ロザリオのことを「コンタツ」と呼ぶ方は絶対
コンタツを首にかけるなんてことはしないに違いないのであります。







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by dscorp-japan | 2015-01-13 00:00 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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