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“ 目を覚ましていなさい ”

 
“ 目をさましていなさい ”
(マルコによる福音書 13-33)

今日(11月30日)から
教会はアドベント(Advent=待降節・降誕節・降臨節)に入ります。
救い主であるイエス・キリストの誕生を待ち望む、という期間です。

このところ(仕事以外では)ロクにミサにも与っていなかったので
昨晩夕刻に行われたミサに行ってきました(ミサ典礼は今日の主日に準じたものです)

で、読まれた福音書。

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)
「気をつけて、目を覚ましていなさい。
その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕(しもべ)たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
だから、目を覚ましていなさい。
いつ家の主人が帰ってくるのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
主人が突然帰ってきて、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。
目を覚ましていなさい。」
(マルコ13・33-37)

私はただの “ ヒラ信者 ”。
しかも出来の悪い “ 窓際信者 ” みたいなもんです(笑汗)
聖書について、分かったようなことを申すつもりはございません<(_ _)>
それでも敢えて簡単に解説するなら
イエス様が弟子たちに、世の終わり(終末)に関するお説教をされた、最終部分での言葉です。

要は
「世の終わりがいつ来るかなんて、キミらに分かるわけないよ」と。
だから
「その日がいつ来ても良いように準備しときなはれ」と。


・・・ムリムリ、絶対無理!(笑汗)

準備なんて出来っこないし
そもそも一体、何をどうして良いのやら(><)

今日の晩メシのことは考えられても
明日のお天気は心配できても
「世の終わり」なんて大それたお話、実感が湧きませんよ実際。

でも
だからこそマルティン・ルターの言葉は、私たちの腑に落ちるんですよね。

「たとえ明日世界が滅びるとしても、今日私はりんごの木を植える」


・・・この言葉
一見、イエス様の言葉のアンチテーゼのように思われますが
実は私たちが日々生きていくうえでの指針を、端的に表しているように思います。


「じゃ~待降節なんて必要ないじゃん」


・・・世に数多ある「暦」というのは
“ きっかけ ” の提示なのだと思うんですね。

ここで何度も申しておりますように
「お盆」とか「お彼岸」とか
「死者の月」とか
私たちは様々な暦をきっかけに大切な何かを思い出し、そこに心を向けるのだと思うんです。

だからクリスマスも待降節も
普段は忘れちゃってる「イエス様が私たちを罪から救ってくださるためにお生まれになった」ことを思い出す、感謝する “ きっかけ ” じゃないか、と。


すべての暦や記念日は、思い起こすための “ きっかけ ”。



・・・あ。
今日、か。






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by dscorp-japan | 2014-11-30 01:31 | キリスト教 | Comments(0)

自分のお葬式に人を呼ぶか否か

 
仮に私が今 “ 召された ” として
私のお葬式をどうしましょうかと考えてみます。


無縁社会』などという言葉が言われるようになって、早や数年。
たしかに、私の幼少時と比較すれば
人と人との繋がりが希薄化していることは否めないと思います。
私の家族も、五人全員がそれぞれ別々に暮らしておりますし
親戚にしたって
特に父方の親戚なんて、それこそ「冠婚葬祭のみ」のお付き合いです。

じゃ私の住まいでご近所づきあいがあるかといえば、ほぼゼロ。
賃貸マンションの独居中年ですもの、まァ無いですよ(笑汗)

では社会的な繋がりはというと
まァ一応会社を経営してるわけですから、それなりのお付き合いはあります。
でもその多くは、ビジネス前提と解釈すべきかもしれません。

友人。
それなりには。
学生時代の同級生
以前の会社の同僚
あとは教会関係かな。

そんなもんですよ・・・ (^^ゞ


では仮に私が召されたとして
私のお葬式はどうしましょう。

私が交わりを持たせていただいた方、すべてに連絡してもらいましょうか。
家族は(一応)当然として
親戚は・・・
近くにいる人はともかく
海外にいる親戚や従兄弟なんて
(さすがに迷惑だよなァ)とか考えちゃいますよね、やっぱり。

仕事上のお付き合いも、ねぇ。
まァ業界が業界ですから、隠してもバレるんですけど。

友人は、まァ何となく連絡が回るかなァ・・・


・・・童謡・唱歌の歌詞にありましたよね。

 “ 一年生になった~ら~
   友だち100人できるかな?”

自分のお葬式を考えるとき
100人の参列なんて、到底想定できないなァ・・・

            ♢

・・・と考えてみると・・・

いま、多くの方々が「家族葬」と口にされるお気持ちも分かるというものです。
本来的な意味での家族葬ではないにしろ
いわゆる「小規模葬」を想定されるのは、当然なのかもしれません。

しかァ~し!
ここは敢えて、たとえ小規模葬でも私は連絡を回してもらおうと思います。
何故なら
私のお葬式が、参列者方々にとっての「再会の場」になれば良いと思うから。

もう、死んじまった私のことなんてどォ~でもイイから
お葬式きっかけで集まることで
「やァ~お久しぶり」
「こんなカタチで会うなんてね~」
「ところで最近どうよ?」
「今度またゆっくり会おうよ」

・・・みたいな繋がりが復活すれば、それが本望だから。
私を “ ダシ ” にしてもらって、全然構わない。

だってネ
葬儀屋さんである私でさえ、お世話になった方のお通夜とかに行くと
「ちょっと時間あるなら、どっかで食事して行かない?」とか言いますもん。

亡くなられた方の想いは分かりませんけど
少なくとも私は、私の死をきっかけに皆が旧交を温めることを嬉しく思うでしょうから。






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by dscorp-japan | 2014-11-28 17:19 | 思うに・・・ | Comments(2)

再度「家族葬って何?」

 
「家族葬って何なの?」

「そりゃ家族だけでお葬式を済ませるってやつでしょう」

「でも、こないだ来た回覧板で『家族葬で行います』って書いてあったけど
送迎バスが来るっていうからお参りに行ったの」

「送迎バスが来るなら、そりゃ行かないわけにはいかんね」

「そんでもって行ってみたら
小さなホールに人が溢れてて、そこの係が一生懸命椅子を追加して出してた」

「それって家族葬じゃないよね」

「だから家族葬って何なの?って思うわけよ」

            ♢

・・・葬儀屋さん的に、ツッコミどころが満載(汗)
しかし現実に
おそらく津々浦々で、同様のことが起こっているんじゃないでしょうか。

つい先日も
この問題について記事にしました(→過去記事

「家族葬」という単語が一般化しつつある今
葬儀屋さんサイドも、このキーワードを “ 売り ” にしているところが少なくありません。
実際のところ、そうせざるを得ない面もあるのでしょう。
特に都市圏では「家族葬専用ホール」が増加傾向にあり
一般的な葬儀会館だった建物を、家族葬専用にリフォームするところもあります。
家族葬をはじめとした、小規模なお葬式の需要が高まってきていることへの対応ということでしょう。

参列者の減少という傾向は、間違いなく加速しております。
もはや旧来のお葬式と(本来的な意味の)家族葬との境目は曖昧なものとなりつつあり
たとえば
「会社関係は断った=家族葬」
「知らせる友人知人も一部に限定した=家族葬」
みたいな認識になっているようです。
つまり
「参列者を限定しないお葬式以外、これすべて家族葬」という認識かと。

葬儀屋さん的な目線で申しますなら
(家族・親族のみが参列する)本来的な家族葬は、今なお少数派だと思うんです。
「会社関係は断った」
「町内へも『家族葬です』と回した」
しかし “ 完全な ” 家族葬というのは、実は少ない。
蓋を開けてみれば
たいていは家族・親族以外の参列者がいらっしゃったりするものです。

「これは家族葬じゃない!」

たとえそれが正論であっても
もはや葬儀屋さんも、それを言うことさえ出来なくなってきているような情勢です。

・・・結局ですね
もう、家族葬か否かなんてことは大した問題じゃないのかもしれません。
少なくともお客様サイドにとっては。
葬儀屋さんサイドにしても
(上記にあるように)家族葬と謳いながら送迎バスを手配するところがある。
葬儀費用の単価下落が著しいなか
「家族葬であっても、せめて参列者を増やして少しでも供養品の売上を増やしたい」
そんな思惑が見え隠れしているような気がします。


・・・葬儀業界、ややカオスな状況(汗)


            ♢

冒頭にある質問
「家族葬って何?」に対する回答は・・・

しかし。
それでも私はこう答えると思います。
「家族葬とは、故人の家族や(姻族を含む)親族のみが参列するお葬式」と。

この大前提を曖昧にしてしまうと
本来的な意味での家族葬をご希望されるお客様にご迷惑がかかる可能性があるから。
その絶対数は少ないにしても
「家族・親族以外は例外なくお断りしたい」というお客様は、確実にいらっしゃる。

そうしたお客様を守るためにも
「家族葬」の本来的な意味を、しっかりと啓蒙していかねばならないと思うのです。





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by dscorp-japan | 2014-11-27 17:51 | 葬儀 | Comments(0)

Dogs & Human's Culture 『 プアララ 』

 
さて、今回は宣伝です m(_ _)m

このたび私の畏友 happy_coolfamily さんが
新しくお店をオープンされる運びとなりました~パチパチ

実はこのお話については、約一年前からご相談をいただいておりました。
もちろん私などが『店舗オープン』のアドバイスなど出来るわけもないのですが
要は “ おともだち ” として、横から好き勝手にチャチャを入れていただけです (^^ゞ

お店のコンセプトは
「犬と人との、より豊かな共同生活を応援する」といった感じでしょうか。
いわゆるドッグカフェとは、少しだけ趣が異なります。
「ワンちゃんとのカフェタイム提供」もありますが
メインは「ワンちゃんのしつけ教室」なのだそうです。
D.I.N.G.O認定の家庭犬インストラクターが
ご家庭で過ごすワンちゃんたちに、家族(飼い主)と生活する為の訓練を施すことを主眼とした、新しい施設です。
(間違ってたら指摘して、happy_coolfamilyさん!)

※ 追記
訓練するのは、犬ではなく「飼い主」なのだそうです。
『犬と楽しく生活するために人が訓練を受ける』
というコンセプトだそうです。
お詫びして訂正させていただきます m(_ _)m



私の実家にもワンちゃんがいます。
コイツはたいそうアホでして(笑汗)
私が「ダメ!」と大声を出せば出すほど尻尾を振って喜ぶという・・・ (-.-)

・・・まァ
こういうダメな飼い方にならないよう、プロの先生が優しく指導して下さる、と。

とりあえず
リーフレットの画像を添付します。

まず、表紙面。
a0153243_16504058.jpg
これが内面。
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下を走ってるのが
私に一切の敬意を払わないクール君 ^^;


happy_coolfamilyさん。
『プアララ』オープン、心よりお祝いを申し上げます<(_ _)>
あなたの長年の夢だった「犬と人とのコミュニケーションスペース」が、いよいよ実現したのですね ♪
『プアララ』が地域の皆様に愛されるお店となるよう、心よりお祈りいたします!


Dogs & Human's Culture『プアララ』

〒465-0008
名古屋市名東区猪子石原三丁目2305-4
電話 052-777-8787
ファクス 052-768-5678

※店舗オープンは12月1日(月)です





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by dscorp-japan | 2014-11-26 17:30 | おともだち | Comments(6)

『 My Fairy King 』 クイーン

 
今日は11月24日。
クイーンのヴォーカリストであるフレディ・マーキュリーの命日でございます。
拙ブログでは毎年この日
フレディ氏が遺した曲をご紹介しております m(_ _)m

で、今年はデビューアルバムのなかの一曲です。
a0153243_00481871.jpg
アルバム『QUEEN(邦題:戦慄の王女)』(1973年発表)


いくらクイーンが好きな私でも
さすがに、このアルバムをアットタイムで聴いていたというわけじゃありません。
1973年、私はまだ9歳。
『ウルトラマンタロウ』を毎週楽しみにしていた頃ですから (^^ゞ

高校時代に本格的にクイーンが好きになって
順番に年代を遡ってアルバムを聴いて辿り着いた、本作。
そりゃ~全盛期の彼らの作品と比較すると、やや荒削りな印象はあります。
しかし
デビューアルバムにして、すでに彼らのアイデンティティはかなり確立されていたように思います。

フレディのクラシカルなメロディ&センス
ブライアンの手作りギター:レッド・スペシャルの音色
ロジャーの超高音スクリーム
結果、高貴で耽美的な世界観をロックで表現するという。
「クイーン」というバンド名にも頷けます。
つまり
デビューアルバムからして、かなりプログレッシヴといっていい作品かと。

そんなアルバムの中でも
特にフレディの世界観が如実に表現されていると思われる曲がこれ。


ブライアンの多重録音ギターから入って
フレディの叩きまくるピアノ
ロジャーの雄叫びが入って
フレディのファルセット気味の囁くようなヴォーカル。

もうこれだけで充分にプログレッシヴ・ロックであります。

クイーンファンの間では
よくこの曲の比較対象として、あの超名曲『ボヘミアン・ラプソディ』が取り上げられます。
たしかに同系列の曲に考えられておかしくないのですが
ボヘミアン~の方がずっと、曲として洗練されています。
しかし、だからこそ逆に
良くも悪くも荒削りなこの曲に、何とも言えない魅力を感じるのです。

何重にも重ねられたバックコーラスとメインヴォーカルのバランスとか
フレディの印象的なピアノの旋律とか
ブライアンのギター・オーケストレーションとか
すでに彼らのセンスは光りまくっていると思いますよね~
(ロイ・トーマス・ベイカーによるプロデュースに依るところも大きいのでしょうが)







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by dscorp-japan | 2014-11-24 00:00 | 音楽 | Comments(0)

ゆるキャラ?

 
ネタ切れ状態も末期症状ともなると
我が身を削ってネタを絞り出すしかないのであります ^^;

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これは私が小学生の時に考え出した、自分のキャラクターであります。
多分小学校4年生の頃だったと思います。
自分の名字を見ていて
ふと(これって顔に見えるんだけど)と気付いたことがはじまり。

子どもの発想というのは
時にスゴイものを思いついたりするものではあります。
自分で言うのも何ですが
多分これまで私が描いてきた絵の中でも、最高傑作であると思っております。

(それ以降のオマエは何やってたんだ?)

・・・まァ所詮はこの程度の才能しか無かった、と (^^ゞ

しかし
それでも自分の “ 最高傑作 ” を私はいたく気に入りまして
思いついた以降、ことあるごとに周りに披露しては悦に入っていたものです。

(オレの家紋はこれにしょう!)
(オレが有名な画家になったら、これをサインにしよう!)

・・・まァどれも叶わぬ夢に終わったわけですが・・・

a0153243_16095018.jpg
これは私が小学6年生に出された作文の表紙です。
(「TAKAMI」とあるのは私の小学校の名前)

・・・ね?
ちゃんと表紙の下に描かれてますでしょ・・・(笑)



あぁ
もうホントにネタ切れだぁ。







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by dscorp-japan | 2014-11-23 00:00 | Comments(12)

50にして

 
甚だ内輪のお話なんですけど・・・

私の高校時代の友人から「子どもが生まれました!」の知らせが入りました!

50にして初子を授かったという・・・オメデト~パチパチ
父親となったその友人は現在、とある大学の教授をしています。
非常に優秀だし、ご立派な人間なんですが
私たち同級生からすると、ただの「アホ」(笑)
5~6年前に会ったときは
「良い娘はいねがァァ~!(©なまはげ)
などと騒いでいたのに・・・
ちゃっかり婚活してやがりました。

もちろんご結婚されたことは報告をもらってます。
で、皆から「次に為すべき事は・・・分かってるな!」などとからかわれてた。

・・・やることやってんじゃん!(笑)
そして
ちゃんと目的達成したじゃん ♪

おめでとう、Mジロー!

キツネ目のオマエが目一杯目尻を下げた顔が目に浮かぶぜ!
あと願わくは
お子さんの顔も性格も、奥様似でありますように!(爆)






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by dscorp-japan | 2014-11-22 15:50 | おともだち | Comments(2)

病床での事前相談

 
・・・つまりは
病床にあるご本人からのご依頼で、ご本人がお亡くなりになられた際の為のご相談です。

ご本人からの葬儀相談自体、結構あるんです。
ただその多くは「今は元気だけれど先々の為に」というニュアンスのものです。
一方でどなたかが闘病中の場合、ご依頼者の多くはご家族です。

闘病中のご本人からのご相談というのは、ケースとしては少ないと思います。
それはそれで当然のことであって
いつかは全快することを信じて過ごしていらっしゃるのですから、自分のお葬式のことなんて考えたくないはずなんです。

しかし一方で
病床にありながら、ご自身の葬儀の相談をされたいという方はたしかにいらっしゃるのです。
(→過去記事

つい先日
ある神父様から私どもを紹介されたと仰る方から、ご相談のご依頼がありました。
病の性質から、病室から出られないとのことで
ご入院先の病室でのご相談となりました。

「今回の相談は家族には内緒なのです」

実はご本人からのご相談というケースの多くは
「家族には内緒で」というご意向のようです。
「そういう相談を葬儀屋さんにしている」ことで、家族に心理的負担を与えてしまうことを避けたいという方が多い。
こちらとしても
それなりの経験がありますので、そのあたりは心得たうえでの応対です。

(これより先の具体的な相談内容は伏せさせていただきます)

            ♢

私の印象ですが
闘病中のご本人がご自分のお葬式について相談されるとき、ご本人はすごく前向きなんです。
前向きというのはつまり
今を生きることに対してももちろんなのですが、もしも自分が近々召されるとしても、その事実を前向きに受け止めようとなさっているということです。

その根拠は
日々を真剣に生きていらっしゃることからくるような気がします。

「いま自分は一生懸命生きている」
「私は精一杯頑張っている」

「生きることに正面から向き合っている」という、自信のようなものを感じます。
ご本人の佇まいや表情、仰るお言葉のひとつひとつから
清々しい崇高さというか、美しさを感じるのです。

・・・なんか、光り輝いて見えるんですよ。
だから眩しく感じたりするんですよ。

「スッピンなんでお恥ずかしいんですけれど」

これはお世辞でも何でもなく
お化粧などしていなくとも、本当に美しくみえるんです。
本当なんです。


・・・でね
私は思うんですよ。
本当の意味で今を一生懸命生きていらっしゃる方って、美しいんですよきっと。
老若男女問わず、人間として美しい。
本当に、美しい。

            ♢

先日のご相談が終わり、私が辞去する際
ご依頼者は私に右手を差し出して下さいました。

「ありがとう、お会いできて良かった」

その手は小さかったけれど
私の手を大きく包むような大きさを感じたものでした。


多分、大丈夫。
私は医者じゃないから保証はできないけど
でもきっと、手術も成功するし全快する。
私への相談は無駄骨で終わる。
そして
「退院したらお食事を」の約束は果たされる ♪






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by dscorp-japan | 2014-11-21 15:28 | 葬儀 | Comments(0)

医者はキライ(笑汗)

 
今週初めあたりから
何となく風邪をひいていたみたいです^^;
最初のうちは自覚症状など無かったのですが
ウチのスタッフから「鼻声じゃない?」と言われて
(あぁ~そうなんだァ)といった感じだったんですが・・・
その夜から、あれよあれよという間に悪寒が強まって
ここ数日はやらなきゃいけないことだけやって、あとは自宅療養に専念と。

ところで。
私は医者の息子なわけですけれど
私の知る限りにおいて、医者の家族というのはなかなか病院にいかない傾向が強いように思ってます。
よく「医者の不養生」といいますが
実は「医者の家族の不養生」という言葉があって良いんじゃないかと思ってます (^^ゞ

私の場合
幼少の頃から、自宅の冷蔵庫に一般的な薬は大体揃っていました。
風邪薬や胃腸薬
効能が強めの塗り薬
さらには抗生剤やステロイド系(!)

・・・ホントは処方箋が無いと勝手に飲めないんですけど・・・

・・・はい。
結構自分の判断で勝手に使ってました・・・
おかげで(というわけでもないかもしれませんが)
そんじょそこらの市販薬は、全然効かない身体になっちゃった (+_+)

責任逃れするわけじゃないですがネ
これって私が悪いというよりも、子どもの手の届くところに薬を保管してた親が悪いんですよ(笑汗)
そんでもって
中途半端に薬の効能とか用法・用量など教えちゃうもんだから、子どものくせに勝手に飲んだり塗ったりしてたという・・・

・・・いまになって考えると
ムチャクチャ怖いことやってたわけですよ・・・((+_+))



そんな私に今なお効く薬はというと、漢方・和漢系ということになります(→過去記事

で、今回もまたこの薬をがぶ飲みするここ数日なのであります・・・







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by dscorp-japan | 2014-11-20 19:44 | あったこと | Comments(8)

聖書週間

 
今週一週間(11月16日~23日)を
日本のカトリック教会は『聖書週間』と定めております。
この一週間
教会は私たちに、特に聖書に親しむことを奨励しております。


私のようなボンクラ信者にとって
正直、聖書なんてものは睡眠薬以外の何物でもありません ^^;
自慢じゃありませんが
聖書を通読したことさえありません(エェ~!?)
もちろん、主日のミサに与れば年間典礼に定められた聖書の箇所を読みますが
それとて、毎回頭に入ってくるというわけでもありません(私は、デス)
たまに有名な聖書の一節を調べるときだって
日本聖書協会のHP『聖書本文検索』で必死こいて探す有様です・・・


ボンクラ信者の私が言うのも何ですが
何をするにつけ、私たちには「きっかけ」が必要なことが多いと思います。

普段は気にもかけないけれど
本当は手を付けた方が良いこと。
やらなきゃいけないと分かっていながら
ずっと脇に追いやったままのこと。

私たちには「背中を押してくれる何か」が必要なのだと思います。

きっと『聖書週間』もそうなのでしょう。

普段は手に取ることもない聖書。
どこにしまったかも分からない聖書を
この機会に探し出して、ほんの数ページでもいいから読んでみましょう、と。


・・・まァね
エラそうに言っておきながら、私が聖書を手にするかは保証できませんけど ^^;







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by dscorp-japan | 2014-11-17 15:16 | キリスト教 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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