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キリスト教の忌明け法要

 
先日、私がお手伝いさせていただいたカトリックのお客様より
忌明け法要に関するお問い合わせをいただきました。
そこで今回は
一般的なキリスト教における忌明け法要・年忌法要等の考え方についてご説明いたします。

まず
忌明け法要等の儀礼を行うことを、キリスト教会が義務として強制しているものではありません。当事者(家族)の想いやそれぞれの事情で(行うか否かの)判断をすればいい、と捉えて差し支えありません。
そのうえで仏教でいうところの忌明け法要を行おうと考えられるのであれば
実施する日程は、亡くなられた日から一か月後、つまり30日後を目安と考えられればよろしいかと思います。もちろん「きっちり30日後」ということではなく、その近辺でご都合の良い日を選ばれればいいでしょう。

仏教での忌明け法要にあたるものを
プロテスタント諸教会では「追悼記念集会」「追悼礼拝」などと呼び、カトリック教会では「追悼ミサ」と呼びます。
準備としては
まず所属教会の牧師・司祭に依頼し、日程を調整します。
会場は所属教会で行うのが前提となりますが
自宅や葬儀会館、場合によってはホテルなどの施設を借りるというケースもあります。
(このあたりは式を依頼される牧師・神父にお尋ねいただくことになります)

次に、お招きされる方への案内です。
正式な手順を踏むのであれば、案内状を作成することになります。
追悼式典の後にお食事の席を設けられることが少なくありませんので
事前に参列者数を掌握される必要から、往復はがき等を利用して出欠席の返事をもらえるようにすると良いでしょう。
昨今では電話や電子メールでの案内をされる方もあります。
それでも問題は無いのですが
特に血縁者以外の方への案内を考えられるのであれば、電話やメールでの案内は避けられた方が良いでしょう。

追悼式の準備としては
当日或いは前日に、亡くなられた方の遺影写真(場合によっては御遺骨)を式場に用意されるのが一般的かと思われます。
必要と考えられるのであれば、そこに生花を飾るのも良いでしょう。
(式場の準備に関しては事前に牧師・司祭にご相談ください)
また仏教の忌明け法要と同様
参列者への御礼として、引き物(お手土産)をご用意される方もあります。
引き物を準備される場合
その数は一般的に「ひと家族にひとつ」という考え方で差し支えないと思われます。

さて。
仏教の忌明け法要の場合、参列者は「御仏前」などの表書きで金銭を包むということがあります。
これをキリスト教の法要で出される場合は「献花料」(カトリックの場合)「御ミサ料」などの表書きとなります。
一方で
昨今ではお葬式で「香典(献花料)辞退」というケースが増えてきております。
そのようなお葬式を行われたのであれば
法要においても、そうしたお気遣いをご辞退されるのが一般的です。
尚この場合、案内をされる際にその旨をお伝えすることが大切です。


・・・以上、ご参考いただければと思います。






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by dscorp-japan | 2014-10-30 16:07 | 葬儀 | Comments(2)

前回記事について

 
前回の記事について
非常に丁寧なご意見をいただきましたので、ここでご説明させていただきます。


以前より拙ブログをお読みの方ならお分かりいただけているかと思いますが
私は時折このブログを通して、私と関わりのある、ある特定の方に向けたパーソナルなメッセージを書くことがあります。
前回の記事もまた、それでありました。
不特定多数の方々が自由に閲覧できるブログという媒体に、このような記事を掲載することの是非があることは重々承知いたしております。
そこにブログ管理者としての甘えがあるとのご非難も甘受いたします。


ここですべてを明かすわけにはいきませんが
前回の記事の「おまえ」とは、私の後輩にあたる、とある人間です。

その男性は、長期にわたって私から相当額の金銭を借りています。
その男性には家庭があり
生活を支えるべき人間(伴侶・子ども)もいます。
もちろん彼も働いていますが、その生活は厳しいものと想像できます。
ただその男性は
基本的な生活にかかる家計を顧みず、家族の趣味に金銭をつぎ込んでいます。
私への返済も滞りがちで国民保健の滞納もあるという状態です。
子どもの進学(高校や専門学校)のための貯蓄もないということです。
それでなお
家族の趣味だけは続けるという生活態度に対する、私の意見を述べたという次第であります。

もちろん家族の趣味は大切です。
家族関係の希薄化がいわれる現代において
親と子が同じ趣味を持ち、家族がひとつになって趣味に勤しむという姿勢は、素晴らしいものだと思います。
ただそれは
基本的な(最低限の)生活設計が出来ていることが大前提であるべきだと思います。
他者に多額の金銭を借りておいて
その返済は滞らせ
国民保険の滞納により勤め先の職場にも迷惑をかけ
子どもの学費の貯蓄もない。
それでもその趣味は続ける、と。


いただいたコメントにある通り
大切なものは天秤にかけられるものではない。
その通りです。
大切ならすべて「大切」なのであって
それらを天秤にかけるのではなく、どちらも守り抜くべきものです。
本来、そうあるべきです。
諦めるのではなく、大切なものすべて一切を守り抜くべきなのです。

しかし残念なことに
現実には、ときに何かを諦めなければならない場面がある。
その人の価値観のなかで、どちらかを優先しなければならないという選択に迫られる場面が、残念ながらあると思います。
ただしそれは恒久的に諦めるのではありません。

「どちらも大切だけれど、いま両方同時に手にすることが難しい」

ならば「今は」諦めるということです。
いつの日か
その大切なものを手にする為の、苦渋の決断であります。
それが回り道となったとしても。



私は元教員です。
子どもがいると言われれば
私は何よりも先に、まず子どもの現在と未来を考えずにはいられません。
もちろん子どもにとっては
進学の夢も、趣味を続けることも、等しく大切なものでしょう。
ならば
それが叶うように生活を改めるべきです。
基本的な生活設計を立て直すべきです。
そしてそれを実践するのは、子どもではなく親です。
仮にそれが叶わないというのであれば
何かを諦めるしかないのです。
これは理屈じゃない。
現実なのです。

私は
彼の家族の趣味の為にお金を貸したわけではありません。
家族の基本的な生活(衣食住)の為に貸しました。
彼もそう言って頼んできたからです。
そしてその返済も
当時も滞納していた国民保険・年金の未納分を完済してからで構わないからと、譲歩もしました。

子どもたちの学費が捻出できないにもかかわらず
私への返済を滞納し
今また、国民保険の滞納が再発している。
にもかかわらず、今なお趣味にお金を使うことはやめようとしない。
これは、どれだけ贔屓目にみても本末転倒なのであります。

            ♢

これ以外にも様々な背景があるのですが
それをここで書くことは控えさせていただきます。

ただ私としては
彼を糾弾し、社会的に追い込むことを目的として記事を書いたのではありません。
このままの生活を続けていけば
最終的に辛い思いをするのは彼の家族、特にお子様方だと考え、敢えてメッセージを送ったという次第であります。


最後に。
ある特定の人間に対するメッセージをここに綴ったことにより誤解を招き
本記事を真摯にとらえていただいたうえで貴重なご意見をいただきましたミッシェルさんをはじめ、このブログ記事で不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げます。

岡田 守生 拝






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by dscorp-japan | 2014-10-29 18:38 | Comments(8)

無題

 
おまえは何が大切なんだ。

何がいちばん大切なんだ。

「いちばん」というのは
「何を差し置いても」ということだ。
「何を差し置いても」というのはつまり
その大切な何かを守るために、ときには他の何かを諦めなければならないということだ。
誰もが皆
いちばん大切なもののために、何かを諦めているんだ。
そうまでしてでも守りたいものだからだ。

「大切」というのは、そういうことだ。


おまえが守り抜きたいものを、他の誰かに守ってもらおうと考えるな。
本当に大切なら、他者に任せなどしない。
自分の手で守れ。
神から与えられた肉体と
知恵と経験と、努力と忍耐で守り通せ。

「運」に期待するな。
「運」を期待する者に「運」はこたえない。

謙遜であること。
謙遜なおまえを、必ず誰かが見ている。
正直であること。
信頼は、おのずと生まれる。

「幸運」があるとすれば、その先だ。


守り抜きたいものがあるなら
失いたくない大切なものがあるなら
他の何かを諦める勇気を持て。
プライドを捨てる強さを持て。
守るべきもののための回り道を避けるな。


おまえの天秤は、何に傾いた?
そしてその天秤は
何を諦めろと答えた?





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by dscorp-japan | 2014-10-28 00:11 | Comments(5)

アルバム『 Memory Crash 』 スティーヴ・スティーヴンス

 
いつも思うのですが
彼はもっともっと評価されて良いはずなんです。

・・・そりゃたしかに
彼の髪型は(若い頃からずっと)やや変テコリンですよ?
そのご尊顔もまた、少々エキセントリックな感じはしますよ?
最近じゃさすがに、ほんのちょっとメタボな体型にもおなりのようですし(人のことは言えん!)

しかしながら
彼の、音楽性の幅の広さといったら!
ストレートなロックンロール/へヴィメタルはもちろんのこと
ブルース、ファンク、ニューウェイヴ
そして彼のルーツでもあるプログレッシヴ・ロック ♪
さらにはフラメンコまで!

エレキもガットもアコースティックも、ギターなら何でも弾きこなせちゃう ♡
(過去記事 をご参照ください)

そんな彼のエッセンスがぎっしり詰まったアルバムがこれ。
a0153243_22111467.jpg
アルバム『 Memory Crash 』(2008年発表)

なァ~にがスゴイって
彼もまたマルチ・ミュージシャンでして
基本、ドラムス以外のすべての楽器をご本人自ら演奏されていらっしゃるということ。
そんでもって音楽の引き出しがたくさんあるから
様々なジャンルの音楽を、高次元で作って演奏出来ちゃう。
プログレがバックボーンにあるから、変拍子もお茶の子さいさい。

まずは疾走系ハード・チューンならこの曲。


プログレ・ハード系ならこの曲。


ファンク系がお好みならこの曲。


彼十八番のガットギター&レイガン・プレイが聴けるのはこちら。

(レイガン・プレイは5:08あたりから聴けます)

・・・いっぱい紹介しちゃったァ (^^ゞ



ところで。
本記事とは直接関係ありませんが
来月には私の気になるアーティスト二組がニューアルバムをリリースするらしい ♪
ひとつがペイン・オブ・サルヴェイション。
そしてもうひとつが
何と!20年ぶりの新作を発表する、プログレの大御所:ピンク・フロイド!

こりゃ~来月が楽しみじゃ ♪♪♪






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by dscorp-japan | 2014-10-27 22:47 | 音楽 | Comments(2)

あたしャ身内じゃないんだが ^^;

 
今日は内輪ネタでございます m(_ _)m


一昨日より
私の所属するカトリック布池教会の様々な信徒さんから、結構電話が鳴りっぱなし。

「すわ、どなたかが亡くなられたのか!?」

・・・いえいえ(笑汗)
そういうことではありません。

その教会には
古くから奉仕活動に勤しんでいる、とある女性信徒さんがいらっしゃいます。
その方はウチのスタッフの親でもありまして
まァたしかに私は永年にわたり親しくさせてはいただいております。

実はその方
一昨日、教会の香部屋(司祭の控室のようなところ)で小走りしたために転んで
手の骨を折ってしまったということなんです。
その時の詳しい状況は分かりませんが
結構痛がって、病院へ救急搬送されたとのこと。
で、手術。

ま、手術は無事終わったそうなので大事には至っていないようです。

で、私にかかってくる電話というのが・・・

「ねェオカダくん、○○さんが入院したってホント?」
「大変な骨折をしたそうで、大丈夫なの?」

・・・何故オレに訊く?

「だってオカダくん、○○さんと親しいじゃないの」
「○○さんのことはオカダくんに訊くのがいちばん早いじゃない?」

・・・そこは違うだろ。
れっきとした息子がおろうが ( 一一)

「ねェオカダくん。
お見舞いに行きたいんだけど、どこに入院してるの?」

彼女はお見舞いとか苦手ですよ。
オレだって行かないもん。

「えぇ~?そんなわけにはいかないでしょ」
「私は彼女には大変お世話になってるし、行かないわけにはいかないでしょう」

良いんですってば。
それほど大ごとじゃないし、そのうちこっそり退院してきますってば。

「そんな彼女に不義理はしたくないもの」

それなら
「オカダが『行くな』と言ったから」と、私のせいにして下さいな(><)


・・・まァいずれにせよ
人気のあるこって、よろしゅうござンした m(_ _)m


でも
息子であるウチのスタッフの言ったことがいちばん的を得てますね♪

「大体サ
香部屋で走るってどうなのよ?
神様の家だっていうんなら、そこはダメでしょ。
オレはオカンにも言ったよ。
『そうやって慌てて走ったりしておいて、聖櫃の前で頭を下げることも忘れてるんだろ?』って。
『そういう風だから神様はアンタにお灸をすえたんだわ』って!」


・・・息子の勝ち!






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by dscorp-japan | 2014-10-25 00:00 | あったこと | Comments(2)

映画 『 バチカンで逢いましょう 』

 
・・・こォんなタイトルを見せられりゃ
そりゃ~観ないわけにはいかんわけですよ・・・(^^ゞ

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あの『バグダッド・カフェ』の主演女優さんが再び・・・♪

※ 映画のあらすじなどは公式HPをご覧ください m(_ _)m


一言で申しますなら
夫に先立たれたドイツ人お婆ちゃんの、ローマ単独旅行記なわけです。
ただその旅行の目的が
「ローマ教皇に謁見して
過去に犯した “ ある罪 ” を告白して赦しを請いたい」というもの。
主人公であるオマ(=お婆ちゃん)・マルガレーテは、熱心なカトリック信者さん。
映画冒頭でも
ロザリオを繰りながら歩くマルガレーテお婆ちゃんの姿が映し出されます。

映画内でのローマ教皇はベネディクト16世です。
ドイツ出身です。
つまり
マルガレーテお婆ちゃんからすれば、同郷から選出された教皇ということ。
永年誰にも打ち明けられなかった罪を告白して赦しを請うには、うってつけと思ったのでしょうか・・・(^^)


さて、映画の感想です。
ジャケットを観ても分かる通り
基本的には、明るく軽快なコメディタッチの映画です。
宗教を題材としたコメディではお約束である
“ カトリックあるある ” も、いくつかみられます(笑)

しかし一方で
本作には骨太のテーマが提示されていると思います。
私は
本作の本質に「赦し合う」というテーマがあるように受け止めました。

どんなに「敬虔な(とされる)」キリスト教徒でも
他人には軽々に口外できない “ 秘密 ” があるようです。
そしてその秘密は多くの場合
「罪深い」と認識される類のものらしい。

しかし。

その、誰にも言えない(罪深い)秘密を共有し合える人はいる。
ここでいう「共有し合える」とはつまり
「赦し合える」ということ。
それが出来る人が家族であり、生涯の伴侶であるということなのだ、と。

信頼し合える相手であっても
すぐに赦すことが出来るとは限らないのかもしれない。
しかし
その相手が大切な存在であるのなら、いつか理解することが出来る。
赦すことが出来るときがくる。
それこそが「愛」であるのだ、と・・・



最後に。
重箱の隅をつつく様なことを申しますが
ローマ「法王」ではなく、ローマ「教皇」であります。
映画の翻訳でも「法王」と訳されていましたけどネ。






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by dscorp-japan | 2014-10-24 01:14 | 映画・テレビ | Comments(2)

『火(埋)葬許可証』が “ テレコ ” に(汗)

 
先日あった伯母のお葬式で
実はもうひとつ、トラブルがあったとのことでした。

・・・お断りしておきますが
別に私は他社施行のお葬式にケチをつけるるもりはありません m(_ _)m
これは火葬場であったことなのです。

そのトラブルとは・・・
火葬後のお骨揚げの際に遺族に手渡された『火(埋)葬許可証』が、別の方のそれだったという(驚)

火葬場案内者(葬儀社から委託された業者さん)の方、さぞや焦ったことでしょう。
慌ててその場を離れて
正しい書類を持ってくるまで、約20分ほど待たされたということでした。

・・・しかしこれ
さすがに「オイオイ!」とツッコミを入れずにはいられない失態でしょう (><)


何故このようなことが起こったのかは分かりません。
おそらくは
別のどなたかの『火(埋)葬許可証』とテレコになったということのはず。
待たされた時間から推察するに
きっと伯母の許可証は「すでにどなたかの手に渡っていた」或いは「施設内にいる別の案内者の手にあった」ということじゃないか、と。


たしかに
名古屋八事火葬場は日本最大の火葬炉数を保有し、一日の火葬件数も非常に多いところです。
何号炉でどなたの火葬が行われているか、混同してしまう可能性はあるでしょう。
でも、そんなの言い訳にならんでしょ。
そういう火葬場だからこそ、余計にそこは細心の注意を払うべきでしょうに。

おかげで
葬儀会館へ戻って行われる十日祭(仏式でいうところの初七日法要)が大幅に遅れ
斎官様をお待たせすることになりました。
その後の予定もすべて押してしまったという・・・

・・・はァ・・・ (-.-)


私は当事者ではありませんでしたが
なァんかホントにいろいろと疲れました・・・orz






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by dscorp-japan | 2014-10-23 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

葬儀屋さんの経験値

 
私事で甚だ恐縮なのですが・・・

以前より重篤な状態にあった私の伯母(クリスチャンではない)が亡くなりまして
この二日間は何やらドタバタとしておりました m(_ _)m


亡くなった伯母は某・神道系新興宗教の信徒であったため、その宗教の典礼に従ったお葬式で送られました。
したがって私はあくまでも “ 後方支援 ” の役割に徹しまして
依頼した葬儀社さんの邪魔にならない程度に、アドバイスを送っておりました。

依頼した先の葬儀社はウチと提携しているところでしたので
一応私からも「よろしくお願いいたします」的なご挨拶はさせていただき、あとは一親族の立場を崩さないように引っ込んでいたんです。
ただ、そうは申しましても
どうしても担当者さんの対応、一挙手一投足に目が行ってしまうものではあります (^^ゞ

・・・そりゃネ
私が担当者さんの立場だったとしても
「身内に葬儀屋さんがいる」というのは妙なプレッシャーにはなるものです。
だからこそ
私ごときが口を出すのは極力控えて「お客様」に徹していたんですけれど・・・


実は
私の居ない場面で、ちょっとしたトラブルがあったようなんです。

喪主は、故人の夫である私の伯父。
しかし伯父は80を越えた高齢者であるため、実質的な打ち合わせの窓口は私の従妹だったんです。

受付で参列者にお渡しする供養品(会葬御礼品)や香典返し(いわゆる「香典当日返し」という方法を採ったということです)の渡し方について
最初の打ち合わせの場面で、実質的な意思決定権をもつ従妹から指示を出していたようなんですね。
ところが、結果的には従妹の指示通りの渡され方が為されていなかった、と。

どうやら
担当者さんは通夜の場面で、再度喪主である伯父に確認をしたそうなんです。
すると、葬儀のすべてを娘にお任せ状態だった伯父は、娘の指示を仰いでほしいとは言わずに「ではそういうやり方で良いです」という具合に、当初従妹から指示された方法とは別のやり方を承認してしまったようなんです。


従妹は「はじめに私が依頼しておいたじゃないですか」という具合に怒ってしまったということのようでした・・・


この一件で私が思うこと。

まず大前提として
葬儀屋さんがお葬式をすすめる上での手順や段取りを確認すべき相手は、喪主です。
それは正しい。
ただ、これはよくあることなのですが
喪主とは別に、実質的な権限を持つ(であろう)ご遺族がいらっしゃるケースが少なくありません。
こういう場合
やはり葬儀屋さんは、喪主とは別にいらっしゃる権限者に確認を取り、場合によっては喪主様を後回しにするということもあるんです。
そこの見極めはとっても重要でして
ご葬儀の円滑な進行には欠かせないものなんですね。

・・・いや
私は最初の打ち合わせに同席もしておりませんし
あくまでも親族づてに聞いた話ですから、本当のところは分かりかねます。
ただ、仮に私が親族から聞いた話が本当だとするのなら
「上記のような見極めを誤った」或いはそれ以前に「葬儀屋さんとしての応用が利かなかった」という見られ方をしても仕方がない、と。

実際難しいんですよ、ホントに。
葬儀屋さんの基本的なルールはあったとしても
場合によっては、敢えてそのルールから外れた方法を採った方が良いという場合がたくさんあるんです。
あくまでもこれは経験値で養われるものでして
知識として知っていればいいという類のものではない。
様々なお客様と関わっていく中で、体験として学んでいくしかないんですね。
いわゆる「ケース・バイ・ケース」ということ。
で、実はその部分こそが葬儀屋さんの腕の見せ所、でもあるんです・・・


エラそうなこと申しておりますが
私は決して、その担当者さんを責める気はありません。
思うことはただひとつ。

「お互い、精進していきましょうね~」

( & 大変お世話になりました m(_ _)m )






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by dscorp-japan | 2014-10-22 00:26 | 葬儀 | Comments(2)

「世界宣教の日」

 
カトリック教会では
毎年、10月の最後から二番目の日曜日がこの日に定められているということです。
つまり、今年は今日がその日にあたるということ。


教皇フランシスコによる「世界宣教の日」のメッセージ


・・・ニュースなどから感じる印象で申しますと
世界的には、キリスト教に対する関心というか信頼はやや薄れつつある傾向にあるような気がします。
対して、イスラム教に対する関心が高まってきているような。

個人的な見解として
そもそも「信仰」というものは至極パーソナルなものなのであって、直接的に他者に対してお勧めするような類のモノではないと思っております。
普段の生活においても
私が自分から「私はクリスチャンです」なんて言うことは皆無です(お仕事の性格上、公表するといった場面はありますけれど)
そもそも個人的なキャラとして
「イエス様はネ」なんてことを口にすれば、ドン引きされること請け合いなのであります(笑汗)

じゃ私は信徒使徒職としての宣教を放棄するのか。
決してそうじゃなくて
私は私なりのやり方で “ それとなく ” 神の愛を証ししていこうとは思ってるんです。

どんな宗教だって、最終的にはその宗教を信仰する人間こそが、その宗教の「鏡」になるのだと思うんです。
聖職者も含めて
私たちの人間としての在り方の根本に、その宗教が根差しているかどうかということ。
だからこそ、私たちの言動に心を動かされる方もあれば、躓く方もあるということです。
多くの場合
人間がその宗教に共鳴する場合も反目する場合も、その宗教を信じる「人」を見て判断されているんだと思うんですよね。

結局は「人間」なんですよね、きっと。
その人の生き方や在り方を通して
直接的に「神の愛」などということじゃないとしても、証ししていくことは不可能じゃないんじゃないの?と思うわけです。

ごく普通に他者を思い遣り
利己的な考えにとらわれず
無用な争いや諍いを避け
平和であることを良しとする。

要は「良き者たれ」ということ。

エラそうに申しておりますが
もちろん私は全然出来ておりませんよ。

ただ
こういう言い方は出来る。

「神様見てるらしいし、ちゃんとせんとイカンみたいだし」
「普段から悪行三昧だから、せめてちょっとは償わないと」

私程度の人間なんて、所詮こんなもん。
でも、それはそれで良いじゃん?って思ってます。


キリスト教でよく言われること。

「天に宝を積む」

これに対して
私が好きな言い回しはこうなる。

「天に借金があるから、ちょっとずつ返していかないと」



・・・借金ばかり増えてますけど何か?






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by dscorp-japan | 2014-10-19 17:24 | キリスト教 | Comments(4)

もうホントに換え時かも(汗)

 
何を換えるのかと申しますと「携帯電話」でございます。

保守的といえば聞こえはいいのでしょうが
要は「面倒臭いから」という理由で、私は今なおガラケー (^^ゞ
ツイッターとかフェイスブックとかラインとか
(ンなもん無くても生きていけるぜ!)と強がってきたわけですが・・・

またひとつ
営業エリア内にある公営火葬場の予約手続がネットによるものに変更されたんです・・・

要は、火葬場の予約専用サイトにアクセスして
葬儀屋さんとしてログインしたうえで、ネット上で予約登録するというものです。
ネット予約ですから当然、PCかスマホということになります。
その気になればガラケーでも不可能ではないのですが
圧倒的に(それこそ目眩がするくらいに)時間がかかります。

じゃこれまではどうしてきたかと申しますと・・・
ウチのスタッフは全員スマホなんです。

ガラケー、アタシだけ (^^ゞ


昼中であれ真夜中であれ
私がお葬式の打ち合わせでネットの火葬場予約が必要な場合は、スタッフのだれかを叩き起こして(実際には叩かないけど)
「すまんのう、予約してちょんまげ」などと頼み込むという・・・(><)

スタッフにしてみれば、大いに迷惑な話ではあります。

「ンなもん仕事じゃ!
つべこべ言わずにやったらんかァ~い!」

・・・とは言い切れない。

実際、今もスタッフに言われ続けているんです。

「オカちゃん(=私)
いつになったらスマホに換えるの?」

「う~ん、もう少し後で」

「もうずっとそうやって言ってるじゃん(怒)」

・・・ m(_ _)m


おそらく今後
ネットによる予約システムが当たり前になることでしょう。
火葬場を運営する行政側も
特に夜間の人件費などの削減に繋がることでしょうから。


しかしなァ~
使い方、全然分かんないしなァ~

「少なくとも
お葬式の担当よりはずっと簡単だってば!」

あらそうなの?





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by dscorp-japan | 2014-10-18 00:00 | 思うに・・・ | Comments(6)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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