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映画 『 ノア 約束の舟 』

 
多忙を極める今日この頃(汗)
今回は少し前に観た映画の感想でお許しください m(_ _)m
・・・とは言いつつ
本作に関する感想って、結構難しいところもあるんですがネ・・・ ^^;

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すでにご存じの方も少なくないでしょうが
本作は、旧約聖書にある『ノアの箱舟』を題材とした作品です。

まずはこの旧約聖書にある記述を史実として受け止めるのか、架空の物語として捉えるのかによって、本作を観るうえでのスタンスが大きく変わるような気がします。

ノアの箱舟の話を史実として受け止められる方は
本作に、大きな落胆と少々の憤りを感じられるかもしれません。
本作で描かれる人間・ノアは、崇高な人間とは言い切れないところがあります。
描かれるエピソードの詳細は控えますが
自身が受けたと信じる「神の啓示」のためなら、周りの人間に対して無慈悲になることも厭わないというのが、本作におけるノアの人物像です。
それが正しいかどうかは別として
神の計画のためなら、それを邪魔する存在を排除することに躊躇を覚えない。
神の計画のみこそが善であり
それに反目するものはすべからく抹殺する、と・・・。

            ♢

と、ここで閑話休題。
私の高校時代の世界史の先生が授業で仰ったことを思い出します。

「 “ クリスチャン ” という言葉の意味を知っているか?
あれは『キリストに狂う者』という意味なんだぞ。
『敬虔なクリスチャン』というが
あれはつまり『敬虔にキリストに狂う者』ということだからな!」

その言葉を聞いて思ったものです。
(じゃオレはやっぱりクリスチャンじゃないんだな・・・)

・・・(笑汗)・・・

            ♢

さて、話を戻します。
私自身の本作の感想はというと・・・

純粋な映画として観た場合
個人的にはそれほど面白くなかったと思いました ^^;

何となく中途半端だったような気がしたからです。
聖書の記述に忠実になるならとことん忠実にすべきだと思ったし
逆に脚色を加えるのなら、もっと骨太の解釈があってよかったと思うんですね。
本作で描かれる脚色の意図は分かったつもりですが
脚色したことの説得力が少々希薄だったような気がしたんです。

・・・結局ね
「聖書という題材に脚色を加える」という行為には、相当大きなハードルがあるということなんですよね・・・

特にユダヤ教徒や東西キリスト教徒にしてみれば
こういう映画って、それこそ目を皿のようにして “ 粗探し ” されること必至なのです。

(あッ ここの描写おかしい!)
(こんなこと聖書には書いてないッ)

個人的には
必ずしも聖書に忠実である必要はないと思っております。
本作はあくまでも映画であり
そこで表現されることは自由であるべきだと思うからです。

たとえば。
1988年に公開された映画『最後の誘惑』というのがありました。
当時は世界的に物議を醸して、結構なバッシングを受けました。
でも、私は結構好きだったんです。
キリスト教的建前として、絶対に認められない解釈・仮説を描いた作品でしたが
私は(なるほど、そういう解釈もあるのね~)と楽しめたものです。

しかし。
対して本作に目を転じた場合
純粋に(ほほォ~そういう解釈で来ますか)とさえ思えなかったし
その解釈の先に提示されるもの(結末)にも、大して心を動かされるようなことが無かった。

もしかして
私の読解力や洞察力が乏しいのかもしれません。
或いはキリスト者としてのお勉強が足りないのかもしれません。
でも、逆にこういうテーマで訴えるのなら
私のように聖書に関する知識が乏しい人間にこそ、説得力のある脚色や解釈が提示されて然るべきだと思うんですよね。

だァって
私の正直な感想はこうなんだもん。

“ ・・・つまらん・・・! ”

それでもひとつだけ
敢えて本作を擁護するのなら・・・

エマ・ワトソンはカワイイなぁ~ ^^;






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by dscorp-japan | 2014-09-30 00:00 | 映画・テレビ | Comments(4)

やにわに多忙

 
そもそも
ご葬儀依頼の予測なんてのは出来ないものなのであります。
ただ何となくではあるんですが、予感というか(きっと忙しくなるぞ)という感覚はあったりするんですね。

・・・しかし今年に限っては全く分からん(><)

実はこの一週間、結構ドタバタでありました。
それまでは結構平穏な(=ヒマな)日々を送っていたんですが
月曜日あたりから立て続けにご依頼が入り続けて、現在も結構フル稼働に近い感じで動いております。

私の旧友が所属するカトリック女子修道院の方だったり
日頃から大変にお世話になっている信者さんのお母様だったり
プロテスタント教会の元牧師先生のお母様だったり
在日南米国籍の方だったり
カトリック在俗会の会員の方だったり・・・

・・・重なるときは重なるものです・・・


目下の懸念は、私の体力 ^^;

本業とは別にお受けしている
いくつかの宿題というかお約束も、軒並み順延させていただいております m(_ _)m

・・・とりあえず
月末一杯まで踏ん張ります!






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by dscorp-japan | 2014-09-28 17:42 | 葬儀 | Comments(0)

やっぱり葬儀屋さんは黒子であるべし

 
つい今しがたまで
葬儀のご依頼をいただいたお客様との打ち合わせでした。

お亡くなりになられた方は、引退された牧師先生のお母様。
・・・つまり
ご遺族様は、私ども以上にお葬式の「プロ」なわけですね。
おかげ様で、と申しましょうか
ご遺族様が元・教職(プロテスタント教会の牧師)ですから
こちらの説明も非常にスムーズに進みました m(_ _)m

その元・牧師先生は現役時代、様々な他県の教会で伝道活動をされていらっしゃったとのことです。
それぞれの地域のご葬儀にも精通されていらっしゃるようで
「そうですね、名古屋エリアの場合はこうですよね」
「 “ 郷に入らば ” ということで結構です」
私どもが恐縮するくらいに、とてもご理解のある方でした。


・・・打ち合わせのなかで、その方がひとつ仰ったんですね。

「大変申し上げにくいことなんですが
式中、葬儀屋さんがあまり表に出るようなことはお控えいただきたいのです」

なるほど。

拝察申し上げますに
おそらくこれまで、いろんな地方の教会でお葬式の司式をされてこられた中で、葬儀屋さんの過剰な演出や司会の案内などを経験されてこられたのではないか、と。
・・・いや
夜遅くの打ち合わせでしたし
余分なことをお尋ねしてお時間を取るようなことは差し控えましたので、その意図を確認するには至っておりません。
しかし多分、そういうご経験があったからこそのご要望だったと思うんですよね。

これって
お葬式を経験すればするほど、実感として分かってくることだと思うんです。
もちろん葬儀屋さんに悪気など全くないんです。
良かれと思って提供しているんです。
でも
お葬式の経験値が上がるほどに思うようになる。

(これって本当に必要なのか?)
(ちょっと違和感を感じるんだけど・・・)

もちろん
葬儀屋さんの様々な演出や司会・アナウンスをご希望されるお客様もいらっしゃるのでしょう。
それらの方々を否定する気は毛頭ございません。
たとえば無宗教のお葬式ともなると
その式を取り仕切る役割として、葬儀屋さんが表に出る場合もあります。

ただ、私の知る限りにおいても
お葬式の経験値の高い方ほど、葬儀屋さんが殊更に表舞台に出ることを嫌がられる傾向にあるように感じます。

少なくとも何らかの宗教を伴うお葬式であれば
そのお葬式を取り仕切られるのは、その式を司る宗教者です。
葬儀屋さんじゃないんです。

葬儀屋さんの役割は、司式者の邪魔をしないこと。
司式者から求められることだけを実践するにとどめるべきなんですね・・・


「どうぞご安心ください。
私どもは黒子に徹しますので」

「それをお聞きして安心しました。
よろしくご配慮下さい」


ということで
今日から明日、私は(いつものように)黒子としてお手伝いさせていただきます m(_ _)m






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by dscorp-japan | 2014-09-26 02:43 | 葬儀 | Comments(2)

『 I Need You 』 モーリス・ホワイト

 
体調不良のため
今回もまた音楽ネタで誤魔化します ^^;


先日もAORの代表格であるクリストファー・クロスさんを取り上げましたが
80年代中頃、多分最もよく聴かれていたAOR系バラードがこの曲じゃないでしょうか。
私の年代付近の方なら、間違いなくご存じの曲のはず。
たしか当時、クルマだかタイヤだかのCMソングとしても使われていた記憶があります。

モーリスさんはアース・ウィンド&ファイアー(以下:EW&F)のリーダー。
現在は第一線を退かれていらっしゃるようですが
とってもメロウな歌声を聴かせてくれる方でして、同じくEW&Fでツイン・ヴォーカルのフィリップ・ベイリーさんよりも私は好き。


さァ聴くがよい!
80年代の、超・名バラードを!


・・・間違いなく名曲でしょ!
エヴァーグリーンでしょ!

AOR系のアーティストって大勢いらっしゃいますよね。
先日取り上げたクリストファー・クロスとか
バリー・マニロウとか
シカゴ(ピーター・セテラ)とか
TOTOとか
ボズ・スキャッグスとか
マイケル・マクドナルドとか。

良い曲もたくさんありますよそりゃ。
でもね
私の中じゃ、この曲こそがAOR系バラードの最高峰なのであります!

I can take a woman or leave her alone
Temporary lovers come and go
You're the only woman that I've ever known
Who's got me losing control


Oh, I don't want to dream about you
Or wonder where you are
Oh, I wish my heart could beat without you
But I have gone too far


※ (You say) I need you
  You think that I need all the love you're giving
  And I need you
  'Cause living alone isn't really living at all


Never planned to make love a permanent thing
Keep my emotions on the side
Kinda like my life just the way that it's been
Girl, I'm taking my time


Oh, I don't want to miss you baby
But that's the hardest part
Oh, I'm trying to resist you baby
But have I gone too far


( ※ )


Who decides which one we love
Or when we're going to fall
I don't need two hands to hold
Two lips to whisper


I need you
You think that I need all the love you're giving
And I need you
'Cause living alone...


I need you
You think that I need all the love you're giving
I need you
Like the air that I breathe through an open window
I need you
I can't let you leave and I won't pretend no more…






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by dscorp-japan | 2014-09-25 00:00 | 音楽 | Comments(2)

『 いのフェス 』 顔は出したけど・・・

 
初開催から毎年参加させていただいている『いのフェス』
しかし今回は
私の個人的な都合で、参加できるかどうか微妙な感じではあったんです。
盟友:はるさんにはそのあたりの事情も打診してあったんですが・・・
結果的に、非常に中途半端なカタチでの参加となりました(汗)
・・・いや
そもそも「参加した」といえるのかどうかさえ微妙だったという・・・(><)


簡単に申しますなら
開催日前日の夜遅く、とあるカトリック女子修道会よりご葬儀依頼が入り
そちらの対応のため、フル参加が出来なかったということであります m(_ _)m
結局、会場滞在時間は3時間未満。
当日(昨日)の夕刻に行われた、修道会のお通夜に顔を出すため
トンボ帰りで名古屋に戻らなければならなかったのでした。

・・・しかしねェ~
長時間電車に揺られてただけだってのに
やたらと疲れるものなんですね~
まァたしかに睡眠不足ということもあったんでしょうけれど
名古屋に戻ってお通夜の現場を終えて
家に帰ってきたら(計ってないけど)微妙に発熱があるような感じ・・・

・・・やっぱ歳、かなぁ・・・(><)


まァとにかくそんなわけでして(笑汗)
今回は大したレポートさえもできないようなテイタラクであります <(_ _)>

ただひとつ。
私のわずかな滞在時間の間に
私たちCCFIブースを訪れられる来場者が結構いらっしゃったということが、収穫といえば収穫だったでしょうか。
何か特別な企画を打ち出したわけではありません。
例年とほぼ同様のブースです ^^;
ただ思ったのは
(気のせいかもしれないですけれど)来場者の皆様との距離感みたいなものが、若干縮まったような気もするんですね。
あとはやはり、お葬式に関する関心が高まりつつあるってこと、かな。

“ お葬式について尋ねたい ”
という思い、というか需要が高まってきたことの証左なのかもしれませんね。


最後に。
はるさん、今回は本当にご迷惑をおかけしました<(_ _)>
この埋め合わせは
いつの日か開催されるであろう『いのフェス・名古屋』のときに是非!






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by dscorp-japan | 2014-09-24 00:03 | キリスト教 | Comments(4)

『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』 クリストファー・クロス

 
さて。
このブログ記事を書いている現在も『いのフェス』に顔を出せるかどうか分からない状況ではありますが(汗)
とりあえず予約投稿記事として、音楽ネタでお茶を濁しときます m(_ _)m

            ♢

クリストファー・クロスの代表曲といえば『Sailing』であります。
この曲でその年のグラミー賞を何部門か独占しちゃって
一気に「おしゃれな音楽といえばクリストファー・クロス」みたいなのが常識になっちゃったと記憶します(たしか1980年、私が高校時代の話)

HR/HM・プログレ系が好きな私ではありますが
クリストファー・クロスさんは好きでしたよね~
結構良い曲が多いし
何より彼の声には、男女問わず癒されますよね~

なのに私は彼のアルバムを持っていません。
多分お金が無かったから。
1980年といえば、私が高校に進学した年です。
そこそこの進学校に受かったことで有頂天になって
勉強なんて全くしないで、当時凝っていたオーディオにお金をつぎ込んで遊び呆けていた頃です。

当時のお小遣い&アルバイトの稼ぎじゃ
新譜のLPレコードなんてなかなか買えなかったわけですよ。
(だから当時は中古のレコード屋さんが繁盛してた)
まァそれでも(せめて)ということで
この曲のEP盤(シングルレコード)は買ったみたいで、今も我が家にあります ♪

で、その曲がこれ。


つまり映画『アーサー』のテーマ曲(原題も『Arthur's Theme』)であります。
・・・といいつつ、この映画はいまだに観たことが無いんですけど(笑汗)

でもネ
映画の雰囲気はこの曲でも充分に伝わりますよね~
ニューヨークに住む超金持ちのボンボンが
何となくアバズレっぽい役のライザ・ミネリに恋しちゃうってな感じでしょ?

基本的には “ ザ・AOR ” って感じの曲。
そこはかとなくデヴィッド・フォスター臭が漂う感じ(笑汗)
映画を観てないから思い込みなんでしょうけれど
なんだかすごォ~く映画にマッチしてる感じがするんですよね。

で、この曲を歌ってるクリストファー・クロスですが
声と顔のイメージが全然合わない(笑汗)
それを証明するのがライヴ映像ということで・・・


・・・大変に失礼は承知の上なんですが
「このご尊顔でこの声かい!」と突っ込みたくなること請け合い(笑汗)


・・・さてと。
はたして私は(ニューヨークとは申しませんが)花の東京へ行けるのでしょうかッ?

どうなりますことやら・・・(><)





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by dscorp-japan | 2014-09-23 00:00 | 音楽 | Comments(4)

祭壇料金の内訳

 
葬儀価格に対する市場の目がシビアになり
結果、葬儀単価が年々下落傾向にあることはすでにここでも触れております。

お葬式に対する価値観が多様化し
特に葬送儀礼の小規模化・簡略化という流れは、今後も加速することが予測されます。
これに伴い
以前はご依頼いただいていた商品やサービスに対する需要が減り、その結果としてお葬式の費用が下がってきている、と。

そして
特に価格下落に拍車をかけているのが「祭壇料金」かと。

一概には言えませんが
多くの葬儀屋さんの料金体系の中で、最も大きな比重を占める費目のひとつが「祭壇料金」であります。
これも一概には言えないところではありますが
祭壇料金は “ 6桁 ” 或いは “ 7桁 ” の価格が設定されています。

・・・価格だけを見れば、たしかに高い。
各種割引があったとしても、やっぱり高いものは高い(汗)

そしてすでに皆様もご存知かと思いますが
お葬式に使用する祭壇は「一件のお葬式限り」というわけではありません。
言い方は悪いですが “ 使い回し ” なわけです。
仮に「お葬式一回限り」だとしたら、とんでもない販売価格になっちゃいます。

・・・以前在籍していた葬儀社時代、お客様からよく言われたものです。
「使い回しのくせに何でこんなに高いの?」
「人の不幸で商売してるくせに足元みてるんじゃないの?」

祭壇のお掃除やらメンテナンスに費用はかかりますが
使い回しは事実なわけだし「高い!」と言われても仕方ないのかもしれません。

            ♢

現在、葬儀屋さんは「サービス業」と捉えられています。
しかし昔はというと
「(棺などの)売り物屋さん」「(祭壇の)貸し物屋さん」的な捉え方をされていたようなんですね。
目に見える形の「商品」を手配してくれるのが葬儀屋さん。

・・・そういう意味でいえば
ある意味では、昔の葬儀屋さんは美味しい商売だったのかもしれません(笑汗)

しかし
先にも申しました通り、現在の葬儀屋さんは「葬祭サービス業」という捉えられ方です。
「ホスピタリティ」の求められるお仕事として認識されています。
この「ホスピタリティ」を提供するために
葬儀屋さんはお葬式の専門知識を学び、経験を積んで一人前になるんです。

・・・一応「専門職」なんですね。

では
その「専門職」としての葬儀屋さんの人件費はどこから捻出されるのか。
これまた一概には言えませんけれど
この人件費が「祭壇料金」に含まれていることが少なくないんです。
多くの葬儀屋さんはこの「祭壇費用」のなかに、人件費や各種サービスに必要な経費を内包したかたちで価格設定し、これを販売していたりするんですね。

しかもその「人件費」は
担当者ひとりのそれではなくて、裏方さん的な人員のそれも含まれていたりするわけです。
実際、担当者ひとりだけで充分な葬祭サービスが提供できるというものでもないわけで
たとえば葬儀会館なら
事務員さんや経理さん、アテンド役の女性スタッフさんの人件費もあるでしょう。

「それら様々な経費が祭壇料金に含まれているのだ」
ということをご理解いただければなァと思う次第であります m(_ _)m


・・・まァウチの場合
そもそも「祭壇料金」という設定自体が無いんですけれどネ (^^ゞ








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by dscorp-japan | 2014-09-22 00:00 | 葬儀 | Comments(0)

信徒使徒職(?)としての私

 
カトリック教会の世界で「信徒使徒職」という言葉があります。

「教会の洗礼を受けた者は
福音宣教の為、或いは神の御国の完成の為、それぞれの生活の場においてその役割を担う使命が求められている」ということであります。

・・・ふぅ~ん・・・。

・・・まァ私の場合
日々そんなこと気にして生活してるわきゃないんです(笑汗)
神様のことを宣べ伝えるなんてことは全く意識に無くって
日々の些細な出来事に一喜一憂しながら暮らしているに過ぎないのであります。
そりゃたまにはミサにも行きますが(・・・ってオイ!)
神様と面と向かうことなんて、そのときだけ。
聖書にしたって
私には睡眠薬以外の何物でもないわけです。
しかも
おかげ様で(?)よく眠れますので、聖書も要らない(・・・ってオイオイ!)

だいたいね
私みたいな人間が「神様はね」なァんてことを口にした日にゃ
「オマエ、大丈夫かァ?」と額に手を当てられるのが関の山なのでありますよ ^^;


それでも敢えて申しますのなら
私の良いところも悪いところも全部ひっくるめて
「こんな私でも、どうやら神様は私を受け入れてくれてるみたいよ」ってなスタンスで、のうのうと生きていることが『宣教』、でしょうか・・・(汗)

つまり
(あんな男でもクリスチャンやってられるんだ)っていう安心感の提示(笑)
(アイツみたいな人間でいいなら・・・)と思っていただく、と。

・・・こじつけですかね・・・(^^ゞ


あとはやっぱりお葬式、でしょうか。
この部分だけは、少しこだわってます。
ちょっとだけプライドがあります(無きゃウソなのですが)
普段の悪行三昧は置いといて(笑汗)
人間の死という現実に直面して
そこに神様の、何らかの救いが必ずあるのだという信念だけは忘れないようにしているつもりです。
葬儀屋さんとして、と同時に
同じクリスチャンとして、という立場でお葬式に携わらせていただいているるもりではあります。

お葬式の場面においても
私なんぞが殊更に「神は・・・」なんてことを口にはしません。
そこは牧師先生や神父様の役回りなのですから。
牧師先生や神父様のお役目をサポートするのが私たちの役割である、と。

・・・つまりこれ「信徒使徒職」であると。


「だったらどうして商売にしてるんだ?」


・・・それを言われるとツライ・・・ m(_ _)m







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by dscorp-japan | 2014-09-20 00:00 | キリスト教 | Comments(2)

「不運」について思う

 
(自分は何て運が悪いんだ!)

そう思ったことが無いという方は、おそらくないでしょう。

私も何度も思ったことがあります。
様々な偶発的な出来事が重なり、その結果アンラッキーな状況に陥ってしまったときに。

特にタイミングですよね。
(もう少し早ければこんなことにならなかったのに)
(あの時あのタイミングであんなことさえ無ければ)

ひとつひとつの偶発的な出来事は、ホントにちっぽけなもの。
それらの些細な出来事が重なったため
最終的に、何とも目の当てられない結果を招いたりするものです。
この結果をして
(オレはどうしてこうも運に見放されるんだ)と天を仰ぐ。


・・・こういうとき
私はこう考えるようにしているんです。

(今回は運が悪かったけれど
他の場面じゃたくさん運が良かったはずなんだ)


皆様も思い返してみてください。
(あァ~助かった)
(もうちょいでヤバかったァ)
と思ったことが、多分これまでにたくさんあったと思うんですよね。
もっと言えば
自分たちの気付かない、何事もなく過ぎていった時間のなかにも、小さな偶発的出来事の積み重ねによって助けられていたことがあるのかもしれません。
そしてそれらは
もしかすると、私たちの認識する「不運」よりもたくさんあったのかもしれない。
それを私たちが認識していないだけ、なのかもしれない。


個人的には「運」とか「運命」という概念は好きではないのですが
そんな私でも、不運だと感じたことだけは後々まで覚えていたりします。
幸運は忘れてしまうくせに。

どうやら私たちは
幸福はなかなか実感できずに、不幸だけを認識してしまう生き物のようです。
これと同じように
ラッキーはその場限りで忘れ去って
アンラッキーだけを引きずる。
ラッキーが起こったときに感謝せず
アンラッキーが起こったときだけ恨む。

感謝するときがあるとすれば
不運な出来事が起きた後に切り抜けられた、その瞬間くらいじゃないでしょうか。

(あぁ~、何とかなったわ・・・)

・・・ああいう瞬間の感謝の思いって、結構切実だったりしますよね~ ^^;

            ♢

こういう考え方があるそうですよね。

「人間は不幸を実感するからこそ、幸福もまた感じることが出来る」

実際のところ
不幸を知らない人が「神に感謝」なんて思えないでしょう。

人生には、プラスもあればマイナスもある。
マイナスがあるから、プラスを喜ぶことが出来る。
感謝することが出来る。

それに
殆どの不運って、あとから思い返してみれば、それほど大したことじゃない。
人間は「忘れる生き物」なんですから。
この理屈を理解さえしていれば
何とか生きていけるじゃないですか ♪






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by dscorp-japan | 2014-09-19 00:00 | 思うに・・・ | Comments(2)

家族の思い 本人の思い

 
・・・あと数カ月で私も50歳になります(笑汗)

この夏、学生時代の同級生と会う機会などありまして
そこで話されたことはというと「親の介護と自分の老後」。
そしてその延長線にある「親のお葬式と自分のお葬式」となるわけです。

皆それぞれの価値観があって、その意見もまた様々ではありました。

ただ、多くの同級生が口を揃えたのは
「自分の葬式は身内で簡単に済ませてくれればいい」というもの。

「正直、葬式もやらんでいいわ」
「墓なんて要らんし、骨はどっかで撒いてくれりゃいい」

じゃ一方で自分の親や家族のお葬式はというと

「・・・そりゃまァ、それなりのことはしてやりたいわなァ」

となる。


・・・そうです。
これが『 家族の思い 』『 本人の思い 』というやつです。

「自分のお葬式は簡単でいいけど
大切な人のお葬式はそれなりのことをしてやりたい」

話している本人たちが気付いてるかどうか分かりませんが
これってつまり、家族に対する「思い遣り」の表現なんですよね。
もっとはっきり言えば「愛」なのであります。

「・・・いやいや
“ 愛 ” っていうより “ お疲れさん ” みたいな感じだよ」

「オレの場合 “ これまでゴメン ” って詫びの気持ちを・・・なァ(笑汗)」

・・・私に言わせれば
「お疲れさん」も「ごめんなさい」も、こう変換できる。
            ↓
          「感 謝」


・・・で、私は訊くわけです。

「じゃ~オマエらさァ
『自分の葬式はやらんでいい』って家族に遺言残したとして
いざそのときになって家族がそこそこのお葬式をしたら、オマエら怒るわけ?」

「別に~」
「まァ好きにすりゃ良いけどォ・・・」


・・・ね?


私が申し上げたいのはつまり
「自分が死んだときの、家族の思いを否定するな」ってこと。
そして
「本人が遺した遺言は、家族への気遣いなのかもしれない」ってこと。

そこのところを慮(おもんぱか)ることが出来るかどうかって
後悔しないお葬式に大切な要素だと思うんですね。

家族にとってお葬式とは
当然のことながら(亡くなられた)本人のためのものです。
しかし私たち葬儀屋さんからみれば
お葬式とは、本人の遺志とは別のところで「家族の(本人に対する)思いのための時間であり空間である」という考え方もできるんですね。

大切な人を亡くした家族の思いも
家族を思い遣りつつ旅立った本人の思いも
どちらも「愛」なのであります。

そこを分かったうえでどうするのか。
その先にこそ「良いお葬式」「後悔しないお葬式」があるのではないか、と。






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by dscorp-japan | 2014-09-18 00:00 | 葬儀 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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