D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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無題

 
ブログを始めさせていただく前は
他の方々がブログ内でご自分の誕生日に触れられていることに、少々の違和感を感じておりました m(_ _)m

(なァんでわざわざ自分の誕生日の話をするだァ・・・?)

しかし
私もブログなるものをやらせていただくようになるに及び、他の方々の真意がよォ~く分かりました。

誕生日とはつまり
年に一回の、貴重なブログ記事ネタなんですね(笑汗)
別に誰に祝って欲しいわけでもないわけで
単に自分の誕生日自体が、貴重なブログ記事ネタなのだということを思い知らされたのでした・・・


とは申しましても
別に自分自身、今日が特別な日であるはずもありません。

おそらくこの後
私はいつも通り布団に入って本を読み、その後爆睡するだけです。
仕事の依頼が無ければ、寝坊しまくることでしょう。
昼くらいにノソノソと布団から這い出して
有り合わせのもので食事を済ませ
暇にまかせて、パチンコとか行くかもしれません(笑汗)
そして大負けして、肩をガックリ落として
一皿100円の回転寿司とかで独り寂しく夕食を食べて
(今日も下らん一日じゃ)と思いつつ、ギターに手を伸ばす。

・・・大体そんな感じでしょう・・・

時折私はこのブログでエラそうなことを申しております。
「命の大切さ」とか
「与えられている時間の有難さ」とか。
ならばもっと充実した日々を過ごしているのだと誤解されるかもしれませんが・・・

私の日常なんて、所詮こんなもんです・・・m(_ _)m



でも良いんです。
それでも私は生きている。
生かされている。
それだけで充分感謝なのであります。

ご葬儀のご依頼があれば
そのとき、私は一生懸命になります。
私なりに精一杯のお手伝いをする自負だけはあります。


来年は “ 大台 ” かァ・・・
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by dscorp-japan | 2013-11-30 00:00 | 思うに・・・ | Comments(8)

「訃報案内に『平服で結構です』と書かれていたのですがどの程度まで許されますか」


回答:

「平服で」との一文が添えられているのですから、世間一般でいうところの平服で問題ないと解釈できます。
ただし
殊更に華美な服装やだらしない服装で参列されることは、お控えいただいた方か賢明です。

解説:

「平服で」との一文が添えられている背景には、おそらくふたつの意図があると考えられます。
① 参列者に過分な気遣いをかけないようにとの遺族側の配慮から
② 故人或いはご遺族の意思として、明るく見送って欲しいという意図から

・・・しかし
訃報連絡を受けた側にしてみれば、はたしてその真意がどちらなのか推し量りかねるところではあります。
ということで
ここでは、避けた方が無難であると思われる服装についてご説明いたします。
① 部屋着での参列
② 祝い事に着る服装・華美な色合いや柄の服装
③ 華美な装飾品(真珠は除く)

「平服の袖に喪章を付ける」という手段もありますが
最近の傾向で申しますと、必ずしもその必要はないと考えて差し支えないでしょう。
たとえば
男性でも女性でも、ジャケットを着用するだけでそれなりの印象になるでしょう。

時折
学校の教員がジャージで参列というケースを見受けます。
ただあれは「仕事着」と解釈できますので、失礼にあたることはないと思われます。
工員さんなどが作業着で参列されるのと同義と考えられるからです。

むしろ大切なことは、だらしない印象を与えないことです。
服装そのものよりも
参列する側としての佇まいで、その印象は大きく変わります。
背筋を伸ばし、適度な緊張感を持って参列することです。
たとえ喪服を着用していても
その佇まいがだらしないと、結果的に悪い印象を与えることになりますので。






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by dscorp-japan | 2013-11-28 00:00 | 葬儀 | Comments(0)

名古屋市が来年4月より電柱の葬儀案内全面禁止


・・・個人的には大賛成なんですネ~

→ ニュース記事はコチラ


上記ニュース記事のリンクが切れるといけないので、一応概要をご説明します。


・・・おそらく約10年ちょっと前あたりからでしょうか
各葬儀社さんの、葬儀案内看板の枚数が年々増え出したのは。
特定の企業名は伏せますが
特に大手の葬儀社さんなどは、一件のご葬儀のために何十枚もの道路看板を立てられるところがあります。
正直、それはもうクドいくらいに(汗)

そしてその看板もまた
「〇〇家葬儀式場」といった本来の表記よりも、施行葬儀社の名前の方が大きく表記されたものが増えてきました。

・・・「葬儀社の広告宣伝媒体」と受け取られても仕方がありません。
っていうか
実際、そういう意図で出されている葬儀社さんって少なくないはずです。


これに対して市民から苦情があったとのことです。
「葬儀案内が多過ぎる!」と。

市民の声を受けて、名古屋市は
「都市景観を損ね、交通安全上にも問題がある。
名古屋市屋外広告物条例の趣旨から逸脱している」
との理由で、来年4月より禁止とすることを決定したとのことです。


「そういうオマエの会社だって出してただろう?」

はい。
現状、お客様のご意向を伺ったうえで出させていただいております。
でも
私が担当したお客様ならお分かりのはずです。
私は必ず打ち合わせの際、道路看板が必要か否かをお尋ねいたします。
そして「必要」とのご要望の方にも
必要最低限の場所をご説明して、それ以外の場所に立てることはしておりません。
「経費がかかるから」じゃありません。
個人的に、あれは危険だと思っているからです。

以前の記事にも書きました。
たとえば風の強い日など
どれだけしっかりと電柱に括りつけても、万が一風に煽られて飛んでしまったりしたら大変です。
ですからたとえば台風さ中のご葬儀などでは
お客様からどれだけご要望があろうと、お断りしてきました。

今じゃ
クルマのナビだってあるし、スマホで場所検索だって出来ますよね?
(あたしャガラケーだけど)
仮にナビもスマホも無くたって
葬儀式場の場所って、参列する方が事前に場所を調べて伺うべきものですよね・・・?



ただちょっとだけ思うのは・・・
大手葬儀社さんの葬儀案内看板って、シルバーさんが設置&撤去されてるところがあるんですが
あの方々のお仕事が無くなっちゃうなァ~ということ、デス。







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by dscorp-japan | 2013-11-27 00:00 | 葬儀 | Comments(4)

テレビドラマ 『 こうのとりのゆりかご 』


もうね
ドラマの最初から最後まで、あたしャティッシュが足りませんでしたよぉ・・・(ToT)


『こうのとりのゆりかご』 公式サイト


あまりテレビを観ない私ですが
このドラマは以前から楽しみにしておりました・・・


・・・まずは番組のサブタイトルに動揺させられました。

“「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来 ”

「92」。
その数字が示す命の数について。
それだけの命が救われたと受け取るべきなのか
それだけの命が(様々な事情があるにせよ)育てられることを放棄されたと取るべきなのか・・・


2007年
熊本の慈恵病院(カトリック系)がはじめた『赤ちゃんポスト』。
当時、マスコミでも取り上げられたことは記憶に新しいところです。
その賛否についても、かなり議論されていました。
そしてその議論は私たちの身近なところでもあって
ある人は
「新しい命を守るための大英断だ」と言い
またある人は
「捨て子の助長に他ならない」
と断じたものです・・・


番組は「実話を元にしたドラマ」とされています。
基本的には可能な限り実話に忠実なのだろうと思うのですが
もしかすると、少々の脚色はあるのかもしれません。
なんたって
ドラマの主人公である看護師長(薬師丸ひろ子さん)も
病院スタッフの看護師さんたち(江口のり子さん、安藤サクラさん etc )も
あまりにも良い人たちばかりなんで、ちょっとだけ穿った見方をしてしまいました m(_ _)m

でも
それを差し引いても、ドラマ全編泣き通し!
止むに止まれぬ事情で、仕方なく赤ちゃんを連れてくるお母さんの思い。
その母親を、何の疑いもなく見つめる赤ちゃんたちの眼差し。
病院にやってきた親子の絆を、もう一度つなぎ止めようとするスタッフ皆さんの思い。
それぞれの立場に置かれた人たちの切実な思いが
観ているこちらにもひしひしと伝わってきました。

そして
もちろん私は男ですが
(自分だったらどうするだろう)と、いちいち考えさせられました・・・


しかし!
やはり「命」とは授かりものなのだと思い知らされます。
私たち大人たちの勝手な(浅はかな)考えや都合で、その尊い命を粗末にすることはあってはならないと。


ドラマのなかで主人公の看護師長が言います。

「すべての命には意味があるのよ」

また別の場面で
看護師長は自分の娘を抱きしめて、こうも言います。

「あなたは私の宝物」


理屈ではなく
おそらく、このセリフこそが答え、なのだと思います・・・




このドラマ、録画予約しておいて良かった ♪
近々、もう一度じっくり観ようと思います。
そして
「命の大切さ」という当たり前のことを、もう一度噛みしめてみたいと思います m(_ _)m









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by dscorp-japan | 2013-11-26 00:00 | 映画・テレビ | Comments(6)

『 The Golden Boy 』 フレディ・マーキュリー&モンセラート・カバリエ


毎年私のブログでは
フレディー・マーキュリー氏の命日に合わせて、彼の音楽について触れさせていただいております m(_ _)m
敬愛するフレディー氏に対する、私なりの追悼であります。

フレディー氏が亡くなられたのが1991年11月24日。
もう20年以上経つんですね・・・

世間ではロック・ヴォーカリストとしての評価が高い彼ですが
個人的にはクリエイターとしての彼をより高く評価しております。
ソングライター・メロディメーカーとしての彼のセンスは、本当に素晴らしいものがあると思っております。
クイーンというバンドの音楽性の幅を大きく広げたのは
まぎれもなくフレディー・マーキュリーの功績によるものと断言できるのではないでしょうか。

オペラ・ロックの代表曲である『ボヘミアン・ラプソディー(Bohemian Rhapsody』はもちろんのこと
ゴスペル・ロックの代表曲『愛にすべてを(Somebody to Love)』も
スタジアム・ロックの金字塔とも呼べる『伝説のチャンピオン(We Are the Champions』も
みんな、フレディー氏が作曲したものです。
彼の音楽
ある意味では十二分にプログレッシヴ・ロックといってもいいものをたくさん遺しているんです。


そんななか
私はフレディー氏の音楽的アナザーサイドとも呼べる、このアルバムが大好きなんですね ♪





1988年発表。今は廃盤らしい・・・(泣)



もちろん私はこのアルバムを持っておりますよ~
(但しLPレコードだけど)
このアルバムからの曲は以前にも取り上げさせていただきました(→過去記事
ロックミュージシャンの曲とは思えない、オペラ&ミュージカル・テイスト溢れる曲が並びます。


そして今日は(というか今年は)
このアルバムの中でも特に好きな一曲をご紹介です m(_ _)m



・・・素晴らしい!
なんとまァ
世界的オペラ歌手を相手に、フレディー氏の堂々とした歌いっぷりといったら・・・!
そしてまた
モンセラート女史のノリノリなこと!


毎年思います。
素晴らしいアーティストだったと。







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by dscorp-japan | 2013-11-24 00:00 | 音楽 | Comments(0)

納骨式に立ち会った


今日の名古屋地方は、雲ひとつない秋晴れの一日でした ♪


そして今日は午前中
以前私がご葬儀をお手伝いさせていただいた方の、納骨式のお手伝いに行って参りました m(_ _)m

とォにかく!
今日は最ッ高の日本晴れ!


名古屋市緑区にある『みどりが丘公園墓地』


朝の比較的早い時間に到着したので
墓参のお車はまだ少ない感じ。
でもこの後、続々とお墓参りの方がいらっしゃいました。

・・・空気が美味しくってね~ ♪
何度も申しますが、最高の納骨式日和となりました。



どうです、この空の青さ!


亡くなられた方のご主人が神父様をお迎えに行かれて
予定よりほんのちょっとだけ遅れて、納骨式が行われました。

(納骨式の写真はご勘弁下さい m(_ _)m )

カトリックでは11月を「死者の月」としております。
またプロテスタントにおいても
11月初旬に召天者記念礼拝が行われたりします。
そんな関係もあって
11月にご納骨される方って少なくないようなんですね・・・



無事に納骨式を終えた後
同じ霊園内で、別の方の墓開き(つまり仏式)が行われていたので、顔を出してきました。

その方は
私が以前勤めていた葬儀社の、大先輩の納骨式だったんです・・・

私が葬儀業界に入った当初
私の直属の上司として、いろいろとお教えいただいた方。
決して目立つような真似はせず
常に「黒子」として、ご遺族様を陰から支えられた方でした。

私にとってのお手本でした。
そして、大恩人でした。

・・・もうお亡くなりになられて一年が経つんだなァと、感慨深く焼香をさせていただきました。


しかし
こうもお天気が良いと、こちらの気持ちも晴々とするものです。
本当に良い日に納骨に立ち会えました。

ご納骨されたお二方の魂の安息を祈りつつ
今日は心から「神に感謝」な日でありました m(_ _)m






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by dscorp-japan | 2013-11-23 21:29 | 葬儀 | Comments(0)

「祭司不在で葬儀というのはありですか?」


このご質問からはふたつの意味が考えられます。

① 宗教儀礼を伴わないお葬式は可能か
② 宗教儀礼を伴うが、司式者がいないお葬式は可能か

① に関してはすでにご存知の方もあるかと思いますが、お葬式には「無宗教葬」というものがあります。
これはすでに行われているものであり、その回答は「できます」ということになります。
したがってここでは ② に対する回答と解説をさせていただきます。

回答:

それぞれの宗教が定める内規によります。
但し
葬儀をお願い出来る宗教者(僧侶や牧師、神父など)がいるのに、敢えて司式者を招かずに式を執り行うことは一般的ではありません。

解説:

まずは大前提として
何らかの宗教儀礼を伴うお葬式を行う場合、その宗教の定めるルールにしたがって典礼が行われるべきと考えるのが妥当です。
それぞれの宗教で決められている葬送典礼のガイドラインがあり
一般的には、その典礼を司る宗教者の導きによって式が進行します。
葬儀司式者というのは、それぞれの宗教が定める内規においてその権限を与えられた人です。
よって
その権限を与えられていない人間が司式者をすることは、その宗教の内規に抵触する可能性があるということです。

司式者不在のお葬式が行われるケースとは
「お葬式を執り行って下さる司式者がどうしてもつかまらない」という事由によるものと考えられます。
しかし現実的に考えると、こうしたケースは非常に稀であります。
司式者の都合がつかない場合
まずは葬儀の日程を変更するなどして、司式者のスケジュールと合わせるようにします。
仮に日程調整がうまくいかない場合でも
菩提寺や所属教会の宗教者(場合によっては依頼した葬儀社)を介して、司式者を探していただくことになります。
実際的にこれらの方策をとることによって
司式者不在の宗教葬儀はほぼ回避されることになります。


余談ですが
たとえばカトリック教会ですと、宗教者不在のお葬式を行ったケースはあります。
但しその場合「葬儀ミサ典礼」を行うことは絶対にできません。
聖書を拝読しともに祈りを唱える形式(=ことばの典礼)のみ、となります。






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by dscorp-japan | 2013-11-22 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

「夫婦で宗教が違うので、葬儀を2回挙げることはできますか?」

回答:

「葬儀を2回挙げる」というと驚かれる方もあるかもしれませんが
可能かどうかとの問いには「できます」というのがお答えになるかと思います。
但し、まったく同じ意味合いにおいての葬儀を二度、ということではありません。
以下、解説をお読みください。

解説:

たとえば著名人のお葬式を思い起こしてみてください。
まず火葬を伴うお葬式を近親者だけで執り行い、後日あらためて関係者をお招きして「お別れ会」といった形で式を執り行われるケースが見受けられます。
あるいは社葬や団体葬の場合
やはり近親者だけで火葬を伴うお葬式を行い(これを『密葬』といいます)
後日、会社や団体としてのお葬式(これを『本葬』といいます)を行うケースがあります。
葬儀業界ではそれぞれ前者を『遺体葬』、後者を『遺骨葬』と位置付けています。
つまり
前者と後者のいちばんの違いは、前者が亡くなられた方の御遺体を前にして挙げるお葬式であり、後者は火葬後に行われるため遺骨を前にして挙げられるものであります。

「遺体を前にしたお葬式でなければお葬式ではないのではないか」

「遺骨葬」も立派なお葬式です。
地域によっては
葬儀式の前に火葬を済ませて、収骨を終えた御遺骨を前にしてお葬式をするのが慣習となっているところもあるのです。

さて。
ご質問にあるように「夫婦で宗教が異なるため」とのことですね。
ではたとえば、ご夫婦の一方が仏教でもう一方がキリスト教であると想定してみましょう。
まず、当事者(ご家族やご親族)の心情的な部分を鑑みますと
火葬を伴うお葬式(遺体葬)をどちらの宗教で執り行うのか、という点を熟慮される必要があるでしょう。
心情的にはどうしても、遺体葬が “本番” のように感じてしまわれることが少なくないかもしれませんので。
こうした問題を回避するためには、事前にご本人の意思が表明されていることがいちばんでしょう。
ご本人の口頭でもいいのでしょうが
遺言、或いは昨今では「エンディングノート」というツールもありますので、ご本人の意思がご家族に伝わる術を考えておかれた方がいいでしょう。

そしてもうひとつ。
可能であれば、それぞれのお葬式を司っていただく宗教者(僧侶、牧師や神父)に事前にご相談されることをお勧めします。
仏教・キリスト教それぞれのお葬式を終えられた後、いつの日かご本人の御遺骨はお墓や納骨堂に「納骨」されることになるでしょう。
これは経験者でないと分からないことなのですが
たとえば遺体葬をキリスト教で挙げられた後、遺骨葬を仏教で挙げられるとします。
そして仮に、納骨するお墓はお寺の管理する墓地にあったとします。
すると
墓地管理者であるお寺が納骨を受け入れてくれないというケースもあるのです。
実際のところ、こういったケースは稀ではあります。
しかしやはりそのあたりも踏まえて、事前にご相談されておかれるのがベターだということなんですね。

※ 業務連絡
・・・やっぱ800字という文字制限は難しいや、はるさん(汗)





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by dscorp-japan | 2013-11-21 00:00 | 葬儀 | Comments(4)

CCFI 葬儀なんでも質問箱に参加・・・


昨日、つい先ほどまで
CCFI メンバーでスカイプを使った定例会に参加させていただいておりました。

・・・まァね
あたしャ殆ど、他のメンバーが意見を交わすのを傍で聞いてるだけなんですけどネ(笑汗)

で、そこで言われてしまいました。

「オカダさんも CCFIサイト上の 『 葬儀質問箱 』 の質問回答をお願いしますよぉ」

CCFI 発起人であり中心人物であるはるさん
ご自身のブログにおいて、定期的にこの取り組みも実践されていらっしゃいます。
私はというと
相変わらず(よくやるよなぁ)と感心しつつも、他人事のように考えておりました・・・ m(_ _)m


しかし「やれ!」とな・・・(汗)

同じくメンバーである松ちゃんさん
結構多くの質問を挙げて下さっていらっしゃることもありますし、もう無視できないところまできてるみたい・・・(><)


ということで。

『教会なんでも質問箱』の質問にお答えいたします m(_ _)m

            ♢

質問

“ 葬儀費用を安く抑えたいのですが、お花を一切飾らないでも式を挙げられますか? ”

回答

まず
「お花を一切飾らないでも式を挙げられますか?」というご質問に対するお答えは「YES」となります。
一切のお花が無くとも、お葬式は出来ます。
たとえそれが近親者のみをお招きする形態の葬儀(≒家族葬・直葬)であっても
友人や知人をお招きする、それなりの規模のお葬式であっても
「お花が無いからお葬式はできない」などということではありません。

ではここで補足説明を。

ご質問にあるように
「葬儀費用を安く抑えたい」という目的の為に「お花を飾らない」という選択をするのは、少々安易な考えかもしれません。
たしかに
(殆どの)宗旨宗派を問わず、お葬式にお花はつきものであるといえましょう。
そして、葬儀屋さんにお花を頼めば、それ相応に費用がかかることも事実です。
しかし
一切のお花を飾らないからといって、葬儀費用が大きく削減できるとも限らないというのが実際のところです。

お分かりの方もあるかもしれませんが
お葬式にかかる費用のなかで、実質的にいちばん経費がかかるのは「人件費」なのです。
葬儀規模の大小や(家族葬や直葬を含めた)お葬式の形態如何にかかわらず
対応する葬儀担当者さんの拘束時間は変わらないわけです。
葬儀規模や葬儀形態の違いで担当者さんの仕事量が大きく変わるわけでもなく
どのようなお葬式でも、基本的に同じプロセスを踏まえて亡くなられた方をお送りするお手伝いをするんです。

もちろん各々の葬儀屋さんの価格設定にもよりますが
そこには必ず、お手伝いする担当者さんの人件費が含まれているんですね。

お花を飾らないお葬式と、飾るお葬式。
もちろんそこに費用の差は出てくることでしょう。
しかし一般的に
お葬式にかかる総額における「花」の費用は、それほど大きい割合を占めるとも限らないと思います。

少なくとも私だったら
花を無くすくらいだったら、他の費目で費用を削ることを考えますよね・・・
棺を安価なものにするとか
霊柩車のランクを下げるとか。


洋の東西を問わず
人は太古の昔から、大切な人を葬る際には花を手向けたものです。
「花を手向ける」
「花で飾る」
という行為は、人間の根源的な「思い」から来るものだと思うんですね。
それは「葬送儀礼における人間の本能」とさえ呼べるものだと思います。


あと、こんな方法もあるにはあります。
外国人のお葬式などで時折お見かけするのですが
当事者である家族は一切お花を用意しないで
参列者それぞれが、花束を持ち寄って棺の周りに手向けられる、というもの。
あれはあれで心がこもっていて良いなァと思いますね♪

・・・仮に私のお葬式であれをやったとしたら
誰も花束を持ってきてくれないかもしれないですけど・・・(涙)
いや
それ以前に、誰も来てくれないという話もある(号泣)


最後に。
それでもどうしても「花は一切飾らない!」という場合
そのようなお葬式プランを引き受けてくれる葬儀屋さんを探す必要があるかもしれません。
葬儀屋さんのなかには
お花屋さんを母体とした葬儀屋さんがいらっしゃったりします。
もしかすると
「お花のご用命のないお葬式はお受けできません」という葬儀屋さんがあるかもしれないので。



・・・えらく文章が長くなっちゃった(汗)
こんなんでどうでしょ、はるさん(笑)








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by dscorp-japan | 2013-11-20 00:33 | 葬儀 | Comments(2)

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』


「観たかった」
というのとはちょっと違います。
(やっぱ観とかなきゃイカンかな~)というのが正直なところ。
だから
レンタル屋さんにあるのを、何度も手にとっては借りることを躊躇しておりました。
能天気な気分で観る映画じゃないと思っていたので
借りるときには(よし、今日は観るぞ!)と、何故か自分を鼓舞して借りたような次第であります。

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ご存知の方も少なくないと思います。
アルカイダの指導者であったウサマ・ビン・ラディン氏が
一昨年の5月、アメリカによって殺害されるまでを映像化したとされる映画。

映画に関する詳細は公式HPをご覧ください。


あの事件が起きた当時から
様々な謎や憶測が囁かれていたように記憶します。

(はたしてニュースは本当のことなのか)
(またアメリカの情報操作による陰謀じゃないのか)

もちろん私などには、その真偽を知る術などありません。
真実を知るのは、ほんの一握りの当事者たちだけなのでしょうから。
本作に関しても
「アメリカのプロパガンダ映画だ」という揶揄もあったようですよね。
たしかに “ CIAが全面協力 ” なんて文言を聞かされると
かえってその情報の正確性に疑問を持ってしまいますよね~


で、本作を鑑賞しての感想。

『 半沢直樹 』 じゃありませんが
最終的にとられた手段は “ やられたらやり返す、倍返しだ!” というのと大差ないと思いました。
監督であるビグローさんがどのような思いで本作のメガホンをとられたのか分かりませんが
「報復という行為に正義なんてものは無いのだ」と感じざるを得ませんでした。

映画の序盤において
本作の主人公であるCIA女性分析官・マヤ(ジェシカ・チャステインさん)は、ビン・ラディンの所在を突き止めることを、自らの職務として冷静に携わります。
しかし、女性の同僚が爆弾テロによって亡くなるにおよび
どうやら彼女の目的は「職務」というよりも「仲間を殺された報復」にとって代わったように映ります。
その執念は凄まじいもので
その根底にあるものははやり「怒り」であり「憎しみ」であったと。
逆に言えば
彼女の執念のおかげで、アメリカは目的を果たした(とされる)ことになるのですが・・・


(これで良かったのか?)
(アメリカよ、これで満足なのか?)


私はカトリック信者ではありますが
ことさらキリスト教的倫理観を持ちだすつもりはありません。
むしろひとりの人間として、本作で描かれていることに恐怖を覚えます。

人を殺すことに正義ってあるんだろうか。

もちろん
私があの場所にいたとしたら、どのような行動に出たのか分かりません。
だからこそ思います。
メチャクチャ身勝手かも知れないけれど
自分があの場所にいなくて良かった、と。
私は、殺す側にも殺される側にもいたくない。

誰も殺さず、誰にも殺されず
ちっぽけな平和のもとで老いさらばえていきたい。
たとえそれがまやかしの平和だとしても。





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by dscorp-japan | 2013-11-19 00:00 | 映画・テレビ | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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