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昔の良い映画のDVDがなかなか無い・・・

 
一昨日
私が大学生の頃から仲良くしていただいているH田T彦神父様(←ここまで書けば分かる人は分かる)
と、かなり久しぶりに食事を共にする機会がありました。
二人で、というより
同じ教会の信者さんのお宅へお招きいただいたんですね~ ♪


・・・で、本題はそこでの話題。
ちょっとだけ映画の話になったんですよ・・・


私は無類の映画好きであります。
洋邦問わず、ジャンルの好き嫌いもなく(但しグロ系映画を除く)何でもOK。
もちろん
キリスト教を題材とした映画も大好き(少なくとも聖書なんか読むより何十倍も!)
キリスト教に関連した映画とあらば、まず間違いなく触手が動きます。

・・・で、お互いに
「あの映画は良かった」とか
「あの映画、何て名前だったっけ?」などと話してたんですね。

話題に出たのが
穢れなき悪戯』でしょ
『34丁目の奇蹟』でしょ
『私は告白する』でしょ
『俺たちは天使じゃない』でしょ・・・

みんな良い映画ですよマジで。

それでもって
今度は「あの映画ってDVDあるの?」みたいな話になったんです。

その映画というのが

① 『法王の旅』

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② 『Mr.エンジェル~神様の賭け』

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③ 『バチカンの嵐』

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私も一応は全部観てるんです、ずっと昔に。

「久しぶりに観たいなァ」みたいな話になったんですけど
どこのレンタル屋さんを探しても見つからないよね、ってことだったんです。

で、昨日からネットでいろいろ探してみてるんですけど・・・
私の探し方が下手なのかもしれないですけど・・・どれもDVDが無いんですよ(泣)
あってもVHSばっか。


・・・需要がないのかなァ(汗)
そりゃ~日本じゃキリスト教関連の映画なんてマイナーなんでしょうけど・・・
でも 『 Mr.エンジェル 』 なんて、誰が観ても良い映画だと思うんだけどなァ。
たとえば
『 天使にラブソングを 』なんて、日本でもかなりメジャーな良い映画とされてるじゃないですか。
だれもが知ってる
『 サウンド・オブ・ミュージック 』だって、基本キリスト教世界を舞台にした映画じゃないですか。


・・・だったらさァ
こういった、埋もれてしまってる良い映画もDVD化して欲しいですよね~
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by dscorp-japan | 2013-05-30 00:00 | 映画・テレビ | Comments(2)

神様の了見

 
以前にもここで申し上げたことがあります。

「何故カトリックを信仰するようになったのか」

そこには何らの論理的根拠などなくって(笑)
ただ何となく自分の感性に合っていると感じたからです。
たしかに私は生まれて間もなく、カトリックの洗礼を授けられました。
その点でいえば、いわゆる “ ボン・クリ(Born Christian)” ではあります。
でも私の場合
中学を卒業する頃までは殆ど教会へ足を運ぶことなく過ごしてきたわけです。
で、高校生になっていろいろと考えるところがあって
(あくまでも上っ面だけですけど)様々な宗教をかじって
最終的にカトリックに落ち着いた、というところです。

「自分の感性に合っていた」というのが表面的な理由ではありますが・・・
ウマく言葉では言い表せないんですけど
(あぁ、やっぱオレのなかの「神」はカトリックの世界に居るんだなぁ)みたいに感じた、というところでしょうか。

そして
私には、カトリックの神様がいちばん優しかったんです。
・・・はっきり言って都合が良かった(笑)

そりゃ~ネ
カトリックだって突き詰めればいろいろと厳しい面はあるんですよ。
「アレしちゃダメ」
「コレしなきゃダメ」
正直(ウザいッ)って思うこともありますよそりゃ(笑)

基本面倒くさがりだし
努力とは無縁の人間だし
独りよがりだし
他者を思い遣ることが出来ない。
今現在だって、神様に背いていることなんか山ほどあります m(_ _)m


冷静に考えれば
私なんてカトリックの落伍者ですよ間違いなく(汗)


でもネ
私の神様は、決して私のことを見捨てたりしないんです。
こォんなに出来の悪い人間なのに
私の神様は(しゃ~ないなァもォ~)って、赦して下さるんです。

「エエ加減にせいッ」って怒られはしますよ。
もう何百回、何千回怒られたことか。
神様は多分
もう何十年も前から、私のことを呆れ果てながら見ていることでしょう。
いかりやさん風に言えば「ダメだこりゃ!」です(笑汗)

それでも
私の神様は決して私を見捨てたりしない。
何百回、何千回とため息をつきながらも、私のことを見捨てない。


私の信じる神様との間にあるルールはただひとつ。

「神様に絶望しないこと」。

これだけ。


これが
私の信じる神様の了見の広さ、です。

カトリックの神様は
私にとって最高に了見の広い方なんです・・・


「全部オマエの思い込みだろ?」
「ムチャクチャ身勝手やん!」

・・・そうですね。
でも、いいんです。
私が納得してれば。

そんでもって
あとのことはぜぇ~んぶ
一切合切神様に丸投げしておけば良いんですから ♪
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by dscorp-japan | 2013-05-29 00:21 | キリスト教 | Comments(0)

「辞退」という以上

 
最近増えてきました
御香典や供花、供物をご辞退されるご葬儀。
特にキリスト教葬儀においては
もうかなり以前(10年以上前)から、こうしたご意向のお葬式が増えております。
もちろん仏式葬儀などにおいても
「家族葬」やこれに準じた小規模のお葬式が増えてきたことに比例する傾向にあるかと思います。
たとえば
私どもでお手伝いさせていただくお葬式の7~8割は「香典・供花・供物ご辞退」というのが実態です。

基本的には
「過分なお気遣いはご辞退させていただきます」という、ご遺族様のご意向であるということです。
或いは生前のご本人が、そのような意向を表明されていらっしゃったというケースも少なくありません。


・・・今日は、こうした前提を踏まえてのお話です。

お葬式を承りますと
参列されるご予定の方からお問い合わせをいただくことがあります。
その内容の大半は
「キリスト教葬儀に参列する際の服装は?」
「香典の表書きはどのようなもの?」
といったところです。

しかし、なかにはこのようなご質問も・・・。

「供花や供物はご辞退されると聞いているんですが
実際のところ、他の皆さんはどうされているんですか?」

どうやらご質問の真意は
「『供花・供物辞退』というのはあくまでも建前で
実際は皆さん、お花など出されているのではないですか?」
ということのようなのです。

経験則で申しますと
こういうご質問をいただく方の多くは、何らかのお仕事の関係であるかと思います。
大体が会社名や団体名でお電話いただきますので。

・・・なるほど、ご質問されるお気持ちも分かる気がします・・・

お仕事上のお付き合いの礼儀としてご参列される方にしてみれば
亡くなられた方やご遺族様に対して決して失礼の無いよう、細心の注意を払うことでしょう。
「出過ぎたマネをする気はないが
少なくとも他の企業や団体と同等の弔意は示したい」ということなのでしょう。


・・・しかしここは敢えて申し上げます。

訃報案内に「香典・供花・供物辞退」などの一言が添えられているのであれば
そこは額面通り受け取っていただき、ご辞退されるのが本来のあり方だと思います。
そもそも
香典等の取り扱いについて「表向きは『辞退』としながら実際はお受けする」などというやり方を、私たち葬儀屋さんは推奨いたしません。
参列者の皆様から誤解を招く恐れがありますから。

訃報連絡などで「辞退」と知らされた以上
そのご意向は当事者(ご本人やご遺族様)のご意向であると受け止めていただき、これを遵守されることをおすすめいたします。

当事者のご希望されるお葬式を実現するためには
関係各位のご理解とご協力が不可欠なのであります m(_ _)m
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by dscorp-japan | 2013-05-28 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

アメリカンチェリー

 
今年も美味しい季節がやってきました ♪

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幼少の頃
私のいちばん大好きな果物は「スイカ」でした。
基本的に好き嫌いのない私ですから、果物は何でも好きなんです。
でも、スイカに対する思い入れは格別のものがあったりするんですね(笑)

ところが小学校二年生のとき
父親の仕事の関係でアメリカに渡って程なくして、はじめてこの果物と出会ったんです・・・

(アメリカのさくらんぼは黒いんだなァ)
それまで食べたことのあるさくらんぼといえば
ショートケーキの上に乗ってるアレ、しかありませんでした。

で、食べてみてビックリ!
これまで食べたさくらんぼとは比較にならないくらいの濃厚な味 ♪

・・・決して日本のさくらんぼが劣っているというわけじゃないんですよ。
大体、ショートケーキの上に乗ってるさくらんぼなんて大したシロモノでもなかったりしますから
あれと比較するのは日本のさくらんぼに失礼というものですけど。

・・・とにかく美味しかったんです。
それにアメリカのスーパーで売ってるアメリカンチェリーって、山盛りだったりするんです。
その値段がいくらだったのか知る由もありませんが
スーパーに行くと、結構な頻度で買ってくれていたように記憶します。
ネーブルオレンジとアメリカンチェリー。
多分、お値打ちだったと思うんですよね~

で、日本に帰ってきたら・・・アメリカンチェリーが売ってない!

かなりショックでした。
私が帰国した頃(1972年)
マクドナルドもケンタッキーフライドチキンも、日本で食べられるようになった時期なんです。
でもどうやらその当時はまだ、アメリカンチェリーは輸入されていなかったみたいなんですね・・・

(あれ食べたい!)

密かに恋焦がれていた私・・・(照)



・・・そして時は流れ
今じゃこの時期、どこのスーパーでも売ってるという・・・♪

あな素晴らしき哉!


独り者の私ですから結構スーパーに行ってお総菜やお弁当なんかを買ったりするわけですけど
正直必ず見ますよね、果物コーナーを。
で、この時期なら大抵売ってるわけですから、ほぼ間違いなくカゴに入れちゃいます(笑)


・・・つい先ほども食べました ♪

ウマいッ
何度食べてもウマい!

この時期はアメリカンチェリーとデートだァ~ ♡
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by dscorp-japan | 2013-05-27 00:00 | 好き | Comments(4)

同じ色にはならない

 
以前にも書いたことがあります。

個人的には
キリスト教における各教派の違いは、最終的にはそれを選択するそれぞれの好みの問題だと思っております。
(→過去記事参照)

※ なかには「キリスト教」と自称しながら、その宗教観には少々危険な要素を内包した団体もあるにはあります。ただ、こうした「自称・キリスト教」は、いわゆるメジャーなキリスト教諸派からは「異端である」として認められておりません。したがって、ここではこうした異端派に関する言及は除外させていただきます。


・・・ごく稀にですが、いらっしゃるんですよ。
ご自分の信仰するキリスト教とは異なる教派の信徒の方に対して、少々構えるような素振りをされる方が。
そうした方の思いが分からないわけじゃありません。
それだけご自分の信仰されるキリスト教を大切になさっているということですから。

しかし。

たとえば(私の所属する)ローマ・カトリック教会の信徒であっても、それぞれの信仰が全き一致を見せているというわけでもないと思うんです。
お国柄や地域性の違いもあれば、それぞれの辿られた歴史の違いもあります。

たとえば
同じ教会に所属している信徒どうしだって、それぞれの信仰に違いがあることだって考えられるんです。
というか、あるんですよやっぱり。

神様との出会い方なんて千差万別。
どのような救いを求めるのかもまた然り。
違いがあって当然だと思うんですね。

極論で言えば
神様との向き合い方や信仰のあり方なんて、信者の数だけあるはずだと思うんです・・・


これも以前に書きましたが
信仰って、その人のアイデンティティを形成する重要なファクターだと思っております。
一人ひとりのアイデンティティと、その人のなかにあるキリスト教とが混ざり合って、その人だけの信仰が形成されるのだと。

たとえるならそれは絵具と同じようなものだと思います。
基本、同じ色のキリスト教も
その人それぞれのアイデンティティとして持ち合わせている色と混ざることによって、結果その色はそれぞれ微妙に違った色になるという感じ。
まったく同じ色になることなんて、まず無いと言っていい。

つまりこれが信仰のパーソナリティである、と。

だとするなら
その人の色はその人だけのものであって、それを周りがとやかく言う筋合いではないのだ、と。


「仮にその人の信仰に根本的な間違いがあったらどうするんだ?」

各教会に牧師先生や神父様がいらっしゃるのは、そのためなんですよね。
信徒それぞれの信仰を出来るだけ尊重しつつ
そこに看過できない間違いや誤解があれば、それを丁寧に指導してくださるのが司牧者の大切な役割なのだと思います・・・


とにかく
「認めること」「尊重すること」ではないでしょうか。
私はそれこそが「エキュメニカル」の基本理念だと思っているんです。



「じゃオマエの信仰は正しいのか?」

・・・まったく分かりません(汗)

ただ有難いことに、私はいろんな司牧者の方とお話させていただく機会に恵まれております m(_ _)m
少なくとも
そういった機会にお話しいただく内容から学ばせていただいてはいるつもり、です。

その学びが実を結んでいるかどうかは別として(笑汗)

・・・そこがいちばんの問題だろうが!
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by dscorp-japan | 2013-05-26 00:00 | キリスト教 | Comments(0)

『 Liar 』 中森明菜

 
出たァ~!
久々の明菜ちゃん ♡

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まァ~私なんかの世代ですと
「聖子ちゃん派」と「明菜ちゃん派」に分かれたもんなんです。
因みに私の場合、完全な明菜ちゃん派 ♪
どっちが良いかというより、これは完全な好みの問題です。

明菜ちゃんがデビューしたときって
最初っから凄い人気があったというわけでもなかったと思うんです。
デビュー曲 『 スローモーション 』 は紛れもない名曲だと思っておりますが
私の記憶では、その次にリリースされた 『 少女A 』で、一気に人気が出たと記憶しております。

・・・因みに私はデビュー当初から大好きでしたけどネ ♪

聖子ちゃんのレコードを買うのって、ちょっと躊躇したような気がします。
「ドストレートなアイドルのレコードを買う」という行為が、思春期の私にはちょっと恥ずかしかった(笑)
もちろん聖子ちゃんには何の罪もありませんし
聖子ちゃんの楽曲にもまた素晴らしいものがたくさんあります。
でも明菜ちゃんのレコードを買うことに躊躇はなかった(→過去記事写真参照)
そりゃ~デビュー当時は明菜ちゃんもまた新人アイドルのひとりとして称されたわけですけれど
楽曲のレベルが、他のアイドルの皆さんとは一線を画していたかと。


で、この曲。
すでに当時 『 ミ・アモーレ 』 や 『 DESIRE 』 で彼女の歌唱力は折り紙つきという評価が確立されていました。
しかし彼女はそこだけに留まらず
20代の半ばにして、歌に情念を込めるという離れ業をやってのけたわけです。
「アイドル」から「歌手」になり
さらには「アーティスト」「ヴォーカリスト」になったと。
これをして『歌姫』と呼ばれる所以であります。




・・・彼女、ただ歌っているだけって感じじゃないですよね。
何というか
我が身を削って、歌に魂を込めている感じがします。
「それを歌手というのだ」と言うのなら
果たしてこれまで、どれだけの “ 本物の ” 歌手がいたことでしょう・・・?


現在、ご本人は一線を退かれていらっしゃるようです。
もちろんお元気になられて
叶うことならもう一度、表舞台に出て来られることが熱望されています。

・・・でも
彼女はすでに伝説になったのです。

個人的には
伝説は伝説のまま、孤高の存在で有り続けて欲しいという思いもあるのです・・・
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by dscorp-japan | 2013-05-24 00:00 | 音楽 | Comments(6)

『モンスター』 百田尚樹

 
本作もまた映画化されたとのことで・・・(映画公式サイト


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幻冬舎文庫 (¥724+税)


田舎町で瀟洒なレストランを経営する絶世の美女・未帆。
彼女の顔はかつて畸形的なまでに醜かった。
周囲からはバケモノ扱いされる悲惨な日々。
思い悩んだ末にある事件を起こし、町を追われた未帆は、整形手術に目覚め
莫大な金額をかけ完璧な美人に変身を遂げる。
そのとき亡霊のように蘇ってきたのは、ひとりの男への狂おしいまでの情念だった―。
(文庫本背表紙説明より)



永遠の0』『風の中のマリア』などで有名な百田さんの作品です。

まずはとにかく
女性の「容姿」「美容整形」というテーマを、男性作家である百田さんが取り上げたということに驚きました。

誤解を恐れずに申しますなら
女性の容姿について男性が語ることって、かなり躊躇するところではないでしょうか。
「美しい」とか「可愛い」という、プラス評価は(一般的に)良しとされるけれど
「醜い」だの「ブス」だのといった単語を口にしようものなら、大バッシングの標的になるのは間違いないところでしょう。
ましてや
世の女性の皆さんが自らの美を追求すべく行う美容整形手術について男性が口を出すなど、もっての外、といったところではないでしょうか。
・・・もしかして、こうした私の見解にさえ問題があると言われてしまうのかもしれません。
いずれにせよ
男性側にとって、ある意味アンタッチャブルな要因を含むであろうこのテーマに、百田さんは真正面から向き合って本作を執筆されていらっしゃいます。

本作をお読みいただければお分かり頂けると思います。
だからこそ百田さんは
美容整形について、おそらく相当綿密な取材をされたことが伺い知れます。
美容整形の実態。
そしてそれを希望する女性の皆さんの切なる思い。
それら、私を含めた多くの世の男性の知らない(というよりも興味を示さない)テーマを
百田さんはかなり丁寧に取材された上で、主人公の立場に立った物語を書かれたと思います。


本作を読んで
いろいろと考えさせられるものがありました。
正直私も
「美容整形手術」というものに対して、少々懐疑的な思いがありました。
よく言われるところの
「親からもらった身体なんだから」という考え方です。
今でもそれはそれで間違った考え方ではないと思ってはおります。
ただその「親からもらった身体(=容姿)」によって
「社会生活を送る上で看過できない害を被ることがあるのだ」という哀しい事実を提示されると・・・
つまり、美しくなるための「整形」というよりも
人並みの社会生活を得るための「整形」という選択が、たしかにあるのだということ。

・・・はたして
題名の『モンスター』は主人公の未帆を指すのか。
それとも、醜かった頃の未帆を「バケモノ」呼ばわりしてきた、周りの人間を指すのか。

私自身がモンスターだったことはなかったのか・・・


本作の結末にはここでは触れません。
この結末をハッピーエンドととるのか否かは、読者それぞれの判断だと思います。
大切なことは
未帆自身にとって、そこに救いがあったのかどうか、ということなのではないかと思いました。


・・・私の感想としては
作者・百田さんの「未帆」という人間に対する深い愛情があったものと思っております。







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by dscorp-japan | 2013-05-23 00:23 | | Comments(0)

鋭意試行錯誤中~(笑汗)

 
お葬式規模の縮小傾向って
もう今から約10年ちょっと前あたりから進んできていると思うんですよ。
つまりウチの会社に照らし合わせた場合、ちょうど起業した頃ですね。


あの当時は
「家族葬」というお葬式のカタチに対する解釈が、今よりも明確だったように思います。
少なくとも、ここ名古屋界隈のお葬式に対する解釈においては。
つまり
「家族・親族(姻族を含む)のみが参列するお葬式」を家族葬と呼称したものでした。
仮に、たとえ数名であっても家族や親族以外の人間が参列するお葬式の場合
これは「家族葬」ではなくて「小規模葬」である、という解釈だったはずなんです。
ところがお葬式に対する皆様の関心が高まるなか
いつしか「家族葬」というキーワードは、自らその言葉の意味をより広義なものにしながら浸透していったようなんですね。

今となっては
「少人数のお葬式=家族葬」
「ご近所にだけ知らせるお葬式=家族葬」
「会社関係の代表者だけお招きするお葬式=家族葬」
・・・とにかく、参列される人数が少なければ(或いは “ 多くなければ ” )これすべて「家族葬」である、と。

言葉もまた生き物です。
時代や社会情勢に即して、その言葉が意味を変えていくことは仕方ないことです。
ただ
「家族葬だから」という一言が、様々な意味でのエクスキューズになっていることもたしか、なんですよね・・・(汗)

            ♢

で、これをキリスト教葬儀に当てはめてみた場合にどうなるのか。

以前にもここで申し上げたかと思いますが
いわゆる当初の解釈としての家族葬を、キリスト教葬儀で行うことはなかなか困難なんです。

典礼としてのお葬式の性格上
賛美歌(聖歌)を奏でるオルガニスト(ピアニスト)が実質的に必要となります。
賛美歌(聖歌)を歌う賛美歌隊(聖歌隊)も要るでしょう。
典礼を補佐する為の役割を担った信徒が必要な場合もあります。
・・・すると
「家族・親族のみの参列」という枠組みに収まらなくなってくるんですね。

実態としても
教会で行われる「家族葬」の多くは、家族親族の他にその教会に所属される信徒の方が参列されるケースが多いわけです。
もちろん
教会サイドの承諾を得たうえで、完全に家族親族のみが参列するお葬式というのもありますが。

こうした実情を踏まえて
現在ウチの会社では「より教会の実情に合った家族葬のための提案」について考察中であります。
つまり
「家族親族と、教会所属の信徒方々のみが参列されるお葬式」に対するご提案を考えてみましょうというわけなんですね・・・

            ♢

この十年間、ウチの会社は一切の価格改定を行わずにやって参りました。
これはひとえに私自身の信念というか拘りでもあったのですが
やはり、お客様の考え方や傾向に対応したご提案を考える必要があるのだろうな、と。

ということで
只今、無い脳ミソをフル稼働しながら鋭意試行錯誤の真っ最中でございます~ m(_ _)m
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by dscorp-japan | 2013-05-22 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

映画 『 鍵泥棒のメソッド 』

 
久々に面白い映画でした~ ♪

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映画『アフタースクール』で大いに楽しませてくれた内田けんじ監督作品。
ご存知の方も多いかと思いますが
『アフタースクール』も本作も、内田監督ご自身によるオリジナル脚本の書き下ろしです。

・・・昨今の映画って
洋邦問わず、原作小説や原作マンガを映像化したものが少なくありませんよね。
それがいけないというわけでは決してありませんが
やっぱり、映画のために書き下ろされたオリジナル脚本を元にした作品であるというところに、映画の醍醐味があるような気がします。
そういう点で、内田監督の作品ってどれも非常に面白いと思うんですよ ♪
映画化を前提として、しかも監督ご自身が脚本を書かれるわけですから
映像化されたときの効果なんかが綿密に計算されているのでしょうね。

売れない役者の桜井(堺雅人さん)。
人生に絶望し自殺を試みるけれど、死にきれずに終わります。
何となく立ち寄った銭湯で、同じく銭湯に入ってきた強面の男・コンドウ(香川照之さん)が足を滑らせて転倒し、意識を失います。
それを見た桜井は、思わずコンドウの手から落ちたロッカーの鍵を自分のそれとすり替え、コンドウの所持品やお金、クルマまでも盗んでしまいます。
病院のベッドで意識を取り戻したコンドウは、記憶喪失になっていました。
失神時の所持品(実際は桜井のそれ)から
コンドウは自分のことを「売れない役者の桜井」であると認識し、失った記憶を取り戻すために調査をはじめます。
一方、コンドウになりすます桜井のもとに、裏社会の組織から人殺しの依頼が舞い込みます。
コンドウは、裏社会では「伝説の殺し屋」として名が通っていたのでした。
止む無く仕事の依頼を引き受けてしまう桜井。
売れない役者から脱却すべく、日々努力を惜しまないコンドウ。
そんなコンドウを、ひょんなことから知り合った女性編集長の香苗(広末涼子さん)がバックアップします。
香苗は、ひたむきなコンドウの生き方に共鳴し、コンドウに好意を寄せ始めます。
そして三人の数奇な運命は、やがて彼らをひきあわせます・・・


・・・まずはとにかく、物語そのものが面白かった ♪
脚本が秀逸なものであれば、その映画は必然的に面白くなるものですよね。
基本的にはコミカルな雰囲気でお話が進みますが
まったく飽きることなく、娯楽映画として十二分に楽しめます。
そしてこの面白い脚本に出てくる役柄を演じられる俳優陣がまた素晴らしいです。
大好きな堺さん&香川さんがお上手なことは織り込み済みとしても
広末さんの演じる不思議な存在感とか、なかなか見ごたえがありました。

そしてもうひとつ。
この映画の重要なキーワード、というかキーとなる “ 音 ” があります。
これこそが、映画ならではの面白さを引き立てる重要なファクターとなります ♪
もしかすると内田監督は本作の脚本を執筆される際
この “ 音 ” をどのように使うかというテーマを持って考えられたのかもしれません。
この音が何であるかは是非映画をご覧いただきたいと思います ♪

・・・何かネ
本作ってコメディタッチのサスペンスでありながら、一方で素敵な恋愛映画でもあると思うんですよ。
そういう面白さも兼ね備えた、私的には久々に面白い映画だったと思います!
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by dscorp-japan | 2013-05-21 20:49 | 映画・テレビ | Comments(0)

キリスト教信者でない方のキリスト教葬儀

 
先ほどCCFIの方へメールでのお問い合わせがありました。

ご質問の大まかな内容は
「自分はキリスト教の洗礼を受けてはいないが
自分自身が亡くなったときにはキリスト教のお葬式を挙げたいのだが」
といったものでした。

さて。
結論から申しますと
「(ご葬儀の)ご依頼をお考えの教会へお尋ね下さい」という回答になります。
それも可能であれば事前に、です。

このようなお仕事をさせていただいておりますが
日本全国すべてのキリスト教会に精通しているわけではありません。
それぞれの教会にはそれぞれのご事情などがあったりして
たとえば、教会施設として物理的にお葬式を受け入れることが困難な教会というのもあるかもしれません。


しかし。

これは私見ですが
私はキリスト教の洗礼を受けた信徒はもちろんのこと
以前に洗礼を受けたが普段は教会から離れている方であれ
キリスト教の洗礼自体を受けていないという方であれ
キリスト教会はそうした方々のご葬儀のご依頼があれば、極力前向きに取り組んでほしいと考えております。

もちろん
何故キリスト教葬儀を希望するのか、という論点はあるかもしれません。
たとえば「一般的な仏式葬儀よりも葬儀代が安く済みそうだから」という考え。
・・・これは一概には言えないと思います(笑汗)
少なくとも教会でお葬式をされれば、葬儀社の用意するいわゆる「祭壇」は不要ではありましょう。
しかし参列される方の人数や用意されるお品物などによって、その総額は大きく変動します。
昨今よく言われるところの
「家族葬は一般的なお葬式よりも安く済む」という勘違いと同じことですね。
単純に「安く済ませたいから」というだけの理由でキリスト教葬儀を選択されると、場合によっては希望通りにならないこともあります。

しかし
純粋にキリスト教葬儀を「良い」とお考えの方がいらっしゃったとしたら・・・
たとえば
「教会の荘厳な雰囲気が素敵だから」とか
「洋花で飾られた式場が美しかったから」とか
「式中に歌われる賛美歌(聖歌)が希望に満ち溢れたものだったから」とか
そういう理由であったとしても、教会はそうした方々の声に耳を傾けて欲しいなぁと思うものです。

そしてもうひとつ。
これはすでにここで何度も申しております。
お葬式は、その宗教の教えを宣べ伝える「宣教」「布教」のための大きな機会となり得るということです。
これもいつも申しておりますことですが
キリスト教のお葬式は、本当に素晴らしいものです。
これは私自身がクリスチャンだからという贔屓目などではなくて
キリスト教葬儀に触れた多くの方々からお聞きする言葉でもあるのです。
もっといえば、葬儀屋さんたちのなかにもキリスト教葬儀の “ ファン ” がいたりするんですよ(笑)

そんな素晴らしいキリスト教の教えを
亡くなられた方をお送りするお葬式を通して宣べ伝えていくことの尊さを、私はよく知っているつもりです。


「クリスチャンじゃないがキリスト教(のお葬式)に興味がある」という方へ。

“ 叩けよ、さらば開かれん ” ですよ ♪

これは新約聖書『マタイによる福音書』の7章7~8節の言葉です。

 求めなさい。
 そうすれば、与えられる。
 探しなさい。
 そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。
 そうすれば、開かれる。
 だれでも、求める者は受け
 探す者は見つけ
 門をたたく者には開かれる。

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by dscorp-japan | 2013-05-20 23:56 | 葬儀 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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