D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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カテゴリ:キリスト教( 207 )

ファティマの聖母出現・100周年

 
陰謀論や都市伝説系のお話が大好きな私でありますが
ことファティマにおける聖母出現の話については、個人的に真摯にとらえたいと考えるものであります。


ちょうど100年前、1917年の今日は
ポルトガルの小さな町・ファティマにおいて「三人の牧童の前にはじめて聖母マリアが出現された」といわれる日であります。
今日、ヴァチカンはこの聖母出現を公に認めているとされ
毎年の5月13日は『ファティマの聖母』の記念日と定められております。
そして今日
今は巡礼地となっているファティマにおいて、三人の牧童のうちの二人であるフランシスコとヤシンタ(ジャシンタ)の列聖式が、教皇フランシスコによって行われるとのことです。



ファティマの聖母出現に関する詳細は
恐れ入りますが、皆様それぞれでネットなどでお調べください。
そのうえで何が真実で何が偽りの情報なのか、各自でご判断いただければと思います。
何故なら、私などが「実はこういうことなのですよ」などと申し上げたところで、それを信じるか否か、或いはその真偽を判断するのは皆様個々人に委ねられるべきだと思うからです。



・・・私のスタンスは以下の通りです。

個人的に、聖母マリアの存在はもちろん信じております。
そして、ファティマの聖母出現も信じております。
そこでマリア様が語ったとされるメッセージ(敢えて『予言』という表現は差し控えさせていただきます)についても、私なりに真摯に受け止めたいと考えます。

何故信じるのか。
聖母マリアによる具体的なメッセージの真偽を議論する前に
私はただ「祈りなさい」「回心しなさい」「罪を遠ざけなさい」といった、カトリック信徒にとって最も基本的な啓示に、真理を感じるからであります。
聖母マリアのメッセージについて
巷では「○○年に世界が滅びる」などといった推測が後を絶ちません。
(一説には、その日はまさに「今日」であるという説もあります)
しかし私は
世の終わりがいつであるかを論じる前に
聖母マリアのメッセージは、常に「今」の自分に向けられたものであると理解したうえで、ただ謙虚に受け止めたいと考えます。

『祈りと犠牲』。

とは申しましても
きっと私は、今日も明日も明後日も
変わらず罪を犯し続けることでしょう。
「犠牲を払え」といわれても
意志の弱い私は、これからも楽な道を選び続けることでしょう。

ならばせめて
ファティマの聖母が勧められた「ロザリオの祈り」を唱えることだけでも続けたいと思います。


最後に
『ファティマの祈り』を記します。

(私が学生時代に覚えたのが、以下のような文語体の祈りです)

ああ我がイエズスよ、我らの罪を赦し給え。
我らを地獄の火より護り給え。
また煉獄のすべての霊魂、ことに主の御慈悲を最も必要とする霊魂をして天国へ至らしめ給え。


(以下、今日の一般的な口語体の祈りです)

主イエス・キリスト
わたしたちの罪をゆるしてください。
私たちを滅びから救い、全ての人々、
ことにおんあわれみをもっとも必要としている人々を
天国に導いてください。







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by dscorp-japan | 2017-05-13 00:00 | キリスト教 | Comments(4)

『 よろしくお願いします 』

 
・・・個人的に常々思っているんです。

自分の為、或いは誰かの為に祈るとき
その祈りには必ずエゴみたいなものが、ほんの少しであれ含まれてしまうような気がしているんですね、少なくとも私の場合は。
「祈り」というか「お願い」ですよね。
私たちが祈るときって、その本意は大体が「お願い」だったりするじゃないですか。

しかし
私の理解するところのキリスト教におけるお祈りって、最終的には「主に任せる」「主に委ねる」ということらしいわけです。


・・・祈りのための指針と思われるエピソードが聖書にあります。

いわゆる受胎告知の場面で
大天使ガブリエルから告げられたことに対して、マリアはこう答えます。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
(ルカによる福音 1-37)


そして
受難を受ける直前のイエスがゲッセマネの園で祈った言葉。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
(マルコによる福音 14-36)


キリスト教では
“ 私たちの祈り(というか願い)が 神様の御心に適うものであれば どうかそれが実際に行われますように ” という
表現が正しいかどうか分かりませんが “ 条件付き ” みたいな感じなわけです。


・・・個人的には
(ンなケチ臭いこと言わずに、とにかくお願い聞いてちょ!)
って思っちゃうわけなんですけど (^^ゞ

その一方で
(叶えて欲しいなら、神様に対して謙虚な姿勢を見せとかないとイカンのかな?)
とか思ったりもするわけです・・・


・・・で、タイトルの言葉になるわけです。

私が祈る(というかお願いする)とき
いつもこういう表現を使うようにしているんです。

「〇〇のこと、ひとつよろしくお願いします」

・・・個人的に、結構便利な表現だと思ってるんですよね (^^ゞ


皆さんにはご経験はありませんか?
(せっかく必死こいて祈り倒したのに
神様の野郎、オレの祈りをスルーしやがった!)とか思ったこと。

・・・まァ実際はスルーされたわけじゃなくて
聞いちゃくれてるんだけど、神様の御心とは違ってたってことらしいんですけど。

経験則で申しますと
具体的なお願いを必死こいて祈って、こっちの思いが叶わなかったりするとガッカリするじゃないですか。
だから最近は
もうね、具体的なお願いはそこそこにしておいて、最終的には(くれぐれもひとつよろしく!)みたいな感じで祈るようにしてます。
もちろんそこは必死に祈りますよ。
(マジで頼むから!)
(こんだけ祈ってるんだからちゃんと聞いてよ!)
みたいな。

それで叶えてくれなかったら
(あっそ!)で終わらせる(それでも時々ムカつくけど)。

            ♢

・・・今
個人的に、結構真剣に祈っていることがあります。
これは私自身の為の祈りじゃありません。
このところ、散々祈り倒しているので
さすがにウチの神様も無視はできないはずです。

『 よろしくお願いします 』






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by dscorp-japan | 2017-04-23 14:31 | キリスト教 | Comments(4)

ハッピー・イースター ♪

 
・・・何とか今年も
復活祭(イースター)を迎えることが出来ました。

再三申しておりますように
今年の四旬節は、個人的に少々ヘヴィーな時間でした。
お世話になっている教会の先輩が少々重篤な病に倒れられたり
大切な友人がかなり厳しい状況にあったりと
能天気な我が身は差し置いても、いろいろと思い悩む時間が少なくありませんでした。

・・・でも、思い煩ううちに迎えたこの日
その友人のところへ顔を出したら、とても元気な笑顔で迎えてくれました。
そして先ほど、所属教会の復活徹夜祭に行ったら
病に伏せっていた教会の先輩が、元気なお姿で教会に来られました。

ほんの小さなことかもしれないけれど
私には大きな慰めであり、お恵みでした ♪
「奇跡」などという大袈裟な表現は控えますが
それでもこの日、私にはたしかに「恵み」が贈られたと思っております。


・・・つくづく思います。
生かされていることに「感謝」。
イヤなこと、辛いことばかりかもしれないけれど
たまに訪れる「小さな福音」に、心から感謝したいと思います。


皆様
主のご復活、おめでとうございます。
こういう表現が正しいか分かりませんが
イエス様のご復活にあやかって、皆様の上に素敵な奇跡が沢山ありますように!






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by dscorp-japan | 2017-04-16 00:58 | キリスト教 | Comments(4)

今年の聖週間

 
「今宵の斬鉄剣は一味違うぞ!」
とつぶやいたのは、ルパン三世の盟友である石川五エ門だったわけですが・・・

少なくとも私にとって
今年の聖週間は、例年とは違った意味でいろいろと考えさせられる時間のようです。

私はここで政治とか世界情勢のお話とか、あまりしたくないのですが
・・・何と申しますか「地に足がつかない」というか
様々な国の人々が、政治が、政策が、なんとも落ち着きの感じられないような様相が感じられてなりません。

人を思いやり
お互いを認め合う。

簡単なことじゃないのかもしれないけれど
「自己の利益のためなら何をしてもいい」というような風潮が、あまりにも強すぎるんじゃないかと思われてなりません。

個人的には
「愛」などという言葉はくすぐったいので苦手です。
そこはイエス様にお任せしときます。
でも
私たち人間が皆お互いを、自分と全き同じ人間として尊重すること
つまり「人間の尊厳」を、今一度一人ひとりが思い起こすべきではないかと思うものです。


そしてもうひとつ。
今、大きな苦しみと不安のなかにある、私の大切な友人のために
私はこの聖週間を通して、私なりに祈りたいと思います。
私のような腐り切った人間の祈りでも
ウチの神様は必ず耳を傾けて下さるに違いない、と信じて祈るのみであります。

イエス様の死と復活の先にある大きな救いと希望を信じたい。
特に今年の聖週間、切に思うのであります。






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by dscorp-japan | 2017-04-13 14:15 | キリスト教 | Comments(2)

あらためてマルティン・ルターの名言を思う

 
ルターによる、その言葉とは
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」
であります。


・・・実は私
現在、ある大切な友人のことを案じております。
彼のことを「友人」と呼ぶのは少々おこがましいのですが
彼は私をひとりの「友人」としてお付き合いして下さっています。

その友人に関する詳細をここで記すことを、今は控えます。
ただ
いま彼の身の上に起こっていることを、私はひとりの「友人」として、大いに案じているところであります。
彼は私にとって、とても大切な存在です。
彼の苦しみや痛みの、ほんのひとかけらでもいいから私が背負ってあげたいと思います。

一方で
相変わらずお葬式のお仕事が忙しいのですが
もちろん(心、ここに非ず)ということではないんですけれど、いつも頭の片隅に彼のことがあります。
だから
半分は忙しさにかまけて、あとの半分は彼のことに思いを馳せて
この下らないブログの記事更新に気が回っていない状態であります。


・・・で、ルターの言葉です。

大切な友人がへヴィな状態にある今
はたして私に何ができるだろう、と考えます。

「祈る」
もちろんします。しています。
でも
じゃ、他に何ができましょう。

・・・そうなんです。
「今日私はリンゴの木を植える」ことくらいしか出来ないのです。

結局のところ
私にとっての「リンゴの木を植える」ことといえば
大切な人のために祈ることと、ご依頼いただいたお葬式を一生懸命にお手伝いすること。
(そういうことなんだろう)と、勝手に解釈して
今目の前にある、やるべきことをやるしかないんだろうな、と・・・。







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by dscorp-japan | 2017-04-08 14:29 | キリスト教 | Comments(4)

今日は『聖ディスマス』の祝日

 
カトリック教会には
一年中毎日、聖人の誰かの祝日と定められています。
たとえば
私の洗礼名である『聖ペトロ』の祝日は6月29日です(聖パウロも同日)。


今日、3月25日は『聖ディスマス』の祝日です。

・・・聖ディスマス(デュスマス:Dysmas)。

ウチの会社名『ディーズ(D's)』の由来である聖人です。
たびたびですが
聖書の箇所を引用します。

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(ルカによる福音書 23章39~43節『新約聖書・新共同訳』より)


・・・この、自分のことを思い出して下さいと言ったのがディスマスです。
この名前は仮の名前であり、本名は分かっていないそうです。

私はキリスト教の葬儀屋さんとして
このディスマスの信仰に、私たちに死が訪れた際の救いと希望があるのではないかと信じているので、この聖人の名前を会社名にしたわけです。
(頭文字を社名にせよとアドバイスしてくれたのは、畏友:西経一神父様でした)


そんなわけで
今日3月25日は、ウチの会社にとって特別な意味を持つ日なのであります。

キリスト教葬儀屋さんとして
私たちがお手伝いさせていただくすべての死者のうえに、ディスマスの信仰の救いと希望がありますようにと祈る日、なのであります・・・







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by dscorp-japan | 2017-03-25 00:00 | キリスト教 | Comments(7)

恥知らずな信仰で良い

 
三たびの、映画『 沈黙 』に関する記事でございます m(_ _)m


前回の記事で
映画『 沈黙 』の重要な登場人物であるキチジローの信仰心について、私は “ 恥知らずな ” という表現をしました。
念のための補足ですが
具体的には、キチジローによる周りの人間への裏切り行為やキリスト教信仰を否定する行為(踏み絵を踏む・十字架に唾を吐く)と、その後に寄りすがるイエスによる救済 ≒ 告解 (赦しの秘跡))を求めるのを繰り返す様を “ 恥知らずな信仰心 ” と表現したわけです。
この世における人間社会の常識から考えたとき
キチジローが繰り返す「 裏切り ⇆ 回心」のループは、間違いなく恥知らずな行為のはずです。
或いは厳格なクリスチャンからみてもそうなのかもしれません。

そのような理解の上で
私は、キチジローの “ 恥知らずな ” 信仰こそが罪深い私たちにとっての「佳き模範」として捉えられていいのではないか、と申し上げたかったのです。

            ♢

すでに何度かここでも触れさせていただいております。
ウチの会社の名前は『 ディーズ(D's)』です。
この意味は
イエスが十字架に架けられたときの両脇に、同じように十字架に架けられた二人の罪人のうちのひとりから取っております。


十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。
しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(ルカによる福音書 23章39~43節『新約聖書・新共同訳』より)


ここに登場する、イエスに「わたしを思い出してください」と言った罪人を
多くのキリスト教会では「佳き罪人」或いは「右側の罪人」などと呼びます。
聖書自体には彼の名前がありません。
しかし外典を調べますと、そこには『Dysmas(デュスマス・ディスマス)』という名前(実際には俗称らしいのですが)が記されております。
彼の頭文字からとった『D's』とは
デュスマスの信仰心(Dysmas's Faith)こそが、罪人である私たちが死に葬られたときの救いとなるに違いないと考え、私たちの考える葬儀を執り行う会社の名前に相応しいと決めたのでした。

            ♢

たとえば私自身のことで申しますと
私は何回も、それこそ何百回も何千回も、同じ罪を犯し続けてきております。
それが罪であると知りつつ
確信犯的に犯し続けている罪もあります。
そしてそのたびに
しれッとしたツラをして告解部屋に向かいます( “恥知らず ” にも!)。
毎回のように同じ罪を告白します。
告解部屋のなかで罪の告白をしながら
(どうせオレ、またやるし)と思いながら、です。

「それじゃ意味が無いじゃないか」

そうかもしれません。
でも
それでも私は繰り返すんです。
「 罪を犯す ⇆ 赦しの秘跡 」の無限ループを。

罪を告白するとき
(どうせオレ、またやるし)とは思ってますけれど
それでも「ごめんなさい」の気持ちだけはあるんですよ。
つまり
(何度言われても直そうとしないガキみたいなオレだけど
だけど「悪い」とは思ってるんです。
だから赦して下さいな)
ということです。


・・・“ 恥知らずな ” キチジローと私、どこが違うのでしょう?

・・・いや
キチジローは最後までその “ 恥知らずな ” 信仰を貫きました。
私は、それを貫き通すことすら出来ないかもしれないのです・・・

            ♢

私見で申しますと
この世における人間の価値は、死ぬ瞬間にこそ決まるのだと思います。
逆に申しますなら
死ぬ瞬間まで、自分を正すチャンスがあるということです。

どれだけ罪を犯していても
それが何百回も何千回も繰り返されたものでも
それが確信犯的に重ねられた罪だったとしても
死ぬ直前に、心から「ごめんなさい」「私を憐れんで下さい」と神に依りすがることが出来れば、それで良いんじゃないかと。

それがデュスマスの信仰であり
キチジローの信仰なのではないかと考えるのです。





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by dscorp-japan | 2017-01-30 00:00 | キリスト教 | Comments(10)

『新成人を祝う新年の集い』

 
一昨日(土曜日)からの雪対策で
私はスタッドレスタイヤにチェーンを巻いて、万全の体制を整えていたのですが・・・

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真夜中に装着しておいたのだ


昨日(日曜日)の午後にはほぼ道路の凍結も溶けて
結果的にチェーンの威力を発揮する場面はありませんでした (^^ゞ
まァでも
使わずに済むのであれば、それに越したことは無いのであります。
お葬式のご依頼もありませんでしたし。

            ♢

さて。
昨日は午後二時からカトリック布池教会において
タイトルにある通り、司教ミサと新成人祝賀パーティーが行われたのでした。
もちろん、新成人を祝うことがメインなのですが
一方で、カトリック名古屋教区としての「新年会」みたいな側面もあったりします。
ですから布池教会に限らず
カトリック名古屋教区を構成する各小教区(それぞれの教会)の皆様もお集まりになって、親交を深める場でもある、ということです。

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祝いの日に相応しく、雪は止んでドピーカンに ♪


・・・晴れたとはいえ、これはあくまでも名古屋の話。
やはり岐阜県以北の各教会の皆様は、さすがにお越し下さるのは少々難しかったようです。
例年以上に参加者の人数は少なかったですね。

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松浦司教様司式のミサが行われ
その中で新成人の皆様の祝福式があり
ミサ後には聖堂地下にあるホールでパーティーでした。
パーティーでは
すでに恒例化しつつある(?)松浦司教様を含めたご兄弟のバンド『ビート・ルーズ(お分かりの通り『ビートルズ』をもじってます)による演奏 ♪
曲目ももちろんビートルズ。
(写真撮るの忘れました (^^ゞ)


・・・というわけで
公私ともに、昨日で “ おとそ気分 ” も終了です。
今日からまたお仕事に(それなりに)勤しむ所存でございます。

寒い日が続きます。
どうぞ皆様、お風邪など召されませぬようご自愛くださいませ m(_ _)m





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by dscorp-japan | 2017-01-16 00:00 | キリスト教 | Comments(2)

主の御降誕をお祝い申し上げます

 
さきほどのカトリック布池教会の様子です。

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参列者が聖堂内に入りきれず
寒いけれど、門は開放せざるを得ませんでした ^^;

・・・じつはこの写真のわずか数時間前
私は葬儀屋さんとして、ここでお葬式のお手伝いをさせていただいていたのでした (^^ゞ
・・・教会とは、そういう場所なのだということですね。

            ♢

ところで。
これは一般にはあまり知られていないことなのですが
多くのキリスト教徒は、いわゆるクリスマス・イヴの夕刻(日没後)には
「クリスマス、おめでとうございます」
と挨拶を交わしたりします。

(まだクリスマス・イヴでしょ?
イエス様の誕生日って12月25日のはずじゃなかった?)


・・・教会暦では、日没をもって日付が変わるんです。
日没から翌日の日没までが「一日」なんですね。
つまり
一般でいうところの12月24日は、その日の日没をもって「翌日」になるんですね。
だから12月24日の日没後は
教会暦で申しますとすでに12月25日、つまり「クリスマス」なのだということです。


・・・閑話休題。

この拙いブログをご拝読いただいている皆様の上に
幼子イエス様の恵みがありますように。

神様。
あなたに救いと慰めを求めるすべての方々の祈りに、どうか耳を傾けて下さい。
特に今日
救い主イエスの生誕を記念し賛美するこの日
世界中すべての人のうえに
あなたの特別な計らいによる、心と身体の平和をお与えください。

苦難や悲嘆のなかにある方々
病に侵され病気と闘っていらっしゃる方々
さらに闘病のなかにある大切な方を看病されていらっしゃる方々のうえに
慈しみと慰めが豊かに与えられますように。






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by dscorp-japan | 2016-12-25 00:00 | キリスト教 | Comments(4)

ロウソクの再利用

 
一般的に
プロテスタント諸教会では使用しませんが
日本聖公会やカトリック教会のお葬式の場合、ロウソクを使用します。
そしてそのロウソクですが
『復活のロウソク』や『ミサ祭壇用のロウソク』は教会が用意するのが一般的ですが
柩の周りに設置するロウソクなどは、葬儀屋さんが用意したりします。

ウチの場合ですと
日本聖公会やカトリック教会のお葬式の場合は、通夜に6本、葬儀に6本、あわせて合計12本のロウソクを用意します。
当然のことながら “ 使い回し ” みたいな真似はしませんので ^^;
使用済みのロウソクが余ってくるんですね。
たとえば
10件のカトリック葬儀があれば、120本ものロウソクが使用済みとなるわけです。

結構勿体ない・・・(><)


・・・では
その余ったロウソクはどうするのかと申しますと・・・

日頃からお世話になっている様々な教会に
使用済みのロウソクを回収していただいているんです。

・・・ミサなどで使用する祭壇用ロウソクを
使用済みロウソクの蝋を使って「作り直す」わけなんですね。
或いは
たとえば毎年訪れる『復活徹夜祭』では、参列者全員にロウソクが配られたりするのですが
そのためのロウソクの原料として再利用されるというわけです。


今週末から日曜にかけて、クリスマスです。
もしかすると
クリスマスの典礼で使用されるロウソクに、再利用のロウソクが使用されているかもしれませんよ、というお話でした・・・(^^ゞ






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by dscorp-japan | 2016-12-20 18:56 | キリスト教 | Comments(2)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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