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カテゴリ:キリスト教( 204 )

百歳の洗礼式

 
今日、お手伝いを終えたお葬式
お亡くなりになられたのは、御年104歳の女性の方でした。


元々ご本人はクリスチャンではなかったのですが
その方が幼少の頃(つまり約100年近く前)、当時お住まいだった(現在の)長崎県五島市
で、何があるでもなく教会に行っていらっしゃったそうです。
何もわからないまま、ただ「主の祈り」を唱えていらっしゃったそうです。
それでも
カトリックの洗礼は受けないまま名古屋の地に移り住み
ライフワークとして短歌を詠まれ、地域紙では短歌の選者としてその才を発揮されていらっしゃったということです。

時は移って今から四年前
ご本人が100歳を迎えたとき、ご本人が「カトリックの洗礼を受けたい」ということで、ご自宅に程近い教会で洗礼を受けられました。
私の手元に洗礼式の写真があるのですが
ご本人は車椅子に座りながらも、喜びにあふれた表情で写っていらっしゃいます。


・・・凄いなァと思うんです。

おそらく幼少の頃の思いを
約100年もの間ずっと、胸に秘め続けて
ご自身が100歳を迎えたときに受洗の意思を示されたのです。

そして
ご本人はそのときの思いを謳っていらっしゃいました。

『受洗して 清められたり 我が胸も』

『一日を 神につかへし 心豊か』

『神父様に 握手いただき 胸ふるえ』

『教会の 祭壇麗し 天国か』


これを受けて
洗礼を授けられた神父様が返歌されました。

『百歳で 神の子になり 目に涙』

『百歳を 生きてなおかつ 神求め』

『神様の 秘めた計らい 今気づき』

『人生は 神の国への 一里塚』


・・・ただただ
神様の計らいに思いを馳せる思いでした。





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by dscorp-japan | 2017-09-11 16:21 | キリスト教 | Comments(4)

ローマ教皇庁の掲げる指針について思う:追記

 
8月21日の記事について
私の永年の友人である牧政さんより、貴重なご指摘をいただきました。

結論から申しますと
昨年にローマ教皇庁が発表した、火葬・埋葬に関する指針を受けて
日本のカトリック司教団は、日本における葬送文化の実態を考慮して、本指針の『日本の教会への適応』について定めたのだそうです。

情報ソースのリンクを貼っておきますので、ご一読ください。

教皇庁教理省、死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針

教皇庁教理省『死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針』の
  日本の教会での適応について

上記にある通り
ローマ教皇庁の打ち出した指針について
日本のカトリック教会は、独自のガイドラインを設けたということです。



キリスト教専門の葬儀屋さんとして
先日の記事掲載は甚だ軽率でありました。
細かい裏付けも確認せずに記事掲載してしまい
無用なご心配をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。







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by dscorp-japan | 2017-08-26 23:02 | キリスト教 | Comments(4)

ローマ教皇庁の掲げる指針について思う

 
もう一年ほど前のニュースなのですが・・・

 → ローマ法王庁、火葬の新指針を発表 散骨や自宅保管は認めず

※ カトリック教会側の意向として
 「法王」ではなく「教皇」という表現を推奨しております。
  よってここでも「法王庁」ではなく「教皇庁」とします。


記事にあるように
教皇庁は「火葬後の遺灰(或いは遺骨)を海にまいたり自宅に置いたりしてはいけない」
と規定したというわけです。
他にも
「遺灰を親族の間で分ける(≒分骨)」
「遺品やジュエリーなどに入れるなどして保管する」
といったことも認めないとあります。

・・・う~ん。
特に火葬国である日本のカトリック信者にとっては、なかなかハードルの高いお話かとは思われますよね・・・
ただでさえ火葬が前提の国で
特に西日本エリアでは、遺骨の一部をお骨上げして、残りの遺骨は火葬場に任せるという「部分収骨」が一般的だったりします(もちろん事前に申し出れば、すべての遺骨をお骨上げすることは可能です)。


結局のところ
教皇庁の掲げる指針について、私たちはそこにある根源的な意味を理解する必要があるのではないかと思うんですね。
それはつまり
カトリック教会教義の根本にある「復活」という信仰です。


「信仰宣言(使徒信条)」という祈りの最後、私たちはこう唱えます。

「聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます」

カトリック教会では
たとえ亡くなった後においても、その亡骸(ご遺体)もまたその人の人格の一部として重んじます。
何故なら
「終わりの日に復活するとき、その人は肉体をともなって復活する」とされるからです。
ですから
カトリックのお葬式の典礼には「遺体への崇敬」という項目があるんですね。
ご遺体とは、或いは遺骨もまた、そういう存在なのだということです。


※ ここからは、あくまでも私個人の見解です。

では何故
「散骨」や「宇宙葬」や「自宅安置」や「分骨」や「ジュエリー加工」がいけないのかと考えたとき
それを行う当事者たち(特にご遺族)の思いに「死者への尊厳」という認識がしっかりと根付いているのかどうかという一点に集約されるということなのではないかと思うんです。
「何故そうするのか」という、その根拠が大切なのだと。

「火葬したあとの遺骨の処遇に困る」
「納骨が面倒だから自宅に置く」
であってはならないのだ、と。

ですからたとえば
「亡くなった、愛する人と離れ難い」という思いで遺骨を自宅に安置するのなら、その意味合いは変わってくるのではないかと。
「自宅の片隅に小さな祭壇を設けて、そこに遺骨を安置して、毎日その前で死者のために祈る」
それならば認められてもいいのではないかと思うところなんですが。

終わりの日、神様が私たちを復活させて下さるとき
「遺骨のすべてが一箇所に集まっていないと復活させられない」ということではないのではないかと思うんです。
ニュース記事にもこうありますよね。
神がその全能性において遺体に新たな生命を与える妨げにはならない」
ただ
亡くなった後もなお、その「身体」であるところの遺骨もまた「その人の人格の一部である」ことには変わりないのだという認識は忘れてはならないのだ、と。
たとえそれが、遺骨のほんのひとかけらであっても。


私は常々
「人間の尊厳」という言葉を強く意識します。
特にお葬式に携わるとき、その思いを強く持とうと心がけます。
当然この「人間の尊厳」は死者にも当てはまることであり
亡くなられた方のご遺体に対してもまた「死者の尊厳」が大切にされるべきだと。

そしてその「思い」こそが
終わりの日、神様の計らいに適うことなのではないかと思うのです。


※ 追記
 本記事を掲載後
 ある神父様より、記事内容に補足説明が必要だと指摘されました。
 あらためてその記事を掲載しておりますので
 こちらをご覧いただければと思います。






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by dscorp-japan | 2017-08-21 19:22 | キリスト教 | Comments(4)

平和旬間中の24時間聖体礼拝

 
先日の記事でも申しましたように
現在日本のカトリック教会では、8月6日~15日までの十日間を『日本カトリック平和旬間』と定めて、特に平和について考え、また祈ることが推奨されています。

これにあわせて
カトリック名古屋教区では、名古屋市東区にある『カトリック主税町教会』の記念聖堂において、24時間×10日間の聖体礼拝が行われております。
この期間の毎日
午前十時からは「平和を祈るロザリオの祈り」
午後三時からは「平和を祈る主のいつくしみの祈り」
午後七時からは「平和を祈るミサ」
が行われております。

そして現在
カトリック主税町教会・記念聖堂の祭壇に安置された「聖体顕示台」が、YouTubeでライブ・ストリーミングで配信されております。

午後七時からはミサが行われる様子も視られます。

→ https://www.youtube.com/watch?v=gI64RcpkZNo

ミサ祭壇の中央に安置されているのが聖体顕示台です。
たとえこの場所に行かれなくとも
一緒にミサに与る思いで祈ることが出来るということです。


よろしければ
祈りの助けとしてご覧いただければと思います。







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by dscorp-japan | 2017-08-11 17:50 | キリスト教 | Comments(2)

8月6日の『聖書と典礼』より

 
1981年、当時の教皇:ヨハネ・パウロⅡ世が来日されて以降
日本のカトリック教会は、毎年8月6日~15日までの10日間を『日本カトリック平和旬間』と定めて、特に平和について各自が考え、また祈ることを推奨しています。
つまり
今日からの10日間はそういう「時」であるということです。


先ほど
私の所属するカトリック布池教会の夕方のミサに与ってきました。
ミサというのは平日にも行われるのですが
特に主日(日曜日)のミサにあたっては『聖書と典礼』というリーフレットが用意され
ミサに与る信徒たちは、この『聖書と典礼』に掲載される聖書の箇所や祈祷文を用いて祈ります。

で、今週の『聖書と典礼』のコラムに
カトリック名古屋教区長:ミカエル松浦悟郎司教様の文章が掲載されていましたので、今日はこの文章を転載させていただきます。


今、選択のときー「日本カトリック平和旬間」

今、世界も日本も危機的状況の中にあります。自国中心主義が広がり、極右勢力の台頭による難民、移住者への排斥、また紛争やテロが頻発するなど、世界全体が暴力的になりつつあります。その背景には、想像を絶する富の格差(上位八人の大富豪と下位三重六億人の総資産が同じ)があり、またそこへ軍需産業の利権がからむなど、歯止めが効かなくなってきています。
残念ながら、日本はその流れのなかに組み込まれるというより、積極的にその傾向へと突き進んでいます。多くの人が「ぼんやり」させられているうちに、日本政府は平和憲法の精神無視して軍事力一辺倒の政策で突き進んでおり、市民への監視、情報コントロールを強力に進めてきています。国連特別報告者が「メディアの公平性や独立性」「プライバシーや表現の自由」について数次にわたって強い懸念を表明していることは記憶に新しいところです。
こうした現実の中、ヨハネ・パウロ二世の広島での平和メッセージが今、現実味を帯びてきています。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争への準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備が整うということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、ある時、どこかで、何らかの形で、誰かが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険をおかすということです」(広島『平和アピール』1981年2月25日)と。このメッセージから36年経ち、教皇フランシスコは世界が「散発的な世界大戦」(2017年「世界平和の日」メッセージ)に入っていると指摘しています。今、方向を変えないと世界は大変な状態になっていくことでしょう。
この現実の中に教会は派遣されています。私たちを派遣し、共に歩んでいるキリストはどこに向かって歩めと呼びかけているのでしょうか。その声を聴きつつ現実を直視し、流れに身を任せるのではなく、自覚し、決意し、平和を選び取っていきたいものです。個人として、教会として。



・・・皆様それぞれ、様々なお考えがおありのことでしょう。
それはそれでいいと思います。
大切なことは
私たち一人ひとりが真剣に「考えること」なのではないでしょうか。
この十日間、私も私なりに考えていきたいと思います。






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by dscorp-japan | 2017-08-05 23:23 | キリスト教 | Comments(4)

サルヴェ・レジナ

 
他のカトリック教区のことは存じあげませんが
カトリック名古屋教区においては、聖職者(司祭、修道士など)が帰天された際
そのお葬式(葬儀ミサ・告別式)の最後(ご出棺の直前)に、参列した司祭団が柩を囲んで『サルヴェ・レジナ』を歌います。

今月はじめにあったアントニサーミ・サガヤラージ神父様のご葬儀でも
今日行われたペトロ・七種照夫神父様のご葬儀でも歌われました。


『サルヴェ・レジナ(Salve Regina)』。
一般的な和訳では『元后あわれみの御母』となります。
分かりやすく申しますなら『聖母マリア』を指します。
どのような祈りなのかをご説明するには
その祈りの言葉をお読みいただいた方が早いかと思います。

(文語体の祈り)
元后、憐れみ深き御母、われらの命、慰め、および望みなるマリア、
われらちくたくの身なるエワの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、
この涙の谷に泣き叫びて、ひたすら仰ぎ望みたてまつる。
ああ、われらの代願者よ、
憐れみの御眼(おんまなこ)もてわれらを顧みたまえ。
またこのちくたくの終わらん後(のち)、
尊き御子(おんこ)イエズスをわれらに示したまえ。
寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア。


(口語体の祈り)

元后、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、
なげきながら、泣きながらも涙の谷にあなたを慕う。
われらのためにとりなすかた、あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエズスを、旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる 喜びのおとめマリア



これを
ご葬儀の際には、司祭団がラテン語で歌うんですね。

Salve Regína, Máter misericórdiæ,
Víta, dulcédo et spes nóstra, sálve.
Ad te clamámus éxsules fílii Hévæ.
Ad te suspirámus geméntes et fléntes
in hac lacrimárum válle.
Eia ergo, advocáta nóstra,
íllos túos misericórdes óculos ad nos convérte.
Et Jésum, benedíctum frúctum véntris túi,
nobis, post hoc exsílium osténde.
O clémens: O pía: O dúlcis Vírgo María.


・・・これが美しいんですよ、本当に。

司祭団が歌いますから、男性合唱です。
しんと静まり返った聖堂に響く、伴奏なしのアカペラで歌われるサルヴェ・レジナは、本当に心が洗われるように感じます。




わずか2分ほどの祈りの歌声に包まれ
私たちは、聖母マリアの御取り次ぎを切に祈るのであります。






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by dscorp-japan | 2017-05-26 21:37 | キリスト教 | Comments(6)

訃報

 
カトリック神言修道会司祭
ペトロ・七種 照夫神父様が、5月23日午後3時52分に帰天されました。

通夜ならびに葬儀ミサ・告別式は下記の通り執り行われます。




    通夜・・・・・・・・・・5月25日(木)午後7時より
    葬儀ミサ・告別式・・・・5月26日(金)午前10時より12時
    式場・・・・・・・・・・カトリック五反城教会
                名古屋市中村区二瀬町27
                ℡ 052-412-3456


(教会へのアクセスについては上記リンク先をご参照ください)

※ 香典・供花・供物等、固くご辞退申し上げます。


どうぞ皆様、七種神父様の魂の安息をお祈りください。





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by dscorp-japan | 2017-05-23 23:22 | キリスト教 | Comments(2)

ファティマの聖母出現・100周年

 
陰謀論や都市伝説系のお話が大好きな私でありますが
ことファティマにおける聖母出現の話については、個人的に真摯にとらえたいと考えるものであります。


ちょうど100年前、1917年の今日は
ポルトガルの小さな町・ファティマにおいて「三人の牧童の前にはじめて聖母マリアが出現された」といわれる日であります。
今日、ヴァチカンはこの聖母出現を公に認めているとされ
毎年の5月13日は『ファティマの聖母』の記念日と定められております。
そして今日
今は巡礼地となっているファティマにおいて、三人の牧童のうちの二人であるフランシスコとヤシンタ(ジャシンタ)の列聖式が、教皇フランシスコによって行われるとのことです。



ファティマの聖母出現に関する詳細は
恐れ入りますが、皆様それぞれでネットなどでお調べください。
そのうえで何が真実で何が偽りの情報なのか、各自でご判断いただければと思います。
何故なら、私などが「実はこういうことなのですよ」などと申し上げたところで、それを信じるか否か、或いはその真偽を判断するのは皆様個々人に委ねられるべきだと思うからです。



・・・私のスタンスは以下の通りです。

個人的に、聖母マリアの存在はもちろん信じております。
そして、ファティマの聖母出現も信じております。
そこでマリア様が語ったとされるメッセージ(敢えて『予言』という表現は差し控えさせていただきます)についても、私なりに真摯に受け止めたいと考えます。

何故信じるのか。
聖母マリアによる具体的なメッセージの真偽を議論する前に
私はただ「祈りなさい」「回心しなさい」「罪を遠ざけなさい」といった、カトリック信徒にとって最も基本的な啓示に、真理を感じるからであります。
聖母マリアのメッセージについて
巷では「○○年に世界が滅びる」などといった推測が後を絶ちません。
(一説には、その日はまさに「今日」であるという説もあります)
しかし私は
世の終わりがいつであるかを論じる前に
聖母マリアのメッセージは、常に「今」の自分に向けられたものであると理解したうえで、ただ謙虚に受け止めたいと考えます。

『祈りと犠牲』。

とは申しましても
きっと私は、今日も明日も明後日も
変わらず罪を犯し続けることでしょう。
「犠牲を払え」といわれても
意志の弱い私は、これからも楽な道を選び続けることでしょう。

ならばせめて
ファティマの聖母が勧められた「ロザリオの祈り」を唱えることだけでも続けたいと思います。


最後に
『ファティマの祈り』を記します。

(私が学生時代に覚えたのが、以下のような文語体の祈りです)

ああ我がイエズスよ、我らの罪を赦し給え。
我らを地獄の火より護り給え。
また煉獄のすべての霊魂、ことに主の御慈悲を最も必要とする霊魂をして天国へ至らしめ給え。


(以下、今日の一般的な口語体の祈りです)

主イエス・キリスト
わたしたちの罪をゆるしてください。
私たちを滅びから救い、全ての人々、
ことにおんあわれみをもっとも必要としている人々を
天国に導いてください。







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by dscorp-japan | 2017-05-13 00:00 | キリスト教 | Comments(4)

『 よろしくお願いします 』

 
・・・個人的に常々思っているんです。

自分の為、或いは誰かの為に祈るとき
その祈りには必ずエゴみたいなものが、ほんの少しであれ含まれてしまうような気がしているんですね、少なくとも私の場合は。
「祈り」というか「お願い」ですよね。
私たちが祈るときって、その本意は大体が「お願い」だったりするじゃないですか。

しかし
私の理解するところのキリスト教におけるお祈りって、最終的には「主に任せる」「主に委ねる」ということらしいわけです。


・・・祈りのための指針と思われるエピソードが聖書にあります。

いわゆる受胎告知の場面で
大天使ガブリエルから告げられたことに対して、マリアはこう答えます。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
(ルカによる福音 1-37)


そして
受難を受ける直前のイエスがゲッセマネの園で祈った言葉。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
(マルコによる福音 14-36)


キリスト教では
“ 私たちの祈り(というか願い)が 神様の御心に適うものであれば どうかそれが実際に行われますように ” という
表現が正しいかどうか分かりませんが “ 条件付き ” みたいな感じなわけです。


・・・個人的には
(ンなケチ臭いこと言わずに、とにかくお願い聞いてちょ!)
って思っちゃうわけなんですけど (^^ゞ

その一方で
(叶えて欲しいなら、神様に対して謙虚な姿勢を見せとかないとイカンのかな?)
とか思ったりもするわけです・・・


・・・で、タイトルの言葉になるわけです。

私が祈る(というかお願いする)とき
いつもこういう表現を使うようにしているんです。

「〇〇のこと、ひとつよろしくお願いします」

・・・個人的に、結構便利な表現だと思ってるんですよね (^^ゞ


皆さんにはご経験はありませんか?
(せっかく必死こいて祈り倒したのに
神様の野郎、オレの祈りをスルーしやがった!)とか思ったこと。

・・・まァ実際はスルーされたわけじゃなくて
聞いちゃくれてるんだけど、神様の御心とは違ってたってことらしいんですけど。

経験則で申しますと
具体的なお願いを必死こいて祈って、こっちの思いが叶わなかったりするとガッカリするじゃないですか。
だから最近は
もうね、具体的なお願いはそこそこにしておいて、最終的には(くれぐれもひとつよろしく!)みたいな感じで祈るようにしてます。
もちろんそこは必死に祈りますよ。
(マジで頼むから!)
(こんだけ祈ってるんだからちゃんと聞いてよ!)
みたいな。

それで叶えてくれなかったら
(あっそ!)で終わらせる(それでも時々ムカつくけど)。

            ♢

・・・今
個人的に、結構真剣に祈っていることがあります。
これは私自身の為の祈りじゃありません。
このところ、散々祈り倒しているので
さすがにウチの神様も無視はできないはずです。

『 よろしくお願いします 』






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by dscorp-japan | 2017-04-23 14:31 | キリスト教 | Comments(4)

ハッピー・イースター ♪

 
・・・何とか今年も
復活祭(イースター)を迎えることが出来ました。

再三申しておりますように
今年の四旬節は、個人的に少々ヘヴィーな時間でした。
お世話になっている教会の先輩が少々重篤な病に倒れられたり
大切な友人がかなり厳しい状況にあったりと
能天気な我が身は差し置いても、いろいろと思い悩む時間が少なくありませんでした。

・・・でも、思い煩ううちに迎えたこの日
その友人のところへ顔を出したら、とても元気な笑顔で迎えてくれました。
そして先ほど、所属教会の復活徹夜祭に行ったら
病に伏せっていた教会の先輩が、元気なお姿で教会に来られました。

ほんの小さなことかもしれないけれど
私には大きな慰めであり、お恵みでした ♪
「奇跡」などという大袈裟な表現は控えますが
それでもこの日、私にはたしかに「恵み」が贈られたと思っております。


・・・つくづく思います。
生かされていることに「感謝」。
イヤなこと、辛いことばかりかもしれないけれど
たまに訪れる「小さな福音」に、心から感謝したいと思います。


皆様
主のご復活、おめでとうございます。
こういう表現が正しいか分かりませんが
イエス様のご復活にあやかって、皆様の上に素敵な奇跡が沢山ありますように!






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by dscorp-japan | 2017-04-16 00:58 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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