D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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カテゴリ:ニュース( 28 )

またも教会で爆発が (><)

 
(→ ニュース記事はコチラ

今回の事件が「爆破テロ」であると確証があるわけではありませんが
人々が集う祈りの場での爆発ということですから、おそらくはそういうことなのでしょう・・・


「テロにルールなどない」

それでも敢えて申しますなら
たとえば先の大戦時のルールというかモラルとして
「赤十字を掲げた施設などは攻撃しない」
みたいなのってあったじゃないですか。
あとは「民間人は攻撃しない」とか。


私はカトリック信者ですが
仏教徒の方の信仰心も
神道の方のそれも
ヒンズー教の方のそれも
そして
イスラム教の方のそれも
私なりの考え方で最大限に尊重するようにしているつもりです。
以前にも申しましたが
私はひとりの人間として、またひとりの葬儀屋さんとして、マザー・テレサからそれを教わりました・・・


宗教施設を狙うのは卑劣極まりない。
お寺も神社も
教会もモスクも
そこにだけは、絶対に手を出してはいけない。
もしもあなたが
あなた自身の信じる神の声を聞こうとするのならなおさらに。

なぜなら
そこを侵してしまった時点で
逆にあなたの神が否定されることになるのだから。





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by dscorp-japan | 2016-12-12 00:00 | ニュース | Comments(2)

水泳の飛び込み、ダメですかね ^^;

 
ネタ元のニュース記事はコチラ→  

要は
小・中学校と同じく、高校での水泳授業においても「飛び込み」の指導は廃止すべきではないか、というものです。


私は50を超えたオッサンなのですが
私が小・中学生だった頃、水泳の授業では当たり前のように「飛び込み」アリ、でした。
でもって
小学生時代は水泳部にいたこともあって、当然のように「飛び込み」をしたうえでタイムを測っていたものです。

これは個人的な好みなんですけれど
私はプールサイドからの「飛び込み」が大好きなんです。
何といっても、気持ちが良いんですよ ♪
ほんの一瞬ですけれど、自分の身体が宙に浮いて
その後瞬時に水中の世界に移って、慣性の勢いに乗って身体が水中を進む感じが何とも気持ちいいんです。

そりゃ初めて飛び込むときは怖かったかもしれませんけれど(覚えてませんけど)
一度要領を掴めば、水底に身体や頭をぶつけることなんて絶対ないし
よく言われる「腹打ち」にもなりません。


・・・でも、ダメですかぁ・・・

もちろん
水泳の飛び込みによる重大事故が多発しているということですから、そこは看過できないところではあるのでしょうね。

・・・う~ん ^^;

でも「飛び込み」が危険だというのなら
体育の授業って、他にも危険といえば危険なものってあるような気がするんですけど。
たとえば「跳び箱」。
あれ、要領を得ないと結構危険じゃないですか?
たとえば「鉄棒」。
単純に鉄棒から「落ちる」ことは想定できるわけですし。

これは私見ですけれど
水泳の「飛び込み」って、小学生とかのうちに教えた方が良いんじゃないかと思ってます。
身体が成長するにしたがって
逆に「飛び込み」を習得するのが難しくなるんじゃないの?って思ったりしります。

「水深が浅いから」ということですけれど
私が子どもの頃は普通にそこで「飛び込み」やってたんですけどね。
あの頃の小・中学校プールの水深って、大体1.0~1.2mくらいだったかと思います。
高校だと1.3~1.5mくらいでしたっけ?

水泳の専門家さんが「私でも浅いプールでの飛び込みは怖い」と仰っているとか。

でも、私がガッコのセンセだったとき
1.2mの深さのプールに、平気で教師として飛び込んでたけどなぁ。


いろんな問題があるんでしょうけれどね~

結論的な私見として申しますと
私は水泳の「飛び込み」もまた「泳ぐ」ことを学ぶ一環として外さない方が良いのになァと思う次第であります。


素人がエラそうなこと言ってスミマセン <(_ _)>






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by dscorp-japan | 2016-11-18 00:00 | ニュース | Comments(2)

人として最低限の尊厳を

 
一昨日のニュースになりますが
いち葬儀屋さんとして、どうしても看過できないものでした。

『イエメン空爆「現場は血の海」サウジ介入後最大の被害』



私は、日本や世界の歴史にあまり明るくありません。
でもたしか、先の大戦中においても
「赤十字のマークを付けた車両や施設は攻撃しない」といった
「苦しむ人や傷ついた人に対する最低限の人道的モラルは遵守すべし」とする流れはあったと教えられた記憶があります。

たとえ争い合う関係にあっても
お互いが「同じ人間として(心や身体が)傷ついている人、苦しんでいる人は守り合いましょう」ということだと思うのですが・・・


大切な人を弔うお葬式の式場を狙っての空爆とは・・・(怒)

イデオロギーの違いとか
宗教やら民族やらの違いとか
ンなことは知らん。
そのまえに
「お前たちに人の心はあるのか?」
「お前の大切な人のお葬式にそれをされたら、お前は一体どう思うんだ?」

            ♢

ずっと以前のことですが
以前お世話になっていた葬儀社時代、あるご自宅でのご葬儀を担当させていただいていたときのことです。
そのご自宅は、そこそこ交通量のある通り沿いにありまして
お葬式の最中も自動車や歩行者の往来が絶えないところでした。

お葬式が終わり、ご出棺の段になった頃
彼方からひときわ大音量の音声が聞こえてきたんですね。
街宣車、でした。
内容は覚えておりませんが
いわゆるイデオロギーらしき主張を声高に訴えるものだったのでしょう。

霊柩車の周りに集った参列者が顔をしかめ始めたとき・・・
その街宣車は、スピーカーの音を切ったんです。
霊柩車の前を通り過ぎ
かなり向こうまで走ってから、あらためて音を流しはじめたんですね。


・・・つまり、そういうことです。

人として
最低限の他者に対する尊厳だけは、本当に守って欲しい。
心の底から思います。

それでも分からないというなら
「お前はゾウさん以下だ!」と言ってやりたい。

→ 過去記事 『ゾウさんでさえ・・・』






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by dscorp-japan | 2016-10-11 00:00 | ニュース | Comments(2)

就活にマージャン ♪

 
→ ネタ元のニュース記事はコチラ


たとえば幼少の頃の私の家族で申しますと
(上手いか下手かは別として)マージャンが出来たのは、私だけ。
親からは「マージャンなんて不良の遊びッ」とか言って嫌われていたと記憶します ^^;
たしかに昔のマージャンのイメージって
タバコの煙がもうもうとするなか、シャツの襟を開けたヤンチャなオジサンたちが片足を上げてポンだのロンだのと言っている感じではありました。

それが今じゃ女流プロ麻雀師とかいらっしゃいますし
ボケ防止にマージャンが良いと推奨されてるようですし
そのイメージは大きく変わったような気がします。

・・・しかし「就活」にマージャンとは・・・!


ニュース記事にもありますように
たしかにマージャンって、そこそこ頭を使います。

自分の手牌を作りつつ
対戦相手の捨て牌から相手の手の内を予測する。
捨て牌の状況から
残りの牌に何がどれだけ残っているかも予測して
どうすれば自分が上がりやすいかを考える。

・・・まァ私、それが非常に下手くそではあるんですけど ^^;

その場その場の状況判断とか
状況に応じた決断力とか
たしかに、マージャンが強い方って賢いなァと思わされるところがあります。

「賢い」というのは「お勉強がお出来になる」という意味ではないのであって
そういう点では、学歴などが大きな意味をもつということでもないわけです。

・・・でも私の高校(そこそこ進学校)の同級生は皆強かったけど。
因みに
ウチの会社の税務をやってくれてる同級生も滅法強い <(_ _)>


いずれにしても
企業が新規採用する人材を選ぶ際にマージャンを採用したというのは、分かるような気がします。
物事を見定める広い視野。
状況に応じた臨機応変な機転。
瞬時に判断して実行に移す決断力。
そういうものがマージャンを通して垣間見えるというのは、あながち間違っていないかと。


・・・なるほど。
ウチも新規採用するときには取り入れてみるか?

「その前にオマエが下手くそ過ぎるじゃねぇか!」

だから
対戦のときは、ウチの同級生に戦ってもらう、と ^^;






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by dscorp-japan | 2016-08-24 00:00 | ニュース | Comments(6)

鶴舞公園が全国区に(汗)

 
ネタ元のニュースはコチラ

ウチのスタッフのひとりが
この鶴舞公園にほど近いところに住んでおりまして・・・

「連日エラいことになってるよ。
公園周辺は路駐の嵐だし、夜中でも人だかりが凄い」

名古屋市昭和区にあるこの公園は
名古屋市がはじめて整備したとされる、歴史ある公園です。
公園近隣には名古屋大学医学部や名古屋大学付属病院があって
私の父がそこの出身であることもあって、幼少の頃は何度か連れて行ってもらったものです。
昔は園内に「ベビーゴルフ」みたいなものがありまして
そこで遊ばせてもらった記憶があります。
また公園内には名古屋市公会堂があって
私が学生の頃は、来日したロックバンドのコンサートにも行ったものです。
さらには
以前は公園に隣接した場所に愛知県勤労会館があって
私の通っていた名古屋市立向陽高校の校舎建て替え時期には、学園祭をここで開催したものです。

・・・それがいまや『ポケモンGO』の “ 聖地 ” のひとつだとか ^^;


ゲーム門外漢の私ですから
この件に関して、殊更にあ~だこ~だ言うつもりはございません。
ただやはり、ここ数日の現状を考えると
少なくとも近隣にお住まいの方々に迷惑をかけるような行為は謹んでいただきたいなァと(近隣住民であるスタッフの声デス)。

余談ですが
すでに息子さんと『ポケモンGO』をやったスタッフの話。

「何がオモロいのかサッパリですわ。
オレなんかは、川にザリガニ釣りに行ったり、早朝にカブトムシを探しに行ったときの方が全然楽しかったと思いますけどね~」

※ 『ポケモンGO』を否定するものではありません。
  あくまでもスタッフの個人的な意見です m(_ _)m




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by dscorp-japan | 2016-07-25 16:32 | ニュース | Comments(2)

出来ることなら「事前相談」を

 
おそらく多くの葬儀屋さんブロガーが取り上げられるでしょうから
あらためて私などがこの記事について言及するのも憚られるのですが・・・

葬儀料金のトラブル700件超(NHKニュースWEB)


私の知る限り
昔よりも “ ぼったくり葬儀屋さん ” は減少傾向にあると思ってたんですけどね・・・


こうしたトラブルを回避するには
やはり可能な限り、事前に各葬儀屋さんの情報を入手することですよね。
そしてその最も有効な手段は、お葬式の「事前相談」でしょう。

現在ではネット上でも
各葬儀屋さんのHPで、価格体系などを確認することが出来ると思います。
でも実際のところ
様々な費目やその価格が表記されていても、はたしてそれが自分の考えるお葬式に必要なのか否かが分かりづらいのではないでしょうか。
その点、葬儀屋さんと直接会ってご自分の希望するお葬式をお伝えするなどして、そこから具体的なお見積りを出してもらうことで、よりご自分の考えるお葬式の総額予測がたちやすいと思います。
また、そこで出来るだけ疑問を解消することです。
「見積もりにある○○というのは何ですか?」
「○○は私の考えるお葬式に必要なものなんですか?」
何でもお尋ねいただくのがよろしいかと。
そして
事前相談の打ち合わせを通して、その葬儀屋さんの印象を肌で感じ取ることも出来るのではないでしょうか。


そして、事前相談のメリットがもうひとつ。

葬儀屋さんにとっての「事前相談」とは
相談者が、将来的に自社の顧客となり得るか否かの “ 営業の場 ” だったりします。
言い方をかえれば、将来的な顧客の「囲い込み施策」でもあったりします。

(わが社に好印象を持ってもらいたい)
(「もしものときはおたくにお願いします」と言ってもらいたい)

当然、同業他社との相見積もりも想定しているはずなので
基本的に “ ぼったくり見積もり ” は出しづらいはずなんです。
より明瞭な価格提示がされるはず、なんですね。


さて、ここでご留意いただきたいこと。
お葬式の費用のなかには数量の増減に伴う、小計価格の変動というのがあります。
たとえば参列者にお渡しする供養品。
或いはお料理。
これらは実際にお葬式の場にならないと、その数が分かりません。
お葬式を終えて火葬場に向かう段になって、急遽タクシーの追加ご用命をいただくこともあります。
これらすべて、費用に加算されてしまいますよね。
この点はお客様にも充分にご理解いただく必要があるかと思います。


・・・私の考える(少なくとも価格面において)良心的な葬儀屋さんは
上記に挙げた変動料金も含めた「総額提示」をしてくれるところだと思っております。

「明確な総額はお葬式を終えてみないと分かりませんが
たとえばこちらのプランですと、会葬者を○○名と想定し、お料理が〇〇名分ご依頼いただいたと仮定した場合、消費税込みで総額○○円になります。
但しこれには火葬料○○円と
宗教者への謝礼(いわゆる「お布施」)は含まれておりません」

・・・こんな感じで総額提示してくれる葬儀屋さんがよろしいのではないでしょうか。


お葬式の「事前相談」は無料です(少なくとも私の知る限り)
「どうぞお気軽に」というわけにはいかないかもしれませんが
ご遠慮なさらず、何なりとお尋ねになられることをお勧めいたします。







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by dscorp-japan | 2015-12-19 00:00 | ニュース | Comments(2)

宮型霊柩車の需要減に思う

 
昨日、ネットのニュースでこんな記事がありました。

『 霊きゅう車をネット競売 京都・与謝野町、「宮型」需要減り 』


まず
実際に使用されていた霊柩車の売却自体は、これまでにもあったことと認識しております。
ただ「自治体の所有する霊柩車の払下げをネットオークションで」というケースは、少々珍しいのかもしれませんね・・・


ところで宮型霊柩車について。

リンク記事にもありますように
『宮型』とは、霊柩車の上に三角屋根が施されているアレです。
私たち業界の人間も “ 宮型 ”と呼んだり “ 屋根付き ” などと呼ぶこともあります。

私たちの幼少時は
宮型霊柩車を見かけると、慌てて親指を握って隠したものです(笑)
「親指隠さないと親が死ぬ」
「親指隠さないと親の死に目に会えない」
・・・まァこれは俗信なんですけど。

おそらく、約20年ほど前までは
『 霊柩車 ≒ 宮型 』 という認識が当たり前だったようにも思います。
キリスト教葬儀の場合は異なりますが。

しかし、特に21世紀に入って以降
宮型霊柩車の需要が一気に減少したというのは間違いないところだと思います。
記事にある「宮型が(死を意識させるので)忌避される」というのもあるかもしれませんし、地域によっては出入りを禁止するところもあるというのも事実です。
もちろん葬儀形態の多様化(家族葬や直葬)ことや、無宗派葬が増えてきていることも一因でしょう。

しかし実際に葬儀の打ち合わせをしてきている立場の印象で申しますと
お客様のニーズはもっとシンプルなもののように感じます。
「スマートだから」
「カッコいいから」
という印象でしょうか。
対して宮型霊柩車はというと・・・
「なァんかガチャガチャしてるし」
「あれ(装飾)って必要なんですか?」
みたいな。

私の記憶する限りにおいては
1997年にご逝去された、ダイアナ妃のお葬式の影響が大きかったように思います。
あの当時
テレビで放映されたダイアナ妃のお葬式で映された霊柩車の映像が、お客様方々の印象に強く残っていたことをよく覚えております。
「ダイアナさんと同じ感じがいい」
「ああいう霊柩車って日本にもありますか?」

・・・あれ以降、洋型霊柩車の需要が少しずつ増えてきたように思います。


いずれにせよ
宮型霊柩車の需要が減ってきていることは間違いないところだと思います。
私どもの場合はキリスト教葬儀に特化した葬儀屋さんですから、元より宮型霊柩車を使用することはほぼ皆無なんですけれど
仏式葬儀や神式葬儀においても、洋型霊柩車を選ばれるお客様が増えてきていることは確かなようですね。

・・・個人的な嗜好で申しますと
実は私、宮型霊柩車って結構キライじゃないです (^^ゞ
そりゃ~冷静に考えれば
元々のクルマに、半ば強引に(笑汗)お宮のような屋根を付けて、満艦飾よろしく飾りを施している霊柩車って、違和感があるといえば、あります。
でもね~
様々な多くの霊柩車を見ているうちに
(あぁ~この宮型の飾りは荘厳だなァ)とか
(この柩車の色遣いは上品だなァ)とか
何となく見えてくるものなんですよ。


現代霊柩車の歴史は20世紀以降のもののようですけれど
いまの日本の、お葬式の風景のひとつとして定着しているものではあると思います。
これもまたひとつの、葬送文化といえるのではないかと。
そういう意味では
減少することは致し方ないとしても、細々とでも後世に残って欲しいなァとは思うのです。


・・・まァこれもね
老齢葬儀屋さんの、単なるノスタルジーなのかもしれませんけれどネ (^^ゞ






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by dscorp-japan | 2015-12-02 00:00 | ニュース | Comments(2)

「正常」か「異常」か、じゃないと思う

 
「某県某市の某市議会議員さんが
同性愛者について『異常である』とツイッターで囁いて
これが論議を呼び、当該ツイートを削除して謝罪した」といった出来事があったそうですね。
(関連ニュースのリンク貼りは自粛します)


ではこのような問題に対して
現在のローマ・カトリック教会はどのような見解なのでしょうか?
その回答となり得るだろうと思われる記事がこちらです。

『法王フランシスコ「神は新しいことを恐れていない」同性愛者の許容案が保守派の反対で立ち消えた翌日に』


さて。
私はカトリック信者です。
キリスト教原理主義者ではないつもりですが
クリスチャンとしてはそこそこ保守的なタイプだと自覚しております。
教会の刷新を否定するものではありませんが
「何でもかんでも新しけりゃ良いってもんでもないだろ?」というスタンス。


では私は「同性愛」に対しても保守的(つまり否定的)に捉えているのか。

まず私は
同性愛者の方々を「正常か異常か」という二元論で語ることが違うんじゃないかと思っております。
少なくとも、私にそれを語る資格は無いです。
この問題について大した勉強もしていないし
そもそも正常か異常かなどという判断を下すこと自体、不毛じゃないかと。
(そんなに自分と異なる人を裁きたいの?)と思ってしまいます。

私自身の知り合いにも、性的マイノリティの方がいらっしゃいます。
以前読んだ『インターセックス』という本から学んだこともあります。
だから私は
「世の中には、そういう方々がたしかにいらっしゃるのだ」。
ただ謙虚に、その事実を認識したいです。


では
「キリスト教的見地から、同性愛は罪なのか」。

カトリック教会では相変わらず否定的な見解が多勢を占めているようですけど・・・
個人的には、全然なァ~んも罪じゃないと思っております。
すごく短絡的な考えかもしれませんけど
ご本人たちに悪気がないんだもの、罪なわけないじゃん!って思っちゃう。
それに
それこそキリスト教的価値観で言えばですよ?
「その人をそういう風に創ったのって、他ならぬ神様じゃん?」ってなりますよね?

神様はすべての人を等しく愛して下さっているんでしょ?
男も、女も。
白人も、私たち有色人種も。
そこに同性愛者の皆様は含まれないとでも・・・?

・・・そんな神様なら、こっちから願い下げだぁ!


でも!
教皇様は仰って下さったんです ♪

「神は新しいことを恐れていない」

・・・私は
この言葉の意味を深く受け止めたいです m(_ _)m






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by dscorp-japan | 2015-11-30 00:11 | ニュース | Comments(4)

他に何もできない

 
・・・私、フランスという国がそれほど好きじゃありません。
フランスの方々に恨みがあるとかじゃ、もちろんありませんけど・・・
なんだかイマイチ好きじゃありません(フランスの方ゴメンナサイ)

以前ルルドに巡礼に行った際
ルルド滞在の前後一泊ずつをパリで過ごしたんですけど・・・
花の都っていうけど
パリってそれほど美しい街ですかね?
街並みの歩道にはゴミとか普通に落ちまくっていたし
地下鉄構内とか、普通に小便臭かったりしたし(汗)
公衆トイレは有料だったし
ホテルのトイレとか、香水の匂いが排泄物の匂いとコラボしてたし(><)
(サワデーってスゴイ!と思った)

私、フランス料理がそれほど美味しいものだとは思わないんデス ^^;
フランス滞在中
毎日のように出されるチーズ臭い料理とシロップ漬けのデザートに、当時の私は少々辟易としてました。
朝食に出されるクロワッサンは美味しかったけど。

あ、あと
フランスのクルマは好きですけど。

まァこれらすべて、単なる個人的な嗜好の問題ですけどネ・・・



でも。

ニュースで流された、あの惨状をみせつけられ
私には語る言葉もありませんでした・・・

正直、このブログ記事ネタが慢性的に不足してるので
思うところをここで記事にしようかとも思いました。
でも書けませんでした、私には。
言葉が、文章が、続かなかったんです。
どんな言葉をキーで叩いても、どれも嘘っぽく思えてしまった。

きっと私は
あの悲惨な出来事に真剣に向き合えていないということなのでしょう。
つまりあの事件は、私にとって「対岸の火事」でしかない、ということなのかもしれません。

(可哀想に)
(何てひどいことを)
言葉が脳裏に浮かびはしても
自分ながらに、何となく薄っぺらいような気がします。

(あの出来事が日本で起こったとしたら・・・?)
もう少し真剣に考えるのかもしれません。
(あの出来事が我が町で起こったとしたら・・・?)
さらにもっと
起こった出来事に真剣に向き合い、心を砕いたかもしれません。

・・・でも、あの事件はフランスで起こった。
目を覆いたくなるような惨状に
ほんの少し心を痛めつつ(ここじゃなくてよかった)と思ったのも事実なのです・・・


こうして書いていて
自分が恥ずかしくなります。
所詮私なんて、この程度の人間なのです・・・


でも
だからこそ、せめて祈ろうとは思いました。
何も出来ないし
我が事のように、真剣に心を砕くにまでは至らないかもしれないけれど
同じ「人」として
心と身体の傷みを、少なくとも想像は出来る人間のひとりとして。









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by dscorp-japan | 2015-11-17 23:43 | ニュース | Comments(0)

どっちも悪くない

 
昨日から
ウチの事務所内での話題は、やっぱりこれです。

『カトリック神父が同性愛告白…言動問題視、解任』の記事


カトリック司祭が
「同性愛者であること」「そのパートナーがいること」を、パートナー同席のもとで会見を開いたということです。
これを受けてバチカンは
このカトリック司祭を解任したというわけです。


・・・えっと
ここから書く内容はあくまでも私個人の見解であり、カトリック教会のそれとは大きく異なることもあり得ることをご了承ください m(_ _)m


まず、カトリック司祭が同性愛者であること。
個人的には、全然問題ないと思います。
同性愛者であることに理屈なんか無いのであって
「だってそうなんだもん、しょうがないじゃん」というのが私の考えです。

「私はカトリック司祭ですが女性が大好きです」
というのと
「私はカトリック司祭ですが同性愛者です」
というのと、個人的には大差無いでしょ?と思っております。

「だったらカトリックなんか信仰するな」という意見もあるようですが
それでもカトリックの信仰に依りすがりたいのなら、良いじゃんそれで。
少なくとも
私の信じるカトリックの神様は、そんなことでガタガタ言う方じゃないと信じておりますので。


問題と考えられるのは、パートナーがいらっしゃるという事実。
これは
同性愛者としてのパートナーだから問題なのではなくて
同性・異性を問わず、パートナー(=「伴侶」或いは「恋人」)がいるというところでしょう。
これは現在のカトリック教会の教理に反することですから
彼のことをバチカンが「解任」したのもむべなるかな、であります。

このカトリック司祭は
自分が同性愛者でありパートナーがいることを公表する時点で、自分がカトリック教会から解任されることを想定していたはずです。
こうなることは百も承知で会見を開いているはずです、間違いなく。
そのうえで自らメディアに訴え出たということは
カトリック教会に、自分たちのような人間のことも認めて欲しいという思いがあったということでしょう。
ご自分の、聖職者としての職を賭して
「どうかカトリック教会もこの問題に真摯に向き合ってほしい」
という、強い信念が感じられます。
でなきゃ
ご自分の最愛のパートナーまでメディアに晒すような真似はしないでしょう。

私は
このカトリック司祭の行動が「正しい」とは思いません。
これは現在のカトリック教会に仕える司祭として「正しくない」という意味です。
自分が同性愛者であるという自覚を持ち
そのうえでパートナーがいらっしゃるというなら、自ら静かにカトリック司祭職を辞すればいい。
だって、現状そういうルールなんだから。
でも
カトリック司祭としての職を辞したからといって、カトリックの信仰を捨てる必要など全くない。

「私は同性愛者です。
パートナーもおります。
だからカトリック司祭を辞めました。
でも、今でも私はカトリック信者です」

これで良いと思います。


これからの、この元カトリック司祭とそのパートナーさんが
これまでと変わらず神様の慈しみと愛に依りすがりながら、幸せな生活を送ることが出来るようお祈りいたします。







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by dscorp-japan | 2015-10-06 00:00 | ニュース | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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