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カテゴリ:思うに・・・( 186 )

鼻濁音の話

 
・・・最近はあまり耳にしなくなりましたよね~

 ※『鼻濁音とは』→ Wikipedia


ウィキペディアさんによると
五十音の「な行」や「ま行」もこれにあたるとのことですが
私が取り上げたいのは「が行」の鼻濁音です。
活字では正確に表現出来きれないのですが
近い表現で書くなら「ンが」「ンぎ」「ンぐ」「ンげ」「ンご」という表記になるでしょうか。

この「が行」の鼻濁音
以前なら、たとえばテレビ局のアナウンサーがキレイに使いこなしていたものです。
でも今のアナウンサーとかのニュース読み上げなどでも、殆ど聞かれなくなったような気がします。

幼少の頃に鼻濁音について教わったのは
「接続語としての『~が』のときは鼻濁音を使いなさい」
「単語の途中の『が行』では鼻濁音を使いなさい」
「単語の最初の一音にくる『が行』のときは鼻濁音を使わない」
という感じだったでしょうか。

つまりたとえば
「学校が」と発音する際、「学校」の最初の一音である「が」は鼻濁音を使わず
接続語の「が」は鼻濁音を使う、と。
読み仮名を振るとすれば
「がっこう ンが」みたいな感じ。
たとえば
「探す」と発音する際は「さンがす」となる、と。


だから、というわけでもありませんが
そしてもちろん使いこなせているとも申しませんが
私は出来るだけ、鼻濁音を使うようにしているんです。
普段のプライベートでの会話では使いませんが
お仕事モードに入ったときには、この鼻濁音を意識して話すようにしております。
電話応対の際とか
お客様との打ち合わせのときとか。


私が古い人間だからなのでしょうけれど
鼻濁音を使いこなせる方とお話しすると、言葉がとても美しく清楚に聞こえる気がするんですね。
実際のところ
(これは決して差別などではなくて)
生活レベルが高いと思われる方とか、お家柄がよろしい方などとお話させていただくと、キレイな鼻濁音を使いこなされていらっしゃるなぁと感じることがあります。

・・・何と申しましょう
こう、言葉がサラサラと水のように流れて聞こえるというか
会話全体に柔らかさがあるというか、トゲが感じられないというか・・・


これは決して自慢などではないのですが
以前、とあるご立派なお家柄と思しきお客様のお宅で打ち合わせをさせていただいた際
打ち合わせ相手の老婦人から言われたことがあるんですね。
「とてもきれいな言葉を使われますね」って。
もちろんその老婦人は
とてもキレイな鼻濁音を使っていらっしゃいました。

尊敬語や丁寧語、謙譲語のことかと思ったのですが
(それとて使いこなせているわけではありませんが)
どうやら「鼻濁音」の使い方だったようなんです。

・・・あのときはとても嬉しかったなぁ ♪


とはいえ
今じゃ鼻濁音も化石化してるのかもしれません。
テレビのアナウンサーが使わないくらいですから
今や、鼻濁音も「丁寧な言葉遣いのデフォルト」というわけでもないのでしょう。

・・・でもね
たまにキレイな鼻濁音を使われる方とお話させていただくと(あぁ~良いなァ)って思うんですよね~






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by dscorp-japan | 2017-10-11 17:30 | 思うに・・・ | Comments(2)

短距離走

 
いきなりですが
私は、葬儀屋さんのお仕事を「短距離走」だと思っているんです。

・・・いや
最終的にはどんなお仕事も「長く続ける」という意味においては、どれもマラソンだったりするんでしょうけれど。


世の中には様々なお仕事があって
じっくり時間をかけてひとつの物事を成し遂げる形のお仕事もあれば
限られた時間のなかで、集中してひとつの目的を達成する形のお仕事もあるわけですよね。
その意味で
葬儀屋さんってのは、やはり短距離走なんだと思うわけです。
もちろん一概にはいえませんが
ご依頼の電話があった日から、まぁ大体2~3日でひとつのお仕事が終わるわけです。

ご依頼をいただいて
打ち合わせをして準備をして
お通夜とお葬式の現場に立ち会ってお手伝いして、一応の一区切りがつきます。


で、私は思うんですよね。
このお仕事って
「短距離走」だからこそ出来るお仕事なんだと言える面がある気がするんです。
私たちはよく「ご遺族の思いに寄り添って」などと申しますが
たとえばこれを数週間の間ずっと続けろなどと言われたら、正直こっちの精神も参ってしまうような気がするんですね。
集中力が切れてしまうというか、心が持続しないというか。

お仕事の「連チャン」はいいんです。
気持ちを切り替えることが出来るし
そもそも、お客様が変わるわけですから。

とにかく
「短距離走」だから全速力で走り抜けることが出来る、と。


・・・ただ、このお仕事の特徴のひとつとして
いつ何時「よ~いドン!」の号砲が鳴るのか分からないというところ。
自宅でヨダレ垂らして寝ていても
どっかでご飯を食べてても
或いは少々体調が思わしくなくてゲンナリしてるときでも
ひとたびご依頼の電話(これが号砲ですね)が鳴ったら、とにかく走らなきゃいけないということです。

今だって時折思いますよ。
正直(このタイミングでマジかよ!)って。
でも
他に誰もいなければ “ 棄権 ” するわけにもいかないんですよね ^^;

号砲を聞いて一旦走り出したら、もうあとはゴール目指して走り抜けるのみ、です。
有難いことに、ゴールは数日後にあるわけですから
そこを目指して集中すればいいわけです。


・・・きっと
そういうお仕事だからこそ、私は葬儀屋さんを続けていられるのだと思います。





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by dscorp-japan | 2017-10-08 16:50 | 思うに・・・ | Comments(6)

まぁいっか

 
ずっと記事更新もサボっておりました ^^;
お葬式の担当もさることながら
夏バテ & 親の面倒見などで(まぁいっか)と、ブログのことを頭から追い出しておりました。
ようやくお葬式のご依頼が止まった感じなので
久しぶりに自分のブログサイトを開いてみた次第であります。
(コメントへの返信が遅れまして申し訳ありません m(_ _)m )


どこかで読んだんですけれど
血液型がO型の人間の口ぐせが「まぁいっか」なんだそうです。
私は血液型診断みたいなの、全く信用していないんですけれど
たしかに私はO型で、考え方には常に「まぁいっか」があるのはたしかです。
でも
同じO型の父や弟は「まぁいっか」な人じゃないんですけどね~


自分で自分のことを考えてみても
私という人間の根本にあるのは「なるようになる」とか「まぁいっか」とか
基本的にダラァ~ッとした考え方があるんだと思います。
キライは言葉は「努力」と「頑張る」だし
人との付き合い方も「来る者は拒まず、去る者は追わず」だし
以前の記事でも書きましたが
「無いなら無いなりに」何とかなるわサ、というスタンスです。

つまり
基本はダメ人間だということですわ ♪
・・・って
記事更新をサボった言い訳にもならないんですけどね~


まぁいっか。
マイペースで、細々とやるようにしますわ。





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by dscorp-japan | 2017-09-06 17:27 | 思うに・・・ | Comments(6)

私は葬儀屋さんに飽きた、のか?

 
昨日朝、テレビの報道バラエティ番組で
とあるプロ・テニスプレイヤーの「テニスに飽きた」という発言を受けて
「自分の仕事に飽きるか」という話題で盛り上げってました。
そのなかでMCのダウンタウン・松本さんが
「(自分の仕事に)飽きてからが本番」ということを仰っていて、なるほどなぁと思って観ていたんですね。

・・・で、当然私も自問するわけです。
(自分は葬儀屋さんに飽きたのだろうか?)


元来の私、非常に飽きっぽい人間だと思っております。
よく「熱しやすく冷めやすい」といいますが
私の場合は「熱することなく、ただ冷めやすい」という、どうしようもない性格です ^^;
つまり
飽きっぽいという以上に、何事にも冷めた人間だということになるでしょうか。

正直に申しますと
私は(葬儀屋さんになろう!)と思って葬儀屋さんになったわけではありません。
はっきり言って “ 成り行き ” です。
ガッコのセンセを辞めて
呑気に絵を描いて過ごしながら、結婚式披露宴の司会のバイトなんかして過ごしていたら、とある葬儀屋さんから誘われただけです。
それも「パートで」という約束だったのに、初日に行ってみたら正社員にさせられていたという・・・^^;
その後、約四半世紀にわたって葬祭業界に身を置いているわけですが
正直(これが自分の天職だ!)などと思ったことは、一度たりとてございません。
今のお仕事が自分に合っていると思えることがあるとすれば
お葬式の依頼が無い限り、いつだって半ば「お休み」状態だということ。

・・・ある意味において
50歳を過ぎた今も、私はただフラフラ生きているだけなんです・・・


私は、今の自分のお仕事に飽きているのか。

はっきり申し上げまして
ウンザリすることは日常茶飯事です。
肉体的にも(状況によっては)精神的にも、キツいことがたくさんあります。
(もうイヤだ!)と、逃げ出したくなることもあります。
つまり
おそらく「飽きる」以上のことを何度も考えたということです。

では何故、辞めないのか。
教育関係からのお誘いも
医療関係や福祉関係からのお誘いも断って
何故、葬儀屋さんを続けているのか。

・・・多分、キライじゃないんだと思います。
自分の生業を、尊いお仕事だという矜持もあるんだと思います。
神様が私を
「葬儀屋さんとして世の中に仕えなさい」と言っているのだと、勝手に思っているところもあるんだと思います。


恥ずかしながら私
シスター渡辺の著書『置かれた場所で咲きなさい』を読んだことはありません (^^ゞ
ただ、この著書のタイトルには個人的に大きな意味を感じます。
積極的に選んだ道ではありませんが
葬儀屋さんという立ち位置に身を置いて、そこで出来ることを精一杯実践することが『置かれた場所で咲く』ということなのかな、と。

・・・ま
決して「咲いて」はいないんですけど ^^;







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by dscorp-japan | 2017-07-17 15:26 | 思うに・・・ | Comments(4)

被災者方々の暑さ対策を思う

 
ここ名古屋エリアは、一気に夏全開の気候です。
この猛暑の中
連日のようにお葬式がありまして(毎度のごとく)ブログもサボりがちの日々です m(_ _)m

常々申しておりますように、私は寒さ以上に暑さに弱い人間です。
頭のてっぺんから落ちてくる汗は、さながらドリフのコントのよう ^^;

・・・いや、大袈裟じゃなくてホントに凄いんです、恥ずかしいくらいに・・・


とはいえ
先の九州地方を襲った大豪雨に見舞われ、避難されていらっしゃる方々のことを思うと
私などが軽々に「暑い!」などと愚痴を言うことさえ憚られます。
学校の体育館などに避難されていらっしゃる方々は
空調設備もない施設で、さぞやお辛いことと拝察いたします。
元ガッコのセンセだった私ですから
エアコンのない体育館が如何に暑いか、よく存じ上げております。

ニュースによれば
避難先で熱中症になられた方もいらっしゃるとか・・・

こういうとき
一体私たちに何ができるのでしょうか。
避難されていらっしゃる方々が涼をとるために、何ができるんでしょうか・・・
義援金をお送りすればエアコンが付くという話でもないでしょうし。

・・・私自身が避難者の皆様の立場になったとき、何を望むだろう。
もちろん
実際に避難者になってみないことには分からないことも多いんだろうけれど
でも、私と同じように暑さに弱い方も、間違いなくいらっしゃるはず。
せめて扇風機とか、団扇とか
そんなものでも、あるだけで違うような気もします。

何か妙案があったらご指導ください。
私なりに出来る限りのことをさせていただきたいと思います。





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by dscorp-japan | 2017-07-11 13:35 | 思うに・・・ | Comments(5)

捨てられなかった

 
葬儀屋さんをさせていただいておりますと
おそらくは他の職種の方々以上に、早くから自分の「死」とその後について考えを巡らせるものだと思います。
私もまたそのうちの一人でして
自分の記憶する限り、今から20以上前の30歳あたりから、ぼんやりとながらも自分の死について考えるようになったと記憶します。
(オレの寿命はどのくらいなんだろ?)
(まァその時はその時だな)

そして、私は独り身です。
(いまオレが死んだら、誰が後始末をしてくれるんだ?)
・・・つまり
私の心配事はこれに尽きるのです。


まァ、いざというときはおそらく
同じ県内に生活する妹の世話になるしかないのだと思います。
(弟もおりますが、彼は北海道なのでちょっと難しい)

妹は結婚しておりますが、DINKsです。
「だから甘えても良いのだ」などと開き直るつもりはありませんが
現実的には、そうせざるを得ないというのが実情かと (^^ゞ

私の場合、お葬式はいいんです。
ウチの会社の人間に、まァ適当にやってもらえば良い。
そのためのお金もすでにキープしてあって
「オレが死んだらこの金で、ちゃんと会社の売上としなさい」と伝えてあります。

問題は、それ以外のこと。
何かといろいろあるわけですが
いちばんの問題は、私の住まい(賃貸マンション)にある私の持ち物。
もちろんその時がきたら好き勝手にしてもらえば良いんですが
妹にしてみれば、どう処理して良いか分からないものがあると困るわけですよね。

家具?
全部処分で良いです。
欲しけりゃあげるけど、要らんでしょ。

オーディオ類?
欲しけりゃ妹夫婦にあげるし、要らなきゃ捨てて良い。

ギター?
さすがに妹は楽器をやらないからなぁ。
捨ててもらっても良いんだけど、結構良いギターもあるしなぁ。
誰かギター弾くヤツに譲ってもらうか。

私の絵と画材?
ンなもん、ポイですよポイ。


・・・問題はですね
手紙とか写真類なんですよ。
もちろん私は全部捨ててもらって良いんですけれど
妹にしてみれば、軽々に可燃物のごみ袋に入れるのを躊躇するかもしれません・・・


手紙とか写真って、なかなか捨てられないものですよね~
特に私の場合
ガッコのセンセ時代の手紙や写真が結構あったりするんですね。
生徒からもらった手紙とか
卒アルとか文集とか
顧問をしてた部活の写真とか。

私が捨てられないものを、妹が簡単に捨ててくれるだろうか・・・


ということで
実は昨日、久しぶりに現場のお仕事が一段落したので『断捨離』をやってみようと思い立ったんです。
手紙と写真の。

・・・出来なかった orz

捨てられなかった。
何か、申し訳なくて。
手紙にしろ写真にしろ
基本的にはどなたかから頂いたものばかりなんですよね。
(私は写真が大嫌いなので、自分で撮った写真など皆無ですから)


・・・そういえば
PCのなかに保存されているデータとか
携帯電話のなかにある各種情報とかも
持ち主が死んだ後って、その処理に困るんでしたよね~

・・・う~ん (><)







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by dscorp-japan | 2017-05-29 00:00 | 思うに・・・ | Comments(10)

書留や小包はすべて「郵便局に取りに行く」で良い(私の場合は)

 
先日、こんな記事を書きましたが
今回はこれと同じような意味合いのお話です。


日本郵便を介しての郵送物って、もちろんありますよね。
プライベートなハガキやお手紙もあれば
いわゆるダイレクトメールの類もあります。
これらは問題ないんです。
普通に郵便受けに投函していただければいいのですから。

問題は、簡易書留とか小包の類のものです。

先日の記事と同じ理由なんですが
私、お仕事の関係上、家にいる時間がムチャクチャ不規則なんですね。
ただでさえ独り暮らしなんで
せっかくお届けいただいても、不在のときが少なくない。
(仕事の都合で日中に寝てたりするので、居留守を使うことも・・・)

・・・これって、何気に申し訳ないじゃないですか・・・

郵便局員さんは何も悪くないんです。
(松本人志さんのCM曰く『バカまじめ』ってくらいですから)
せっかく
時間と労働力とガソリンを使ってお届けいただいたのに、受取人の私が不在なんです。
申し訳ないし、勿体ない。

だから思うんですよ。
私のような人間は、予め郵便局に申請しておいて
「〇〇町の〇〇は、普通郵便以外は郵便局まで取りに来るから届けなくてよし!」
みたいなシステムにしたらどうかと思うんですよ。

「配達物があることを知らせる為には不在者伝票が必要だろう。
一旦は配送員が自宅まで行く必要があるじゃないか」

・・・いやいや
だからそこは、自宅の電話なりメルアドなりを管轄郵便局に登録しておいて
留守電なりメールなりでお知らせしていただく感じで良いじゃないですか。
仮に電話代がかかるとしても
実際にお届けいただくコストからすれば、ずっと安価で済むじゃないですか。

実際
私が不在者伝票を持って管轄の郵便局に行きますとね
結構な人数の方が受け取りにいらっしゃってるんですよ。
真夜中なのに、列ができてることもしばしばです。
私と同じような人間って、潜在的に少なくないと思うんですよね・・・

配送物を一定期間保管する場所の問題があるかもしれませんけれど
今だって結構同じような状況になってるような気がするんですけどね~

個人的に妙案だと思ってるんですが、いかがでしょう?






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by dscorp-japan | 2017-04-20 00:00 | 思うに・・・ | Comments(4)

死者とそのご家族に対する、病院のホスピタリティ

 
一昨日
とある神父様と「医療施設における亡くなられた患者さんやご家族に対するホスピタリティ」についての意見交換をしてまいりました。
打ち合わせ相手のM神父様は
小教区としての教会の主任司祭である一方で、あるミッション系の総合病院(名古屋では誰でも知っている病院です)の理事長職にも就かれていらっしゃる方です。
有難いことに
普段からM神父様には、私を含めたウチのスタッフ全員可愛がっていただいております。

本当のところ
今回の打ち合わせの打診は二か月も前にいただいていたんです。
ところがウチの本業があまりにも多忙で、落ち着いてお話させていただく時間が取れないままにお待たせてしていたのでした。


お話の発端は
M神父様の、小さなひとつの疑問でした。

「病院の霊安室ってさ
大体が病院の裏側にあって、お迎えの寝台車が来る場所も何だか薄暗い感じのところが多いでしょ?
僕はどうしても違和感を感じるんだよね」

・・・おそらくそれ
全国の葬儀屋さん誰もが思っていることです ^^;
もちろん一概には申せませんが
特に寝台車を着ける場所について申しますと、病院に出入りする各種業者さんの搬入場所だったりするところが少なくありません。
なかには、病院で出た廃棄物の回収場所と同じだったりするところもあります。
病院によっては
新しく建て替えや増築する際にこの点を改善されるところもあるのですが
なかには、せっかく建て替えたのに全く改善されていないところも・・・

「僕はね
医療機関の責任として、亡くなられた方を送り出すその瞬間まで、施設としてのホスピタリティを充実させたいんだよね」

・・・まったく以て仰る通り!

「そりゃ『100%完璧に』とまではいかなくともさァ
たとえば
お亡くなりになられた方のご遺体を搬送するまでの時間を出来るだけ急かさないとか
寝台車をお見送りする場所も、ひとりの人間を送り出すに相応しい場として改善するとか
そういうことって大切だと思うんだよね」

もォ~120%同意!

・・・もちろん、病院側の様々な事情も分かるんです。
「亡くなられた方には出来るだけ早く出発して欲しい」とか
「寝台車は他の外来患者の目につかない場所に」とか
そりゃもちろんそうなんでしょうけれど・・・

「大体さ
『ホスピタル』という施設がホスピタリティを軽視しちゃいけないでしょ。
そしてそのホスピタリティは、亡くなられた方にもそのご家族にも提供されるべきでしょ」

・・・葬儀屋さんは、常々思っているんです。
私たちはいろんな病院に亡くなられた方をお迎えにあがります。
そこでそれぞれの病院の対応を間近で見ます。
そして
(オレはここの病院にはお世話になりたくねェな)
(オレだったら〇〇病院で死にたいな)
とか、思ってるものなんですよ。

「まずは霊安室の充実。
ある程度の期間、ご遺体を安置できる環境を作りたいんだよ。
そして寝台車のお迎え場所も
それなりにキチッとした環境を整備したいんだ」

・・・ここでお断りしておきますが
M神父様が理事長をされている病院は、今でも結構ちゃんとしてるんです。
ご家族からの評判も、概ね悪くありません。
でも、改善の余地がないわけでもない。


そんなわけで
私たちが葬儀屋さんとして見てきた、様々な他の医療施設の実態などをお伝えしたうえで
今後のより良いホスピタリティの具体的な提案をしてきたというわけでした。

「なんかさァ
あまりにも病院側がいろいろと手を出して、葬儀屋さんサイドの職域を侵してしまうみたいなことって無い?」

全然ございません!
神父様の修道会の掲げる言葉『HOMINIS DIGNITATI(ラテン語で「人間の尊厳」)』は
亡くなられた方にもまた当てはまる言葉だと思います。
どんどん改善していってください!







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by dscorp-japan | 2017-04-03 00:00 | 思うに・・・ | Comments(2)

配送先をコンビニ指定にしてみては?

 
少し前から報道されてるじゃないですか
「宅配物が多すぎて宅配業者さんたちが悲鳴をあげてる」みたいなニュースが。

・・・いまや
宅配業者さんを利用したことが無い方は、まずいらっしゃらないんじゃないでしょうか。

もちろん
ウチの会社も私自身も利用します、それも結構頻繁に。
葬儀で使用する消耗品関係なんかも届けてもらったりしますし
個人的なネットショッピングとかも届けてもらったりします。
ところがウチの職業柄と申しますか
せっかく届けていただいても、お葬式のお仕事が立て込んでいてスタッフ全員が現場に出払っていることが少なくないんです。
すると『不在配達票』みたいなのが投函されていて、再度届けてもらうようにお願いせざるを得ないわけです。
そのため、指定される電話番号に連絡を入れるじゃないですか。

・・・すると電話口の現場配達の方
本当に忙しそうに電話に出られるんですよね・・・

申し訳ないなァと思います。
「それが仕事だから」といえばそれまでなんですけれど
結局は二度手間、三度手間を強いることになるわけですから。


だから私個人のネットショッピングの配送先は
可能な限り、近隣のコンビニを指定するようにしています。
配送先をコンビニにすれば
私が自宅に不在のために再配達してもらうことを避けられますし
私自身も、時間のとれる自由な時間にコンビニに受け取りに行けばいいわけですから。
(私の自宅にゃ『宅配ボックス』なんてシャレたものはござんせん!)

いや
はたして、配送先をコンビニにするのが良い方法なのかどうか分かりません。
それはそれで、私たちの及び知らないご苦労とか面倒とかあるのかもしれません。
指定したコンビニさんにしてみれば「いい迷惑」なのかもしれません。
ただ少なくとも
現場の配達員の方が再配達のために時間を取られることは避けられるのかな、と。

でも
ネットショッピングで買うものでも、モノによってはコンビニ指定が出来ない商品があるみたいなんですよね。
たとえば
昨年末に入手したCDプレーヤーも実はネットで買ったんですが、これはコンビニ指定ができませんでした。
仕方ないんだろうなァとは思うんですけれどね。


いずれにしても
今の時代「宅配」って、私たちの生活に欠かせないものだと思うんですね。
ならば私たち消費者側も
何となく、ですけれど、少しでも現場の方の負担を軽くできるように考えてみてもいいんじゃないのかなァなんて思うわけです。

だって
「宅配」が無くなってしまったら困るんだもん。
特に私の場合
好きな音楽CDとかって、普通のCDショップに無かったりするのが少なくないんで ^^;






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by dscorp-japan | 2017-03-04 00:00 | 思うに・・・ | Comments(4)

『 沈黙 』鑑賞後に思うこと

 
前回の記事と内容が重なりますが・・・m(_ _)m


映画『 沈黙 』を鑑賞して以降
私は毎日のようにネット上にある、本作に関連する記事を読み漁っております。
私にとって本作は
それほどまでに衝撃的な映画だったということです。
そんななか
昨日「毎日新聞」に、イエズス会機関誌『チビルタ・カトリカ』の編集長が行ったマーティン・スコセッシ監督へのインタビューが掲載されたという記事を見つけました。

(ネット上の記事はコチラをご覧ください)


思いのままに記事を書き始めたものの
私自身の思いのすべてをここで書こうとすると、どうしても映画のあらすじや結末を明かしてしまうことになります。
本作をこれから鑑賞しようとお考えの方もいらっしゃることを考えると
それはさすがに憚られるところであります。

では、私は何を書きましょう・・・(><)


・・・私はつくづく思うのです。
私にとってキリスト教とは
私自身の不完全さや罪と向き合うための指針なのだな、と。
私の辿ってきた人生なんて人様に自慢できるようなものではありませんが
それなりに悩みもしましたし難局に対峙するようなこともありました。
そのたびに私は
(こういうときイエス様だったらどうするんだろう)と、その答えをキリスト教に求めたりもしたものです。

そんな考え方を本作にあてはめてみると
(イエス様がキチジローの立場だったら)
(イエス様がロドリゴ神父の立場だったら)
そして
(イエス様がフェレイラ神父や井上筑後守の立場だったらどうするのだろう)
などと思いを巡らせるのです。

そして逆に、こうも思うのです。

(イエス様は一体この物語の、誰を責めるのだろう)


原作発行当時の日本のカトリック教会は
信徒たちに対して、極力本作を読まないように勧めたとききます。
それは(映画でいうところの)『転ぶ』まではいかなくとも『躓き』の元になり得るのではないかという懸念があったからのように思います。
「カトリック信徒たるもの、かくあるべし」
といった不文律のような考え方があったのかもしれません。

しかし私は
本作に出てくる登場人物ひとりひとりが、不完全で罪深い私たちの「救い」として描かれているように思えてならないのです。
『躓く』ことが問題なのではなく
(いや、もちろん躓かないことが理想ではあるのですが)
躓いてしまった「後」こそが、私たちにとって大切なのではないか。

その意味において
本作に登場する「キチジロー」の生き様とその(恥知らずな)信仰心に、私たちが学ぶところがあるように思えるのです。・・・

            ♢

どこかの記事にも書かれていましたが
これからこの映画を鑑賞しようとお考えの方は是非、映画鑑賞後に予定を入れられないことをお勧めします。
もちろん映画を観た後の感想は人それぞれでしょう。
しかしおそらく
少なからずの方は本作の鑑賞後、しばし呆然とされるような気がいたします。
「余韻に浸る」というよりも
どうしようもなく胸が締め付けられる思いにとらわれるのではないでしょうか。

そのときは是非
その思いを振り払うのではなく、感じたことに素直にどっぷりと浸かってみるのもいいのではないでしょうか。






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by dscorp-japan | 2017-01-28 00:09 | 思うに・・・ | Comments(6)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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