D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

dscorp.exblog.jp Top

カテゴリ:宗教( 22 )

私なりの回答

 
拙ブログにコメントを下さる方から、あるご意見をいただいたので
これに対する私なりの御返答をさせていただきます。

            ♢

私は高校生の頃から様々な宗教に関心がありまして
あくまでも素人レベルではありますが、それなりに世界各地の様々な宗教について文献を読みあさってきた人間です。
そして葬儀屋さんになって以降
特に日本の仏教各宗派には、日常的に関わってきた人間です。
もちろん、各宗派の壇信徒の皆様とも接してきたという経験もたくさんあります。
それらの経験から
おそらく多くの皆様よりは少しだけ、仏教各宗派の違いや実情、各宗壇信徒の皆様の思いなどの知見はそれなりに有しているものと自負しております。
葬儀屋さんの多くがそうであるように。


この前提を踏まえたうえで申し上げます。

日本人の宗教観について考えるとき
「ご先祖様を大切にする」という、日本人の国民性が深く関与していることは間違いないものと考えます。
仏教各宗派の違いを問わず(或いは神道その他のご家族においても)
「今の自分たちがあるのはご先祖様のおかげ」という認識が大なり小なりあるものです。
その「家(或いは家系)」として代々信仰してきた宗教はそのまま
「ご先祖様」そのもの、だったりするのです。

特段に強い信仰心を持たない方々であっても
たとえば春秋のお彼岸にはお墓参りに行き
たとえばお盆には「迎え火」「送り火」を行ったり
「盆提灯」を出したり「精霊流し」をしたりします。
それらすべて「ご先祖様」のための行いです。
仮にそれらをしないご家庭だとしても
その時節になると(あぁもうそんな時期か)と、その意識だけでも大なり小なりあったりするものなのではないでしょうか。
そうやって
それぞれの家庭の宗教を通じて「ご先祖様を供養する(≒感謝の意を表す)」ことを大切にしてきた国民性なのだということです。

日本にキリスト教が伝来して400年以上経ちますが
これだけ長い年月をもってしてもキリスト教が広がらない国は、世界的にも稀なのだそうです。
その要因はいくつかあるのでしょうが
個人的にはこの「ご先祖様を大切にする」「ご先祖様の信仰してきた宗教を守る」との意識が強いという、日本人の国民性が少なからずあるのだと思っております。

・・・そしてそれは一概に悪いこととは言えないのではないでしょうか。

「保守的」と片付けることは簡単です。
しかし
「ご先祖様を供養する」「ご先祖様に感謝する」という、日本人の根源的な「思い」が代々引き継がれる為に、その “ ツール ” としての宗教もまた代々引き継がれるべしと考えるのは、ごく自然なことなのだと思うのです。

もともとのご家庭の宗教から離れることは
ご家族にしてみれば
「オマエはウチのご先祖様に対する感謝の念を棄てるのか」
という思いにかられるような気がするのです。
「宗教を変える≒家を棄てるのではないか」という捉え方です。
もちろんそうではないのですが
そう受け取られてしまう、ということです。

少なくとも「偏見」などではないと思います。
もちろん、なかには本当にカトリックに対するアレルギーをお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
しかし多くの場合
変わる宗教が何であれ、元々の「家」として守ってきた宗教を棄てるということに対する違和感によるもなのだと思います。


私の「家」で申しますと
父方は代々カトリックです。
母方の実家は熱心な曹洞宗の檀家です。
母は約20年前にカトリックの洗礼を受けましたが
元々の実家の曹洞宗もまた大切にしております。
そしてそんな母を、実家の皆も受け入れてくれております。

それで良いと思うのです。
というか
そうあるべきだと思うのです。

「私は自分の思いでカトリックに変わるよ。
でも、家族の宗教を否定するつもりもないし、私なりに大切にするよ」

元々の「家」が信仰する宗教の教義について論議しても意味を為さないんです。
そこに理屈などないからです。
何故ならそれは
「宗教」という名の、家としての「文化」であり「伝統」だからです。







[PR]
by dscorp-japan | 2016-10-02 02:23 | 宗教 | Comments(2)

『信教の自由』に思うこと

 
とある方からいただいたコメントから
思うところをつらつらと書いてみたいと思います。

            ♢

日本国憲法の第20条に『信教の自由』というのがありますよね。

1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
  いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

世界に目を向けると
たとえば『世界人権宣言』の第18条にはこうあります。

すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。
この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。



私は葬儀屋さんですので
少なくともお葬式に関連するうえでの宗教は、どんな宗教もすべて尊重することを忘れないようにしようと考えております。

故人様或いはご遺族様が信仰されていらっしゃる宗教であれば
それが長い歴史のある宗教であれ、いわゆる新興宗教であれ
たとえその宗教が(様々な理由から)社会的な批判を受けているものであれ
また仮に
私個人の心情としては受け入れがたい宗教であったとしても、少なくともお葬式の間だけでも、私はその宗教を尊重するスタンスを堅持したいと思っております。
これを遵守することが
葬儀屋さんとしての、葬儀を行われる当事者皆様に対する最低限の礼儀だと考えるからです。


・・・これはマザー・テレサから教わったことです。


そしてもうひとつ。
自分の信じる特定の宗教があるとしても
殊更に他の宗教のことを批判したりすることは厳に慎むべしと考えております。
それをすれば
その宗教を信仰される方の人間性そのものを否定することになりかねないと考えるからです。

もちろんその宗教が
社会的な犯罪に加担する(或いはその疑いがある)団体である場合は、この限りではありません。
というか、これも私見ですが
その団体はもはや「宗教」ではないと捉えておりますので。

            ♢

私の考え方が正しいか否かは分かりません。

ただ
自分の信じる宗教が正しいと信じるのは良いとしても
それ以外の宗教を闇雲に批判したり否定することって、結果的に自分の信仰する宗教の器の大きさというか品位を貶めることになると思うんですね。


「アナタが救われて私は救われないのですね」
「アナタからすれば、私は堕落した人間なのですね」
「私はアナタの宗教に何らの意見を申し立てるつもりはありませんけれど
アナタは私の宗教にもの申されるのですね」


人間の心を動かすのは、決して「北風」ではない。
「太陽」こそが、旅人の外套(がいとう)を脱がせるのですよ、と。






[PR]
by dscorp-japan | 2016-06-06 00:00 | 宗教 | Comments(11)

宗教者としての謙遜

 
前日の記事でご紹介しました映画を観て、個人的に思ったこと。

「宗教者とはどうあるべきなのか」

もちろん私は宗教者ではありませんし
なったこともない宗教者に対して、モノを言える立場ではないと心得ております。
どの宗教であれ
(少なくとも世間からその存在を認知・理解されている宗教であれば)
宗教者になられた方(或いはなられる方)を、私は尊敬しております。
「世襲制だから」
「お金が儲かりそうだから」
どのような理由であったとしても
宗教者になることで払うであろう、自身の犠牲が無いわけではありません。
敢えてそこに踏み込むという決断をすることは、並大抵のことではないはずです。

・・・恥ずかしながら
若かりし頃、ほんの一時期だけ、ほんの少し司祭職に憧れたことがあります。
でもすぐに諦めました。
自身の人生を打算的に考えた時
それは得策ではないと判断したからです。
「欲」と「打算」と「傲慢」が、「憧れ」に勝ったということです。

だから私は
基本、無条件に宗教者を尊敬しております。

            ♢

・・・という前提のうえで
あらためて、私の思う宗教者としての在りようについて。
特に、前日ご紹介した映画を観て考えさせられたこと。

「はたして宗教者は、信徒に対して立場が上なのか」
「宗教者とは権力者なのか」
「裁判官なのか」

件の映画では
村の皆が信仰するプロテスタント教会の牧師が登場します。
村の経済面における支配者である男爵とともに
この牧師は宗教面(或いは精神面)における指導者であり、ある意味において「支配者」として描かれます。
「神の代理者」としての牧師の言動は常に正しいとされ、半ば絶対的です。
映画のなかの牧師は「裁判官」なのです。
自身の息子や娘に対してさえ同様で
牧師は父親として、子どもたちに(体罰を伴う)重い罰を課します。

            ♢

さて。
ここで新約聖書にある言葉を引用します。

「人を裁くな。
あなたがたも裁かれないようにするためである」
(マタイによる福音書/ 07章 01節)


「人を裁くな。
そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。
そうすれば、あなたがたも赦される」
(ルカによる福音書/ 06章 37節)


私の知る限りにおいて
良き宗教者とは、決して他者を断罪することのない人です。
罪は罪として教え諭すことはあっても
決して裁き手とはならない人です。

そして
信徒と同じ目線に立てる人。
「私もあなたと同じ罪人です」
という前提に立ち、宗教者であっても同じ人間であるという姿勢を崩されない人。

            ♢

以前にも書きました。
私の尊敬してやまない
カトリック名古屋教区長であったアロイジオ相馬信夫司教様は、生前私に仰いました。

「大丈夫、オカダ君。
何も心配しなくていいんだよ。
オカダ君が死んだ後に行く先には、必ず僕がいるから」

・・・もう30年近くも前にいただいた言葉です。
この言葉をいただいて以降
何度この一言に慰められ、救われたことでしょうか・・・

カトリック司教としての権能を与えられ
信徒たちからの尊敬を集め、慕われた司教様は
司教としての権威を一切振りかざすことなく、私と同じ目線で語ってくださり、決して私を裁くこともありませんでした。

            ♢

時として
私たちに与えられた社会的立場は、私たち自身を「裁判官」に仕立て上げます。
知らず知らずのうちに、私たちは自分の置かれた立場に溺れてしまいがちです。
自分に対して盲目になってしまうのです。
そして
もしかすると、宗教者もまた例外ではないのかもしれません・・・

良き宗教者とは
「傲慢」という「躓き」と闘うことを諦めない人なのかもしれません。

正しいこと。
優しいこと。
博識であること。
もちろんそれらも大切でしょう。

しかしそれ以上に
常に「謙遜」であること。

良き宗教者としての絶対条件があるとすれば
それは「謙遜さ」ということなのではないかと思うのであります。






[PR]
by dscorp-japan | 2015-03-24 00:00 | 宗教 | Comments(2)

最後の砦

 
「宗教の存在意義」。

様々な要因が考えられるのでしょうが
現代社会において、この「宗教の存在意義」に対する価値観は薄れてきているような気がします。

「神様って、居る?」
「そもそも神様って、要る?」
「神とか仏とかに頼る前に、やること(やれること)あるでしょ」

即効性のあるご利益が保証されている(とされる)比較的新しい宗教などと違って
多くの歴史あるメジャーな宗教って、今じゃ必要とされる場面が少なくなってきているような・・・
科学や医学はそれなりに進歩し
私たちが生きていくうえで遭遇する様々な問題の多くは、宗教に頼らずとも、何とかならないでもない。

“ 苦しいときの神頼み ”

しかしながら
もしかすると、現代人の多くはその神頼みに疑念を抱いているのかもしれません。


私は
宗教の最後の砦は「お葬式」なんじゃないかと思ってるんです。

仮に「宗教とは死生観の解釈法である」と考えたとき
それぞれの宗教が提唱する死生観の提示(或いは具現化)こそが「お葬式」なのだと考えることは出来ないでしょうか。

「成仏」
「魂の救済」

ホントにそれが成し遂げられるのかなんて、本人にしか分かりません。
しかし、日常では神も仏も意識しない私たちが
(亡くなってしまったけれど、せめて今こそ頼ってみよう)
と思う場面が「お葬式」なのではないだろうかと。

・・・いや
その最後の砦である「お葬式」に対する価値観もまた薄れてきている様相ではあるのですが・・・(汗)

ただね
「死」とそれに伴う「悲嘆の念」だけは、今もって科学や医学だけでは解決できない領域だとも思うんですね。
それぞれの宗教が掲げる死生観は
今なお、大切な存在を亡くした者にとっての「慰め」となり「癒し」となっている面はあるはずなんです。
巷でよく言われるグリーフ・ケアの一端は「宗教」が担っている。
すべての方に当てはまるとは申しませんが
日々お葬式をお手伝いさせていただいている立場として、これは断言できると思ってます。


科学や医学だけでは解決できない問題を補完する役割として
宗教にはまだまだ大きな意義があるはずだと、私は信じたいです。

「伝道」だの「宣教」だのと、偉そうなことを言うつもりはありません。
ただ
お葬式がその宗教と出会う最大の「きっかけ」となり得るのであれば
お葬式は宗教とタッグを組めるに違いないのであります。

何たって
宗教も葬儀屋さんも、扱うのは人間の「想い」であり「心」なのですから。







[PR]
by dscorp-japan | 2014-07-09 00:43 | 宗教 | Comments(2)

浄泉寺・相愛会館落慶法要

 
私の高校時代の同級生に
真宗高田派のお寺の住職がいます。

長らくご無沙汰していたのですが
数年前、彼のお父上(先代住職)がお亡くなりになられた際、お葬式の相談を受けてオブザーバーとしてお手伝いさせていただいたことから、あらためてちょくちょくコンタクトを取るようになりました。


以前から聞いていたのですが
お寺の境内に新しく多目的ホール『相愛会館』を建立され、昨日落慶法要があり、私もお招きいただいたので出向いて参りました。

a0153243_16005949.jpg
浄泉寺・相愛会館全景


住職であるK氏は武道の達人。
高校時代から柔道の有段者で、当時の名古屋市立高校では敵なし!
その後一流大学の法学部へ進学し、司法試験に合格して弁護士に。
そして、今は弁護士でありながらお寺の住職でもある、と。

「いや~オカダァ
寺の住職やってると弁護士の仕事まで手が回らんのよォ」

・・・ということで
今はほぼ、お寺の住職に専念しているようです。


このたび、お寺の檀家さんたちのコミュニティスペースとして
また空手&剣道の道場として
そしてさらには葬儀・法要会場としても使用できる会館を建立されたという次第です。

a0153243_16073939.jpg
『相愛会館』という名前の由来は
その昔、この場所にはお寺の運営する『相愛幼稚園』があったのだそうです。
その幼稚園の名前から『相愛』という言葉を拝借して『相愛会館』と名付けたのだとか。

a0153243_16095505.jpg
落慶法要のようす

道場としての機能が必要なので、床は全面板張り。
すでに剣道のお稽古に使用しているそうです。
メインホールの上座には立派なお仏壇が鎮座し、法要(&お葬式)が出来ます。

a0153243_16123582.jpg
お経を挙げる同級生K氏と伴僧さん


・・・しかし
まァ~立派な建物でしたよォ~
道場としても使用するわけですから、建物もしっかりした造りでした。
そして一方でお葬式などでも使用することを考えられているので
二階にはご遺族の控室として使用できる二間続きの和室もあり、お手洗いやお風呂・パントリーも完備。
寺院控室としての和室も、ご遺体安置用の小さな和室もあります。
音響設備も、プロジェクターによる映像設備も完備。

・・・こりゃ葬儀会館も真っ青!

「オカダんところならお葬式で使ってもいいよ~」

・・・いや
そりゃ有難いばかりなんだけど、ウチはキリスト教だし(笑汗)
そこは今後の相談ということで・・・m(_ _)m






[PR]
by dscorp-japan | 2014-04-13 00:00 | 宗教 | Comments(2)

手彫りの仏像たち

 
先日お邪魔してきた同級生のお寺
その目的はいくつかあって
同級生である住職に会うのも
大相撲・宮城野部屋のお稽古を見るのももちろんだったんですが・・・
もうひとつ
同級生が自身で彫ったという仏像たちを拝見したかったんです。

彫塑・工芸は私の専門ではありませんが
それでも一応美術系の大学を出た “ 元ポンコツ美術教師 ” としては、ここは少々シビアな目で観てやろうじゃないかというわけですね(笑)

・・・というわけで・・・

はい
ど~ん!
a0153243_113555.jpg


・・・ま、マジかァ?(驚)

はい
ど~ん!
a0153243_14472.jpg


・・・なァにィィ~??

めっちゃくちゃウマいじゃん!

・・・とは言っても、仏像は顔が命じゃけんのぉ。

a0153243_154866.jpg


・・・(大汗)

a0153243_164613.jpg


・・・何という優しげな御尊顔・・・ m(_ _)m


木目をご覧いただければお分かりかと思います。
基本的に一木彫です。
簡単に言えば
一本の木の丸太から仏様を彫り出したものです。

これが如何に難しいかは私が保証します。
何たって、一切のミスが許されないんです。
非常に繊細な作業。
そして根気の要る作業です。


・・・作者である同級生の住職に言ったんですよ。

「オマエって高校時代、音楽選択じゃなかったっけ?」

そしたらしれっと言いやがる(笑)

「オレ、元々美術好きだったし」

・・・なんやそれ。



しかし驚きました。
彼にこんな才能があったとは・・・!

「オレさァ
ゆくゆくはウチの檀家さんのご葬儀の際に小さな仏像を彫ってあげて
それをお柩のなかに入れて差し上げようと思うんだよね・・・」

・・・心の底から頭が下がります m(_ _)m
素晴らしい考えです。


高校時代は柔道で「敵無し」だった彼が
弁護士として辣腕をふるってきた彼が
いま、仏の道を説く住職となり、自分の檀家さんの為に彫刻刀を握るとは。


心から良き友を持ったと思います。
そして
心から応援したいと思います。
[PR]
by dscorp-japan | 2013-07-06 01:25 | 宗教 | Comments(6)

“宗教者駅伝” ですとぉ~!?

 
(ニュース記事はコチラ

2014年の2月に開催される『第3回京都マラソン』に提案されたということです。
そしてこの提案
臨済宗妙心寺派『退蔵院(たいぞういん)』の副住職からのものだそうです。

私はクリスチャンの立場ではありますが・・・
声を大にして申し上げたいと思います!

ブラボー!!


スゴイスゴイ!
とっても素晴らしい妙案だと思います!
ニュース記事にもある通り
日本における仏教の大元とも言える「京都」という町で行われるマラソンだからこそ、その意義は大きいのではないでしょうか。

宗教の垣根を越えて
世界平和への思いや、東日本大震災をはじめとした世界各地で起こった自然災害の被災者支援&犠牲者への鎮魂の祈りを込めて、それぞれの宗教者がタスキをリレーする。

素晴らしいことじゃないですか!

祈る相手(≒神)は違えど、その思いは同じ。
どんな神様を信じていようと
私たち人類皆の幸せを願わない人はいないはず。
大切な人を思う心や他者を思いやる心が、今回の提案が実現することによって大きな輪になることを願わずにはいられません。

最終的にはややデリケートな諸問題があるかもしれないけれど・・・
それでもこういう取り組みって、かなり意義深いんじゃないでしょうか。

何とかして実現してほしいと思います!

牧師先生や神父様~!
実現の暁には是非積極的にご参加いただいて、祈りの輪に加わってください m(_ _)m


・・・私の仲良しの神父様にもひとり、マラソンやってる方がいるんですよね~

S神父様、出てくれないかなぁ~ ♪
[PR]
by dscorp-japan | 2013-06-01 00:00 | 宗教 | Comments(1)

秋分の日です

 
つまり彼岸の中日であります・・・
(お彼岸については過去記事をご参照ください)


毎年お彼岸の時期になるたびに申しております。

「お墓参り、行ってますかぁ~ ♪」


最近では、お墓を持たないご家庭も少なくないようです。
しかし
お墓が無くとも、皆様のご先祖様を思い起こすことは出来ますよね?

クドいようで恐縮なんですが m(_ _)m
お彼岸とは「ご先祖様を思い出し、感謝するための期間」だと思っております。

そこには宗教の違いなど関係ないと思っています。
仏教も神道もキリスト教も、無宗教だって関係ないです。
だって
私たち誰もが、ご先祖様がいてはじめて存在出来るんですから。
父ちゃん母ちゃん
爺ちゃん婆ちゃん
曾爺ちゃん曾婆ちゃん
曾曾爺ちゃん曾曾婆ちゃん・・・

・・・クドい・・・?
いや!
クドくない!
みィ~んなご先祖様だもの。

ご先祖様とは
自分がこの世に生まれてくることが出来たルーツなんですよね~
(そういやァ昔『ルーツ』っていうアメリカのテレビ番組がありましたね~)
ご先祖様が居て下さったから
私たちはオギャ~と生まれてこれた。
ご先祖様が居て下さったから
ポンコツ葬儀屋さんをやりながら、ヒマさえありゃギター弾いて遊んでいられる(笑)
ご先祖様が居て下さったから
こうしてタバコを吹かしながら下らんブログ記事を書いていられる(←でも時々ちょっと苦痛・・・)

・・・とォにかく!
今は皆様。
普段は忘れていらっしゃる(であろう)ご先祖様を思い出して、感謝の気持ちを込めてそれぞれのカタチで構いませんから、お祈りしましょう。

感謝感激、雨アラレ~ ♪
[PR]
by dscorp-japan | 2012-09-22 00:13 | 宗教 | Comments(2)

つまりは “ 賭け ” だったりして

 
世界中にある無数の宗教。

古いのも新しいのも
メジャーなのもマイナーなのも
全部ひっくるめると、果たして世界にはどれだけの宗教があるんでしょうねェ・・・
(もしかして神様でさえも分からないんじゃないかしら)

            ♢

私見ですが
宗教ってのはつまるところ、死生観の捉え方だと思ってるんです。
死生観をもたない宗教って・・・それは宗教じゃなくて哲学なんじゃないでしょうか・・・

・・・という勝手な前提のうえで(汗)

私たちの誰ひとりとして、死後の世界を証明できる人間なんてまず居ないわけですよね。
自身のなかでは確証があったとしても、それを他者に証明することはなかなか出来なかったりします。
(少なくとも私には出来ません)

じゃ~どういう根拠で信じるか(或いは信じないか)というと
いわゆる教祖の言葉や行い・教えだったり、経典・聖典の語るところを信じるというのが実情ですよね。

・・・あとは、自身の心の声。
実はこれこそが、最終的な決断の決め手だったりします。

・・・これって
(誤解を恐れずに申しますなら)『賭け』みたいなものだと思いませんか?

「オレは〇〇教にノッた!」
「私は〇〇教が “ 来る ” と思う」

            ♢

高校生の頃
私はそれなりに古今東西の宗教本を読み漁ったりして、ほんの少しだけお勉強しました。
どの宗教もそれなりに(なるほど~)と思わされたものでした。
そのうえで最終的に決めたのが、私の場合はカトリックだったということです。
その決め手はというと
自分の感性に合っていると感じたこと。

そして一方で、こうも思ったんです。
(まァ~コイツになら騙されても良いか~)

つまり
高校生の私は、カトリックに “ 賭けた ” ってことだと思うんですよ。
(生後間もなく幼児洗礼を授けられはしましたが、これは自分の意志ではありません)



・・・あれから約30年。
私の “ 賭け ” が当たっているのかどうかは分かりません。
おそらく
この世の務めを果たしてからでないと、その答えは提示されないのかもしれません。

葬儀屋さんとして現場におりますとですネ
時折、心のなかで故人様に問いかけるんですよ。

(どうです?当たってましたかァ~?)

って(笑)
[PR]
by dscorp-japan | 2012-08-10 00:09 | 宗教 | Comments(2)

駆け込み寺

 
今日は暑かったですネ~(汗)


7月に入りました。
本業のお葬式もあるんですが、今日は日頃からお世話になっている教会やお寺へご挨拶まわり。
とは言っても
一日で回りきれるものでもないんですがネ・・・


そんなわけで
今日は、ご挨拶に伺った先の、とあるご住職との会話から。

伺ったお寺は
名古屋市近郊のとある町にある、長い歴史を誇る山寺です。
こちらのご住職様とは、もうかなり長いお付き合いをさせていただいております。
ウチの会社としても、何度かご葬儀のお手伝いもさせていただいております。

「オマエのところってキリスト教専門じゃないの?」

たしかにそうなんですが(笑)
こちらのご住職のご厚意とご理解によって、時折お葬式をお手伝いさせていただくんです・・・
ウチは仏式葬儀の祭壇など、持ち合わせておりません。
しかしお寺には “ 本物 ” の祭壇があるわけですから、それで良いわけなんですね。



さて。
今日の話題は「宗教者の感じる危機感」について。

・・・こちらのご住職は断言されます。

「もう、お寺の檀家制度は限界に来ている。
すでに崩壊していると言ってもいい。
しかし、こうなってしまったすべての原因は私たち仏教者にある。
いますぐにでも、私たちは本当に自分たちの襟を正すべきだ。
・・・いや、或いはもうすでに遅すぎるかもしれない」

当の仏教者であるご住職を前にして
「そうだそうだ!」などと諸手を挙げて賛同するわけにもいかないわけなんですが(笑汗)
でも、仰りたいことはよく分かるつもりです。

たとえばお葬式。
その良し悪しは別としても
ことお葬式に関して言えば、多くのお寺がお葬式の段取りや手続きをアウトソージングしてきたという経緯があると思います。
アウトソージングした相手とは、もちろん葬儀屋さん、です。

以前から申しておりますように
私は、その宗教が為すべき布教活動の最も大きなチャンスのひとつが「お葬式」だと思っております。
しかしながら
(もちろんすべての宗教者がそうだとは申しませんが)
お葬式という場面において、宗教者が単なる『司式者』になってしまっているという方が少なくないと感じます。
極端に言えば
「一通りお葬式のお経を挙げれば良いんでしょ?」的な・・・
「お布施の額と戒名はこっちで決めるから、あとは葬儀屋さんと相談して」みたいな・・・(汗)

「残念なことに
私の周りの仏教者は、あまりにも危機感がなさ過ぎるのが多すぎる。
ルーティンワークじゃいけないんだ。
キミたち風に言えば
『いつまでも あると思うな お葬式』 ということだ」

・・・大いに耳が痛いところデス・・・(大汗)

「今こそ
私たち仏教者は新しい形のコミュニティを提案し、これを形成すべきだと思う。
それは檀家制度などではなく
人と人との温もりが感じられるような、心の通うコミュニティであるべきなんだ。
お寺は、コミュニティのハブ(HUB)になるべきなんだ


・・・私も全くそう思います・・・


誰もが知っている言葉、『駆け込み寺』。

何でも困ったことがあれば、とりあえずそのお寺に行ってみる。
その窓口がある、ということが大切なんだと思うんです。

・・・今『駆け込み寺』といえるお寺って、どれだけありますでしょうか・・・?

「果たしてウチがそれになれるかどうか分からないけれど
ボクは頑張ってみようと思うんだ・・・」


・・・今日は何だか
大いにパワーをいただいた気がした一日でした ♪
[PR]
by dscorp-japan | 2012-07-04 22:34 | 宗教 | Comments(2)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31